第16話 ふたりっきりの勉強会

 そこは別世界のような感じがした。

 瑞希にとっては日常の1ページ目だが、誠也の瞳にはどれも異次元のモノのように映っていた。


「ここが私の家よ。遠慮なんてしなくていいから」

「う、うん……」


 圧倒される誠也を他所に、瑞希は家の中へと突き進む。

 広い空間──仮面を外した瑞希に呼ばれ、誠也が最初に感じたのはその言葉。


 ほのかに香る甘い匂い。

 家の中は光り輝くほど美しくまるで瑞希そのもの。

 気品があり人の心を魅了するほどで、誠也はただ呆然と家の雰囲気に飲み込まれてしまった。


「どうしたの誠也? もしかして緊張してるのかしら?」

「そ、そんなこと──あります」


 照れる誠也が可愛すぎて、瑞希の心に突き刺さるものがあった。

 ウサギのように心の中で飛び跳ね、なんとも言えない感情が湧き上がる。


 勢いに任せて抱きしめたい──それが瑞希の本音だが、実行するだけの勇気など持っていなく、妄想の世界で誠也を抱きしめた。


 緊張しているのは瑞希も同じ。

 他の感情で誤魔化しているだけ。

 しかし、緊張しようと、恥ずかしかろうと、幼なじみに勝つには積極的にアピールするしかない。


 誠也から本当の告白をされるため、瑞希はさらなる試練を誠也に与えようとしていた。


「ここが私の部屋だから入って」

「えっ……。僕が入ってもいいの!?」

「私がいいって言ってるのよ。だから入りなさい」


 強気な言葉は羞恥心の裏返し。

 そうでもしないと、赤面して話せなくなるのが目に見えているからだ。

 一方で、強気すぎると嫌われないかという不安に襲われる。


 せっかくここまで来たのだから、逃げるような真似はしたらダメ。

 これはまだスタートラインで、ゴールへ向けて走り出したばかり。


 不安という波に飲み込まれないよう、瑞希は必死に冷静さを保とうとする。


「お、お邪魔しまーす」

「今飲み物持ってくるから、適当にくつろいでいてね」


 丸いテーブルの近くに座った誠也を見届けると、キッチンへ向かい始める瑞希。ひと息つける──強引に押さえつけていた恥ずかしさを解放すると、顔が急に真っ赤に染まり始めた。


 飲み物をいれる手が震える。

 怖いのではなく、自分の部屋に誠也がいることに緊張しているだけ。

 しかも今になって、部屋をきちんと片付けたのか気になってしまう。


 落ち着かない、早く戻って部屋を確認したい。逸る気持ちを抑えながら、瑞希は急いで飲み物の準備をした。


「お待たせしたわね」

「そんなに待ってないよ。それにしても、瑞希って部屋も綺麗だよね。整理整頓がされてるというか、僕の部屋も掃除してもらいたいくらいだよ」


 それなら掃除しにでも行こうか──テーブルに飲み物を置きながら、瑞希の頭に浮かんだ言葉。

 口に出したら誠也はどんな反応をするのだろう。

 社交辞令だから引いてしまうのか、それとも心から喜んでくれるのか。


 いっそのこと氷姫の仮面を取ってしまいたい。

 ダメ、それだけは絶対に出来るわけがない。もし仮面を取ってしまったら、暴走するのは分かっていること。


 勢い余って本当の告白などしてしまったら──きっと二度と誠也の顔を見ることが出来なくなるはず。

 心に厳重な鍵をかけ、瑞希は今のままで、誠也に振り向いてもらう努力をしようとしていた。


「そうね、気が向いたら掃除くらいしてあげるわよ。気が向いたらですけどね」

「それでも嬉しいよ。期待しないで待っておくね」


 眩しすぎる笑顔に瑞希の心はギュッと締めつけられる。

 これは本当なのか、本当に誠也の家に行ってもいいのか。


 期待するのは誠也ではなく瑞希であり、これ以上この話題を続けると暴走する自信があり、本題の勉強会を始めようとする。


 アピールしながら真面目に教えるのが一番。

 勉強会でどうアピールすればいいのだろう。

 制服からお気に入りの私服に着替えるのもひとつの手ではあるが、部屋に誠也がいる以上はそれは無理である。


 それならばと、瑞希は恥ずかしさを押し殺して、できるだけ密着して気持ちを伝えようと考えた。


「さてと、それじゃさっそくだけど、勉強会を始めるわよ」

「ありがとう」

「今回のテスト範囲をみっちりやるから覚悟してね」


 カバンから教科書とノートを出させると、まずは誠也自身に問題を解かせようとする。そして壁にぶつかったら、さりげなく優しく教えることで、好感度をアップさせる作戦。


 頭の中で何度も繰り返しシュミレーションする。

 大丈夫、これなら失敗はしない。

 自己暗示で自信をつけると、さっそく行動に移そうとした。


「ねぇ、分からないところがあったら、遠慮なく言うのよ? まずはこの問題を解いてみて」


 誠也がどれくらい出来るか分からない。

 だけど、必ず解けない問題があると瑞希は信じていた。


 静寂の中、問題を解く誠也の姿は真剣そのもの。

 初めて見るその顔が新鮮すぎて、瑞希はつい見とれてしまう。

 それは目的を忘れるほどで、自然と仮面が外れ口元には笑みが浮かび上がった。


「一応できたけど、あってるかな?」

「ふえっ!? え、えっと、解けたのね。どれどれ、うん合ってるわよ。それじゃ次はこっちの問題ね」


 不意打ちで激しく動揺する瑞希。

 妄想の世界に浸っていたのだから仕方のないこと。

 顔は平静を保っているものの、鼓動は激しいリズムを奏でる。


 ドキドキが収まる気配はない。

 仮面を付けようにも、狭い部屋でなくしてしまったようで。

 深呼吸、大きな深呼吸で平常心を取り戻そうとしていると──。


「瑞希、ちょっとこの問題が難しくて」

「えっ、あ、仕方ないわね。私が教えてあげるわよ」


 二度目の不意打ちは動揺することなかった。

 ここで動揺したら、せっかくのチャンスが水の泡になる。

 無意識に誠也の方へ近づき、問題の解き方を教えようとした。


 ゼロ距離──ふたりの体は密着し、瑞希から香る甘い匂いが誠也の顔を赤く染める。

 しかも追い討ちと言わんばかりに、瑞希が大胆にも胸を押し当てた。


「ここは、こうやって解くんだよ。──って、誠也、聞いてるっ?」

「ち、ちゃんと聞いてるよ。ただ、少し距離が近すぎないかなって」

「イヤなの? 恋人同士ならこれくらい普通……だと思うわ」


 誠也の顔を見つめるのは潤んだ瞳の瑞希。

 柔らかそうな唇を強調し、その行動は勉強よりもキスを求めているようにも見えた。


「イヤなんかじゃないけど……。その、これじゃ勉強に集中できないかなって……」

「何言ってるのよ。これも勉強のひとつに決まってるじゃない。平常心、そうよ、どんなときでも平常心を保って集中力を高めるために必要なのよっ」


 強引すぎる理由であったが、なぜか誠也を納得させてしまう。


 だがこれは誰がどうみても職権乱用。

 いや、そんなことはどうでもいい。誠也にアピールするのになりふり構っていられない。

 今の瑞希は暴走寸前であった。


「分かった、分かったから。とりあえず一度距離を……」

「全然分かってないわよ。これも勉強だって何度言わせれば──」


 瑞希が強引に誠也に迫ると、大きな音とともに床に倒れるふたり。倒れる? それは正確ではなく、瑞希が誠也を押し倒した、と言った方が正しい。


 距離は先ほどより離れているが、互いの鼓動はより一層激しさを増す。

 瑞希の顔はほんのり赤く染まり、何も考えられずただ誠也を見つめている。


 無音の空間にでも迷い込んだのか。

 ふたりの時間が停止していると、瑞希がその均衡を破ろうとした。


「ねぇ、誠也、キス……しよっか」

「えっ……」


 それは誠也の思考を崩壊させる言葉。

 答えなんて聞く必要はない。

 偽りとはいえ恋人なのだから、遠慮なんてしても仕方がない。


 思考が停止している誠也に瑞希は顔を近づけ、自分の意思で唇を重ねた。


「……これで二度目だね」

「うん……」

「誠也、私ね、実は私──ううん、やっぱりなんでもない。さっ、勉強の続きするわよ」


 何事もなかったかのように、瑞希は明るく振る舞った。

 それは見た目だけの話。心の中では、自分の想いを伝えられない弱さが悔しくてたまらなかった。

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