氷雪原にポツンと建つ雪の家
yuzu
セピア色の写真
❆
セピア色の写真に写る若い女性は、少し困ったような微笑みを浮かべている。
真横に立つ
白髪の老人は、色
「リーナ。そろそろ住み替えだよ」
老人が写真に声をかけ、それを大切に運んでいく。
雪に埋もれ、四方を
家の中には老人が動く以外に音はなかった。
老人は階段を上がり地上の部屋に出る。
キッチンと寝室がひと続きになっている小さな部屋。独り暮らしには十分だ。
窓の外では枠の下の方が雪に埋もれている。その先は見渡す限りの
「地下より寒いかもしれないけど、我慢しておくれ」
写真を一人掛けソファ横の小さな机におく。
他の荷物も地下から荷揚げしなくてはならないが、老体には堪える。
老人は一息つこうとソファに腰掛け、若い男女の写真を眺める。
彼はそのまま、物思いに
◇
僕が彼女に出会ったのは、16歳で初めて冬の出稼ぎに都会に出て一週間した頃だった。
仕事は午後からで、午前は都会を散策した。
石造りの高い建物。行き交う馬車。広く整備され歩道が完備された道。賑わうお店の数々。冬でも雪がほぼ降らない都会は寒くもない。
氷雪原と山しかない僕の故郷とは、まるで違う。
「どうかしました?」
草木が行儀良く配置された公園を歩いていたら、道の真ん中で座り込んでいる女性が目に入った。靴は脱げて、足をさすっている。
僕は駆け寄った。
「すみません……。足を、くじいてしまったようです」
優しい声が軽やかに響く。
あどけなさが残る彼女の身なりは洗練され高級感が漂い、美しい麦の穂色の長い髪がそよ風に踊る。
「大丈夫ですか? 辻馬車を呼んできましょう」
「ありがとうございます。ですが、いま家の者が自動車を取りに行っているので」
都会で希に見かける自動車。それを所有しているということは、かなりいいところの娘さんなのだろう。
「お嬢様!!」
「あ。じいや! ここよ!」
彼女が声をかけ手を振る先を見ると、黒タキシードを着た男性が遠くから早歩きで近づいてくる。
「その足では歩けないでしょう。僕が車までお連れします」
「きゃっ!」
じいやさんでは彼女を運ぶのは大変だろうと、痛むであろう足に触れないように気をつけつつ、僕は彼女を抱き上げた。
髪から爽やかないい匂いがする。
「だ、大丈夫なので降ろし──」
「立てない人がどうやって車まで行くんですか。大人しくしてて」
じいやさんは僕が彼女を抱き上げたのを見て、さらに急いで駆けてきた。
「お、お嬢様! あなたは一体……」
「じいや、私は大丈夫よ。通りがかりの親切な方に失礼はしないで」
じいやさんに案内され、通りに止められた自動車の座席に彼女を降ろした。足に車体やシートがあたらないよう気をつけながら。
「じゃ、僕はこれで」
せめてお名前を、という声には振り返らず片手だけを上げて、僕は仕事場へ向かった。
名も告げずに去ったはずが、じいやさんとは数日後に再会した。
穀物倉庫での仕分け作業で汗を流しているときだった。
「お嬢様が、先日のお礼にディナーをと」
公園での出来事を思い出すと、彼女を抱き上げた感触と髪のいい匂いも思い出してしまう。
でも作業の手を止めると親方が怖い。僕は次に運ぶ大型穀物袋に手をかけた。
「すみません。僕は仕事中なので──」
「おう、小僧! 休憩していいぞ!」
親方が荷物棚の陰から声をかける。
僕はじいやさんと倉庫の端に身を寄せた。
「せっかくですが、僕は夜も仕事があるので……」
「次のお休みにでも、いかがですか?」
「僕は田舎からの出稼ぎで、給金が減らないように休みは取らないんです」
「でしたら、昼食でも」
「いや……。仕事前はあまり食べないようにしているんです」
彼女と話せることに、興味なくはなかった。
けど、自宅かレストランかは知らないが、洗練されたお嬢様と都会の食事に行けるような服は持っていないし、買えない。立ち振る舞いも分からない。
これが田舎の気さくな食事会なら喜んで行っただろうけど。
「あなたに断られると、私が叱られてしまいます。ここは人助けと思って──」
「ごめんなさい。僕は、彼女と食事するような立派な身分ではないので」
その後もじいやさんとの押し問答が続いたが、僕は首を縦には振らず、じいやさんは諦めてくれた。
その後はじいやさんと親方が親しげに話していた。どうして僕の仕事場が分かったのか疑問だったけど、そういうことか。
下宿先から仕事場まではあの公園を通り抜けて通った。
少し遠回りだけど、色とりどりの花や草木は故郷と家族から遠く離れた僕の心を慰めてくれる。
早めに下宿先を出て、公園を一回り散策してから仕事に向かうのが僕の日課だった。
公園を通る度に、風にそよぐ小麦のような彼女の美しい髪を思い出す。あれから怪我は治ったのだろうか。
いつものように公園を歩いていると、前方のベンチに座る女性がこちらを向いていた。長い小麦色の髪が風にそよいでいる。
女性が僕を見つけると立ち上がり、ゆっくり近づいてきた。
「こ、こんにちわ」
「……こんにちわ」
彼女だ。
「……あの。先日は、ありがとうございました」
「いえ……。歩けるようになって、良かったです」
「……」
「……」
何を話したらいいのか分からない。
お礼の言葉は受け取ったのだから、もう話すことも無い。
「あ、あの……。もし、もし、お時間よろしかったら、軽食でもいかがですか?」
彼女が、座っていたベンチに置かれたバスケットを指した。
「サンドイッチを作ってきたんです。温かいスープも……」
荷運びの仕事に向かう途中だった僕は小綺麗な格好はしていない。けど、ラフな格好で散策やジョギングしている人が多い公園では、気後れはしなかった。
彼女も、服装はこの前とは違って簡易なワンピースだった。
「あ。じ、じゃあ。お言葉に甘えて……」
僕は散策する予定だった時間で、彼女の軽食を頂くことにした。
公園のベンチでの食事は誰に気兼ねする必要もない。
「そ、それと、よければお名前を……」
「ア、アルットゥです。良ければあなたのも」
「やだ、私ったら名乗りもせずに。リ、リーナです」
二人でベンチに腰掛け、渡された濡れハンカチで手を拭き、彼女の手作りサンドイッチをほおばる。
「アルットゥてお名前、もしかして、北の方からいらっしゃいました?」
「よく分かりますね。僕は
「まあ! 美しい白銀の
「たぶん、それです。僕は故郷では万年氷の切り出しもしてて、氷を卸す商隊の荷運びを手伝いながら都会に出てきたんですよ」
北方の生活や文化を学んでいるという1つ年下のリーナは、僕の故郷の話を興味深そうに聞いていた。
それからはほぼ毎日、彼女は公園のベンチにバスケットを持って座っているようになり、僕は下宿先をさらに早めに出るようになった。
軽食をいただき、時間が余れば一緒に公園を散策する。
僕の故郷、家族、仕事、都会の暮らし、彼女の家族とじいやさん、公園の草木、流行のもの。
一度打ち解けてしまえば、おしゃべりな彼女との話は尽きなかった。
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