第27話 誠也の気持ち
キッチン──それは戦いの舞台であり、単なる調理場などではない。
乙女の威厳をかけ、相手の胃袋をその手に掴む。
料理だけが出来ないというギャップもありだが、この真剣勝負でそんなリスクは背負えなかった。
どちらが有利かというと、昔から来ている瑠香の方だ。
それは料理の腕前ではなく、どこに何があるのか分かっているから。
少なくともスピードだけで考えれば、軍配は間違いなく瑠香に上がる。
「西園寺さんって料理できるのー? なんかお嬢様って感じがして出来なさそうなんですけど」
「料理は大得意ですわよ。自炊してるくらいですからね」
先制攻撃は瑠香から。
軽いジャブで相手の様子を見ることに。
対して瑞希はというと、瑠香の攻撃を軽くいなし、自慢するようなカウンター攻撃で牽制する。
序盤から腹の探り合いする二人の少女。
相手の料理の腕前がどれ程のものか分からず、不安を払拭しようと横目で確認しながら自分の料理を作っている。
「自炊かぁ、レンチンするのは料理とは言わないよ?」
「だ、誰がレンチンで済ませてるですって! ちゃんと手料理を作ってますわよ。それよりも前原さんこそ、料理できるのかしら?」
「そんなの朝飯前だよ。この間だって──誠也に作ってあげたんだから」
そのひと言で瑞希の手が止まる。
偽りの恋人──確かに瑠香にはそう言った。その事実は間違いないが、今の瑞希は……偽りではなく本物を求めている。
今作っているのを誠也に食べてもらっても、一番最初にはならない。
悔しい、本気で悔しすぎる、涙が出そうなくらい悔しさが襲ってくる。
誠也の中では常に一番でいたい。ワガママかもしれないが、それこそ瑞希が心から望んでいることだった。
「そ、そうなんだ……」
「これも幼なじみの特権だからね」
幼なじみという強者を前に、瑞希は心が折れそうになる。
勝てない、この勝負は不利すぎる。
だからと言って、誠也を諦められるわけない。
どうにかしてこの劣勢をひっくり返さなければ──。
今すぐでなくてもいい、まずはこの勝負に専念しないといけない。
悲しみの沼から脱出した瑞希は、気持ちを切り替え料理に集中した。
「終わりましたわ」
「私もちょうど終わったところだよ。どうせ勝つのは私ですけどねー」
こんな安い挑発に乗ってはいけない。
深呼吸で気持ちを落ち着かせ、瑞希は瑠香からの挑発を軽く受け流した。
「そうね、幼なじみなら普通に勝てるでしょうね。負けるとか幼なじみの風上にも置けないですわ。本物の幼なじみなら、私に勝てると信じてますわ」
受け流すどころではない、逆に仕返しと言わんばかりに瑠香を挑発する。
負けず嫌い──たとえ気持ちを落ち着かせても、やられっぱなしだけは許せなかった。
両者の準備が終わり、さっそく遅めの昼食が始まろうとする。
問題は座る場所、どっちが誠也の隣に座るかでゴングが鳴った。
「あのー、西園寺さん、申し訳ないんですけど、そこは私の指定席なんですけどー?」
「冗談にしては面白くないわよ? そこは恋人である私が座るべきでしょうに」
両者とも一歩も引かず時間だけが過ぎ去っていく。
硬直状態が続き、珍しく誠也が二人の間に割って入る。
このままではせっかくの料理が冷めてしまう。
それならば自分が譲るしかない。
誤った解釈で壮大な勘違いをした誠也は、この状況を収めるひと言を放った。
「分かったよ。僕が反対側に座るから、二人は仲良く並んで座ってね」
曇りなき瞳に誰が異論を唱えられると言うのか。
瑞希と瑠香は開いた口が塞がらず、誠也に言われるがまま並んで座るしかなかった。
「うぅ……これでは本末転倒ですわ」
「誠也の……ばかっ」
予想の斜め上を行く誠也の対応に不満気味なふたり。
かといって、本音を言えるはずもなく、ここは大人しくした方が無難と考えた。
特に瑠香の不満さは顔に出るほどで、告白したのだからそれくらい分かって欲しいと思っていた。
「ふたりとも、僕のために作ってくれてありがとう」
「そんな、改めて言われると照れてしまいますわ」
「お礼なんかいいよ、それより味の感想を聞かせてね」
魔法の言葉とは恐ろしいもの。
一瞬で二人に笑顔をもたらすのだから。
ありがとう──そのたったひと言が何よりも嬉しい。
心に余韻を残し、黒い霧が晴れていくようだ。
感想というのは意外と難しい。
美味しかった──ただそれだけの感想は相手に失礼。
ただ食べるのではなく、ひと口ずつしっかり味わって食べる。
それが礼儀だと誠也は思っていた。
「瑠香の料理って、やっぱり心が落ち着くよね。家庭的というか、この味、僕は好きだよ」
嬉しすぎて涙が出そうになる瑠香。
料理を褒められたはずが、好きという言葉で暴走寸前である。
コダマのように何度も頭の中で再生され、その余韻に浸りながら別世界へと旅立ってしまった。
「瑞希にも感想を言うの?」
「当たり前に決まってるじゃないの」
「う、うん、分かった、感想を言うから落ち着いてよね……」
誠也からの返事を聞くのが怖い。
心臓が今にも飛び出そうだ。
これなら感想を聞かない方がよかったかもしれない──そんなことが頭をよぎるも、一生後悔すると考え直した。
時間がゆっくり流れているようで、答えを聞くまでが長く感じる。
早くして欲しい、でないと本当に心臓が飛び出してしまいそう。
緊張がピークに達する中、誠也の口元がゆっくりと動き出した。
「初めて瑞希の料理を食べたけど、心が癒されるというか、お腹も心も満たされるって感じだよ。この料理を毎日食べられたら──きっと幸せなんだりうね」
最高の褒め言葉だと瑞希は思った。
感激のあまり瞳が潤み両手で顔を覆う。
今日ほど幸せな日などない。
瑞希の頬がほんのり赤く染まり、隠した口元には笑みを浮かべていた。
「ねぇ、誠也、ひとつだけ聞いていいかしら?」
「ん? なんでも聞いてくれていいよ」
感情が高ぶり、普段の瑞希では絶対に聞けないことを聞こうとする。
抑制など出来るわけなく、期待と不安が混じり合う中、誠也へ質問を投げかけた。
「正直に答えて欲しいんだけど、誠也ってさ……私のことどう思ってるのかなって」
「瑞希のこと……?」
意外な質問にほんの少し悩む誠也。
瑞希のことをもっと知りたいとは思うが、瑞希をどう思っているかなど考えたことがなかった。
偽りの恋人──ひと言で表現するならそうかもしれないが、今の誠也にはその言葉に違和感を覚える。
瑞希が真剣な眼差しを向けているのだから、自分も真剣に答えよう──誠也は頭の中を整理し、その答えを纏めあげた。
「そうだねぇ、最初は正直なところ、平穏な高校生活が送れなくてイヤだったけど──」
「そう、だったんだ。そうよね、私が強引だったもんね」
「でも今は違うかな。ひとりの時間も楽しいけど、瑞希といるといろんな感情が込み上げてきて、新鮮というか、毎日が楽しいかな」
「ほ、本当に!?」
予想に反した返事に思わず大声を出してしまう。
嫌われていない──それだけ分かれば今は十分。
不安が跡形もなく消え去り、瑞希はホッとして胸をなでおろした。
「本当だよ、これが今の僕の気持ちだよ。まだ、しっくりとしないところはあるけどね。さっ、そろそろ夏休みの課題の続きをやろうか。このペースじゃ終わらないからね」
話の流れが変わり、三人は後片付けをすると誠也の部屋へと戻っていく。
飛び跳ねそうなくらい嬉しい瑞希に対し瑠香は……複雑な心境で夏休みの宿題に取りかかった。
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