5
妻が亡くなって十年が経った。
もう私も若くはない。たまたま受けた検診で病気が見つかった。免疫系の疾患で、回復の見込みはないと告知された。
妻の身体が病魔に
死を悟ったからだろうか、あれこれと考えるようになった。
死因にもよるが、融合した妻夫は死を共有できるケースが多い。死の間際に同時に目覚め、短く語りあったあと、命を閉じる。それは素直に幸せなことだと思う。しかし、私は妻に先立たれ、一人になってしまった。
死ぬと心は肉体を離れ、旅立つといわれているが、いろんな解釈がある。
私の死をもって、二人の死が完結するなら、妻の心はどこにも旅立ってはいない気がする。それはまだこの身体のどこかにあって、私のことを待ってくれていると信じたかった。
そんな根拠のない論理の繰り返しと、肉体の衰弱が、私に最後の夢を見させてくれたようだった。
その夢は不思議な感覚から始まる……。
身体の隅々に行き渡っていた意識というか、心そのものが、頭の中心へ集まっていくような感じを受けた。ぎゅっと縮まっていく。それは粒子のように小さくなり、居場所を求めるかのごとく、複雑に絡んだ管の中を流れ始めた。
もう元には戻れない、不思議な予感があった。
微細な私の心は自分の領域を外れ、身体の隅々を巡ったあとに、とうとう妻の頭の中へ流れ着いた。妻の匂いが色濃く感じられる。その芳しい匂いに包まれると、私は本来の大きさや形を取り戻していった。それにつれて、周囲の情景が様変わりしていく……。
顔を上げたその先に、ぼんやりと懐かしい扉が見えてきた。辿り着いたその場所は、かつての妻の部屋だった。
「ずっとそこで、立ってるつもり?」
扉が薄く開き、若かりし妻が顔を覗かせた。
「入って」
妻の部屋にはふっくらとしたベッドがあった。妻はその上に座り、膝を抱えた。
目の前に妻がいる。胸が熱くなり、言葉に詰まる。
「どうしたいの? 言ってみて」
見透かすような視線に射抜かれる。
「もう離れたくない……」
敬語も忘れ、私は心のままを訴えた。
妻は唇を緩め、ゆっくりと両手を広げた。
「おいで」
夢中でしがみつくと、妻は私の背中にその手足を絡めてきた。
「わたしも、離れたくない」
妻は私の頬に手を添え、そっとキスをした。
「今までわたしをありがとう……」
その言葉だけで涙が滲み、心の輪郭がほどけていった。様々な苦痛や不安がことごとく消えていく。どろどろと妻の中へ沈み込みながら、私はほっと息を漏らした。
それが人生最後の吐息になればいいと、そう願いながら……。
〈了〉
その星のいとなみ ピーター・モリソン @peter_morrison
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます