第11話 本物の幼なじみと偽物の夫婦
初めてのことではない。
なんども体験したことで、違うと言えば両親が不在なだけ。
そう、ただ両親がいないだけ……。
いや、本当に違いはそれだけ?
年齢という重要な存在を忘れていないか?
あの頃とは心も体も段違いに成長しているのだから……。
「お、お邪魔します……」
「そ、そんなに緊張しないでよ。こっちまで緊張しちゃうじゃない」
お互いの顔が赤く染まり、無音の世界に迷い込んだようで、言葉がすべて失われる。
何も聞こえない──正確には自分の激しい心音しか聞こえないだ。
交わした言葉はたったひと言なのに、玄関で固まってしまうという、出だしから波乱の幕開けであった。
ふたりが動き出したのは数分後、勇気を絞り出した瑠香が誠也の背中を押し、ようやく家の中へ招き入れた。
「遠慮なんてしなくていいからね。部屋は──」
一緒でいいよね、など言えるわけがない。
いくら幼なじみとはいえ、年頃の男女が寝床を一緒にするなど、瑠香は想像しただけで気絶してしまう。
どの部屋を使ってもらうか。
そんなこと考えるまでもなく、客間があるのだからそこにするしかない。
だがもし──誠也が一緒の部屋の方がいいと言ったのなら、瑠香は喜ぶだろうか? それとも恥ずかしすぎて拒否するのか?
自分からお願いしておいて拒否するのも悪い気がする。悶絶しそうなくらい恥ずかしいが、きっと誠也の要望に答えるであろう。
とはいっても、誠也自身からそのようなことを言うのは非現実的。
そんなことは分かっている。分かってはいるけど、瑠香はほんの少しだけ期待していた。
「客間があるからそこを使ってね」
「ありがとう。でも、一緒の部屋とか言われたらどうしようかと思ったよ」
「ば、ばかっ。そんなこと……言うわけないじゃないっ」
心を見透かされたような誠也の言葉に、瑠香の鼓動が激しいリズムを刻み始める。
嫌われてるのだろうか、いいや、常識的に考えれば一緒にと言う方がおかしい。安心したような残念のような複雑な気分の瑠香であった。
「そんなに怒らないでよ。冗談に決まってるじゃない」
「べ、別に怒ってませんし」
そう、怒っているのではない。瑠香は悔しがっているだけなのだ。
恋愛が苦手なのは自他ともに認めるが、それは誠也も同じはず。それなのに──自分だけ置いてかれる気がしてならない。
まるで自分の知らない誠也を見ているよう。
幼なじみなのに知らない一面がある。
もしかしたら瑞希の影響かも、そんなことが頭をよぎってしまう。
「夕飯は私が作るから、先に着替えてきちゃいなよ。場所は分かるよね?」
「うん、大丈夫だよ」
何度も瑠香の家に来ている誠也。
もちろん客間の場所は把握済み。
迷うことなく客間まで来ると、緊張した顔つきで中へと足を踏み入れた。
誠也が着替えている間、瑠香はエプロンを装着し、夕食の準備に取りかかろうとする。
その姿はまるで新妻のよう。
瑠香の心も鼻歌を奏でるほど上機嫌になり、手馴れた手つきで手際よく料理をしていく。
今日のメニューは誠也が好きなモノ。
幼なじみだからこそ知っているわけで、おそらく他の人は誰も知らないであろう。たとえ偽りの恋人であったとしても……。
「そういえば誠也に作るのって二度目かなっ。私の料理……気に入ってくれるかなぁ」
普段から料理はしているものの、ひとりで作るのはは初めて。
緊張するのは当たり前で、ましてや想い人となるとそのレベルが跳ね上がる。
鼓動は心地よいリズムを奏でるも、不安という魔物が瑠香を闇に引きずり込む。
負けてはダメ、ここが踏ん張りどころ。
不安を振り払った瑠香は精一杯の気持ちを料理に込めた。
「味は──うん、これなら誠也も喜んでくれるはずだよっ」
いつも通りでいい、特別なことをすれば絶対に失敗する。
自分がどれだけ変わったのか、誠也に直接見てもらいたい。
この料理でならきっと誠也が振り向いてくれるはず。
そもそも自信満々なのには理由があり、それは常日頃から母親と一緒に料理をしているから。毎日コツコツと努力を惜しまず、その結果として料理の腕はかなり上達していた。
すべては誠也のため、いつかお弁当くらいは作ってあげたいと、瑠香にとっては大きな夢がある。それが今やお弁当ではなく、手料理を直接振る舞えるチャンスが来たのだ。
その嬉しさは計り知れないものであった。
「でも緊張するなぁ。誠也の喜ぶ顔が見たいけど、食べてもらうまでは不安だよ」
頭の中では不安と期待がぶつかり合う。
食べてもらいたい気持ちが大きいものの、口に合うかという不安も同じくらい大きい。
ドキドキが止まらない──今すぐにこの場から逃げ出したい想いを抑え、瑠香は料理たちをテーブルに次々と並べていく。告白するよりはマシ、料理だけで想いを伝えられたらと思いながら……。
「ごめん、懐かしくて少し遅くなっちゃったよ」
「ひゃっ!? せ、誠也──」
「そんなに驚かなくても……」
テーブルに頬杖ついて妄想の世界に浸っていたところで、いきなり誠也の声が聞こえたのだ。瑠香が悲鳴を上げて驚くのも無理はない。
風呂前であるのに真っ赤になる瑠香の顔。
体全体が急に火照りだし、頭上から煙が出そうなくらい。
しかも、思考回路までもが火花を散らしながらショートしてしまう。
考えられない、何も言葉が思い浮かばない。
白一色に染まった頭のまま、瑠香はその場で固まっていた。
「瑠香……? 調子でも悪いの?」
「はひっ、だ、大丈夫でふ。私は全然平気だから……」
思考回路が元に戻ったのは誠也からの心配の声。
しかし今は、言葉を噛んでしまうほど動揺しており、誠也の顔すらまともに見ることが出来ない。
これでは何も出来ないまま終わってしまう。
それだけは避けなければならなく、瑠香はなけなしの勇気を奮い立たせる。
せっかくのチャンス、いつまでも奥手ではダメ。
誠也を好きな気持ちは誰よりもあるはず。
苦手だろうと関係ない、瑠香は大きな一歩を踏み出し、昔の自分と決別しようと決めた。
「よし、もう大丈夫だから。誠也のために私一生懸命作ったんだよ。だからさ、冷めないうちに食べようよ」
「ありがとう……」
短期間で変わった瑠香が誠也を圧倒する。
もう迷ったりしない── 固い決意がその場の空気を一瞬で変えた。
「味はどうかな……。お世辞じゃなくて、本当のこと言ってよね」
「う、うん……」
自信はある。
絶対にある。
息を飲みながら瑠香は誠也からの返事を待った。
「美味しい……美味しいよ。前から思ってたけど、瑠香ってこんなにも料理が上手かったんだね」
最高の褒め言葉を貰い、瑠香は満面の笑みを浮かべる。毎日コツコツ頑張った甲斐があった。努力とは報われるモノだと、心の中でガッツポーズを決めた。
今日ほど嬉しい日はない。
今日ほど幸せな日はない。
今日ほど──誠也を身近に感じた日はなかった。
「ねぇ、なんかさ、これって夫婦みたいだよねっ」
瑠香から放たれた意外な言葉は誠也を噎せさるほど。
まるで生まれ変わったかのように、以前では口に出さない言葉が出る。
爽快感というよりも、安心感と言った方が正しいのか。誠也の顔を見ているだけで幸福感に満たされる。苦手な恋愛に繋がる話を克服したようで、瑠香の顔は自信満々であった。
「な、何をいきなり言ってるんだよっ」
「ふふふふ、冗談だよ、冗談。誠也ったらすぐ本気にするんだからっ」
「いくら冗談とは言ってもビックリするじゃないか」
「そう? 私は──ううん、それより、食べ終わったら先にお風呂入ってね。それとも、私の残り湯を堪能したいかな?」
瑠香の顔はどことなく小悪魔的で、完全に別人のような瑠香が誠也を困らせる。
「そ、そんなことないからっ。僕が先に入るよ」
「照れなくてもいいのに」
心に余裕がある瑠香。
気持ちが伝わったかなど、もうどうでもよく、夫婦のようなこの時間が最高に幸せだった。
偽りの夫婦──同じ偽りでも恋人よりも上の存在。
瑞希に勝った気がし、勝者の笑みを心の中で浮かべていた。
「──ご馳走様。それじゃ先に入らせてもらうね」
「うんっ。ゆっくり入らないとダメだからね」
「子どもじゃないんだから……」
お風呂場へ向かう誠也の姿を、本当の嫁のような瞳で見つめる。
視界から誠也が消えると瑠香は静かに立ち上がり、夕食の後片付けをしたのであった。
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