第15話 偽物の恋人が積極的になるとき
高校生活最初の難関がもうすぐやって来る。
これを好きだという人は少ないだろう。
むしろ無い方が幸せなのかもしれない。
その難関とは──中間テスト。多くの者を苦しめ、地獄へと叩き落とす最恐の行事のひとつである。
「ねぇ、誠也、中間テストは大丈夫そうかしら?」
「大丈夫……と言いたいけど、勉強が苦手で……」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、瑞希の口元に笑みが浮かぶ。
美しいだけが取り柄ではない──勉強やスポーツも得意で、苦手なものは男と恋愛くらい。
瑠香との話し合いで、自分も変わらなければならないと考え、中間テストという難関を利用し、誠也にアピールしようと考えていた。
「まったく、偽りとはいえ私の恋人なんですから、赤点なんて取らないでよねっ」
「恋人役は半ば強引だったような気が……」
「う、うるさいわね。過去は振り返ってもしょうがないのよ。ですから、この私が特別に勉強を教えてあげるわよ」
体の内側から、弾けるような嬉しさが飛び出しそうになるも、外へ出ないよう必死に抑え込む瑞希。外れそうになる氷姫の仮面をつけ直し、普段と変わらないよう振る舞いを見せる。
もう少し優しく言った方がよかったか。
いや急に態度を変えると、距離を置かれそうな気がして怖い。
変化は少しずつの方が効果的だと瑞希は思っていた。
「教えて貰えるなら助かるけど」
「そう、断ってもこれは決定事項だから、誠也に拒否権はないわよ」
「あはははは……」
誠也に苦笑いを浮かべさせる瑞希のひと言。
辛うじて氷姫の仮面をつけているものの、心の中は飛び跳ねるほど嬉しさで溢れかえる。
幼なじみなんかには絶対負けない。
今は偽りの恋人だけど、いつか必ず誠也に好かれてみせる。
仮面に隠された闘志は燃え上がり、まずは第一歩を踏み出そうと決意した瑞希であった。
「ところで瑞希、勉強を教えてくれるのはいいんだけど、放課後の教室とかで? それともファミレスみたいなところでかな?」
「そんなの決まっているわ。私の家でに決まってるじゃない」
冷静に言っているが、内心は恥ずかしさに押しつぶされそう。
真っ赤に染まった顔を仮面の下に隠し、今にも飛び出しそうな心臓を必死に押さえ込む。
家に男を呼ぶなど初めてのこと。
男嫌いなのだから当たり前の話。
今でも男を家に招くなど絶対に無理──だが誠也だけは特別な存在で、嫌悪感などまったく感じていない。嬉しさと恥ずかしさが混じり合う中、瑞希は自ら築いた壁を一部だけ壊そうとしていた。
「えっ……。瑞希の家で……?」
「何よ、私の家じゃ不満だとでもいうの?」
「そういうわけじゃ……」
これで逃げ道は塞がれた。
一度外に出た言葉を取り消すことなど出来ない。
強気な態度は動揺する自分を抑えるためで、本当の瑞希は今すぐこの場から逃げ去りたいほど。
だがここで逃げてしまったら、きっと幼なじみに負けてしまう。
それこそ恥ずかしさなど比ではなく、一生後悔するに決まっている。
だからこそ瑞希は誠也の前に立ち続けられるのだ。
「なら決まりね。さっそく今日からにしましょう」
「突然すぎるよね……」
「イヤなの? 私は──ううん、なんでもない。と、に、か、く、これは恋人としてのお願いですわ」
恋人──瑞希は確かにそう言った。
偽りという言葉をつけずに。
意図してなのか偶然なのか、それは瑞希本人にも分からない。
だがこれだけは言える。
偽りではなく本物の恋人だと、心の奥底から願っていること。
自覚しているかというと、無自覚であるのは間違いなかった。
放課後がこんなにも緊張するのは滅多にない。
激しくなる心地よい鼓動を感じ、瑞希は静かに誠也が来るのを待っていた。
「遅い、遅すぎるわよ誠也」
「これでもかなり急いだんだけど」
「う、うるさーい、言い訳なんていいから、さっさと行くわよ」
誠也が好きなのは確かだが、イマイチ素直になれない瑞希。
強引に誠也の手を握ると、そのまま自宅へと歩き出した。
一歩、また一歩と目的地に近づくにつれ、氷姫の仮面が外れていく。
照れくささを紛らわすような早歩き。
その光景は恋人同士にまったく見えず、むしろ友達や兄弟の方が近かった。
だが瑞希からすれば、他人にどう見られようと関係ない。今頭の中は少し大胆すぎたかもしれない──その言葉がメリーゴーランドのように回り続けていたのだから。
「さっ着いたわよ。ここが私が住んでるマンションよ」
最上階は下からだと小さく見えるほど。
入口は暗証番号付きの自動ドアになっており、住人以外の侵入を拒んでいる。
高級マンション──まさにその通りで、一般家庭育ちの誠也は開いた口が塞がらなかった。
「瑞希はここに住んでるんだね」
「そうよ、ひとり暮らしだから防犯性の高いところにしたの。お金は全部親が出してるけどね」
「ひょっとしなくても、瑞希ってお金持ちだったの!?」
「驚いたかしら? 言っておくけど、家に招待したのは誠也が初めてだからね」
男嫌いというのもあったが、女友達でも家に招いたことはない。
特に理由があるわけでもなく、強いて言うなら瑞希のオーラが邪魔をしている。
初めて招待する人が男というのは、少し前の瑞希からは想像もつかず、男嫌いが治ったなんてことは絶対にありえない。特別、誠也が瑞希にとって特別な存在なだけで、心を許していることは確かであった。
「僕なんかが初めてでいいのかな。なんだか緊張するよ」
「いいに決まってるじゃない。だって……誠也は私にとって特別なんだから」
「えっ? 今何か言った?」
「なんでもないわよ、ばかっ」
真っ赤な顔を隠すように、瑞希は暗証番号を入力し高級マンションの中へ歩き始める。もちろんふたりの手は繋がったままで……。
内装は見たことがないほど豪華な造り。
場違いと思っているのは誠也だけで、瑞希は慣れた様子でエレベーター前まで向かっていく。
「ちょっと誠也、キョロキョロしすぎじゃない?」
「いやだって、こんな豪華な場所、僕は初めてだし……」
「こっちまで恥ずかしくなるんですけど?」
エレベーターが来るまでの時間が長く感じる。
ずっとこのままでもいい──その言葉が瑞希の中で湧いてくる。
このチャンスに無言はもったいない。
共通の話題なんて知らないが、何か会話しなければ無意味なだけ。
必死に頭の中をひっくり返して、話が続きそうな話題を瑞希は考えていた。
「ねぇ、誠也ってさ、どうして女子に興味ないの? もしかして、あっち系の人だったりして」
「ち、違う、それは絶対に違うからっ」
「冗談よ、冗談。それじゃ本当の理由を教えてくれませんか?」
冷静に見える瑞希であったが、心音は大きくなり今にも倒れそうなほど。
横目でチラ見しながら誠也の顔を眺め、緊張しながらその答えを静かに待った。
変なことは聞いてないはず。
ちゃんと答えてくれるだろうか。
様々な疑問が頭の中を駆け巡り、思考がネガティブへと向かってしまう。
「実は中学の頃、僕が原因で意見が割れて、クラスの男女が分断しちゃったんだ。ものすごく空気が悪くなって……。だから、僕は女子から距離を置こうって決めてたんだ」
悲しげな誠也の顔が瑞希の瞳に映り込む。
初めて見るその顔は、忘れられないくらい心の奥に刻み込まれ、瑞希自身も悲しさが込み上げてくる。
同情なのだろうか、それとも別の感情のせいだろうか。
理由の違いはあれ、異性と距離を置くという共通点があるのだと今さら気がつく。
悲しみの沼に沈もうとしていると、その空気を壊すようなエレベーターの到着音が聞こえてきた。
「もうこの話はおしまいよ。さっ、早くエレベーターに乗るわよ」
瞬時に気持ちを切り替え、瑞希は明るい表情で誠也をエレベーターの中に連れ込んだ。
自宅のある7階のボタンを押すと、エレベーターは音を立てずに目的地まで動き出した。
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