第5話-1 書人は純粋なのか

 その日、ジュスティは全力で走っていた。

 街道から離れて木々の中へ。木を躱しながらジグザグに線を引くように走っていく。

 そんなジュスティを背後から追いかける物がいた。

 緑色をしたドロドロの粘液がいくつもの塊となり、ジュスティに向けて触手を伸ばしてくる。しかしそのほとんどは木に邪魔されてジュスティに辿り着かなかった。

 不思議なことに、ジュスティを追いかけているそれは少しずつ数を減らしていた。しかしそれを確認する余裕はジュスティにはなかった。

 走っていたジュスティだが、木の根に足を取られ地面に転がる。その隙を待っていたかのように追いかけていた粘液がジュスティに向かって飛びかかってきた。それを目にしたジュスティが口を開く。


「主ぃーーっ!!」


 その声に呼応されたのか、偶然タイミングが合ったのか、一瞬でジュスティと粘液の間に入ったロプが持っていた剣で粘液を斬った。斬られた粘液は塊を保持できなくなったのか、その粘液を周辺に散らした。

 肩で息をしながらそれを見ているジュスティに、剣についた粘液を払ったロプが声を掛ける。


「大丈夫だったかしら?」

「大丈夫……じゃないですよ! 酷いですよ主!」


 涙目になっているジュスティに、ロプは呆れたように肩をすくめる。


「仕方ないですわよ。僕だけであの数のスライムを捌くのは時間がかかりますし、貴方たちを守りながらの戦闘は怪我をさせる可能性が高くなりますもの。貴方が囮となって走ってもらって、その間に僕が後ろからスライムを倒していくのが一番効率が良くて安全ですわ」


 ロプはそう言ってから、ジュスティの右手を指す。


「手にかけた匂いは浄化魔法で消しなさい。あれは魔物が好む匂いなの」

「……わかりました」


 ジュスティに魔物が好む匂いがついた液体をかけたのはロプだが、ジュスティは抗議せず、浄化魔法を使い、手についた汚れを消した。


「それにしても、主。さっきの……魔物でしたっけ? あれは一体なんなんですか?」

「ああ。ビップル村周辺では魔物はほとんどいないから見たことがなかったのね。あの魔物は人を襲う存在。魔王が作り出した生物だと言われているわ」


 この世界には魔王という、人間とは違う強い存在がいる。

 魔王に関しては詳しくは知られていないが、魔王は魔族と呼ばれる人間と似た姿の種族たちの中でも強い存在だと言われている。

 そして魔王は魔物を生み出し、魔物を使って人間に攻撃しているとも言われていた。

 故に人間の中で勇者と呼ばれる存在が現れ、彼らは魔王と倒しに旅に出る。ただ、その実績がどうなのかは誰も知らない。魔物がこうして存在していることから、魔王と倒すには至っていないのだろう。


「この先は魔物と出会うことが増えていくわ。貴方に武器を持てとは言わないけれど、貴方の魔法で近づけさせないくらいはできるようになさい」

「わ、わかりました」


 ジュスティが頷いたのを見て、ロプは持っていた剣をジュスティの腰に下がっていた鞘にしまった。その様子を見て、ジュスティは眉を寄せる。


「あの、主。何故小生に主が使う剣を持たせたんですか? 主が持っていた方がすぐに動けて便利なのでは」

「僕がもう少し成長できればそれでいいのですけど、まだ小さな身体では邪魔になるだけなの。貴方と離れるつもりはないですし、代わりに持ってなさい」


 ロプは周囲にスライムが残っていないのを確認してから、ジュスティが走ってきた方向を指さした。


「さ、早く戻りましょう。一応心配してくれているでしょうし」




 ロプとジュスティが街道に戻ると、そこにある荷馬車の傍にいた男性が駆け寄ってきた。


「旅人さんたち、大丈夫か? スライムは全部あんたらについていってしまったが」

「ご安心ください。スライムは全て倒しましたわ」


 ロプの言葉に男性はほっと息をついた。

 ロプとジュスティが街道を歩いていたところ、この男性がスライムに襲われていたのだ。彼の荷馬車に乗っている物を見たロプはジュスティがさしていた剣を抜き、ジュスティの手に魔物の好む匂いのついた液体をかけ、スライムの元に走らせて囮にしたのだ。


「まさか丸腰のそっちの人がスライムに突っ込んでくるとは思わなくて心配だったよ。怪我はないのか?」

「ええ。怪我は全くないです。少し疲れただけで」


 ぐったりした様子で顔を曇らせているジュスティを見て、男性は申し訳なさそうに目を伏せる。それを気にせず、ロプは男性に声を掛ける。


「見るからに、貴方は商人の方だとお見受けいたしますが」

「え、あ、ああ。自分はギニー・ヘンドラー。旅の商人をしているんだ。食料なども取り扱っているが、主な商品は書人という珍しい魔導書なんだ」

「やはりそうでしたか」


 ロプは目を光らせ、ギニーに笑顔を向ける。


「僕はロプと申します。こちらはジュスティ。僕は書人を探して旅をしておりますの。もしよろしければ、商品の書人を見せてもらってもいいでしょうか?」

「それは構わないよ。命の恩人さんの頼みだし、むしろそれでいいのかい?」

「僕が探してる書人がいたら少し割引してくださるならそれだけでいいですわ。では、早速確認させて頂きます」


 ロプはいそいそと荷馬車に向かい、積まれている本に手を伸ばし、ページをめくっていく。その様子を見ているギニーにジュスティは首を傾げた。


「書人を売るんですか?」

「ああ。自分の家系が商人を代々やっているんだが、昔から書人を商品にしているよ。成長した書人には商売を手伝ってもらっているし、なかなかいい商品であり商売の仲間だ」

「へぇ……書人も売れるものなのですか」

「実際、ああして欲しがっている人はいるからね」


 そう言ってギニーは次々に魔導書をめくっては積み直しているロプを指した。

 少しして、全ての魔導書を確認し終えたロプがギニーとジュスティに近づいた。


「残念ですが、僕が探している書人はおりませんでした。見させていただきありがとうございました」

「そうでしたか。……あ、じゃあ」


 ギニーはポケットから一枚の紙を取り出した。


「自分の兄弟も同じ様に書人を売って旅をしているんだ。これを見せれば、兄弟も協力してくれるだろう。よければ使ってくれ」


 そう言って差し出された紙をロプは受け取った。


「ありがとうございます。会う機会があれば使わせていただきますわ」

「いやいや。こんなお礼しかできなくてすまないね。なんなら、行き先が一緒なら荷馬車に乗っていくかい?」


 ギニーの言葉にロプは首を振った。


「僕たちはレゲ・フラーテウス王国を目指しておりますの。荷馬車の向きからして、ギニーさんはあちらから来たのでしょう?」

「ああ、それなら厳しいか。自分はこれからラモレー町に客がいるから向かうんだ」

「ラモレー町では、小生たちがちょうど昨日出たばかりですね」

「そうね。流石にまた戻るのは避けたいわ」


 その言葉を聞いたギニーは少し考えてから別の提案をした。


「じゃあ、ロプさんとジュスティさんはトオシンに行く予定はあるかい?」

「トオシンですか? 行き先にあるから、一泊はすると思いますわ」

「なら、もしよければ明後日までトオシンの近くにいてくれないか? ラモレーでの商売はすぐに終わる予定だし、その後でレゲ・フラーテウス王国まで荷馬車に乗せますよ。明後日には自分もトオシンで用事がありますし、急ぎでなければお礼をさせてください」


 ギニーの提案にジュスティはロプを見る。ロプは思案するように目を閉じていたが、すぐに開いて頷いた。


「では折角ですし、お願いしますわ。とても急がなければいけないわけではないですし。でも、お礼としては貰いすぎているようで申し訳ありませんわ」

「それに関してですが、トオシンに行くのならお願いがありまして」


 ギニーは少し恥ずかしそうに、それでも懐かしさに嬉しそうに話す。


「商売を手伝ってもらったりもしていますが、商品でもありますのでできるだけ情を持たないようにしているんですが、一人だけ、特別に思っていた書人がいたんです。自分が取り扱った書人は数字で呼んでいるんですが、めでたく千人目となった書人がいたんです。臆病で寂しがりな子だったので、目をかけてしまっていまして……。ですが、数年前にその書人はトオシンにいるお得意様が希望したので売りました。彼女が今元気にやっているのか気になっているんです」


 ギニーの言葉にロプはふむと頷く。


「つまり、僕たちが先にトオシンに向かい、その書人がどうしているかを見て来ればいいんですね」

「はい。元気にやっているならば自分が会う必要はないでしょう。もし何か問題があるならば、お得意様から買い戻すつもりもあります」

「それだけ、特別な子なんですね」

「そうですね。他の書人たちに怒られることもあるぐらいです」


 そう言うギニーだが、その表情は嬉しそうなものだった。


「わかりました。それぐらいなら頼まれましょう」

「ありがとうございます。お得意様はリアトリス・ベイリー様という、トオシンの町でも大きな屋敷に住んでいる貴族様です。書人の子は自分はよくセンちゃんと呼んでいました」

「リアトリス・ベイリー様ですね。屋敷に寄ってみます」


 ロプの承諾にギニーは喜び、荷馬車に乗ってラモレー町に向かっていった。

 それを見送ったジュスティはロプを見る。


「こういう人助けはするんですね」

「今回はついでですわ。徒歩での旅は大変ですから、荷馬車に乗せてもらえるのなら利用しない手はありませんし。……それに」


 ロプはギニーの笑顔を思い出し、笑みを漏らした。


「あんなに書人を大事にしている人の頼みなら、叶えたいと思ってしまったんですもの」



 

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