第2話-2 予言書

「ロプちゃんがつぎにくるのいつかなー」


 就寝の準備をしている中、幼い書人がジュスティに話しかけてくる。


「旅が終わったらまた来てくれるよ」

「いつかな? あした?」

「明日は早すぎるかな。小生たちが知らないだけで、世界は広いらしいから、どれくらいかかるか……」


 ジュスティがやってきたのは寝室と呼ばれる部屋だ。その部屋にはふかふかのカーペットが敷かれ、その上に何冊もの本が並んでいた。

 書人は寝る時は本の姿になる。なのでここに置かれているのは人の姿になれる魔導書だ。

 ジュスティは眠っている魔導書の位置を整えてから、一緒に来た書人の身体を持ち上げた。


「さ、お休みの時間だから寝ようね。遅くまで起きてたら立派な書人になれないよ」

「はやくねたら、ジュスティみたいにおおきくなれるかな?」

「なれるかもね。おやすみ」


 ジュスティの言葉に挨拶を返し、書人は目を閉じる。すると瞬き一つでその姿は本に変わった。

 本を綺麗に並べたジュスティが自分も寝ようとすると、寝室にウナが入ってきた。


「ジュスティ、すまないが今日のうちにメンテナンスさせてくれないかな?」

「司書様。他の仕事は終わったんですか?」

「ああ、思ったより早く終わったよ。だから今夜のうちにやってしまうね」

「小生は構いませんが、司書様ちゃんと寝てます? 大丈夫ですか?」


 ジュスティは半目でウナを見つめる。ウナの目の下にはクマがくっきりと主張していた。


「はは……、大丈夫だよ。ジュスティのメンテナンスは時間がかからないし、修繕が必要な箇所のチェックだけに留めるから」

「……わかりました。じゃあ、お任せしますね司書様」

「うん。任せてくれ。それじゃあお休み、ジュスティ」


 ウナが差し出した手を握り、ジュスティは目を閉じる。その姿は一瞬で稲穂色の表紙を持つ本の姿に変わった。

 ウナは本を手に司書室に向かった。部屋の中の机に本を置き、息を吐き出す。

 ジュスティにはああ言ったが、恐らく修繕が楽しくなって朝までやってしまいそうだ。そうして明日ジュスティに怒られるだろう。

 そう考えて思わず笑みを零したウナだが、背後の扉が開く音がしてその笑みを消した。


「こら、まだ起きてたのかい?」


 たまに目を覚ました書人がこの部屋にやってくることがある。今日もそれだと思ったが、振り返ったウナが見たのは暗い髪色を持つ子供だった。


「あなたは……、こんな夜に一体どうされましたか?」

「その書人、譲ってくれない? つか渡してくれないと困るんだ」

「……昼間にこの子とも話して諦めたのでは?」

「ん? ああ、そうか。……ウナ。この地の図書館を任された者よ。その勤めを忘れたとでもいうのか?」


 子供らしい声音が低いものに変わる。

 その言葉にウナは息を呑み、その場に跪いた。


「申し訳ありません。貴方様とはつゆ知らず……」

「この姿だから仕方がないだろう、許す。とはいえ、貴様の最近の報告が正しく入っていないこと、それに関しては説明を欲するが?」

「……私は、正しく伝えているはずですが」

「嘘を吐くというのか? その予言書、既にただの魔導書となったと報告があったが、実際はまだ人の姿をとっているではないか。それが正しい情報か?」

「……」


 彼の正体をウナは知っていた。知っているが、何故こんなにもジュスティを求めているのかはわからない。ジュスティの能力を求めている、と考えるのが普通だろう。彼に抗うのは下手をすれば命がないだろう。だが、ウナはジュスティを簡単に渡すつもりはなかった。


「口を閉ざすつもりか? 話せ」

「申し訳ありません」


 そう言ってウナは隠し持っていた短剣を取り出し、子供に向かって突き出す。しかしそれを子供の背後から伸びた手がその刃を掴んだ。


「キサラギ」

「遅れました。……もう、貴方様への攻撃を防げなかったなどという失態は犯したくありません」


 キサラギと呼ばれた女性は刃を掴んだまま、ウナを睨みつける。


「剣を捨てなさい。誰に刃を向けているのかわかっているのですか」


 その言葉にウナは顔を青ざめながら短剣を手放す。キサラギは短剣を遠くに放とうとするが、子供が手を差し出したのでその手に乗せた。

 一度刃を向けたのだ。簡単にはここから逃げられないだろう。せめて、とウナは口を開いた。


「……私は、この子を渡すつもりはありません。私はこの子の思うように進んでほしい。たとえこの子が司書になるという無謀な夢を見ようと、私は応援したいんです。だから、どうか、お引き取りください」


 司書になれる人間というのは限られている。その情報は内密であるが故に口にはできない。ウナはジュスティが司書になれる資格がないのを知っていて、その夢を見るジュスティを止めずにいた。それが無謀でも、叶わないと知っていても、いつただの魔導書になるかわからないジュスティを見守っていたかったのだ。

 ウナの言葉に子供はため息を吐く。


「そう言われて簡単に引き下がるわけにはいかない。だが、まあそうだな。チャンスでも与えよう」


 そして子供は一つ賭け事を提案した。ウナはそれを拒否する様子はなく、差し出された短剣を受け取る。そして──




 司書室には机に置かれた1冊の本と、床に倒れたウナがいた。ウナを見下ろしていた子供だが、机に置かれた魔導書を手に取り、背後にいたキサラギに差し出す。


「これを宿に運んでおけ」

「かしこまりました。……如何されるのですか?」

「俺はまだやることがある。終わったら戻るさ。キサラギはその予言書を置いたら城に戻ってくれ」

「かしこまりました」


 魔導書を手に部屋を出ようとしたキサラギだが、その足を止めて振り返る。


「聞いてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「もしその司書が賭けに勝っていたら、この予言書を諦めていたのですか?」


 子供は少し考えるように首を傾げてから笑みを見せる。


「俺が勝つだろうとしか考えていなかったから、負けた時のことは考えていなかったな。まあ、諦めることはなかっただろう」

「……そうですか」


 キサラギは一礼し、部屋を出て行った。

 残された子供は部屋にある本棚に並べられている魔導書を手に取り中身を見る。そして目的の魔導書が見つかったのか、それを掲げた。


「邪魔をする司書がいなくなったところで、帰る場所が残っていてしまえば、旅立つ決意は揺らいでしまうだろう」


 子供が魔導書に書かれている呪文を呟く。すると子供の周囲に炎が広がり、部屋の中を燃やしていく。その炎は弱まる様子はなく、部屋の外にも何かを探し求めるように広がっていく。

 子供は部屋を出て歩く。炎は不思議なことに、子供を避けて動いていた。

 寝室に向かうと、ここまではまだ炎は届いていなかった。異変に気づかず、何冊もの魔導書がただカーペットの上に転がっていた。それを眺めて


「ジュスティは旅に出てもらわないと困るんだ。他に将来有望な書人がいたとしたら勿体ないが、致し方ない」


 子供は再び呪文を唱えると、カーペットの周りに火が付き、カーペットに乗っていた魔導書たちが炎に飲まれる。子供は持っていた魔導書も炎の中に捨てる。

 人の悲鳴は聞こえてこない。ただただ炎は無機物を燃やしていく。

 子供はそれを確認し、図書院からその姿を消した。






 ロプとの旅を断った。だというのに、ジュスティがその日に見た夢はいつもの悪夢と何ひとつ変わっていなかった。


 本の姿から人の姿になったジュスティが目を開くと、そこは見知らぬ場所だった。

 ウナが夜通し修繕して司書室で目を覚ますことはあるが、その部屋は見慣れた司書室でもない。ベッドと机と椅子が置かれた狭い部屋だ。どこだろうかと座っていた机から腰をおろすと、目の前にあった扉が開かれ、ロプが現れた。ロプはジュスティの姿に驚いたように身体を震わせた。


「え、えっと、おはようございます?」

「お、おはようございますわ。……ジュスティ、貴方は身体に異変とかはないかしら?」

「ないです。いつも通りですが……、何故小生はここに? 図書院ではないですよね?」


 ジュスティの言葉にロプは一つ頷き、ベッドに腰を下ろした。


「僕が目を覚ますと、何故か貴方がその机の上に置かれていたのですわ。それで、貴方を起こそうにも起きない様子でしたし、先程図書院に行って来たのですけど……。ジュスティ、何か覚えていることはありますか?」

「覚えている事といっても、小生は昨夜は司書様にメンテナンスを……」


 ロプの表情はどこか暗い。そして詳しく話そうとしないロプに、ジュスティは嫌な予感を感じていた。

 聞いてはいけないのだろうか。知ってはいけないのだろうか。不安はただ膨らむばかりで、ジュスティはロプを置いて部屋から飛び出した。

 ジュスティが目覚めた場所は村にある宿だ。ウナと一緒に買い物に出た時によく通る道にある宿なので、ジュスティが道に迷う事はなかった。

 図書院に近づくと焦げた臭いが強くなっていく。そしてジュスティの目の前に現れたのは、焼け跡だった。

 確かにここに図書院が建っていたはずだった。弟妹たちと遊んでいた芝生が広がる芝も黒く焼け、シーツを広げていた物干し場もどこにあったかもわからなくなっている。建物は太い柱だけがなんとか立っているだけで、ここにどんな建物が建っていたかなんて知らない人には想像もできないだろう。

 燃え残っている本もどこにもない。全てが燃えてしまったようだった。

 焼け跡で作業していた村人の1人がジュスティに気がついて近づいてきた。


「ここに住んでいた人だよな? お前は無事だったのか」

「あ、あの……本は、司書様は……?」

「俺らが気づいた時にはもう建物が炎に包まれていて手が出せなくてな。……これをかけた遺体は見つかったよ」


 そう言って村人はある物をジュスティに差し出した。それは、レンズは割れて本体は曲がってしまっているが、ウナがかけていた眼鏡であることがジュスティにはわかってしまった。

 眼鏡を受け取り、ジュスティはその場に跪いた。その瞳からこぼれた涙が眼鏡を濡らしていく。それを見て言いづらそうにしながらも、村人は口を開いた。


「なあ、お前は図書院にいなかったのか? なんでお前だけが無事だったんだ。まさかとは思うがお前」


 村人の次の言葉を別の声が塞いだ。


「彼は僕と夜を共にしていたので、火事に関しては関係ないですわ。それに、彼が図書院に火を放つなんて、そんな理由はありませんもの」


 帽子を被ったロプはジュスティの傍まで歩き、その肩を叩く。


「ほら、立ちなさいな。ここにいては邪魔になってしまうわ。あとのことはお任せしてよろしいでしょうか?」

「あ、ああ」


 村人が頷くと、ロプは立ち上がったジュスティの腕を引き、その場から去って行く。

 図書院の焼け跡から離れながら、ロプはジュスティの様子を窺う。

 ジュスティは眼鏡を手にしたまま、涙を流して沈黙している。慕っていた司書が亡くなったのだから仕方がない反応だろう。むしろ泣き叫ぶだろうと想像していたのであまりの静かさに違和感を覚えてしまう。

 ジュスティが目覚める前に図書院の現状を知ったロプはウナの遺体も確認した。村の人はかけていない眼鏡をかけていたからという理由で司書だと思われた遺体だが、何故かその片目に短剣が刺さっていた。恐らく炎に包まれる前に何者かに殺されたのだろうとロプは考えたが、この村では事件を調べる警察なんて者はおらず、今後は遺体の埋葬と焼け跡の片付けをすると村人は言っていた。

 ジュスティが犯人と疑われて拘束されることがないのは有り難いので、ロプもそれ以上は何も言わなかった。


「……ジュスティ。昨日お別れの言葉を告げましたが、こんなことになってしまったからもう一度言わせてもらえるかしら」


 ジュスティから言葉はない。しかしそれを気にせずにロプは続ける。


「僕と一緒に旅に行きませんこと? ……貴方がまだ夢を諦めたくないなら、ここで1からまた図書院を作るのも手ではありますが、その道は険しいものですわ。僕としても、ここに残される貴方が心配ですし」


 ロプの問いにジュスティは口を開いた。しかし、その口から漏れたのは、笑い声だった。


「は、ははっ、ははははは!」


 その目からは涙はとめどなく流れている。だがジュスティのその表情は笑っていて、どこか悲しげでもあった。

 ジュスティはわかってしまったのだ。自分はあの未来から逃げられないのだと。自分がどれだけ避けようにも、どんな道を選ぼうとも、あの未来に繋がってしまうのだと。

 だとしても、それを素直に進むつもりはない。抗って抗ってロプが自死する未来を変える。自分が後悔しない道を、探す。

 笑い声を止め、ジュスティは涙を乱暴に拭う。そして心配そうに自分を見上げるロプに手を差し出した。


「これからよろしくお願いします。あるじ


 この日から、ジュスティとロプの2人旅が始まったのだ。





人物紹介

 ウナ

  58歳 男 身長168cm

  誕生日 3月26日 血液型 A型

  好物 ニョッキ   趣味 家庭菜園

  髪色 エバーグリーン

  瞳色 錆浅葱色


 優しすぎるのが長所であり短所。

 家事や本の修繕は得意だが、体力が無い。

 常に眼鏡をしていて、外そうとすると怒られる。寝る時は鍵をかけられる部屋に1人で寝ているので誰も眼鏡を外した姿を見ていない。

 司書に関すること、ウナの正体、ウナが対峙した子供の正体、等々、まだ秘密のことが多すぎて詳細は語れない。

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