第8話-6 法律書

 翌日。

 ハイミリヒから与えられた部屋でロプはカトリーナの魔導書を読んでいた。魔導書に記載された魔法、そしてカトリーナの人生に目を通し、全てのページを見終わって静かに魔導書を閉じた。


「……貴女も、悪い子じゃなかったのね」


 そう呟き、魔導書の表紙を撫でる。何も返ってこないのはわかっていたようで、ロプは魔導書にブックバントをつける。魔導書を愛用の鞄に入れると、出ていたジュスティが部屋の中に戻って来た。


「只今戻りました」

「お帰りなさい。……どうかしまして?」


 ジュスティの顔がやけに曇っているのに気付いたロプが聞くと、ジュスティは視線を扉に向ける。


「お庭でランニングさせてもらって、使用人の方に城の掃除を手伝わせてもらおうと声をかけたのですが、皆さん城から出て他の町に行くと言っていまして」

「……そうなの? それは不思議ね」


 カトリーナの魔法は鐘の音が鳴って数分で切れるらしい。魔法がかかっているであろう使用人たちはまだ魔法の効果で働いていてもおかしくないだろうに、皆がそう言うのは変な話だ。ハイミリヒが何か命令したのだろうかとロプが考えていると、扉がノックされた。ジュスティが返事をして扉を開けると、そこにいたのはハイミリヒだった。ジャンかラピュが来たと思っていた2人は驚いてハイミリヒに視線を向ける。

 ハイミリヒは胸に手を当てる。


「突然申し訳ない。お願いがあって足を運ばせていただいた」


 前置きをしてハイミリヒはそのお願いを2人に告げた。




 いつもの時間に鐘の音がリトゥアの街に響き渡る。

 午前中はしっかり働いた住民たちがいつものように広場に集まって来る。その様子を隠れて見て、ハイミリヒは胸に手を当てる。

 ずっと引きこもっていたから、これだけの人を目にすると心臓が早鐘を打つ。押さえていないと飛び出してしまいそうだ。この中で高らかに命令してきたカトリーナの肝の強さを思い出し、ハイミリヒは笑みを零した。

 カトリーナはこの城に来る時、王族暮らしができると喜んでいたらしい。だというのに暮らしは住民以下でどれだけがっかりしただろうか。だというのに、カトリーナは不満を口にする事はあっても、見捨てたりはしなかった。金を集めても自分の為に使おうとはしなかった。残っていた遺品のアクセサリーで我慢すると言いながら、そのアクセサリーたちに目を輝かせて、制限があるオシャレも楽しいと言っていた。自分を豚と罵ることはあれど、自分の身体を思って食事の管理、運動等のダイエットも手伝ってくれた。まだ見た目は昔に戻れていないが、これでも良くなった方なのだ。全ては、カトリーナのお陰なのだ。

 ハイミリヒはバルコニーに出る。住民たちはカトリーナではない人間が出たことに驚いた様子だった。

 冷たい視線を受け、引きこもって何か食べていたいという欲求を堪え、ハイミリヒは声を上げる。もうカトリーナの魔法は無い。声を張り上げて、できるだけ沢山の住民の耳に届くように、ハイミリヒは叫ぶ。


「僕はハイミリヒ・ショール・リトゥア・レゲ! レゲ王国の国王である! リトゥアの皆、今までも、今日もこうして集まってくれた事感謝する! 僕は皆に命令する!」


 今まで目にしなかった国王の登場に住民たちはざわめく。その声にかき消されぬよう、ハイミリヒは必死に声を上げる。


「そのいち! レゲ・フラーテウス王国の王様のハイミリヒとカトリーナに歯向かうことは許さん! そのような者がいれば捕らえろ! 我が命令は!?」


 ハイミリヒの問いに答える声は無い。住民たちもいつものように勝手に声が出ない事に驚いている様子だ。


「そのに! 皆はリトゥアのために午前中は確実に労働すること! 我が命令は!?」


 答える声は何も無い。


「そのさん! 人を殺したり盗みを働いたりせず、レゲ・フラーテウス王国の法律を厳守せよ! 我が命令は!?」


 答える声は無い。


「そのよん! 働いたお金の中から納税せよ! 我が命令は!?」


 答える声は無い。


「そのご! 許可なくリトゥアからの出国を禁ずる! 我が命令は!?」


 答える声は無い。

 住民たちは勝手に動く口ではなくなったことに喜びを表情に見せ、魔法はもう無いと気付き、ハイミリヒに怒りの籠った視線を向ける。

 一度息を整えてから、ハイミリヒは住民たちに告げる。


「どうだ? もうこんな法律に従う気持ちはわかないだろう? それがお前たちの望みだろう? これからはもうお前たちの自由だ! もうお前たちを縛るものはない! 好きに生きればいい! 僕は何も強要しない! だから、お前たちがこれからを後悔するかどうかも、僕は知らない!」


 そして、ハイミリヒはバルコニーの手すりに乗った。ハイミリヒの言葉に、行動に、住民たちが注目する。その視線にハイミリヒは嘲笑する。

 カトリーナの魔法のおかげで、リトゥアでは犯罪者も現れなくなっていた。世界全体で見れば低い税の中で、安全な生活をできていたことも知らない住民たちが、何も縛られなくなってどう過ごすだろうか。これからも同じような平和が過ごせるとでも思っているのだろうか。だが、それはもうハイミリヒには興味がないことだ。


「僕はもう、お前たちには何も興味はない。勝手にしろ」


 そう言って、ハイミリヒはその身体を住民に向かって倒した。ハイミリヒの身体は宙に浮く事も、羽ばたく事も無い。重力に従ってハイミリヒの身体は地面に向かっていく。その先にあったのは、城と広場を隔てている柵槍だ。

 ハイミリヒの巨体は槍に刺さる。高所から落ちたせいか、その体重のせいか、ハイミリヒの身体は深々とささる。彼から溢れた赤が柵槍を、地面を濡らしていく。

 それを目にした者から出た音は、悲鳴か歓声か。それを判断しようとする者はいなかった。




 広場の様子を、離れた位置からロプたちは見ていた。

 広場を見ていたロプは背後を振り返る。そこには人の身体になり、身を隠すためにマントを着て、ジュスティに背後から抑えられているカトリーナがいた。カトリーナが声を上げないように、ラピュがその口を手と布で塞いでいる。

 ハイミリヒがバルコニーの手すりに立った時、カトリーナは意図がわかったのか一番暴れていた。しかし、もうカトリーナは暴れておらず、その目から涙が幾つも零れていた。

 朝にロプたちの元に訪れたハイミリヒは正午の鐘の音が鳴る前にリトゥアから出て欲しいと願った。魔法が解けた住民たちはきっと暴徒と化して城に詰め寄るだろうからと。

 それを予想したハイミリヒは昨夜の内に使用人たちに暇を出し、リトゥアから出ても数日は困らないように金を渡していた。城に残るのは自分だけになるように。

 今、ハイミリヒが飛び降りたことで城にはもう誰も居ない。何もない。その城に向かって住民たちが押し寄せていく。

 彼らは何も無いその城を見て何を思うだろうか。隠していると血眼になって探すだろうか。それとも、それだけ王族が金を持っていなかったことを知るだろうか。

 ロプはカトリーナに近寄り、手をかざす。カトリーナは魔導書の姿に戻り、ロプは魔導書にブックバンドを付ける。カトリーナに見せる必要はなかっただろうが、知る権利を彼女は持っていると判断してロプはカトリーナにもハイミリヒの最期を見せた。


「……早くここから出るぞ」


 そう言ったジャンはすぐにロプたちに背を向けたが、その肩が少し揺れていた。

 その言葉に否定することもなく、ロプたちは城門に向かって歩いて行く。


「主、これからリトゥアはどうなるんでしょう」


 ジュスティがそう問うてきた。ロプはすぐに答えようとしたが、少し考えてから口を開く。


「興味が無いわ」


 それだけ言って、ロプもジュスティも黙って歩を進めた。

 興味など無い。分かりきった今後なんて。



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