ちらつく雪



 ❆



 雪の家で白髪の老人は温かいスープを飲み、一人掛けソファで寛いでいた。


 雪と氷壁ひょうへきに囲まれた地下部屋とは違い、地上部屋はすきま風が通る。身体に染みて節々が痛む。

 しかし料理や暖炉への火入れは出来るだけ地上部屋で行う。酸素が薄くなるので地下で火の使用は最小限にしたいのだ。


「リーナ。君のスープはもっと温かかった」


 同じ作り方と味付けをしたはずなのに、何故か自分で作ったスープは味気ない。


「もう一度、君のスープが飲みたい……」


 老人は机上の写真を眺めながら、もう二度と飲むことは出来ない懐かしいスープを思い浮かべる。


 半分が雪に埋まった窓。その上部では、雪がちらついていた。



 ◇



「アル! 私、雪が見てみたいわ!」


 2度目の出稼ぎに都会に出た冬。その年も荷運びの仕事前はリーナと公園で会い、2人で軽食を食べたり散策したりした。


「雪は都会ここでも降るじゃないか」

「たまに降っても、そんなに積もらないじゃない。そうじゃなくて、地平線までずっと真白まっしろな雪原を見たいのよ」

「あぁ……」


 都会ではたまに雪が積もっても、せいぜい足首までの高さだ。リーナは万年氷まんねんごおり地方の氷雪原ひょうせつげんのような大自然がみたいのだろう。


「冬があける少し前に故郷に帰るけど、一緒に行く? うちに泊まればいいよ」

「いいの? ぜひお願い! 本で読んだ万年氷地方の暮らしも見てみたいの」

「そんな珍しいものは無いけどね」


 リーナの希望を叶えるため、彼女を僕の故郷、万年氷地方に招待する。

 さすがに若い男との2人旅は良くないので、じいやさんも招いた。




「わあ! 見渡す限りの雪だわ!」


 彼女が嬉しそうにはしゃいだ。

 乗合のりあい馬車を乗り継ぎ、いくつかの街と峠道を越え、霊峰れいほうふもとの坑道をくぐり抜けると、僕の故郷が広がる。

 万年氷地方。見渡す限りの氷雪原。こんなので喜んでくれるなんて。


 僕の家まではさらに半日ほど歩くが、今日は母が坑道の近くまで犬ゾリで迎えに来てくれる手はずだ。

 太陽にきらめく氷雪原を眺めながら母を待つ。


「それにしても。郵便受けが坑道の入口にあるなんて、とてもおもしろかったわ」

「配達人に氷雪原を渡らせるのは申し訳ないし、天候が悪いと慣れない人は遭難しかねないからね。普段は街へ買い出しのついでに郵便を取ってくるんだ」


 先ほど回収した郵便は父宛の手紙と、先々週の日付の週間新聞のふたつだけだ。僕の革鞄に入っている。


「お店が遠いから、毎日の買い出しが大変ね」

「さすがに毎日は行かないよ。1,2週間に一回くらいかな」


 鞄には他にも、リーナが用意した都会の紅茶、お菓子、ハーブなど、それに僕が帰りがけに買った大量の乾燥肉や調味料なども入っている。

 これで、しばらくは母が遠い街まで買い出しに出なくて済む。


「ほら、来たよ」


 僕が指さした白い氷雪原の遙かかなたに、小さな黒い塊が見えた。母の犬ゾリだ。




「ここがアルの家、雪の家ね!」


 広めの部屋と小さめの部屋、2部屋からなる木造の家を外から見る。

 最後の増築と住み替えから数年経っていて、家の半分近くは雪に埋まっている。


「万年氷地方の家は地下がすごいのでしょ? 楽しみだわ」

「うちの地下は4層まで使ってたかな? ここでは普通の家だけどね」


 僕たちは外ハシゴで家の上にあがる。そこに雪よけの傾斜がキツいひさしがついた、簡素な木扉がある。

 雪に埋もれていくこの地方の家は玄関が天井にあり、リーナは物珍しそうにじっくり見ていた。

 玄関扉を開け、そこから内ハシゴを降りる。


「いらっしゃい。よく来たね……って、女の子!?」


 ダイニングでお茶を飲んでいた父が迎えてくれた。


「アルットゥ、お前……、都会の友達が遊びに来ると手紙にあったけど……、ま、まさか……」

「うん。だから、友達連れてきた」


 僕はハシゴを下りるリーナに手をかした。


「と、友達のじいやさん」


 続いてじいやさんも降りてくる。


「おじさま。少しの間ご厄介になります。リーナと申します」


 旅装束のリーナは空中でスカートの端を摘まむふりをし、洗練された挨拶をした。


「お父さん。女の子をアルットゥの部屋に泊まらせるわけにはいかないわね。地下2階の小部屋を使ってもらいましょうか」


 ソリと犬たちを納屋につないできた母も、ハシゴを降りて家の中に入ってきた。


 驚いて木製マグカップを持ったまま固まっている父を残し、リーナが見たいという地下に降りる。


「地下は雪と氷に埋まっているのに、温かいのね」

「氷とはいえ壁に囲まれているから冷たい風はあたらないんだよ。それに、家中に張り巡らせたパイプで暖炉の熱気を循環させているんだ」


 見るもの全てに興味津々で、あたりを見渡すリーナ。


「うちはどの階も同じ間取りにしていて、ここは昔のキッチンダイニングよ。今は居間にしてるね。隣の小部屋はアルットゥの部屋だよ」


 後ろからついてきた母が説明する。

 一通り見たところで、さらにハシゴで地下へ降りる。


「地下2階は食料保管庫。リーナちゃんは地下2階の小部屋を使ってね」

「はい、おばさま」


 世話好きな母の説明を聞きながら、さらに深くへと降りていく。


「地下3階は資材と、釣りや畑とかの道具を置いている倉庫。3階の小部屋はじいやさんが使ってね。その下の地下4階は私たち夫婦の寝室よ」

「通気口の近くなら火を使っても構わないけど、空気薄くなるから必要最小限にね」


 僕が大事な補足を加える。


「湯たんぽや石を温めたカイロも用意するから、寒さの心配はしなくていいわよ」


 毎晩、家族全員分の防寒具を用意してくれる母には頭があがらない。


「そのさらに下は解体中で危ないから降りないでね」

「解体!? 家の? 一目だけ、見てみたいわ」

「うーん、僕と一緒に少しだけなら……」


 好奇心を抑えられないリーナに押され、僕たちは地下5階にハシゴで降りる。

 上から母とじいやさんが心配そうにぼくたちを見下ろす。足場の残りが少なく狭いから、2人には上で待っていてもらう。


 地下5階は、床板も梁も半分以上を剥がしてある。その下は真暗まっくらな闇。

 氷壁に打ち込んである杭も露出している。


「雪が積もり続ける万年氷地方は家を上へ上へと増築していく。それは知っていたけど、地下を解体するのは知らなかったわ」


 僕は、底なしの暗闇、かつて床だった場所を覗き込もうとするリーナの腕を掴む。危ない。


「使わなくなった地下は解体して、資材をまた再利用するんだ。落ちたら死ぬからそれ以上は近づかないで」

「アル、どうして家を解体するの? そのまま残しておいてはいけないの?」

「地下深くなるほど雪と氷の重さと圧がかかって、最後は押しつぶされてしまうんだ。だからその前に、このあたりでは貴重な木材とかの資材を回収するんだよ。次の増築のためにね」


 リーナはまだ氷穴を興味深く覗いている。


「家の最下層を解体したら、下に落ちてしまわない?」

「落ちないよ。杭を横の氷壁に打って固定してあるし、この深さならいい具合に氷壁の圧が横から家にかかって、最下層を解体しても下には落ちないんだ」


 その後も色々聞かれて、やっと満足した彼女を連れて居間に上がった。




 初春の僕は父と共に万年氷を切り出すのが日課だ。週に一度は氷を街に売りに行き、街の近くの土地に作物を植え育て、生活用品を買って帰る。


 リーナは僕について回る日もあれば、母から料理や針仕事を教わる日もあった。

 女の手仕事は今までやったことは無いそうだ。最初こそ手つきが危なかったけど、春が深まるころには手つきもここの暮らしにも大分慣れていた。

 そして都会で流行のお菓子を焼き、両親を喜ばせてくれた。


 最後の日の夜。僕たちは氷雪原に敷いた毛布の上で寝転がり、どこまでも澄み渡る星空を見上げていた。

 明日、リーナはじいやさんと都会に帰る。


「アル。楽しかったわ」

「……冬にはまた出稼ぎに都会に行くよ」


 リーナにしては珍しく言葉が少ない。


 そのまましばらく星を見ていた。


「アルとずっとこうしていたいな」

「…………僕もだよ」


 言葉は続かない。


 でも、初対面の時のような居心地悪さはなかった。


 年中空気が澄み渡るここでは降り注ぐような星の川が見える。

 でもやっぱり、冬の夜空が一番すごい。夜空に吸い込まれるようでちょっと恐ろしくもある。

 リーナにも見せたいが冬は晴れることも少なく、極寒の真冬は生活するだけでも厳しい。装備をろくに待たずに氷雪原を渡ろうものなら凍死しかねない。


「アルは冬まで何をして過ごすの?」


 そろそろ家に入ろうかと思っていた時だった。


「氷を切り売りしながら、街の土地で作物の世話をして……、あとは、今年の夏は家の増築かな」

「増築! 脱皮するのね!!」


 リーナがガバッと起き上がった。


「脱皮?」

「文献には『万年氷地方の雪の家は、まるで脱皮するかのように増築と住み替えを繰り返す』とあったわ」

「なるほど。脱皮ね」


 ここでは夏でも溶けきらない万年氷のせいで、虫や、毛皮の無い動物は生きていけない。脱皮するような生物は存在しない。

 そんな万年氷地方の風習を「脱皮」と表現するなんて、面白い。


「私、増築するところも見たいわ! お引っ越しも手伝わせて!」

「リーナ。夏から作業はするけど、出来上がるのと引っ越すのは冬の手前だよ」

「どうせ都会に帰っても私は家庭教師とのつまらない生活に戻るだけよ。なら、お引っ越しまでお手伝いして、冬に出稼ぎに出るアルと一緒に帰るわ。その方が道中も心配しないでしょ?」


 ね。じいや。と、リーナは僕たちの後ろでお茶を飲んでいたじいやさんを振り返る。


「そうですね。早速、延泊について旦那様へ手紙をしたためましょう」


 じいやさん、反対しないのかよ。


 その後、僕は勉強熱心なリーナからの質問攻めにあい、夜遅くまで家の増築と解体の手順を1から説明するはめになった。




「年若い娘をたぶらかしおって!」

「アル!!」


 増築と住み替えを無事済ませた僕らは、冬には都会に出て、リーナを家まで送りとどけた。想像以上の豪邸で驚いた。


 そしてお世話になった挨拶に、とリーナの両親が出てきて、僕は彼女の父親に殴られた。


「地方の友人の家と聞いていたのに、まさか男の家に泊まっていたなんて……!」

「旦那様。このじいめが常に一緒でしたが、アルットゥ様はお嬢様に指一本触れてはおりません」


 雪の家の最下層から氷穴を覗き込んだ時や、家の増築作業を危ない足場の上で見ていた時にリーナの腕を掴んで支えていたけど……。


「なんだと!! こんなにも美しい娘に手を出さなかっただと! 無礼なやつめ!」

「父様やめて!」


 リーナの制止もむなしく、僕はもう一発殴られた。

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