全（すべ）ては私の……

前編

　ヨーロッパの古城（こじょう）、そこが私たち二人（ふたり）の住処（すみか）です。私は無名（むめい）の小説家で、大（たい）した収入（しゅうにゅう）もないのですが、ただみたいな安価（あんか）で売（う）りに出されていた古城を買（か）うことができたのでした。

　そのままでは生活（せいかつ）するのに不便（ふべん）だったため、水洗（すいせん）トイレなどが使えるよう改造（かいぞう）されています。私たちが暮（く）らしている城（しろ）は、小高（こだか）い丘（おか）の上にあって、見下（みお）ろした下界（げかい）には民家（みんか）の一軒（いっけん）すらありません。この城を買ってからというもの、客（きゃく）が訪（おとず）れたことすらないのですが、私は一向（いっこう）に構（かま）いません。ただ、愛する彼女と一緒であるだけで満足（まんぞく）なのです。ちなみに私も女性ですよ。

　生活（せいかつ）必需品（ひつじゅひん）は、ドローンを使った宅配（たくはい）サービスで買えるので、とりたてて不便はありません。今の世の中は、何（なん）でも『合理化（ごうりか）』です。もはや合理化とはリストラの代名詞（だいめいし）とさえ思えます。辺（あた）りに人の気配（けはい）がない古城で暮らしていると、地球上（ちきゅうじょう）から人類が『合理化』されてしまったような感覚（かんかく）に襲（おそ）われます。

　合理化を進（すす）めた結果（けっか）、もっとも不必要（ふひつよう）な存在が人類だったと。笑（わら）い話（ばなし）にすらなりませんね。まともな就職（しゅうしょく）をしたことがない私は、合理化というのかリストラというのか、解雇（かいこ）されたことがありません。幸（しあわ）せな立場（たちば）なのでしょうかね。同居人（どうきょにん）である彼女から、愛想（あいそ）を尽（つ）かされてリストラされる可能性（かのうせい）はあるので、そうならないよう気（き）を配（くば）りたいと思います。

　部屋（へや）の中で、私は今日の分（ぶん）、原稿（げんこう）の執筆（しっぴつ）を終（お）えました。仕事は午前中（ごぜんちゅう）に終（お）えるのが私のスタイルです。あとの時間（じかん）は、外（そと）の景色（けしき）を眺（なが）めて過（す）ごしています。丘の上からの景観（けいかん）は、なかなかのもので、同居人である彼女も気（き）に入（い）っているようです。今日も彼女と、下界を眺（なが）めるとしましょう。

　彼女の居場所（いばしょ）は分（わ）かっていて、城（しろ）にはテラスがあるのです。晴（は）れた日（ひ）には日光浴（にっこうよく）を楽（たの）しめて、今は冬（ふゆ）だというのに汗（あせ）ばむくらいの陽気（ようき）でした。寒（さむ）いのは嫌（いや）なので、私には嬉（うれ）しい限（かぎ）りです。

　果（は）たしてテラスへ赴（おもむ）くと、やっぱり車（くるま）椅子（いす）に乗（の）った彼女がそこに居（い）ました。彼女の姿（すがた）を見るたび、私の心は温（あたた）かい感情で満（み）たされていきます。障害（しょうがい）の有無（うむ）など、人の価値（かち）には何（なん）の関（かん）係（けい）もありません。私は景色（けしき）よりも、こうして下界を見（み）ている時（とき）の彼女を眺（なが）める方（ほう）が好（す）きなのかもしれませんね。

「やあ、姫（ひめ）さま。ご気分（きぶん）は如何（いかが）でしょうか？」

　おどけて彼女へ話（はな）し掛（か）けます。実際（じっさい）、彼女には気品（きひん）が溢（あふ）れていて、世（よ）が世（よ）なら貴族（きぞく）の令嬢（れいじょう）として引（ひ）く手（て）あ（・）ま（・）た（・）だったのではないでしょうか。私には勿体（もったい）ない程（ほど）の、宝石（ほうせき）のような存在（そんざい）です。

「気分（きぶん）は良（よ）かったですよ、貴女（あなた）に声（こえ）を掛（か）けられるまでは」

　いつもどおり、今日も彼女の口（くち）から辛辣（しんらつ）な言葉（ことば）を投（な）げつけられました。彼女が放（はな）つ悪口（あっこう）雑言（ぞうげん）の数々（かずかず）が、私は大好（だいす）きです。私への愛情（あいじょう）をひた隠（かく）して、その頭脳（ずのう）をフル回転（かいてん）させて、何（なん）とか私を傷（きず）つけようとしてくる彼女の姿（すがた）に、今日も私は愛（いと）おしさを覚（おぼ）えます。

「まあ、そう言（い）わず私と話（はな）してください。貴女が景色（けしき）を楽（たの）しんでいるのを、邪魔（じゃま）するつもりはありません。物（もの）の序（つい）で、でいいのです。どうか私の、お相手（あいて）を願（ねが）います」

　ひたすらに、へりくだります。彼女も私以外（いがい）に話（はな）し相手（あいて）が居（い）ませんから、こう言（い）えば観念（かんねん）してくれるのです。彼女は溜息（ためいき）をついて、私との会話（かいわ）を許（ゆる）してくれます。そして一旦（いったん）、会話が始（はじ）まると、猛烈（もうれつ）な勢（いきお）いで私に攻撃（こうげき）してくるのも彼女の常（つね）なのでした。

「私は貴女のことが嫌（きら）いです。何故（なぜ）なら貴女が小説家（しょうせつか）だからです。小説家とは全（すべ）て、ろ（・）く（・）で（・）な（・）し（・）で金（かね）に汚（きたな）くて、何（なに）より嘘（うそ）つきです。だから私は貴女が嫌（きら）いなのです」

「そうですか。それはともかく、今日も良（よ）い天気（てんき）ですね。ちょっと暑（あつ）いくらいです」

　景色を見ている彼女の横（よこ）に、備（そな）え付（つ）けの椅子を動（うご）かして、私は腰掛（こしか）けます。車椅子の彼女と私は、まるで映画（えいが）でも見ているかのように、城（しろ）のテラスから下界を眺（なが）めます。先（さき）に述（の）べたとおり、景色の中には民家（みんか）の一（ひと）つもなくて、正（まさ）に世界は私たち二人のためだけにあるようでした。

　私のことが嫌（きら）いなら、離（はな）れていっても良（よ）さそうなものですが、彼女も話（はな）し相手（あいて）は欲（ほ）しいようでテラスからは動（うご）きません。いつもどおりの愛（いと）おしい日常です。彼女が私を愛しているのは分（わ）かっていますし、彼女は彼女で、『私が愛しているのは、貴女への悪口（わるくち）です』などと今日も言（い）い張（は）るのでしょう。私は彼女の悪口に、応（こた）えてあげたいと思います。

「何（なん）でしたっけ、私が小説家だから嫌（きら）われていて。そして全（すべ）ての小説家は、ろくでなしで金（かね）に汚（きたな）くて、何（なに）より嘘（うそ）つきだと。そういう話でしたね。『全（すべ）て』と言（い）い切（き）るのは偏見（へんけん）だと思いますよ。差別（さべつ）を助長（じょちょう）してしまいます」

「おや、貴女は同業者（どうぎょうしゃ）を擁護（ようご）するつもりですか？」

「いいえ、全然（ぜんぜん）。全（すべ）てという訳（わけ）ではありませんけど、私の周囲（しゅうい）には、ろくでなしの同業者しか居（い）ませんでしたからねぇ。小説の中で『全（すべ）てがロクデナシ』と言ってしまうのは差別的（さべつてき）ですが、小説の中でロクデナシのキャラクターだけを出（だ）すのは許（ゆる）してほしいです。それは普通（ふつう）に、ありえることですから」

　昔（むかし）のコメディードラマでは、第二次大戦のドイツ兵（へい）は決（き）まってマヌケに描（か）かれていたと。そんなことを聞いたことがあります。実際（じっさい）はどうあれ、民主（みんしゅ）主義（しゅぎ）の敵（てき）みたいな存在（そんざい）をマヌケに描（か）くのは、割（わり）と健全（けんぜん）な批判（ひはん）精神（せいしん）じゃないですかね。やりすぎると言葉（ことば）の暴力（ぼうりょく）になっちゃいますが。

「結局（けっきょく）、何（なに）が言いたいんですか。はっきりしてください」

「何（なに）が言いたかったんですかね、私？　差別（さべつ）意識（いしき）は結局（けっきょく）、完全（かんぜん）に人間の中から消（け）すことはできなくて、だからこそ我々（われわれ）は言葉や生活（せいかつ）態度（たいど）に差別（そ）意識（れ）が出（で）ないよう、気（き）をつけるべきなのだと思います。特（とく）に、私を含（ふく）めた小説家はね」

　私たちのような同性（どうせい）カップルは、いつの時代（じだい）も差別（さべつ）されてきたものです。その差別（さべつ）が、致（ち）命（めい）的（てき）な形（かたち）で私たちを襲（おそ）う前（まえ）に、差別（そ）意識（れ）の拡散（かくさん）を防（ふせ）ぐように皆（みな）で努（つと）めるべきなのでしょう。

　さて、今は、そんな話はしていませんでした。確（たし）か『私が小説家だから嫌（きら）われていて』、そして『小説家は、ろくでなしで金（かね）に汚（きたな）くて、何（なに）より嘘（うそ）つきだ』と。こういう話でしたか。とりあえず、ちょっと面白（おもしろ）いので、小説家への悪口（わるくち）部分（ぶぶん）について尋（たず）ねてみましょうかね。私はロクデナシの小説家に過（す）ぎませんので、同業者への偏見（へんけん）を取（と）り除（のぞ）く気（き）もありません。

「小説家は、金（かね）に汚（きたな）いと言いましたね。それは何故（なぜ）ですか？」

「簡単（かんたん）ですよ。小説家は極端（きょくたん）な成功者（せいこうしゃ）か、大多数（だいたすう）の敗残者（はいざんしゃ）しか居（い）ません。分（わ）かりやすく言えば大（おお）金（がね）持（も）ちか、もの凄（すご）い貧乏人（びんぼうにん）です。その二者（にしゃ）は金（かね）に汚（きたな）いと、相場（そうば）が決（き）まっています」

「決（き）まってるんですかぁ？　偏見（へんけん）ですよ、それは。小説家はどうでもいいとして、『金（かね）持（も）ちと貧（びん）乏（ぼう）人（にん）にはロクデナシしか居（い）ない』みたいな意見（いけん）は非常（ひじょう）に乱暴（らんぼう）です。辞（や）めましょうよぉ」

　貧困（ひんこん）問題（もんだい）を冗談（じょうだん）のネタにしては、いけないのです。そういう意識（いしき）は容（たや）易（す）く、差別（さべつ）へと繋（つな）がります。今でこそ私は彼女と、お城（しろ）なんかに住（す）んでますけど、それ以前（いぜん）には苦労（くろう）をしてますしね。今の暮（く）らしだけを見て、それで私たちが誰（だれ）かに批判（ひはん）されるなら、それこそ心外（しんがい）ではあります。

　どうでもいいですが、彼女が言う小説家の『成功者（せいこうしゃ）』と『敗残者（はいざんしゃ）』って、基準（きじゅん）は何（なん）ですかね？　審査（しんさ）員（いん）に回（まわ）るような小説家の方（かた）は成功者（せいこうしゃ）なんでしょう、きっと。収入（しゅうにゅう）は私も大（たい）したことがないので、コメントを控（ひか）えたいと思います。

　何（なん）だか掌（てのひら）が汗（あせ）ばんできました。これも冬（ふゆ）とは思えない、奇妙（きみょう）な陽気（ようき）のせいでしょう。気（き）を取（と）り直（なお）して、彼女との会話を私は続けました。

「最後は何（なん）でしたっけ、『小説家は嘘（うそ）つき』ですか。これはまあ、そういうものじゃないですかね。そもそも小説というのが、言わば嘘の話なんですから。『講釈師（こうしゃくし）、見てきたような嘘を言う』でしたか、そんなコトワザもありましたし。それを嘘つきと非難（ひなん）するのなら、甘（あま）んじて私は受（う）けますよ」

「いいえ、そういうことを私は言ってません。確（たし）かに私は小説家が嫌（きら）いですが、その中で私が、最（もっと）も嫌（きら）っている人物（じんぶつ）こそ貴女なのです。貴女の非道（ひどう）を挙（あ）げれば、切（き）りがありません。たとえば毎夜（まいよ）毎夜（まいよ）、身体（からだ）が不自由（ふじゆう）な私に対（たい）して、いやらしいことを繰（く）り返（かえ）したり」

「いや、待（ま）ってくださいよ。恋人同士じゃないですか、私たち。そりゃ夜の営（いとな）みはあるでしょ」

「貴女が言（い）い張（は）ってるだけです。私たちが恋人だと分（わ）かる証拠（しょうこ）も、証人（しょうにん）も此処（ここ）には存在しません。大体（だいたい）、おかしいじゃないですか。この城の周囲には、一（ひと）つの民家（みんか）もありません。そんな寂（さび）しい所（ところ）に何故（なぜ）、私は幽閉（ゆうへい）されているのか？　答（こた）えは貴女が大悪党（だいあくとう）で、私を誘拐（ゆうかい）したからでしょう。そして毎夜（まいよ）毎夜（まいよ）、口（くち）にも出せないようなことを私はされてしまうのです。ああ何（なん）て可哀想（かわいそう）な私でしょう」

　そんなぁ。彼女を幸（しあわ）せにするべく、毎晩のように私は頑張（がんば）ってたのにぃ。いや、それよりも、一方的（いっぽうてき）に私は大悪党と呼（よ）ばれてしまいました。周（まわ）りには証人も誰（だれ）も居（い）ませんから、このままだと私は犯罪者（はんざいしゃ）として警察へ突（つ）き出（だ）されるかもしれません。ですので反論（はんろん）してみましょうかね。