第14話 偽りの恋人と本物の幼なじみが激突するとき

 秘密とはなぜ秘密にならないのだろう。

 色々な理由で秘密が秘密でなくなってしまう。

 ふたりだけの秘密──それは本当にふたりだけしか知らないモノなのか?


 その秘密が、知っているとはいえ誠也に漏れたのがどうしても気になり、瑞希はもう一度瑠香と話そうとしていた。


「あのー、話ってなんでしょうか?」

「そんな畏まらなくていいわよ、大した事じゃないから」


 今は氷姫の仮面で瑠香の目の前にいる。

 誰もが憧れる存在で、美しくもあり冷たくもある瑞希。

 その身に纏うオーラは別世界の住人のようで、独特な空気がその場を支配する。


 それは瑠香を固まらせるほど強力。

 畏まらなくても──と言われても、この空気では畏まってしまうのが普通だ。

 そんな重たい空気の中、最初に口を開いたのは瑞希であった。


「誠也に偽りの恋人って知ってると言ったのは本当なの?」

「う、うん、誠也は知ってるからいいかなって……」


 冷たい声は周囲を簡単に凍てつかせる。

 怒っているようには見えないが、張り詰めるような緊張感が漂う。


 瑞希自身もどうしたいのか分からない。

 心に引っかかっているモヤを取り除きたいだけ。

 ただそれだけなのに、意図しない威圧感が瑠香を恐縮させていた。


「そう、分かったわ。それはいつ聞いたのかしら。私ね、どうしてもそれが聞きたいの。でないと、なんだか落ち着かなくて……」

「え、えっとそれは……」


 一緒に泊まりました──とは口が裂けても言えない。


 なるべく間を空けないよう、頭の中で答えを導き出そうとする瑠香。

 ここで使えるとしたら幼なじみという強み。

 何かのついで、というのが一番自然の流れだと考え、疑われそうなところを脚色しながら伝えようとする。


 しかし……偽りの恋人にそこまで気を遣う必要があるのか?

 否、偽りなのだからそんな必要はない。

 そう、必要はないのは間違いないが、瑠香の中でブレーキを踏むべきと警告してきた。


「用事があって誠也の家に行ったんですよ。そこでちょっとだけ話をしてその流れでつい……」


 瑞希の顔はまったく変わらず。

 分からない、どういう反応だったのかまったく分からない。

 怒っているのか、疑っているのか、瑞希の表情からそれすら瑠香には見抜けなかった。


「そう、誠也の家に行って聞いたのね。シャンプーもそのついでに貸したってことかしら?」

「シャンプー……?」


 瑠香の言動に違和感を覚える瑞希。

 それが何かすぐに分かり、素早く思考を切り替える。

 シャンプーを貸していない──答えを一瞬で導くと、誠也が何を隠していたのか容易に見当がついた。


 ショックだったのは誠也にウソをつかれたこと。

 だからといって、今ここで涙を流すわけにはいかない。

 心の奥に悔しさをしまい込むと、瑞希は冷静さを保ちながら、推測という名の確信を話し始めた。


「もしかして、誠也は前原さんの家のお風呂を使ったのかしら?」

「えっ……。そ、それは……」

「その反応だけで十分よ。それでは聞き方を変えるわ。誠也は昨日どこに泊まったのかしら?」


 鋭い指摘が瑠香に襲いかかる。

 もはや瑞希の中では結論が出ているに違いない。

 これ以上ウソを重ねるとボロが出るのは必然で、素直に話した方がいいのかと瑠香は思い始める。


 そもそも偽りの恋人に遠慮など不要なはず。

 どうして自分が気を使わなければいけないのか。


 おかしい、相手は学校一の美少女とはいえ、誠也との関係は偽りの恋人にすぎない。学校だけ大人しくしてればいいわけで、その他の時間は何をしようが勝手である。


 瑠香の中から遠慮という言葉が消え去り、生まれ変わったような気分となった。


「泊まった場所を知りたいんですね? そんなこと決まってるじゃないですか。もちろん──私の家に泊まったんですよ。昨日はずっと一緒でしたから」

「──!?」


 瑠香の強烈なカウンターパンチに、瑞希から氷姫の仮面が剥がれ落ちる。

 予想こそしていたが、直接聞くとかなり精神的に堪えるもの。

 誠也にウソをつかれたショックも重なり、驚愕の顔でただ瑠香を見つめることしか出来ない。


 偽りの恋人では本物の幼なじみには勝てないのか。

 いいや、そんなわけはない。偽りから本物にすればいいだけの話。

 せっかく自分の気持ちに気がついたのだから、動揺している場合ではなかった。


「そ、そうなのね。ですが、そういうのは今後やめてもらえると助かるんですけど?」

「えー、どうしてですかー?」


 氷姫が作る空気をあっさり壊した瑠香。

 その言葉はまるで宣戦布告したようにも聞こえる。

 いや、違う、宣戦布告をしたようではなく、瑞希に宣戦布告したのだ。


 奥手な性格はやめた。

 そんな性格は損するしかないからだ。

 変えよう、今すぐこの難儀な性格を変えるしかない。


 これは性格を変える絶好のチャンスであり、瑠香は心の奥に潜んでいたもうひとりの自分を解放した。


「だって、恋人とは言っても偽りですし、学校でなければ問題ないですよねー?」

「そ、それは……」

「安心してくださいよ、バレない程度にはしておきますから」


 瑠香の正論に瑞希は反論すら出来なかった。

 かといって、実は誠也を好きになった──など恥ずかしすぎて言えるわけがない。


 流れは瑠香に傾いており、主導権を完全に奪われてしまう。

 反撃したくても真っ白な頭では何も浮かばず、悔しさの海に沈みそうであった。

 イヤ、誠也には自分だけを見ていて欲しい。瑞希は沈みゆく身体を必死に浮上させ、その力を言葉に乗せて瑠香へ投げつけた。


「ダメ……。そんなの絶対にダメよ。私が許しませんわ。偽りとはいえ、誠也の恋人は私なのよっ! 誠也は……誰にも渡しませんからっ」

「そんなの身勝手すぎませんか? 告白されるのがイヤだから誠也を利用したんですし。それって酷いですよね?」


 氷姫の仮面はすでに剥がれ落ち、素の瑞希が姿を現す。

 心からの叫びも瑠香に否定され、今にも崩れ落ちそうな心境。


 瑠香が言っていることは正しい。

 いくらそれを否定したところでひっくり返すことは出来ない。

 このままでは瑠香に主導権を握られてしまう。そんなこと耐えられるわけがなく、瑞希は初めて心の奥に閉じ込めていた感情を吐き出した。


「違う……。私は誠也を利用なんかしてない! 確かに最初はそうだったかもだけど、今は利用してるなんて思ってないんだからっ。だって私は……本気で誠也のことが好きになってしまったんですもの」


 今までで一番力強い声。

 感情を剥き出しにし、全身全霊で瑠香の言葉を否定する。


 今は誠也のことが心から好き。

 ここで否定しなければ、それすらも否定されたのと同じ。

 生まれて初めての恋を無かったことにはしたくない。それが瑞希の本心であり、仮面を剥がした原因でもあった。


「ずるい……。そんなのずるいよ。誠也とは偽りの恋人だって言ったじゃない。でもいいの、そんなこと関係ない。学校では大人しくしてるけど、学校の外では好きにさせてもらうからね」

「か、勝手にすればいいわよ。私は私でそれを全力で阻止しますからね。誠也は……誠也の心は絶対に渡さない。たとえ幼なじみであろうと、絶対に……」


 お互いの気持ちがぶつかり合い、周囲は異様な雰囲気に包まれる。

 瑞希と瑠香は一歩も引かずにその場で火花を散らす。


 絶対に負けるわけにはいかない──これだけが今のふたりに共通する言葉。それ以外に共通するといえば、誠也の心を奪い合うという戦いのみ。


 譲らない、誰が相手だろうと譲らない。必ず誠也の心を奪い取ってみせる。心の中で誓いを立てた瑞希は、何も言わず瑠香の前から去っていった。

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