第5話-4 書人は純粋なのか

 ロプが1人で昨夜夕食をご馳走になった部屋に向かうと、1023と廊下で出会った。


「あ、ロプさんおはようございます。今お呼びに向かおうとしていました」

「おはよう。もしかして、朝食も用意してくださったのかしら?」

「勿論です! ……そういえば、ジュスティさんはまだお部屋ですか?」


 1023の視線がロプの背後を見る。ロプは肩をすくめて見せた。


「ジュスティは日課であるジョギングに向かったわ。町の方まで行ったでしょうから、彼の朝食は後でいいわ。なんだったら、町で食べてくるかもしれないわ」


 1023はなるほど、と頷いてから、ロプを案内する。昨夜夕食をご馳走になった部屋に入ると、リアトリスはもう食卓についていた。


「おはようございます、ロプさん。よく眠れましたかしら?」

「おはようございます。お陰様で旅の疲れが抜けましたわ。久しぶりのベッドでしたし、本当にありがとうございます」

「主、ジュスティさんは日課であるジョギングに行かれたそうです。ジュスティさんの分は後程ご用意してもいいでしょうか?」

「そうなの。それなら頼むわ。ジュスティさんはやはり身体を鍛えていらっしゃるのね」


 椅子に座ったロプはリアトリスの言葉に頷いた。


「ええ、趣味のようです。筋トレとかしないと落ち着かないと言っていましたわ」

「ふふ、でもあれだけ力がありそうなら、旅をしているととても頼りがいがありそうね」


 朝食を頂きながら、リアトリスとロプの会話は弾んだ。朝食を食べ終わってから、リアトリスは1023に声を掛ける。


「1023、ちょっといいかしら」

「はい」


 1023がリアトリスに近づく。リアトリスは立ち上がり、ロプに顔を向けた。


「ではロプさん、私は用があるのでこれで。ごゆっくりお過ごしください」

「ありがとうございます」


 ロプが頭を下げたのを見て、リアトリスは1023を引き連れて部屋を出ていった。ロプは紅茶を飲み干し、近くにいた書人に礼を言ってから立ち上がった。



 リアトリスに連れられた1023が辿り着いたのは入るなと言われている書庫だった。


「主、ここで何を?」

「ちょっとお話があるの。他の子に聞かれたくないから、ここでお話をしましょう」


 そう言ってリアトリスは書庫の扉を開け、1023に中に入るように促す。1023は唾を飲み込み、暗い部屋の中に入った。

 リアトリスがいつの間にか持ってきていたロウソクに火をつけると、部屋の中の様子がよく見えた。空の本棚が並んでいるのは変わらないが、一つ違うところを見つけて1023がそちらに目線を向ける。しかし、それに手を伸ばそうとするが、その身体を背後からリアトリスにより抱きしめられた。


「あ、主?」

「明日は誕生日ね。おめでとう1023」


 その言葉に1023は俯いた。


「ありがとうございます、主」

「ふふっ。でもね、あなたは誕生日を迎えたらその美しい髪は色に染まり、そして大人に近づいてしまうわ。純粋無垢なその姿をなくしてしまうのよ。……そんなの、耐えられないわよね」


 そう言ってリアトリスは1023を抱き締める腕を緩め、1023の身体を自分の方に向ける。その頬を両手で包み視線を合わせるように屈んだ。


「大丈夫、安心して。私に身を委ねて、その姿を一度書の姿にしなさい。あなたが純粋さをなくさないように私がなんとかしてあげるわ。さあ、1023」


 リアトリスの言葉に、1023は俯いたままであった。少し黙ってから、1023は口を開く。


「前に、主は私にここの掃除を頼みましたよね」

「ん? ……ええ、確かそうだったわね」

「私が、ここに来て初めての仕事でした。だから、よく覚えています」


 そう言ってから、1023はポケットから小さな紙切れを取り出した。恐らく紙の隅が千切られたものだろうか。そこには何かが書かれている。


「その時に、これを拾いました。リアトリス様、これはどういうことですか?」

「え? ……何かしら?」

「しらばっくれないでください。この紙は、そしてここに書かれてる落書きは、セン姉ちゃんに乞われてギニーさんが書いたサインです。昔、私がまだギニーさんのところにいた時に見せてもらったのでよく覚えています!」


 1023が眠れないとギニーに訴えた時、内緒の話として教えてもらったのだ。センがギニーとの繋がりを残したいからと最初のページに書いたギニーのサイン。1023がこの部屋で見つけたその紙切れはそのサインそのものだった。

 リアトリスは驚いたように目を見開く。1023は顔を上げ、リアトリスを睨みつけた。


「こうやって、私たちのページを破いて、皆を、セン姉ちゃんも殺したんだな!!」


 そう言って1023はリアトリスを突き飛ばす。突然のことに対応しきれず、リアトリスは尻餅をついた。リアトリスが何か言おうと1023を見上げるが、そこに見えたのは、隠していたらしいナイフを振り上げている1023の姿だった。


「駄目です!」


 ナイフを振り下ろそうとした1023の腕を背後からジュスティが掴んで抑えた。先ほどまでいなかったジュスティの登場に、1023もリアトリスも驚いて声を失っていた。

 ジュスティの声が合図だったかのように、リアトリスの背後の扉が開き、廊下に潜んでいたロプが中に入ってきた。


「無事に抑え込めたようね」


 ロプの言葉に我を取り戻したらしいリアトリスは、へたり込んだままロプの身体に縋りつく。


「た、助けて下さいまし、ロプさん! 1023が突然、私に危害を与えようと……!」


 そんなリアトリスにロプは冷めた視線を向けた。


「申し訳ありませんが、全て聞かせて頂いてます。貴女は、人を殺したのと同じことをしているのですよ。そんな人を僕が助けるとお思いなのでしょうか?」


 その言葉はリアトリスを味方しないとはっきりと伝えていた。リアトリスは黙ってロプから手を離した。

 ロプはジュスティに抑えられている1023に近づき、その手からナイフを奪った。

 リアトリスが何かするのならば、ジュスティの夢で見た部屋だろう。そう考えてロプはジュスティに本の姿になって書庫にいろと指示していた。万が一リアトリスに見つかってページを破られたら困るので、リアトリスの視線からは見つからないような位置にロプが置いておいた。ただ、本の姿である時は眠っているような状態なので、ジュスティが2人の会話を聞けるか、いざという時は人の姿に戻れるか心配はあったが、こうして上手くいったことにロプはこっそり安堵の息を吐き出した。


「とりあえず、ここでは狭いですし、ゆっくり話しましょう。ジュスティ、一応1023を抑えたままついて来なさい」

「わかりました。1023さん、すみません」


 ロプが扉を開け、ジュスティが1023を後ろ手で抑えたまま部屋を出ようとした。だがリアトリスが扉の前に立ち上がり、出るのを拒むように両手を広げた。


「何よ! この屋敷の書人は私が買ったものよ! それを私がどうしようが、あなたには関係ないわ! 自分のものを自分の好きに使うことの何が悪いと言うの!」


 その言葉にジュスティは眉間の皺を増やす。確かに、リアトリスが書人を買い集めた。それをどうしようが、持ち主の勝手である事に変わりはない。そしてそれは、アンドレアスに対してマリーがやったことも許される理屈となってしまう。マリーとは違い、人ではなく本に対してやったことだ。書人を知らない人であれば勿体ないことではあるが何が悪いと首を傾げるのだろう。だが、書人自身であるジュスティには許せない行為であるのに変わりはない。例え誰になんと言われようとも。

 ロプはため息をつき、そして次に紡ぐ声には怒りが消えていた。


「それもそうですわね。貴女が買った子たちですもの。僕が手を出すのはお門違いですわ。泊まらせてくださってありがとうございました。そしてお邪魔して申し訳ありませんでした」


 そう言って、ロプは肩越しにジュスティを振り返る。


「1023も、ごめんなさい。ジュスティ、離してあげなさい」

「で、ですが主!」

「いいから」


 ロプに睨まれるような視線を向けられ、ジュスティは渋々1023を捕らえていた手を離す。離された1023にロプは奪ったナイフを握らせた。驚いた表情を見せる1023には何も言わず、ロプはジュスティの腕を掴み、リアトリスの方を見る。


「それでは、もう貴女の邪魔も、貴女の買った子の邪魔もいたしません。どうぞ、ご勝手に」


 そう言って、ロプは唖然としているリアトリスの横を通り、ジュスティと共に部屋を出た。何が起きたのか気づいたのか、リアトリスが慌ててジュスティに手を伸ばす。


「ま、待ちなさいっ!」


 しかしその手は届かず、部屋の扉はロプの手で閉められた。

 部屋から何か聞こえた気がしたが、ロプは聞こえないフリをして、立ち止まろうとするジュスティの腕を引っ張り歩く。

 何が起きているのかと不安そうにしている書人たちも無視をして、ロプは自分たちの荷物を持ってその屋敷から出ていった。




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