3 解き放たれし本音と力
「く、蜘蛛……?!」
「あれが悪霊化した『結』の言霊です。筆の気配を察して、先手を打ちに来たか……!」
あの巨大な蜘蛛が、悪霊?!
現実離れした光景に後退りをすると、カラスのシロが「おっと」と羽を広げる。
「逃げようったって無駄だぜ。ここはアイツが張った結界の中。現実とは似て非なる場所だ。逃げ場なんてない」
「じゃあどうするっていうの!? あんな化物と……!」
「戦います!」
私のセリフを継ぐように、空哉くんが言う。
「筆が元に戻った今なら、アイツを封じることができる。シロ!」
「おうよ!」
空哉くんの掛け声に、シロがバサッと飛び立つ。
そして――
「――顕現せよ、『
これより封印の儀を始める!」
叫んだ。
すると、シロの翼から長い巻き物のようなものが現れ、空哉くんの身体にぐるりと巻き付く。
直後、彼の全身がパァッと光ったかと思うと、巻き物がシュルシュルと巻き取られ……
光の中から、袴のような装束に変わった空哉くんが現れた。
袴と言っても、普通のものより露出度が高い。肩の部分はざっくり開いているし、裾もハーフパンツくらいの長さだ。
首や手足には数珠のような宝飾が施され、よく見ると髪も少し伸びている。
文字通り、"変身"である。
その変わり様に、私は幼い頃にアニメで見た魔法少女を思い出す。彼の場合は少年……いや、青年なのだけれど。
そんな感想を抱きながら唖然としていると、空哉くんが筆を構え、
「ここで、ケリをつける!」
と、やはり魔法少女さながらの使命感に満ちた表情で、巨大蜘蛛目がけ駆け出した。
空哉くんが筆を振るう。と、その先端から墨色のビームが刃状を成して放たれた。
ビームが蜘蛛の脚に当たると、綱がブツッと切れたような痕が付く。蜘蛛の身体は、無数の糸が絡み合って出来ているようだ。
その不気味さに息を飲んでいると、蜘蛛が反撃と言わんばかりに腹部から糸を吐いた。
突き刺すような勢いで放たれるその糸の束を、空哉くんはひらりと跳躍し、躱す。
空哉くんが筆で攻撃し、蜘蛛が糸で反撃する――
そんな激しい攻防を、私は見ていることしかできない。
決定打になる攻撃がなかなか当たらず、空哉くんの顔に疲労が滲み始める。
(どうしよう……何か私にできることは……)
拳を握り、彼の力になりたいと願った、その時。
――ぱぁあ……っ!
私の身体から、淡い光が放たれた。
何が起きているのかわからず、鍋つかみと軍手を脱ぎ、手のひらを見つめる。
と……
――シャッ!
巨大蜘蛛が、私に向けて鋭利な糸を吐き出した!
眼前に迫る、針金のような糸の束。
避けなきゃ。そう思うのに、身体が動かない。
「……っ」
痛みを覚悟し、反射的に瞼を瞑った……直後。
「くっ……」
苦しげな声が上がる。
が、それは私のものではない。
恐る恐る瞼を開けると、目の前には……
私を庇うように手を広げ、脇腹から血を流す空哉くんがいた。
「……空哉くん!!」
目を見開き、叫ぶ。
顔を歪ませる彼に駆け寄ろうとするが、私の手が届く前に、蜘蛛の糸が彼の身体を絡め取った。
ぐるぐる巻きにされた空哉くんは、そのまま糸に引き寄せられると……
鋭い牙が向く蜘蛛の口元へと、運ばれていく。
「まさか……食べるつもり?!」
先ほどの負傷が響いているのか、空哉くんは苦悶の表情を浮かべたまま動かない。
どうしよう……このままじゃ彼が……!
「おい、女!」
そこで、シロがこちらに飛んで来る。
「早く『解』の力を解放しろ! 空哉を縛る糸を解くんだ!」
「でも、そんなのどうやって……」
「心を解き放て! 心の底にある感情を解放するんだ!!」
感情を、解き放つ……
そう言われても、どうすれば良いのかわからない。
そうこうしている間にも、空哉くんはジリジリと蜘蛛の口に近付いてゆく。
「何やってんだ、早くしろ!」
響き渡るシロの怒号。
嗚呼、どうしてこんなことになった?
今日は散々だ。付き合って半年の記念日だったのに。
楽しみにしていた有休は、彼の私物の片付けに消え。
思い出の傘を、自らの手で解体することになって。
そしたら、それがいきなり筆になって。
しかもあの傘は、彼が盗んだもので。
あれよあれよという間に、こんなことに巻き込まれた。
「……なんなのよ、もう」
悲しみが、虚しさが、胸の奥でぐらぐらと湧き上がる。
「私はただ真面目に生きているだけなのに……どうして上手くいかないの?」
そして……
ずっと秘めていた元カレへの想いが、言葉になって溢れ出す。
「ドキドキしないって何よ……
オカンみたいって何?
全部私のせいみたいな言い方して……
あんただってねぇ、いい歳して自分の服も洗濯できないし、ご飯粒は残すし、『急な飲み会が入った』とか言って連絡つかないことが何度もあったし!」
まるで、水風船を割ったかのように噴き出す感情。
目の前では、シロがあんぐりと嘴を開けている。
「絶対浮気してたでしょ!?
どうせ私の時みたいにコンパで女の子に声かけてたんだ!
ていうか、傘盗むとか本当に最低!
せっかく思い出の傘だったのに……っ」
ぽろっ……と。
溢れる感情が、涙へと変わる。
「でも……最低だけど、好きだった……楽しいことも、いっぱいあった……っ」
身体が、再び光を放ち始める。
私は流れる涙をそのままに、拳を握り……顔を上げる。
「――本当は、別れたくなかったっ……
まだ一緒にいたかったよぉっ……
うわぁああんっ……!」
……と、心のままに泣き叫んだ――刹那。
――カッ!!
私の全身が、強く発光した。
光は瞬く間に周囲を照らし――空哉くんを縛る糸を、はらりと
それどころか、蜘蛛までもが毛糸玉を
これが、『解』の言霊の力……?
涙を拭うのも忘れ、光る両手を見つめる。
と、拘束を解かれた空哉くんの元にシロが飛んで行く。
「空哉、今だ!」
空哉くんは痛みを堪えるように立ち上がると、筆を構える。そして、
「――我、
叫ぶ。
すると、変身した時に現れた巻き物が再び出現する。
浮遊するそれに、空哉くんが筆を振るい、『結』の字を記した。
筆により描かれた『結』の字は、白い光を放ち……
蜘蛛の巨体を、しゅるりと吸い込んだ。
――直後、周囲の景色に色が戻った。
ゴミ収集車が発進する、ブロロという音が響く。
私は、急に夢から覚めたように呆然とするが……
「おい、空哉! しっかりしろ!」
響き渡るシロの声に、ハッとなる。
そこには、元のパーカー姿に戻った空哉くんが、力なく倒れていた。
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