第20話 そろそろ泳ぎたい気分な季節

 初夏から本格的な夏へと切り替わる季節。

 陽炎が暑さを助長する中、念願の夏休みが始まろうとする。


「ねぇ、誠也、この暑さどうにかしてくれないかしら?」

「僕に言われても困るんですけど……」

「そこをなんとかするのがカレシでしょ」


 氷姫と呼ばれているだけあって暑さに滅法弱い。いや瑞希でなくても、夏を心地よいと感じる者などいないはず。


 日傘──もはや必需品であり、それなしでは外を歩けないほど。

 殺戮的な炎天下の中、ふたりは夏休み直前の学校へと向かう途中だった。


「やはり日陰は涼しいですわね。誠也、私のために日傘を差してくれないかしら?」

「なんで僕が……」

「私と一緒に日傘に入るのがイヤなの?」

「そうは言ってないけど……」

「それじゃ明日からよろしくね」


 さりげなく相合傘を要求し、それが見事に叶い瑞希は心の中でガッツポーズを決める。

 しかしこの時点で肝心なことを忘れていた。

 相合傘をするには一緒に登校するのが当たり前である。

 そう、一緒に登校しなくてはならないのだが──。


「瑞希……。明日から夏休みなんだけど……」

「あっ……」


 浮かれるあまり、頭の中に夏休みという言葉が存在しなかった。

 暑さで赤くなった顔が、今度は恥ずかしさで真っ赤に染まる。


 こうなった以上誤魔化すしかない。

 少しでも恥ずかしさを和らげるためには必要なこと。

 刹那という短い時間で答えを導き出した。


「もぅ、誠也ったら冗談なのに本気にしちゃうなんてっ」

「……瑞希、今誤魔化したよね?」


 速攻でバレてしまい恥ずかしさが限界点を突破する。

 全身が火照りだし茹で上がる寸前となった。


 もう何も考えられない。

 むしろ十数秒前からやり直したい。

 愛ゆえの暴走を後悔しながら、終業式へと向かう瑞希であった。



 長い校長先生の話も終わり、気分はすでに夏休みモード。

 教室内も浮かれきった様子で、旅行の予定や遊びの約束などの話題で盛り上がりをみせていた。


「瑠香は夏休みの予定とかある?」

「んー、特に予定はないかなぁ。今年は家族旅行もないし」

「それならさ、プールでも行かない? ほら、新しく出来たところがあったでしょ」

「プールかぁ、暑いしそれもいいよねー」


 何気ない親友との会話。

 本当なら誠也も誘いたいところだが、勢いで告白したことが頭に焼き付いており、恥ずかしくて顔も合わせられない。


 あれは時期尚早だったのだろうか。

 これでは前進するどころか後退しているのも同然。

 祭りの風に当てられたことを少し後悔しつつも、自分が成長したことは褒めてもいいと瑠香は思っていた。


「ボーッとしてどうしたの? 何か考え事?」

「べ、別に考え事なんて……」

「もしかして鈴木くんのことでしょ」

「ち、違わなくはないけど……」


 どうやら沙織に心を見透かされたようで。

 否定すら出来ず声が段々と小さくなっていく。


「そういえば初夏祭りのとき何かあったの? 合流したとき様子がおかしかったし」

「な、何もない……よ」

「本当にー?」


 疑いの眼差しを向けてくる沙織から、瑠香は思わず視線を逸らしてしまう。

 あの出来事を知られるわけにはいかない。

 いや、親友になら知られてもいいが、恥ずかしさという魔物に負けてしまい話せなかった。


 きっといつかバレるはず。

 それなら今ここで話した方がマシに思えてくる。

 悩みに悩み抜いた末、瑠香は羞恥心を押し込めて、あの日の出来事を包み隠さず沙織に話した。


「なるほどねー。少しは成長したじゃないの」

「でしょ? 私頑張ったんだよっ」

「でも返事はしなくていいとか、うーん、瑠香らしいと言うかなんと言うか」


 呆れてるのか褒めてるのか、きっと後者であると瑠香は信じていた。


「とりあえずさ、一旦忘れるためにプールでパーッと遊ぼうよ」

「うん! 高校生にもなったし新しい水着買わなくちゃ」


 夏休みの予定がひとつだけ決まり、瑠香と沙織は水着を買うため学校をあとにした。



「あのー、この傘は一体……」


 いつもの放課後のはずが、瑞希から突然手渡された謎の傘。

 何も言わず渡されたものだから、誠也の頭は混乱しどうしていいのか分からなかった。


「日傘に決まってるじゃないの。紫外線が強くてって話したら、貸してくれたのよ。もちろん女友達だから安心していいわよ」

「男嫌いの瑞希に男友達なんていないと思うけど」


 誠也の正論に反論できるわけもなく、悔し顔で抗議するのが精一杯。

 どうしてもマウントを取りたくなるも、やり過ぎは嫌われるよういとなる。

 そのような本末転倒なことは避けたく、ここは自分が折れることにした。


「さすが誠也ね、よく私のことを知ってるじゃないの」

「あはははは……。それでこの日傘はもしかして──」

「その通りよ。日傘で相合傘するに決まってるじゃない」

「ですよねー……」


 この場合、日傘を持つのはもちろん誠也。

 何も言わずともそれが当たり前である。


 まさに計画通り──すべては瑞希の思い描いた通りに事が進む。

 どうしてもやりたかった相合傘。

 暑いからというのもあるが、いつもより密着したかったというのが本音。


 初めての経験に少し緊張しながらも、瑞希は満面の笑みで誠也にベッタリしていた。


「瑞希、くっつきすぎじゃない? これじゃ、暑いんじゃないかな」

「こうでもしないと、紫外線という悪魔から逃げられませんわ」

「それはそうだけど……。腕に絡みつくことは無いと思うよ」

「誠也はイヤなの?」

「イヤじゃないです……」


 完全密着のゼロ距離で、瑞希は誠也の腕に胸を押し当てる。

 その破壊力はすさまじく、暑さではない力で誠也の顔を赤く染めるほど。

 もちろんこれも瑞希の作戦なわけで、狙い通りに意識されて満足であった。


 恥ずかしさがないと言えばウソになる。

 初めて男を好きになり、どうしたら自分を見てくれるが必死なだけ。

 試行錯誤を繰り返し、振り向かせる方法を必死に考えている。


 あの日、初夏祭りの日、雰囲気に流され自分の気持ちを言葉にした。意図したわけではなく自然と外へ飛び出した。

 結果は花火大きな音に阻まれ伝わらなかったが、今となってはその方がよかったと瑞希は思っていた。


「それなら文句いわないの」

「別に文句じゃないよ、せっかく日傘差してるのに瑞希が暑くないのかなって」


 不意打ちの優しい言葉に、今まで押し込めていた羞恥心が浮上してくる。

 鼓動が急に激しくなり誠也の腕に伝わりそう。


 恥ずかしい、今すぐこの体勢を変えたい──そう思うも、それだと不自然なのは明確で、しかも嫌っているとか遊ばれていると思われるのを避けたかった。


「いきなりそんなこと言うのは反則ですわ」

「そんなこと言われても……」

「だって私のこと考えてくらてるなんて、思ってもみなかったから……」

「これでも偽りの恋人だからね。でも、そうじゃなくても、瑞希には優しくしていたかも」


 追撃とは予想外だった。

 思考回路が熱暴走し、もはや冷静ではいられなくなる。


 ダメ、ここで暴走したら絶対にダメ。

 何度も頭の中で繰り返し、冷静さを保とうとする。が、どうしても妄想の世界へ片足を突っ込みそうで、自分を制御するのが無理だと分かってしまう。


 どうにかしないと──そこで瑞希は強引に話題を変えようとした。


「と、ところで、誠也って泳げたりする?」

「んー、普通に泳げるけど」

「そっか、泳げるんだ……。それならさ、私に泳ぎ方を教えてくれないかしら?」

「いいよ、僕でよければ教えるよ」

「それじゃ、新しくオープンしたプールがあるからそこで教えてね」


 完璧な瑞希の唯一の弱点が泳げないこと。

 これは誰も知らない弱点で、誠也になら話してもいいと打ち明けた。

 もちろん、泳ぎ方を教わるだけでなく、水着姿でアピールするのもあった。


「分かったよ。プールなんて久しぶりだよ」

「私の水着姿を見られるなんて光栄に思いなさいね」


 誠也とならどこへでも行ける。

 それが嬉しくもあり、今から楽しみで仕方がなかった。


 夏休み前に交わした約束。

 それはきっと、楽しい思い出の1ページに刻まれると瑞希は信じていた。

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