第21話 プールで縮まるふたりの距離

 絶好のプール日和。

 空から照りつける太陽が体から容赦なく体力を奪う。

 体内に水分を取り込まなければミイラになるかもしれない。


 そんな炎天下の中で、誠也と瑞希は無事に合流した。


「はい、これ」

「……またなの?」

「だって暑いんですもの」


 先日ので味をしめたのか、笑顔で日傘を誠也に手渡す瑞希。

 もちろん誠也が断れない性格なのも計算済み。


 ワガママ──ではなく甘えたいだけ。

 誠也の前では氷姫の仮面を付けたくない、と瑞希は考えていた。


「仕方ないなぁ。瑞希はワガママなんだから」

「いいじゃない、ワガママでも。それに誠也だって実は嬉しかったりするんでしょ?」


 そんなこと出来るのは誠也しかいない──など口が裂けても言えるわけがない。それが言えるのなら、本当の告白をするのだって簡単なはず。


 告白は誰でも怖いもの。

 失敗すれば今の関係が変わってしまうかもしれないから。

 よほどの勇気がなければ想いを伝えるのは困難である。


「す、少しは……」

「それならよろしくねっ」


 誠也自身も忘れているが、瑞希は学校一の美少女で人気者。

 そんな人と相合傘が出来るなど、たとえ女子に興味がなくても嬉しいはず。


 偽りの恋人──瑞希との関係はそうなる。

 黒歴史という人質を取られ強引に巻き込まれたものの、今となっては悪い気がしていない。


 いつからそう思うようになったのだろう。

 明確にこの日からというのは分からない。

 だけど、そんなことはどうでもいい。望んでいた学校生活とは程遠いが、今いる場所はそれほど悪くないのだから……。


「プールに着くまでだからね」

「ありがとう、誠也」


 暑い日差しよりも熱いふたり。

 それは偽りの恋人とは思えないほど。

 ときおり見せる瑞希の笑顔が、夏の暑さを忘れさせてくれる。


 そこまで遠くない道のりを進むこと数分、ようやく目的地のプールへとたどり着く。


「へぇー、新しくオープンしただけあって、そこそこ人がいるわね」

「今日は特に暑いからねー」


 激混みとまではいかないが、オープンして日が浅いこともあり、多くの人で賑わいをみせる。それこそ、家族連れや友達同士、カップルなどが涼を求めこの場所に集まっていた。


「それじゃ更衣室の出口に集合ねっ」

「分かったよ」


 待ち合わせ場所を決め、ふたりは別々の更衣室へと向かった。


 早く着替え終えたのは誠也。

 更衣室の出口で瑞希を静かに待つ。

 女性に慣れていないせいか、目のやり場に困り地面と睨めっこ。


 長い、この待ち時間が非常に長く感じる。

 瑞希が恋しい──わけではないが、まだ慣れている人が近くにいた方が精神的にも楽。

 どれくらい待っただろう、緊張がピークに達する直前で、聞き慣れた声が聞こえてきた。


「お待たせしましたわ。どう、かな、私の水着姿……。似合ってるかな」


 その声に振り返ると、光り輝く瑞希が立っていた。

 フリルの付いた白いビキニ。

 まるで女神が地上に舞い降りたと勘違いするほど。


 誠也から言葉が失われ、その美しすぎる姿を瞳に映すことしか出来なかった。


「ねぇ、なんとか言ってよっ」

「えっ、あ、ご、ごめん。なんて言うか瑞希って女神みたいに綺麗だったんだなぁって」


 カウンターとも言える口撃に、瑞希の顔が一瞬で赤く染る。

 これは暑さのせいではない。

 誠也が放った言葉のせいだ。


 他の人に言われたところで瑞希は何も思わない。

 誠也だからこそ動揺するほど心を乱すのだ。


「もぅ、いきなり何を言うのよっ。誠也の……ばかっ」


 照れ隠し──誠也に八つ当たりすることで自分の本心を誤魔化す。

 だがいくら誤魔化したところで、一度染まった顔の色はそう簡単には戻らない。


 しおらしくなった瑞希は、甘えるように誠也の手を握り瞳で泳ぎを教えてと訴えた。


「それじゃ、さっそく練習に行こうか」


 瑞希は小さく頷くことしか出来ない。

 大きくなった心音が誠也に聞こえてないか不安になる。


 褒められてこんなにも嬉しいのは初めてのこと。

 イヤな気分じゃない──むしろ心地よく感じ、これがずっとこのまま続けばいいと瑞希は思っていた。


「ここでいいかな、瑞希、水には入れる?」

「ば、バカにしないでよっ。それくらい入れますわ」


 心地良さが一瞬で吹き飛び、代わりに怒りが込み上げてくる。

 いくら泳げないと言っても、水に入ることぐらい余裕に決まっている。


 が……ゆっくり足からプールに浸かる姿は怯える子犬のよう。

 結局、全身がプールに浸かるのにかかった、時間は数十秒ほどであった。


「ほ、ほらね、余裕だったでしょ」

「随分と時間がかかったような……」

「う、うるさいわね。さっ、泳ぎ方……優しく教えてね」


 怒ったかと思えば急にしおらしくなる。

 このギャップに、さすがの誠也も一瞬だけ心が揺れ動く。


 瑞希ってこんなに可愛かったんだ──。


 今さらながら気づく鈍感さ。とはいえ、いくら魅力的だからといっても、偽りの恋人から本当の恋人になりたいと思うのは別問題だった。



 どうやら水に対して苦手意識があるらしく、瑞希はあからさまにイヤそうな顔をしている。


 これでは練習どころではない。

 まずは水が怖くないと教える必要がある。

 そこで誠也は瑞希の両手を優しく掴み、怖さを軽減させようと考えた。


「い、いきなり何するのよ……」

「瑞希、怖くないから、だから、僕と一緒に水の中に潜ってみようよ」


 その声は魔法のようで、瑞希の中にあった不安を一瞬でかき消した。

 繋がっている手から勇気を貰った瑞希。

 何も恐れることはない、誠也とならなんだって出来ると思い始める。


 大丈夫、誠也がいるのだから安心していい。

 何があっても誠也が助けてくれるはず。

 瑞希は誠也の掛け声で水の中に潜ってみせた。


「どうだった? 平気だったでしょ?」

「うん……。思ったより悪くないわね」

「水に顔をつけられたなら、バタ足をしてみようか。大丈夫、僕が引っ張ってあげるからさ」

「誠也がそう言うなら……。で、でも、その前に少し喉が渇いたわ」

「それじゃ僕が何か買ってきてあげるよ」


 笑顔が眩しすぎて見ていられない。

 本当は見たいのに、それを見てしまったらきっと暴走するに決まっている。


 プールから上がり、座りながらそんなことを瑞希が考えていると──。


「ねぇ、キミ可愛いね。ひとり? よかったら俺と一緒に泳がない?」


 話しかけてきたのはチャラそうなナンパ男。

 正直に言うとウザイ、自分に関わらないで欲しいと思って無視をしていた。


「あれー、無視なんかしないでよー。きっと楽しいからさぁ」


 しつこすぎる、どうして空気を読めないのだろう。

 だから男という生き物を好きになれない。

 次第に怒りが込み上がり、冷たいひと言でも放とうした時だった。誰かが瑞希に救いの手を差し伸べたのだ。


「あのー、瑞希に何か用ですか?」

「なんだテメーは、先に声掛けたのは俺なんだからな!」

「いえ、残念ですけど、瑞希は──僕の恋人です。ですから、ナンパはご遠慮ください。これ以上揉めるなら、警備員を呼びますよ?」


 ぐうの音も出ない返事に、ナンパ男は悔しそうな顔でその場から立ち去るしかなかった。


「誠也……」

「大丈夫だった? ごめんね、一緒に買いに行けばよかったね」


 心に染みる誠也の優しい言葉。

 見かけによらず頼りがいもあり、誠也の顔を見た瞬間に安心したのか、押さえつけていた恐怖が顔を出してきた。


 瞳からこぼれる無数の涙。

 どれだけ心細かったのかよく分かる。

 どんなに強がろうとも、瑞希が乙女であるのは確かなことだ。


「誠也、ありがとう……。私、私……」

「大丈夫、もう大丈夫だから」


 優しく頭を撫でられると、涙の量がさらに増えていく。

 助けてくれて嬉しかった──瑞希は誠也の胸に顔を埋めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る