猛吹雪
❆
外は本格的に吹雪いてきた。
吹雪は色んなものを連れてくる。いい知らせも、悪い知らせも。
父が倒れた時も吹雪の日だったと、昔母から聞いたのを思い出す。
一人掛けソファで冷えた紅茶と共にくつろいでいた老人は思慮する。
地上階はもうほとんどが雪に埋まっている。
それでも、風が吹きすさぶ地上階は冷える。地下に降りて暖炉に火を入れた方が温かい。
しかし。老人は地上階に留まることにした。
もしかしたら──、もしかすると──、
誰かが、訪ねてくるかも、しれない。
いや、こんな猛吹雪の中で
私はもう若くもない。温かい地下で暖をとるべきだ。
そう自分を説得しようとするも、老人の身体はソファに深く沈んだまま動かない。
そして微かな紅茶の匂いと吹雪が叩きつける音をよすがに、また、記憶の海に
◇
「アルットゥ。寒い中ありがとう」
「……うん」
僕が犬たちとソリを納屋に片付け、石炭を背負い玄関の階段を下ると、母が迎えてくれた。
「アルが作ってくれた階段、とってもいい感じよ」
「……うん」
倒れた父は命に別状は無かったものの、半身に軽い麻痺が残った。一人でハシゴを上り下りするのは危ないので、僕が簡単な階段を作った。
家中のハシゴを全て階段に付け替えている。何か作業をしていないと気が狂いそうだった。
「もうすぐ吹雪になりそうだね。アルットゥが石炭を採りに行ってくれて助かるわ」
「……うん」
氷雪原を抜けた先、街に降りる道中の坑道では石炭が採れる。もう冬が終わるけど、季節外れの吹雪の兆候を感じて念のため採りにいった。
その帰りには風が強くなり、軽く吹雪いてきた。そろそろ夕暮れだけど空は一切見えない。
「お湯で身体を拭く? それともお茶でも飲んで温まる?」
「……うん」
僕の耳は音を捉えてはいたが、言葉としては認識していなかった。
「アルットゥ……。リーナちゃんと喧嘩でもしたの?」
「……うん」
炭を地上階の暖炉横におろす。父がいる地下の暖炉には後で運んでおこう。
「リーナちゃんと、結婚、するのでしょう?」
「…………。」
その言葉は、耳が素通りしてはくれなかった。
両親にはリーナとの縁談が進んでいることを都会から手紙で知らせている。その後の顛末についてはペンを取る気も口を開く気力も湧かず、伝えていない。
母が心配そうに、暖炉の火を調整する僕を見ている。
「……母さん」
「なあに?」
「…………。やっぱり、いいや」
「……温かいお茶、入れるわね」
母はそれ以上は何も聞かず、キッチンに向かった。
帰郷してから口数少なく氷の採掘や家の仕事に没頭する息子の様子から、何かを察しているのだろう。
「ねえ、母さん」
「なあに?」
母の口調はいつもと変わらない。
「……あの紅茶が、飲みたい」
「分かったわ。ちょっと待っててね」
彼女が数年前にうちに滞在したときに、お土産にと大量に持ってきた都会の紅茶だ。
不思議と、茶葉しか入れてないのに蜂蜜の味がする。都会の公園でもよく飲ませてくれた、彼女のお気に入り。
「…………。」
紅茶をゆっくり飲み干し、石炭を両親が過ごす地下の暖炉脇に置きにいく。
地上に戻り、自分でもう一杯彼女の紅茶を淹れ、ソファに腰を沈める。
リーナが滞在していた時は、よく2人でここに座ってお茶を飲んでいた。
「…………。」
どれくらいそうしていただろう。
既に猛威を増していた吹雪が家の壁や窓を叩く音を聞く。
そして、冷えた紅茶を、ただただ眺めていた。
──トン
吹雪が扉を叩く音がする。
──トントン
やけにハッキリした音だ。
──トントントン
いや、これは……。扉をたたく音? 石炭か食料が足りなくなったお隣さんか。隣といっても徒歩で半時はかかるのに、こんな猛吹雪の中ご苦労様だ。
階段を上がり玄関扉を開ける。
「おじさん? 石炭なら、」
「アル…………」
リーナだった。
顔は青白い。紫色の唇が淡く微笑んだ。
「リー……ナ…………?」
頭の中が吹雪いたかのように
その瞬間、リーナが崩れ落ちた。僕は慌てて腕を伸ばす。
「リーナ!! リーナ!」
いつも付き従っているじいやさんは見当たらない。
「ひとりで猛吹雪の氷雪原を渡ってきたのか? バカな……」
彼女を抱え、急いで家に入り階段を下る。ハシゴから階段に付け替えておいて良かった。
「リーナ! リーナ!!」
「ア、ル……」
目を閉じて意識を失いかけている。マズい。
「寝るな! 死ぬぞ!」
リーナは冬を
彼女は冬用の旅装束に包まれてはいたが、麓の街までならともかく、ここでは軽装すぎる。猛吹雪の氷雪原を歩いて渡る装備ではない。
「アルットゥ? お客さん?」
騒ぎを聞きつけた母が地下から顔を出す。
「母さん、地下の暖炉前をあけて! お湯も沸かして!」
「り、リーナちゃん! お父さん大変! リーナちゃんが!」
「
僕は地下の暖炉前にリーナを運んだ。
「リーナ! 寝るな!」
リーナの身体は氷のように冷えてる。すぐに温めなくてはいけないが、急激に温めても危ない。
暖炉から適度に近い位置にリーナを座らせ、家中から毛布をかき集める。
「ちょっと、ごめんね」
雪で濡れた
靴や手袋も脱がせる。手足は冷たく白いものの、黒ずんではいない。これなら凍傷は免れそうか……?
「しっかりしろ。すぐに暖かくなるから」
母が置いていった桶の湯が人肌の温かさになったのを確認し、リーナの足を入れる。お腹に
「リーナ、もう大丈夫だから。身体が温まるまでは寝ちゃだめだからな」
リーナは答えず、震えてすらいなかった。震える体力ももう残っていないのかもしれない。
彼女は朝までもつだろうか……。
もしリーナに万が一があれば……。僕は……。
「もし嫌だったら、言ってね」
リーナにかけた毛布をはぎ取り、リーナの背後に座り、僕ごと毛布をかける。彼女の背中から手を回し、その冷たい手を僕の手で包む。
「全身こんなに冷えて……。方角も見失う吹雪の中をどうやってひとりで渡ってきたんだよ」
リーナは答えない。僕も返事は求めていなかった。
とにかく話しかけ続けないと。
「リーナは、冬の万年雪地方は初めてだよね。都会の冬と比べられないくらい寒いでしょ?」
リーナがピクリと反応した。北方の文化を研究し続けている彼女らしい。
肩越しに横顔を覗き込むと、薄目を開けてはいる。
「都会用の冬装束じゃ寒かったよね。それよりカリブーやアザラシの毛皮の方が温かくて実用的でね……」
そのまま僕は万年雪地方の冬について話し続けた。
たまに、母が用意したヤカンから熱い湯を足湯に注ぎ、温度を適度に保つ。
しばらくそうしていると、徐々に、僕の熱が彼女に移っていく……。
「全く。君はどうして、こんなとこに来てしまったんだ」
「アルが、望んだ、私の、しあわせ……」
思いがけず、返事があった。
「僕が望んだのは、こんな猛吹雪の日に僕のところに来て凍死することじゃない。君の幸せだよ」
「だか、ら。来たの」
だか、ら……?
「ずっと、一緒、でしょう?」
……。
言葉が、出てこない。
頭が、働かない。
きっと、この猛吹雪のせいだ。
僕が呆然としている間にリーナの体温は回復していた。唇にもうっすら色が戻っている。もう、大丈夫だ。
やがて聞こえてきた寝息を間近に感じなから、氷雪原の夜はふけていく。
冬があけてすぐ、僕たちは結婚した。
リーナは地方の伝統的な結婚の儀をやりたがったが、あんなの冗談じゃない。
晴れの日にとはいえ真冬の氷雪原で、花嫁が雪の精を模した薄手の衣装を纏う儀式なんて、今の時代にとんでもない。凍傷にでもなったらどうするんだ。
儀式は夏に行うことで、彼女を説得した。
リーナは夜逃げのように家出してきたそうで、結婚を認めてくれない家族に手紙を書くことすら嫌がった。仕方がないので、僕がペンを取った。
しかし、リーナの両親が万年氷地方にくることは無かった。
結果的には、リーナに家族を捨てさせたことになる。僕はとてももどかしかったし、罪悪感が込み上げた。
けれど、覚悟を決めて猛吹雪の中やってきたリーナを追い返す気持ちは全くない。
せめてもと季節の折には、ご両親へリーナの近況を知らせる手紙を僕は書き続けた。
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