第15話 進水

西の地平線から東の地平線に向かって、腕ぐらいの太さの一本のウレタンでできた棒が伸びている。噛むと変な味がする食えそうで食えない柔らかさ。これは婆さんの知恵袋だ。若い衆が相撲を取るのに設置したんだ。若い衆がえっほえっほと棒の横で相撲を取っている。あの棒は思ったより硬いんだ。見ているだけで奥歯がぐらついてくる。


刹那、荒野の果てに閃光!激しい閃光だ!全てが無に帰る、地上の太陽だ!


「ユーリ。起きろ」

懐中電灯の光を瞼に差し込まれ無理矢理覚醒させられた。瞼が張り付いてゴロゴロする。相撲がいらないことだけは伝えないと。

「相撲、いらないから」

「何言ってんだ」

その通り。

「あ、はい、時間ですか」

「いや。天井の人形たちが引き上げてる。進水だ。操舵室に行くぞ」

進水という言葉にアドレナリンが放出され、頭から尻に向けて「起きている」感覚が広がっていく。


機関室を出ると船体の小さな窓から差し込んだ光だけで目が痛いほど明るい。侵入した時は深夜なのに星あかりだけで進むことができた程度には、船内の塗装はとにかく白い。完全な暗闇から出たので尚更眩しい。走ることなく、さも当然であるかのようにのっしのっしと操舵室に向かう。万が一、人形が残っていた場合、身を隠したり慌てた様子を見せる方がはるかに危険だ。


操舵室は当然錆もなく、ゴミなのか備品なのかもわからない物体もなく、人臭魚臭もなく、操作板のボタン類の文字もくすんでいない。本来はこんなに綺麗なのか。ボタンを構成する樹脂に見えるものは彼らの模造する硬質材で樹脂よりも熱伝導がよくひんやりしている。


ボ...ボボ...ゴンッ...ボボ....


地鳴とともに外の風景が動き出す。船はレールの上で作られており、人形達が手押しで滑らせて進水させる。


ドッ...ドッ....


窓を閉めているので水の音は聞こえないが、地鳴りが止み、船が規則正しく揺れだす。波に乗ったのだ。


かつての世界では、船が進水する時は一つの大事業の完成を祝って進水式という催しがあったそうだ。生者は船を作らないし、死者は祝うことがない。後方を見ると、この船を進水させた人形たちが次の船体の底を作り始めている。


このまま、船は給油船(といっても幽霊船はサイズの差こそあれフェリーしかない)が横付けできる沖合まで漂うに任せられる。どこかに漂着しないのか不安になるが、新品の幽霊船が漂着した話など見たこともないし聞いたこともないのでなんとかなるのだろう。


「今のうちに食える物は食っとけ」

「川内さんは?」

「俺はいいんんだわ」


いいのだろうか。船長を放っておいて私は干しイカを齧った。

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