第25話 嫌いなものは最後まで残すもの

 夏休みも終盤へと差し掛かる。

 高校生になって初めての長期休暇は、あっという間に過ぎ去ってしまう。


 あとはダラダラと過ごし始業式を迎えるだけ──のはずが、誠也は肝心なモノを忘れていたことに気がつく。


「あっ……。夏休みの課題すっかり忘れてた……」


 浮かれていたせいもあり、課題という単語は忘却の彼方に置き去りにされていた。

 まずい、この量をひとりで終わらせるな、精神的に無理な話。

 楽しさの代償としては大きすぎる。開き直って諦めかけようといていると、救いのラブコールという名の着信音がスマホから聞こえてきた。


『もしもし誠也? ちょっと相談があるんだけど……』


 電話の主は瑞希。

 珍しく下手に出ているような言葉遣いだった。


『相談? 僕でよければ相談に乗るよ』

『ありがと、実はね……夏休みの課題が終わらなくて、よかったら一緒にやらない?』


 仲間がまだいた──それが妙に嬉しく、誠也は心のなかで飛び跳ねるほど喜んだ。


『うん、僕も終わってなくてどうしようかと思ってたんだ』

『そっか、私達って似た者同士ですわね。それで、その……課題やるのに誠也の家とかはダメ、かな?』


 魅了するような甘い声。

 反則級の誘惑に断るという選択肢などない。

 別に下心があるわけではないが、自分の家に来てはダメという理由も見当たらない。


 ふたりでならこの試練を乗り越えられるはず。

 ましてや瑞希は学年トップクラスの成績。

 頼れる存在であることに間違いはなかった。


『いいよ、僕のうちでやろうか。駅前で待ち合わせしようか、僕が迎えに行くからさ』

『ありがと、それじゃ1時間後でどうかしら?』

『分かった、それくらいの時間に行くね』


 電話を切ったあとで密かに微笑む瑞希。

 誠也が断れない性格なのを見通して、出かける準備はすでに終わっている。しかも誠也の家に行くため、わざと課題に手をつけなかった。


 1時間という時間は、計画的でないことのアリバイ作り。

 あくまでも素で忘れていた、ということにしておきたいだけ。

 すべては、誠也と二人っきりでイチャつきたいがために……。



 運命なのか、二人同時に待ち合わせ場所へ到着する。

 まだ夏の暑さは続いており日傘は手放せない。当然、瑞希も日傘を差しているわけで、誠也と合流すると無言で日傘を手渡した。


「もう何も言いません」

「人間、諦めが肝心ですからね」

「諦めたというか、瑞希の性格が段々分かってきたというか……」


 誠也が自分を理解してくれている──それが何よりも嬉しく、氷姫のままつい口元に笑みが浮かぶ。


 少しずつでいい。

 自分のことを気にかけてくれれば、いつかそれが恋心になるはず。

 焦る必要はない、じっくりと基礎を固めていけばいいだけ。


 だから今やるべきは──。


「ち、ちょっと瑞希!? いきなりどうしたんだよ」

「これくらいいいじゃい。恋人同士なんだし」


 変化、ほんの少しだけやり方を変えた。

 羞恥心などおかまいなしで、瑞希は誠也の腕に絡みつく。


 その大胆な行動は誠也の顔を赤く染めるだけでなく、視線を逸らさせるほど強力。なにせ、白いワンピースから胸の谷間がしっかり見えていたのだから。


「それはそうだけど……。目のやり場に困るというか……」

「目のやり場? 誠也は私のどこを見てたのかしら?」


 イタズラ心満載で誠也に意地悪する瑞希。

 少しでも自分を意識してくれればいい──そのためにはアピールの手を緩めるわけにはいかない。


 ここで追撃と言わんばかりに胸を押し付ける。

 今の瑞希に恥じらいの文字など存在しない。

 攻めて攻めて攻めまくるのみ。


 もし手でも抜いてしまったら、瑠香に先を越されそうで不安があったから。

 後悔するくらいなら羞恥心など捨てよう──それが今の瑞希であった。


「どこって言われても……。そ、そういえばさ、新学期が始まると文化祭だよね」

「そうね、ウチのクラスは何するのかしら。私的にはメイド喫茶とかいいと思ってるのよ」

「瑞希ならメイド服似合いそうだよね」


 上手く話題を逸らせたと思った誠也。

 だがこれも瑞希の思惑通りであり、次なる一手を打とうとしていた。


 メイド服で誠也に迫ったらどうなるのか。

 きっと褒めてくれるだろうけど、それ以上のことを期待してしまう。

 雰囲気に流され告白──なんてことを妄想する。


「もしメイド喫茶に決まったら、誠也にだけ特別サービスしちゃうわよ」

「特別サービスって……。べ、別に普通でいいよ、普通で」

「何を期待したのかしら? もぅ、誠也ったらっ」


 完全に瑞希のペースで話が進んでいく。

 真っ赤に染まった誠也の顔を眺め、満足すると何事もなかったような態度を取る。


 すべては計算、誠也の意識に自分を刻みつけるための布石。

 意識だけではない、心にも体にも自分の匂いを擦り付け、やがては瑞希しか考えられないようにする。

 そうすれば、偽りから本物の恋人へ昇格すると考えた。


「な、何も期待してないよ」


 誠也の本心などすぐに分かる。

 ウソがつけないタイプなようで、すぐ顔に出るからだ。


「それならいいけどー」


 気になるような女性を演じる。

 ましてや誠也は女性に興味がないのだから、多少は大袈裟にしないとダメ。


 誠也の家に向かっているだけでも、瑞希にとってはデートと同じ。

 色々な誠也を知り、そして瑞希という存在がどういう人なのかも知ってもらいたい。

 確実に一歩ずつ前に進んでいけばいつかきっと……。


「そろそろ僕のうちに着くよ。とは言っても、瑞希の家ほど立派なものじゃないけど」

「私はそんな小さいことは気にしませんわ」


 誠也の家はごく普通の一軒家。

 広くもなく狭くもない、どこにでもある大きさ。

 目新しい家ではないのだが、瑞希は目を輝かせて喜んでいた。


「ここが誠也の家なのね。楽しみで仕方ありませんわ」

「そんな期待するほどのモノなんてないよ」

「いいえ、それは誠也が気づいてないだけ。この私が魅力を見つけてみせますわ」


 目的を忘れるぐらい瑞希のテンションが上がる。

 心ここに在らずで妄想の世界へ旅立っていると、誠也が瑞希の肩を優しく叩き現実世界へと引き戻す。


 夏休みの課題──これから立ち向かわなければならない強敵が待っているのだ。ここで立ち止まってはいけない、二人は誠也の家へと足を踏み入れた。


「玄関もステキですわね」

「普通だと思うけど」

「そんなことありませんわ。私には分かる、だって誠也の家なんですもの」


 興奮冷めやまぬ瑞希を、自分の部屋に案内する誠也。

 部屋は階段を上がってすぐのところ。

 急いで片付けてよかった──だが瑞希の反応がどうなのか、誠也は少し気になってしまう。


「ここが誠也の部屋……。思ったより片付いてるじゃない。これじゃ……私が片付ける必要がなくなるじゃないの」

「あの、部屋の片付けが目的じゃないんですけど。夏休みの課題が目的なのを忘れないでね」


 恋人の部屋を愚痴りながらも嬉しそうに片付ける。

 それが瑞希のやりたかったこと。

 しかしその野望は儚くも散ってしまい、心の中で残念そうに肩を落とす。


 初めて入る男の部屋。

 緊張しているに決まっている。

 心音が大きな音を鳴らし、部屋に響きそうであった。


「むぎ茶持ってくるから座っててよ」

「うん、ありがと」


 ここで誠也に代わって用意できれば満点だった。

 そう、用意できればの話で、初めて来た家で勝手がわかるはずない。

 アピールチャンスを逃し、傷ついた心を癒そうと誠也の部屋を見回した。


 ここが男の子の部屋──。

 とても新鮮で、ひとりだと落ち着かない。

 誠也の戻りを待ち焦がれていると、部屋のトビラが開き本人が姿を現した。


「待たせちゃったかな」

「そんなことないわよ。誠也の部屋に見とれていただけだから……」


 思わず飛び出した言葉で、瑞希の顔は真っ赤に染まる。

 普通はそんなこと言うはずがない。それなのに、つい本音が生き物のように飛び出てしまった。


「あはははは、少し恥ずかしいけど、変じゃないでしょ?」

「う、うん……」

「それじゃさっそく始めようか」


 押し込めたはずの羞恥心が出てくると、瑞希は急にしおらしい態度となる。

 二人っきりの勉強会──初めてではないが、男の子の部屋、ましてや想い人の部屋となるとドキドキが止まらなくなる。


 気持ちを落ち着かせる間もなく、課題をカバンから取り出していると、インターフォンの音が聞こえてきた。


「こんな時間に誰だろ。ちょっと待っててね」


 瑞希は小さく頷くことしか出来ず、誠也が再び戻るのを静かに待っていた。

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