第5話 偽りでない本心

 頑張った、今までの中で最高傑作の出来具合。

 これなら誠也も喜んでくれる──自信満々な表情で手作り料理を誠也の家に持って行こうとした。


 見慣れた外観、何度も通っているはずなのに、瑠香はインターフォンの前で固まってしまう。

 ここで勇気を出さなければいつ出すのか。そう自分に言い聞かせ、震える指でインターフォンを押した。


 ──ピンポーン。


 押すまでかかった時間はおよそ5分。

 行き慣れているはずが鼓動が激しくなり、まるで今から告白でもするかのよう。普通に手料理を渡して少し話すだけが、こんなにも緊張するものだとは思っていなかった。


「はーい、鈴木です」

「え、あっ、私、瑠香だけど……」


 まさか誠也本人が出るとは思っていなかったようで、真っ白になった頭でなんとか名前だけは言えた。


 深呼吸して心を落ち着かせる瑠香。

 幼なじみなのだから緊張する必要はない。

 その言葉を何度も頭の中で繰り返し、普段通りに接しようと努力する。


 もう大丈夫──完全に冷静さを取り戻した瑠香は、誠也との会話を続けようと決めた。


「なんだ瑠香か。どうしたんだい?」

「あ、あにょ……」


 まさか噛んでしまうという大失態。

 動揺しそうになるもすぐに頭を切り替え、言い直しでなかったことにしようとした。


「──コホン。あのね、ちょっと料理作りすぎちゃったから、おすそ分けに来たんだ」

「わざわざありがとう、中に入ってよ」

「う、うん……」


 騙しているようで瑠香の心に罪悪感が湧く。

 料理を持ってきたのは事実だが、作りすぎたわけでもないし、本来の目的は誠也と話すため。


 何から話せばいいか分からない。

 聞きたいことはあるが、ストレートに聞く勇気など持ち合わせていない。

 こうなれば、勢い任せの出あたり勝負でいこう。瑠香は流れに身を任せるという選択を選んだ。


「そういえば瑠香は夕飯済ませちゃったの?」

「えっ……。あ、ううん、まだだよ」

「それじゃ、一緒にどうかな? 今日、親が夜勤で二人ともいないんだよ」


 誠也から大胆な発言が飛び出し、瑠香の顔を真っ赤に染まらせる。

 この家にふたりっきり、夫婦のように食卓を囲む、妄想が膨らんでいき照れ顔へと変化した。


「ふ、ふたりっきり!? こ、これは噂に聞く夫婦生活なの!? そんな、誠也には恋人がいて……で、でも──」

「何ぶつくさ言ってるの? もしかしてすぐ家に帰らないといけないとか?」

「ううん、大丈夫、大丈夫だよ。私も一緒に食べるからっ」


 妄想の世界から急いで帰還した瑠香。

 慌てて自分の意思を伝える。こんなチャンス滅多になく、瑞希とのことを聞けるのはこのタイミングしかなかった。


 小学校まではよくふたりで一緒に遊んでいた。

 距離を置くようになったのは中学から。

 特にこれといって理由はないが、自然とお互いの距離が離れてしまう。

 遠くから見つめることしか出来ず、幼なじみでありながら遠い存在に成り下がった。


 このまま疎遠に──と思われたが、高校が一緒だったことで、日常会話くらいはするようになる。

 学校では恥ずかしくて話せないが、たまに道で会うとほんの少しだけ話したりした。


 それが小さな幸せだった。

 瑞希という存在が現れるまでは……。


「肉じゃが美味しいよね。瑠香ってこんなに料理が上手だったんだ」

「頑張ったんだよ、私、本当に頑張ったんだ。毎日お母さんの手伝いして、必死に覚えたんだよ」

「そうだったんだね。瑠香はいいお嫁さんになれるね」


 箸が止まり爆発音とともに顔が赤一色に染る。

 プロポーズされたような感じがし、再び妄想の世界へと旅立つ。


 そこで描かれるのは誠也との甘い新婚生活。

 おかえりのキスに始まり、手料理を振る舞う微笑ましい光景。

 夢のような世界にうつつを抜かしていると、誠也の声によって現実世界へ戻された。


「瑠香今日はどうしたの? 今だってなんかニヤニヤしてたし」

「ひゃっ!? な、なんでもないっ」


 心の声が漏れていないか心配で、上目遣いで誠也を見つめるも、普段と変わらない表情でひと安心。


 もし声が漏れてでもいたら──二度と顔を合わせられなかっただろう。それくらい恥ずかしいことを妄想していた。


「そ、それよりさ、少しだけ話したいことがあるんだけど……」

「僕に話……? いいよ、それじゃ後片付けしたら僕の部屋に行こうか」

「う、うん……」



 何年ぶりに入るであろう誠也の部屋。

 幼い頃に入った記憶とかけ離れていて、なんだか新鮮な感じがした。匂いも違うし、大きさも小さくなった気がする──いや、自分の体が大きくなっただけ。


 初めて入るような不思議な感覚に襲われ、瑠香はつい部屋を見回してしまった。


「そんなにキョロキョロしなくても、珍しいものなんてないと思うけど」

「ふぇっ!? え、えっと、昔に比べてなんだか狭く感じるなぁって」

「あはははは、だってお互い大きくなったんだから、そう見えるのは仕方がないよ」

「そ、そうだよねっ。私ったら何言ってるだろ」

「それで、僕に話って何かな?」


 忘れてはいなかったけど、誠也の口から言われると緊張がさらに増す。心音が誠也に聞こえるほど大きくなり、胸に手を当て必死にその音を抑えようとする。


 落ち着かないとダメ。

 これは幼なじみとしての知る権利。

 だから、恐れずに聞かないといけない。


 瑠香は自己暗示でこの緊張を和らげようとした。


「あ、あのね、その……さ、西園寺さんと付き合ってるって、本当なの、かな?」


 なけなしの勇気を振り絞った。

 ちゃんと言えたんだから、自分で自分を褒めたいとも思った。

 この先に続く返事が怖い。だけど、それを聞くために今ここにいるのだから。


「えっ……。瑞希と? あー、う、うん、付き合ってるかな、一応……」


 歯切れの悪い返事に瑠香は違和感を覚えた。

 瑞希から聞いた話の温度と違いすぎる。

 その途端、瑠香の中で何かが吹っ切れ、緊張という言葉がどこかへ消えてしまった。


「一応って何よ!? なんとなくで付き合ってるわけ?」

「あっ……。い、いや、そうじゃなくて……」

「そうじゃないなら、どういう意味なのっ!」


 誠也の肩を激しく揺らしながら必死に詰め寄る瑠香。

 完全にお怒りモードで我を忘れているのが見て取れる。


「ち、ちょっと落ち着いてよ瑠香。落ち着いてくれないと危ないから」

「私は落ち着いてるよっ! やましいことがあるのは誠也の方じゃ──」


 力の限り揺らしたせいで、誠也がバランスを崩し始める。

 ベッドへと倒れ込みそうになると、瑠香も引き寄せられ──。


「──!?」


 そのときふたりの時間は止まった。

 ベッドに倒れ込んだ誠也に、瑠香は覆い被さるような体勢。

 抱き合っている──この状況を見た人なら誰しもがそう思うのは間違いない。


 いや、それだけではない。

 唇に感じる湿った感触。幻でも妄想でもなく現実世界で起きたこと。

 これでは瑠香が誠也を押し倒してキスをした。そう思われても仕方のない体勢となっていた。


 思考が完全に停止する。

 何が起きたのかまったく分からない。

 目の前には誠也の顔。唇は誠也のと重なり、遅れて湧き上がる羞恥心。


 固まったまま長い時間がすぎ、ようやく状況を理解したのは数分後であった。


「あ、あの……。これは……」

「うん、事故だよ、事故だからね。私はきにしてないから」


 事故扱いにしなければきっと暴走してしまう。

 瑠香は込み上げてくる想いを押し込め、なんとか冷静さをたもとうとした。


「ねぇ、誠也。誠也は西園寺さんとキスはしたの?」


 怖いものなどなかった。

 この流れならなんでも聞けると瑠香は思っていた。


「な、何をいきなり……」

「答えて! ちゃんと私の質問に答えてよ!」


 両手で誠也の顔を掴み逃げられないようにする。

 どんな答えが返ってこようと、瑠香は本当のことを知りたかった。


「──てないよ」

「えっ? 聞こえないんですけど」

「してないよっ! 西園寺さんとはキスなんてしてない。それに、事故とはいえ、あれが初めてだったから……」

「そ、そうなんだ。誠也のファーストキスの相手は私なんだ」


 心が軽くなった瑠香。

 瑞希に勝った気がして浮かれてしまう。

 誠也のファーストキス──それは自分にとってもそうであった。


「ねぇ、西園寺さんと付き合ってるのは、何か事情があるんでしょ?」

「そ、それは……」

「ううん、言わなくていいよ。だ、か、ら、この事故はふたりだけの秘密にしてねっ」


 ぐらついていた気持ちは安定性を増し、瑠香は心に余裕が出来た。

 瑞希がどう思っているのか分からない。だけど、少なくとも誠也は、自らの意思で付き合っていないと分かっただけで十分。


 満面の笑みを取り戻した瑠香は、何事もなかったかのように誠也の部屋をあとにした。

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