猫は液体明日に期待

露野茉乃

世界で2人しか弾けない曲を弾いた話

死ね。


.....いや、待って。生きて!違くて!

インパクトある文章の入りをやってみたかっただけだから。


しかし、その言葉がどんなシーンで発されたとしても「生命を終了しやがれ」って意味に変わりないし。


だからと言って死ぬほどナイーブになるのも、この世から歌で使える歌詞が減ってゆくような感じがする。融通が利かな過ぎるのも、なんだかあれだよね。とは思う。


そんな事を考えながら、日曜日。図書館の駐輪場で、その日勉強する訳でもない教科書まで詰め込んだ無駄に重いカバンを、後輪がパンク寸前の自転車に括り付けている。


.....少なくともここまで私の文を読んでくださっている方は、紆余曲折あれど、何とか生きている方か、死んでも尚未練のあるオバケかどちらかだと思う。


そして、私は文章の書き始めでインパクトを与える事に成功したらしい。


それにしても、2文字で人を消す言葉って嫌にコスパが良い。

無言で胸ポケットからチャカを取り出したら0文字で済むだろうけど。


とかそんな事をいつも考えているから一向に勉強ができるようにならない、ろくでもない人間は、錆びた自転車の鍵をカバンの奥底から見つけ出して、鍵穴に刺し、ガチャガチャと暴れさせて、乱暴なピッキングの末に解錠に成功した。


中学校時代の駐輪許可シールをそのままにしている自転車に乗ったその人間。


白いパーカーを茶色い汁跳ねで台無しにしている事から、今日の昼食が釜玉明太うどんであった事がわかる。その人間こそが私だ。


そんな私の思い出について話そうと思う。


.....その日私は意味もなく焦燥に駆られていた。今から図書館を後にする事に対して、最もらしい理由を探していて、残ろうとする忍耐も無い。


結果として、私は遠回りして帰った。

田舎でも比較的栄えている方の、周辺の道を立ち漕ぎで進んだ。


途中、小さな楽器屋の前で私の自転車は止まった。店の前には1台のアップライトピアノが置いてあって、


「どなたでもお弾き下さい。お子様もどうぞ」


と書かれた張り紙が店の窓に貼ってある。

流石ド田舎。ピアノがお外に野ざらしでドン!


裸一貫で待ち構えるピアノに圧倒された私は、全てどうでも良くなって、椅子に座って、緊張する心臓の音と友達になってピアノを演奏し始めた。


__私は少しピアノを練習していた。

高校に入ってから、好きな曲を演奏したくて独学で始めた。楽譜は読めないが、どうやら私は相対音感のような物を持っているらしく、意外とピアノが上達した。


私の家にあるのは10年くらい前の電子ピアノだ。幼稚園に入りたてのころ、「ピアノ」が弾きたいと親に頼みこんで、ピアノ教室に通っていたらしい。


しかし、2ヶ月と続かなかった。

私がピアノ教室を辞める時、「お風呂入るの嫌がらないからピアノ辞めたい」みたいな感じの事を言ったらしい。


ピアノ教室で習った事で覚えているのは、ト音記号を無限に書かされた記憶と、咳エチケットくらいだ。


__私は、自分が好きなサブカル寄りな曲と、頭に浮かんだ流行りの曲を片っ端から繋げて演奏した。


すると暫くして、楽器屋の店員さんが聴きに来た。優しそうなお母様だった。

どうやら夫婦でお店を営んでいるらしい。

ご主人も聴きに来てくれて、上手だと褒めて貰った。

私が落ち着いた雰囲気の曲を演奏し始めると、手拍子もしてくれた。


その手拍子の音で私は、今まで数十分の間、自分がこの通路のBGMを担当していた事に気づいた。


不思議と、緊張しなくなった。


それどころか、なんだか満たされないような気分になった。


野ざらしのピアノは意外にもしっかりと調律されていて、ちゃんとしたピアノを普段は弾くことが出来ない私にとっては最高の時間の筈だ。


しかし、ピアノを演奏する事を理由に図書館から逃げようとしている私、それまでは今日の空が曇っていて、真っ白な事を理由にして逃げようとしていた私がどうにも気に食わなかった。


そのまま、曲のネタが切れて、自転車の鍵をカバンから取り出そうとした時だった。


小さな女の子とその父親が、ピアノの前で立ち止まっていた。


女の子は私の腰の高さくらいの身長で、玩具みたいなピンク色の自転車に乗っていた。

どうやら私が演奏するピアノの音を聞いていたらしい。


女の子は可愛らしい小さな自転車を、私のボロボロの自転車の隣に泊めて、ピアノへと向かった。その間も、私の自転車には中学校時代のシールが張り付いていた。


女の子は、たぶん、童謡のロンドン橋を弾き始めた。ぎこちない、しかし、両手でなんとか。


小さな足では、ペダルを踏むのも大変だ。

小さな手では、鍵盤を押すのも、やっとの事だ。片手では、1オクターブ離れた鍵盤を、抑えられないかもしれない。それでも、止まりながらも、しっかりと、1音ずつ、和音を響かせている。


少し時間が経って、どうやら弾くのが終わったようで、女の子は手を止めると、私を見て、その後父親を見た。とっても楽しそうで、恥ずかしそうで、わくわくした。


私は拍手を送った。


1人のピアニストに敬意を表したかった。というよりも、もっと純粋な理由で。


学校の表彰式だとか、アーティストのライブだとか。そんな時に送る拍手なんかよりもっと噛み締めて、私1人で何百人分もの思いを込めて。


小さな拍手の中、女の子は椅子から立ち上がった。どうやら私の番が回ってきたらしい。

ネタが既に尽きた私は、自分の勘だけでロンドン橋を真似て演奏してみた。スケールもたぶん違うだろうし、かなりアレンジして誤魔化した。


女の子は、はにかみながら拍手してくれた。その後、代わり番こでピアノを演奏した。何回か繰り返した所で、女の子の父親は「もう持ち曲は全部弾いたはずですけど...」と、微笑みながら言った。


それでも女の子は拙い音色でピアノを弾こうとしている。その間も、ずっと目を輝かせて、必死に、制御出来ない88鍵を、なんとか手懐けようとしていた。


それを聴いて、何を考えたのだろうか、私は一緒になって、何とか音楽としての形を残しつつも、めちゃくちゃにピアノを弾いてやった。


ぐちゃぐちゃ鳴るピアノの音は、演奏者以外の誰からも曲と認識されなかった。代わりに、誰も邪魔出来なかった。


私は、小さい子供と何を話したら良いか分からないし、その女の子とも一切会話をしなかった。女の子の方も恥ずかしがっているのか、一言も喋らなかった。


ただ、互いの奏でる音を聴いて、互いに相手の音色を邪魔し合って、2人の曲は、調和する訳でもなく、ぶつかり合って、継ぎ接ぎで、それでも少し、仲良くなれた気がした。


私はやっと女の子と同じ景色を見ることが出来たように感じて、88鍵を一度に押しこんでしまいたい衝動に駆られた。楽しくて、恥ずかしくて、わくわくする。


やっと自分が「ピアノ」を弾いていることに気づいて、それと同時に、自分が子供の頃に諦めた夢が叶った事がわかって、飛んでってしまいそうな気持ちになった。


もし自分が、大きな駅に設置された、超高級クリスタル・ピアノで、大勢の聴衆に見守られながら、ラ・カンパネラを完璧に演奏して見せて、心臓の鼓動が変わっちゃいそうなほどの拍手を送られたとして、どんな気分になるか考えて欲しい。


めっちゃ気持ちいいと思う。


そんな妄想が霞んでしまう程に、今この瞬間を私は生きているぞ!と心臓が叫んでいるように、純粋にピアノの鍵盤を叩いた。

きっと私はこの出来事が無かったら「ピアノ」を一生弾けなかっただろう。


最悪な2文字で文章を描き始めた、どうしようもない人間が、虚栄心に塗れた人間が、何もかも忘れて、夢みたいな瞬間を過ごした。


一通り弾き終わった後で、無音の中に拍手の音圧を感じた。そんな不思議な達成感があった。


私は女の子の父親に、謎に感謝の旨を伝え、静かに小さく手を振る女の子に向けて手を振り返して、我が家へと自転車を走らせた。結構あっさりとした別れだった。


立ち乗りしながら、やけに清々しい風を受けて、ちょっとだけ気分が良くなった。

止まりながらも、しっかりと、1音ずつ。そうやって生きてみたい。


それでも、映画みたいに素敵な瞬間を過ごしても、明日の私はまた白いパーカーを汚すし、錆びた自転車は中学生の頃と全く同じ姿だ。日常も、人生観も、なんら変わりやしなかった。


ただ、嫌な事があった時に、「でも私はこんな経験したんだ!凄いんだぞ」って自分を慰める材料なんかにもしたくない思い出だから。


ずっと心の中で、鍵をかけて、大切に仕舞って、今日をぼんやり生きている。

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