第12話 暗闇の中で寄り添うふたり

 懐かしい──すべてがこのひと言で足りてしまう。

 見慣れた風景に癒されながら、誠也は今日一日の疲れを洗い流していた。


「なんか、高校に入って間もないのに色々とあったよなぁ」


 湯船に漬かりながらゆっくり高校生活を振り返る誠也。

 学校一の美少女からの告白に始まり、偽りの恋人、偽りのデート、それに……偽りのキス。すべてが初めての経験で、ひとり静かな学校生活とは程遠かったが、そこまで悪い気はしていない。


 クールビュティーこと瑞希の知らなかった一面や、久しぶりに話をした幼なじみの瑠香。どれも温かみがあり、誠也の中で忘れていたモノを思い出させる。


「一番驚いたのは瑞希の告白だよね。しかも、告白されたくないから告白するって、なんだか変な感じかな」


 最初に手紙を見たときは、心臓が止まるほど驚いた。

 カノジョなんて作るつもりはないものの、誠也も年頃の男子高校生。

 イヤな気分はまったくせず、むしろ嬉しい気持ちがほんの少しだけ顔を出す。


 女子から手紙を貰うのは誰でも喜ぶもの。

 本気かどうかは関係なく、たとえイタズラであっても、それが分かる瞬間までは幸せになれるのだ。


「でも、僕は瑞希を助けられてるのかな。ちょっと不安になってきたよ……」


 本当に恋人役を演じられているのか──なぜだろう、今になって不安が大きな波となって誠也に襲いかかってくる。


 幼なじみの瑠香と違って瑞希のことを知らなすぎる。

 高校で出会ったばかりというのもあるが、最初は演技なのだから知ろうとは思わなかった。


 それが最近になって、瑞希という存在を知りたいと思い始める。

 その理由なんてあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。だが今は……もう一歩だけ近づいてみようと思っていた。


「自分で言うのもなんだけど、僕ってなーんも取り柄ないし、地味キャラなんだよねぇ。演技とはいえ、そんな僕とデートとかして、瑞希は辛くなかったのかな」


 好きでもない相手といて苦にはならないのか。

 もしかしたら告白され続けた方が楽ではないのか。

 誠也はそんなことを考え始める。


 どうして瑞希は誠也を選んだのか、そんなことは分かっている。誠也がカノジョを作ろうとしないからだ。

 しかし……本当に理由はそれだけなのか?


 それは瑞希本人にしか分からない。

 女性に興味なさそうだから──告白されたときはそう言っていたが、他に理由があるような気がした。


 だがこればかりは推測の域を出ることはなく、いくら考えても答えが見つかるはずがなかった。


「それに──」


 それは一瞬の出来事だった。

 最初は何が起こったのか分からなかった。

 視界に映るのは黒一色。徐々に薄くなっていき、周囲の風景が薄らと見え始める。


 これはもしかして停電──冷静な誠也の頭にその言葉が浮かび上がると、入口のドアの向こうに薄らと光る球体が見えた。


「あれはいったい……」

「うぅ……。誠也……」


 震える声は今にも泣き出しそう。

 その声が誰なのか誠也には分かっていた。だからこそ、怯えることなく優しい声で言葉を返した。


「どうしたの瑠香。あっ、瑠香は暗闇が苦手だったよね。大丈夫……?」

「大丈夫なわけないじゃないっ。お、お願い……近くにいてよねっ」

「え、えっと、いったい僕はどうすれば……」


 まさか一緒に──などありえない話で、何がベストなのか分からず誠也は困惑していた。


 瑠香は何をして欲しいのか。

 そんなの傍にいて欲しいに決まっている。

 だが今は無理だ……それこそ全教科満点を取るくらい無理な話。

 なぜなら、今の誠也がいる場所はお風呂場なのだから。


「だーかーらー、傍にいて欲しいのっ」

「あ、あのー、僕は今お風呂なんですけど……」

「それくらい分かってるもん、ばかっ。ここにいるから、誠也はずっと話しかけていてね。そうすれば……少しは怖さが和らぐから……」


 顔を見なくても誠也には分かる。

 きっと死ぬほど恥ずかしいはずで、顔が真っ赤になっているに違いない。

 それを象徴するように、怖さからではない震え声であった。


 閉ざされたトビラがあるとはいえ、同い年の異性がすぐそこにいる。幼なじみという身近な存在だから平気、などという特別なことはない。


 瑠香もひとりの女性である。

 恥ずかしいのは誠也も同じ。


 鼓動が激しくなる中、なんとか話題を作ろうと必死に頭を回転させる。女子との会話は得意ではないが、瑞希と話していた内容を参考にしようと思いつく。


 だが……ここで重要な問題に気づいてしまう。

 登下校、デートと、過ごす時間は長いものの、何を話していたのかがまったく思い出せない。このままでは気まづくなる──それだけは避けたいと思っていると、震え声ではなく力強い声で瑠香が話しかけてきた。


「ねぇ、誠也、西園寺さんとはどうなの?」

「えっ、どうと言われても……普通かな」

「そういうことじゃないのっ。私が聞きたいのはね、誠也は本当に西園寺さんが好きかってことよっ」


 今まで聞いた中で一番大きな声。

 どことなく真剣さを感じる。

 その真剣さにどう答えればいいのか、誠也は迷いながらも誠意を見せようとする。


 嘘をつくのは絶対に嫌い。

 とはいえ、本当は偽りの恋人です、など言えるはずもなく。

 誠意は見せたいが自分の気持ちを正直に話せないでいると──。


「私ね、知ってるの。西園寺さんから聞いたんだから」

「えっ……。い、いや、あれは、なんと言うか……」


 瑠香から放たれた一本の矢。

 的確に誠也の心を貫き痛みを覚えさせる。


 瑞希から聞いた──それはきっとキスのこと。

 瑠香とは事故のようなものであったが、瑞希とは自らの意思でした。つまり言い訳など出来るはずもなく、誤魔化すしか選択肢がなくなる。


 この窮地をなんとかしなければならない。

 激しく動揺しながら、誠也は起死回生の一手を打とうとした。


「瑠香、そのことを他の誰かに喋ったりしてないよね?」

「もちろんよ、西園寺さんとの約束だもの」

「それならよかった。他の人にでも知られたら恥ずかしすぎて、学校に行けなくなるからね」


 氷姫とキスを交わした──そんなことが広まれば、最悪の高校生活になるのは確実。それだけは断固阻止しなければならない。これ以上、平穏を壊されるのは勘弁して欲しいと誠也は思っていた。


 キス、接吻、口づけ、呼び方は様々だが、瑞希とのキスは悪い感じがしなかった。柔らかい唇がスイーツのような甘さで、今でも誠也の中にその感触が残っている。


 忘れたくても忘れられないキス。

 瑠香のときとは違い、思い出すだけで心臓が破裂しそうであった。


「恥ずかしすぎるって……。それなら、西園寺さんにハッキリ言えばいいじゃない。そうじゃないと私……」


 小さくなっていく声が誠也に罪悪感を与える。

 別に誠也が悪いわけではないが、瑠香の泣いている姿が頭に浮かぶと、胸の痛みが最高潮に達する。


 泣かせてはいけない。

 大切な幼なじみなのだから、大事にしないとダメなのは分かっている。

 そう、分かってはいるのだが、かける言葉がまったく思い浮かばなかった。


「ごめん、瑠香。ちゃんと瑞希と話してみるよ。だから泣かないで欲しいかな」

「泣いてなんかないもんっ。ちょっと悲しいこと思い出しただけだもん」


 強がっているものの、心細いという想いがヒシヒシと伝わってくる。

 このままではいけない。自分で出来ることをしよう。

 そう思った誠也は瑠香にあるお願いをした。


「瑠香、ちょっとここで着替えてから話すよ。だから、着替えを取ってくれないかな」

「……分かった」


 ほんの少し空いた隙間から、瑠香の小さな手によって着替えが渡された。

 自分でそれを望んだはずが、後悔しそうなくらい恥ずかしくなり、鼓動が激しいリズムを奏でる。


 高揚感とも言うべきか──誠也は冷静さを保とうと、暴走しそうになる気持ちを抑え続けた。この場でしっかりしなければ、大切な幼なじみを救えない。


 薄暗い中で着替え終えると、誠也はゆっくりとふたりの間にあるトビラを開けた。


「お待たせ」


 不貞腐れているのだろう。懐中電灯を片手に持ち、瑠香は反対側を向いている。返事など一切なく、さすがの誠也も瑠香が何を考えているのか分からなかった。


 しかし、ここで何もしないわけにはいかない。

 普段では絶対にしないが、誠也は瑠香の後ろから優しく包み込んだ。


 ふたりに会話など一切ない。

 聞こえるのは激しくなった心音だけ。

 どれくらいの時間が経過したのか分からないが、次に会話したときは電気が復旧したときであった。


「あっ、電気がついたね」

「うん……。それじゃ、私もお風呂に入ろっかな」

「急に元気になるんだね……」

「別にいいじゃなーい。それとも、私と一緒に入る?」


 冗談なのか本気なのか分からないが、誠也は全力で首を横に振った。

 いくら幼なじみとはいえ、それをすれば一線を超えてしまう。

 顔が真っ赤に染まり、誠也は客間へ逃げるように走り去っていった。

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