第13話 偽りの恋人は意外と鋭いのか

 昨日の夜の出来事が嘘のような清々しい朝。

 あれは現実だったのか、それとも夢だったのか、不思議な感覚を抱きながら誠也は目覚めた。


 なんで瑠香を抱きしめたのだろう。

 偽りとはいえ恋人がいるのに、これでは浮気しているようで黒いモヤが心に湧いてくる。


 違う、断じて浮気なんかではない。

 幼なじみとして慰めただけ。

 誠也は何度も繰り返し、黒いモヤを振り払おうとした。


「おはよう……」

「誠也おはよう、昨日はよく眠れた?」


 普段と変わらない瑠香。

 昨日とはまったく別人のようなオーラが漂っていた。


「それじゃ、さくっと朝食食べて学校へ──って、誠也は西園寺さんと待ち合わせしてるんだっけ。安心していいよ、邪魔なんてしないからねっ。少なくとも学校ではさっ」


 何かが吹っ切れたのかもしれない。

 それが何か誠也には分からないが、最後のひと言が頭の中で妙に引っかかる。

 なぜなら、その言葉を真に受けると──。


「ほら、そんなゆっくりじゃ遅刻しちゃうよ」

「あ、う、うん。すぐ準備するから」


 ドタバタの朝は毎度のことで、それは瑠香の家でも同じ。

 慌てて制服に着替えると、誠也は瑠香より先に家を出ていった。



 いつもの待ち合わせ場所。

 ここから偽りの恋人がスタートする。そう、学校という舞台で恋人を演じるのが日常の1ページだ。


「おはよう、誠也。今日はいつもより遅かったじゃない」

「お、おはよう。ちょっと寝坊しちゃって……」

「まったく、この私を待たせるなんて、誠也だけなんだからね」


 自分の気持ちに気がつくも、中々素直になれない瑞希。

 さりげなく許するのが今は限界なようで。

 怒るどころか、実は照れくさくて誠也の顔を直視できなかったのだが──。


「本当にごめん、機嫌直してくれないかな」


 怒ってなんかいない。むしろ嬉しいくらいだ。

 それなのに誤解されるなど不本意極まりない。


 かといって、ここで小顔を膨らませれば怒っているのが確定してしまう。それはそれでイヤであり、ここは無理やりにでも笑顔を作ろうとした。


「別に怒ってないんだから、謝らないでちょうだいね」


 怪しい笑顔──誰が見てもそう思うだろう。

 不自然すぎるその笑顔は逆効果。

 それは誠也を恐怖のどん底へと突き落とすほど。


 もちろん瑞希本人にそのような意図はない。

 無自覚ほどタチが悪く、しかもこういうときに、どういう顔をすればいいのか分からない、と言うのが真実。


 理由はいつも仮面をつけていたから。

 素顔が何か忘れてしまい、瑞希は必死でそれを思い出そうとする。


 何年も前からずっとつけていた仮面。

 その内側がどうなっているのか本人ですら知らない。

 そう、忘れるほど長い時間が経っていたのだから……。


「う、うん……。でも、なんか顔がいつもより怖い気がするけど」

「そ、そんなことないわよ。それより早くしないと本当に──って、このシャンプーの匂い……。ねぇ、誠也、ひょっとしてシャンプー変えたの?」


 いつもと違う匂いが瑞希に冷静さを取り戻させる。

 鋭いというべきか、女のカンというべきか、その言葉は誠也に冷や汗をかかせた。


 瑞希の中で浮かぶキーワードは寝坊と匂いの違い。

 何かしら関係があるのか。

 突如頭に湧いてくる疑問が気になり始める。


 別に疑うわけではないが、一度気になると知りたくなるのが人の性。

 そこに悪意などまったく存在せず、軽い気持ちで誠也に聞いただけだった。


「あっ……。え、えっと、シャンプーがきれててさ、昨日は瑠香に借りたんだよ」

「へぇー、前原さんとはそういう仲なんだ」

「そういう仲っていうか、ほら、幼なじみだし、夜遅かったから買いにもいけなかったから……」

「ふぅーん、幼なじみって色々と有利ですわね」

「何か言った?」

「なーんでもないですわ」


 幼なじみという強者の前では偽りの恋人など無力。

 悔しさが心の奥底から湧き上がり、涙がこぼれ落ちそうになる。


 ダメ、こんなことぐらいで泣いてはダメに決まっている。幼なじみというのはアドバンテージなだけで、それ以上でもそれ以下でもない。


 今は偽りの恋人である自分の方が有利なはず。

 瑞希は何度もそう言い聞かせ心を落ち着かせた。


「でーもー、そういうときは私を頼って欲しいですわ。だって、偽りとはいえ恋人なんですもの」

「あのー、僕は瑞希の家も知らないし、借りるなら近い方が──」

「そこはウソでも私を選んでよねっ。そ、れ、と、今度……うちに遊びに来ない? ほ、ほら、偽りの恋人だけど家に呼ぶくらいは普通だと思うから」


 負けず嫌いなのか、それとも他の女の匂いがするのを許せないのか。

 どちらにせよ、本格的に誠也を振り向かせるためには必要なこと。


 異性を家に呼ぶなど瑞希にとって初体験。

 男嫌いなのだからそれは仕方のないことで。

 誠也に自分の気持ちを気づいて欲しい──1回ではダメでも何回か繰り返せばいつか気づいてくれるはず。


 本当の告白をすれば手っ取り早いが、瑞希にそんな勇気などあるわけなく、誠也から告白してもらおうと考えていた。


「瑞希の家に……? 僕が……?」

「イヤなの? 幼なじみじゃないとダメとか言わないわよね?」

「そ、そんなことないけど……」


 何か隠しているような態度が気になる。

 幼なじみなら、当然お互いの家には行き来しているはず。

 それは分かっているのだが、瑞希の心を占有するのは違和感という言葉。


 もしかして──いや、それは考えすぎだろう。いくら幼なじみとはいえ、幼い頃ならいざ知らず、一緒に一夜を過ごすなどありえない。偽りだろうと恋人がいるのだから、そんなことするはずないと瑞希は信じていた。


「それなら決まりね」

「分かったよ。あっ、そうだ、瑞希に聞きたいことがあるんだけど」

「しょうがないわね。誠也の頼みだからなんでも答えてあげるわよ」


 誠也が家に来ることが決まり瑞希は上機嫌となる。

 半ば強引にではあるが、こうでもしないと誠也が家に来ることは永久にない。


 内心は心臓が破裂しそうなくらい緊張していたが、同じ音でも今度は心地よさを感じる。それこそ心の中でガッツポーズを決め、誠也の質問になんでも答えようとするくらいであった。


「あのさ、あのこと瑠香に話したの?」

「前原さんに……?」


 思い当たるのは屋上での出来事。

 口がすべって瑠香に偽りの恋人だと話してしまったことだ。


 ふたりだけの秘密のはずが、他の人に知られてしまうという大失態を犯す。これでは約束を破ったも同然で、罪悪感が瑞希の中で膨れ上がる。


 決してわざとではない。

 素直に謝れば誠也ならきっと許してくれるだろう。

 そう、素直に謝れば……。


「あれは……。べ、別にあれくらい話しても問題ないわよ。前原さんは他言しないように約束してくれましたし」

「瑠香が言ってたのは本当だったんだ……」

「前原さん以外は知らないんだからいいじゃない」


 素直とはかけ離れた開き直りとも取れる発言。

 どうやらこれが瑞希流の素直さらしく、少なくとも本人はそう思っている。


 男どもにさえバレなければいい。

 話したと言っても、誠也の幼なじみなにだから影響はないはず。

 過去を後悔するよりも未来へ目を向けよう。心の中では謝っているのは確かで、きっと誠也になら伝わっていると思う瑞希であった。


「それはそうだけど……。あんなこと、僕は初めてだったし」

「私だって初めてですわ。むしろ相手が誠也だから良かったって思ってますの。それとも……私じゃイヤなの?」

「イヤじゃないけど、瑞希がいいなら僕はこれ以上何も言わないよ」


 イヤではない──何気ない言葉でも、好きな人からとなると嬉しいもの。

 舞い上がる気持ちを押さえつけ、今までに見せたことのない笑顔を誠也に向ける。


 それは魔法の笑顔、瞬時に誠也の顔を真っ赤に染まらせる。

 瑞希の周囲から光り輝くオーラが放たれ、圧倒される誠也の手を掴むと爽快な気分で学校へと歩いていった。

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