第10話 本物の幼なじみの特権

 幼なじみの特権は数多い。

 気兼ねなく話せる、多少過剰なスキンシップも許される、お互いの家を行き来できるなど。他の女子よりも優位なのは確かなこと。


 その立場を利用すればいいだけ。

 これは決して権利の乱用ではない。

 幼なじみというアドバンテージがあるなら、攻めて攻めて攻めまくるしかない。


 たとえ性格がそれを拒否したとしても……。


「瑠香、何かいいことでもあったのー?」

「えっ、べ、別に何もない、かな」


 隠しているようでまったく隠せていない。

 本人はいつも通りでいるのだが、誰がどうみても嬉しさが全身から溢れ出ている。そんな瑠香の変化を親友である沙織が見抜けないはずがない。


 口元は常に笑みがこぼれ、幸せオーラを周囲に放つ。

 光り輝くその姿は天使が降臨したようにも見えた。


「じーっ。親友に隠し事するつもりかなー?」

「うっ……。だ、誰にも言ったらダメだよ? 実はね──」


 誠也と瑞希が偽りの恋人──ということは上手く隠し、自分にもまだチャンスがあると伝える。


 有耶無耶にされた感があったものの、何か理由があるのだと思い、沙織は深く追求しなかった。親友だからこそ瑠香を信じる──沙織にはその言葉さえあれば十分だった。


「そっか、よく分からないけど、瑠香がそう言うなら可能性が残ってるね」

「う、うん。でもさ、これからどうしたらいいか、私にはよく分からなくて……」


 急にトーンダウンしてしまい属性が闇へと反転する。

 つい数秒前までは光り輝いていたはずが、あっという間に黒いオーラが全身から漂い始める。


 海底へと沈んでいく心。

 浮上しようにもその方法が分からない。

 一生このままなのだろうか──そう思ったときに、助けに来てくれる人がいた。


「それならさ、選択肢はひとつしかないじゃない」


 親友の沙織が小悪魔の笑みを浮かべる。

 その笑みは瑠香の心にイヤな予感を刻む。


 元々穏やかで奥手な性格の瑠香。

 特に恋愛関係には滅法弱く、自分の気持ちを伝えるどころか、意識してしまうと顔すら見れなくなる。だからこそ誠也と話すときは、自分の想いを心の奥に封じ込めていた。


「沙織ちゃん、あの、その笑みが怖いんだけど」

「大丈夫、そんなに難しいことじゃないから」

「ほ、本当に……?」


 親友だから信じたい気持ちはある。

 だけど、よからぬ事を考えている顔なのは、親友だからこそ分かる。


 信じるべきかどうか悩んだあげく、瑠香は沙織に希望を託そうとした。


「本当だって。瑠香のうちって確か、明日から両親が出張よね?」

「う、うん……」

「だーかーらー、一人じゃこわーいとか言って、鈴木くんを連れ込むのよ。既成事実さえ作っちゃえば、こっちのものなんだし」


 意味を理解するのに数秒、瑠香の顔が真っ赤に染まり、ジタバタしながら言葉にならない声を出す。親友でも何を言いたいのか全然分からず、とりあえず落ち着かせようとしていた。


「少しは落ち着いた?」

「も、もう大丈夫、大丈夫だから。それで、誠也をうちに呼ぶって……本気なの!?」

「本気に決まってるじゃない。ほら、両親がいなくて不安だからー、とか言えば鈴木くんなら来てくれるんじゃない?」

「そ、それはそうだけど……」


 幼い頃はお泊まり会とかで誠也が来ることはあった。

 だが今はお互いに年頃なわけで。

 1日とはいえ、両親の不在時に呼ぶなど恥ずかしすぎる。

 ましてや相手が想い人ならば、まともに話せるかすら怪しかった。


 偽りの恋人と知った以上、遠慮なんてする必要はない。

 ふたりだけの秘密──そうすれば噂にもならないはず。


 なかなか踏ん切りがつかないでいると、その背中を沙織が強引に押してきた。


「分かった、瑠香から言えないなら、私が鈴木くんに伝えとくねっ」

「ちょっと待ってっ。それは一番恥ずかしすぎるんだけど」

「それなら、ちゃーんと自分で言うのよ?」

「うぅ……」


 逃げ道を完全に塞がれてしまい、瑠香は自らの口から誠也に伝えることとなる。


 恥ずかしい、直接自分の口からなんて言えるわけない。

 この前みたいに料理という口実ならギリギリだが、両親がいないからとなると話が変わってくる。


 だがこれは人生最大のピンチでありチャンス。

 これを逃したら誠也との距離は絶対に縮まらない。

 覚悟を決めるしかない──瑠香は恥ずかしさと戦いながら行動に移そうとした。


「沙織ちゃんにはあぁ言ったけど、ホントどうしたらいいのよー」


 一歩がなかなか踏み出せない。

 告白するみたいで緊張しているのが分かる。

 ダメ、この程度で狼狽えていてはダメ。この性格をどうにかしないと、想い人がいつか誰かに盗られてしまう。


 そんなのは耐えられない。

 無理、精神崩壊するほどの絶望に落ちるのが目に見えている。

 瑠香は勇気を振り絞り、自らの足で前進しようと覚悟を決めた。


「ううん、自分で頑張らなくちゃ。で、でも、いきなり本番は緊張して失敗するかも」


 こうなったら練習あるのみ。

 昼休みに誰にも見られない場所でひっそりと。瑠香は心にその言葉を刻みつけ、時間が来るのを緊張しながら静かに待っていた。


 早い、早すぎる。

 いつもなら長く感じる授業が一瞬で終わりを告げる。

 心の準備がまだなのに運命とは残酷だった。


「はぅ、しっかり練習して失敗しないようにしないと……」


 時間は待ってくれない。

 急いでお昼を済ますと、さっそく一人きりになれる場所へと移動する。


 そこは人が滅多に来ないことで有名な場所。

 だからこそ練習にはうってつけ。

 限られた時間の中で迷ってる暇などない。瑠香は恥ずかしさを押し殺しながら、誠也を家に呼ぶ練習を始めた。


「──コホン。あ、あのね、ちょっと話が……あるんだけど、いいかなっ?」


 幻の誠也を自ら作り出し、それが本物だと思い話しかける。

 その場に何もないのは当たり前で、誰かが見たら変人扱いするのは間違いない。

 だがそれでも瑠香は勇気ある一歩を踏み出そうと、なりふり構わず羞恥心を捨てる。


 本当はかなり恥ずかしい。

 それはひとりで練習していることではなく、幻の誠也を家に誘おうとしていること。

 練習の段階ですら、心臓が破裂しそうなくらい大きな音を奏でる。

 顔は真っ赤に染まる中、恥じらいながら幻の誠也に話しかけた。


「そ、そんなに時間取らせないから……。ダメ、かな?」


 分かっている、今この場に誠也がいないことを。

 それでも瑠香の瞳は僅かに潤み、上目遣いで誠也にお願いする。


 頭の中はすでに真っ白。

 それは何を言えばいいのか忘れてしまうほど。

 これではダメ、ちゃんとしっかり伝えないと、このチャンスを不意にしてしまう。


 一旦落ち着こう──大きく深呼吸をして冷静さを取り戻し、決め手となる誘い文句を伝えた。


「えっとね、私の両親なんだけど、出張で一晩いないの。それでね……私ひとりだと、その……怖いから、うちに来てくれると嬉しいかな。で、でも、無理にとは言わないよ、誠也がその……イヤじゃなければだけど……」


 恥ずかしすぎて真っ赤な顔から湯気が立っている。

 緊張で体が小刻みに震え、大地に足がついていない感覚だった。


 練習とはいえ、返事を待つ時間はドキドキで気を失いそう。

 もしこれで断られたのなら──そんなネガティブ思考に陥るも、幻聴らしき声が耳をかすめ、瑠香はその声の方向へ視線を向けた。


「昔から瑠香は怖がりだもんね。いいよ、僕でよければ一晩くらい付き合うからさ」


 いるはずのない誠也の声。

 幻であったはずの誠也が実体となって瑠香の前にいる。


 これは夢……? それとも妄想?

 言葉が出てこないでいると、誠也らしき人物から再び声が聞こえてくる。


「僕じゃやっぱりダメなのかな?」

「あっ、え、えっと、本物の誠也……? どうしてこんなところにいるのよっ」


 絞り出した言葉はなぜか否定的。

 だけどこれは現実、幻でも妄想でもなく、確かに目の前には誠也の姿があった。


「ちよっと時間潰しで校内を歩いてたんだ。それで、瑠香の家には……行った方がいいのかな?」

「うぅ……。誠也のばかっ」

「なんで僕が怒られるんだよ」

「そ、それは……で、でも、本当にうちに来てくれるの?」

「もちろんさ。大切な幼なじみのピンチなんだから、助けるのは当たり前でしょ」


 練習のつもりが、途中で本番にすり変わるという珍事。

 ここまでくると吹っ切れるしかない。

 瑠香は赤く染まった顔で小さく頷き、誠也の袖をそっと掴んでいた。

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