第31話 それぞれの答え7

 昔も陽斗とファミレスにいたとき、西澤選手のファンなんですと、女の子に声を掛けられるということはよくあった。そのせいで、悪い気はしないとばかりに、陽斗が自慢気な顔をしても、彩芽は気にしなくなったのだが、この反応は珍しい。陽斗は見るからに嫌そうな顔をしていた。

 

「やっぱり西澤君だ。ということは、あなたは彩芽さんよね?」

 陽斗から彩芽へと視線を移してくる。長身黒髪の女性は、彩芽の顔を穴が開くほど見つめていた。

 陽斗に声をかけてくる女性は、往々にして敵意むき出しにしてくることが多い。しかし、長身の女性はとても好意的で、温かい。彩芽は、自然と入ってしまっていた力を抜いていた。

 

「初めまして」

 彩芽が笑顔で会釈すると、女性は陽斗を鋭く睨み付けて強い口調で陽斗へいう。

「早く紹介しなさいよ」

「……会社の先輩の根岸さん」

 ビールを飲みながら、面倒くさそうに言う陽斗の態度が悪い。根岸が食って掛かりそうになったとき、あぁ! と彩芽が手を叩いていた。

「元バレーボールの選手だった根岸さんですね! お話は、兼ねがね」

「あら、知ってくれてたのね! 西澤君から、私のことをどんな風に聞いているのかしら?」

 根岸は、彩芽には白い歯見せて問う。ほぼ陽斗へ向けられた質問に違いなかった。陽斗へ向けられている視線が怖い。彩芽は考え込む。陽斗から聞いている彼女のあだ名は、昭和世代顔負けパワハラ上司。そんなこと素直に言えるはずもない。

 

「とても面倒見のいい素敵な先輩だと……」

 嘘が苦手な彩芽の視線は、自然と明後日の方向に泳いでいしまう。だが、根岸は、その反応に悪い気はしていないらしい。むしろ、顔を綻ばせている。

「話を聞いていた通り、彩芽さんって本当に純粋で、正直な人なのね。西澤君が虜になるのも、わかるわ」

 根岸は、陽斗には絶対に見せなさそうな満面の笑みで、うっとりという。彩芽へ送る根岸の熱のこもった視線。黙っていた陽斗の背筋がそわそわしてくる。

 それを紛らわせるように陽斗は、ふうっとため息をついた。


「……根岸さん、この店予約してきたんじゃないんですか?」

「今日は飛び込み。カウンターなら、空いてるかと思ってね。でも、甘かったわ。全然空いてないし」

「あぁ、なるほど。なら、ちょうど、そこの席が空きそうですよ」

 陽斗が早く予約席へ行けと遠まわしな言い方をしたつもりが、ダイレクトに伝わってしまったらしい。根岸の気の強そうな目じりが吊り上がり、見下ろす圧力がさらに増す。

「何、その言い方。この店、私が教えてあげたのよ? それなのに、まるで私が邪魔者だとでも言いたそうな顔してるわね?」

 そう見えるは、自覚があるからなのでは……とはいえず、陽斗はビールと一緒に飲み込んだ。

「あ、ほら。席立ちますよ」

 陽斗が指さしたカウンター席。客が帰り支度を始めている。あと数分もせずに、出ていくはずだ。これで、丸く収まるはずが、彩芽が要らぬ機転を利かせていた。 

「一緒にどうですか? ここ座敷だし、テーブルも広いし。よかったら隣、どうぞ」

「さすが、気が利くわ! どっかの後輩と大違い。ありがとう!」

 根岸は彩芽へキラキラした瞳を向けていた。

 

 ビールをオーダーした根岸が彩芽の隣に座って、ジョッキが運ばれると一瞬で殻になっていた。さらに追加しながら、もう陽斗は用済みとばかりに、視界の外に追いやり、彩芽のことを知りたいと興味津々で質問攻めにし続けていく 。

 お人好しの彩芽は、嫌な顔一つせずニコニコと答えていく。二人は大盛り上がりしていた。

 根岸のお喋りの合間に、彩芽ハイボール片手にほんのり顔を赤くしていく。

 

「そういえば、会社での陽斗って、どんな感じなんですか?」

「スポーツ上がりの男って、落ち着きのないのが多いけど、西澤君は真面目な部類だと思うわよ。仕事も、まぁまぁ。でも、この前取引先の女の子からキャーキャー言われて、鼻の下伸ばしてたわね」

 根岸は嫌味な顔を陽斗へ寄越して、余計なことを付け加えていた。彩芽は、やっぱりとハイボールを飲みながら、陽斗を軽く睨む。

「陽斗って、昔っからそうなんですよね」

「浅はかよね」

 根岸の心底軽蔑したような視線。実際にメデューサがいたら、きっとこんな目をしているのだろう。

 陽斗は、そんなしまりのない顔した覚えはないと言い返したかったが、ここで何を言っても火に油を注ぐだけだ。黙ってビールを飲むことにする。

「大丈夫。私は、どこまでも彩芽さんの味方。あなたが悪い気しないように、そういう奴が出てきたら蹴散らしてあげるわ」

 血の気多い根岸は、気合を入れている。彩芽は、楽しそうに笑っているが、根岸という人間は本当に何をしでかすかわからない。ひやひやする。

「でも、西澤君って、見かけによらず嫉妬深そうだし、困ったことがあったらすぐ言って。全力で守ってあげるから。私、彩芽さんみたいな人がタイプなの」

 ジョッキを傾けようとした陽斗の手が止まる。

 さっきから、どうも根岸の言動には気になるところがあった。根岸が彩芽へ向ける視線もそうだ。やけに熱っぽい。気にしないようにしようとしていたが、あまりの違和感の大きさのせいで、とうとう飲み下せなくなっていた。つい、陽斗の口から吐き出される。

「タイプ?」

 陽斗がおうむ返しすると、はっきりと根岸は答えた。

「私、男じゃなく、女の子が好きなの」

 え? と思わず声を上げそうになるのを頑張って飲み込んだ陽斗に対して、彩芽はふぅんと頷くだけで、何も思わなかったようだ。むしろ、今の意味をちゃんと理解できているのか、疑問すら浮かんでくる。何の感情も表に出ていなかった。根岸も同じ感想を持ったようで、意外だという表情だ。


「彩芽さんは、このカミングアウトに、驚かないの?」

 根岸に問われたことの方が、意外だという顔をする彩芽は、自然体だった。

「別に驚くことじゃないと思います。世の中には、いろいろな人がいます。みんなそれぞれ基準が違うんです。いちいち、気にする必要はないですよ」

 ハイボールを机に置いて、彩芽はきっぱりという。すると、根岸は感動したように更に熱を上げて、目を輝かせていた。

「そうやって、フラットに受け止めてくれる人って、本当に少ないのよ。やっぱり、彩芽さんは私の理想の人。西澤君に見切り付けたら、いつでも私のところに来てちょうだい」

 根岸が彩芽に肩を組んでいう。

「ちょっと待った。恋人いるって前言ってましたよね?」

「さっき別れてきたから、問題ない」

 根岸は、ふふんと鼻をならしていた。陽斗は、身体ごと二人から逸らして、枝豆をやけ食いし始める。そんな陽斗に気づいて、彩芽は言った。


「また不貞腐れてる」

「心が狭い男は、要注意よ。今からでも、私に乗り換える?」

 根岸は、妖艶に笑っていた。



 

 

 根岸と別れて電車で帰路へ着く。その道すがらは、陽斗の機嫌は悪かった。そのお陰というべきか彩芽の酔いは、帰宅する頃には覚めていた。 

「大人気ないなぁ」

 彩芽はそういいながら、ほとんどいじけている陽斗にやれやれと嘆息する。彩芽はキッチンからワイングラスを持って、ソファ前の机に置いた。

 そして、ソファに並んで二人揃って腰を下ろした。

 

「では、これで気を取り直してください。メインイベントです」

 彩芽は持ち帰った紙袋から、お菓子の缶を取り出して、机の上に置いた。おっと、陽斗が前のめりになる。むすっとしていた顔が、明るくなっていた。

 

「それが例の? ワインコラボっていうから、海外のお菓子だばかり思ってた」

 これまで、彩芽が持ち帰ってきたお菓子はどれも横文字だったが、目の前にの缶蓋には、桜の模様が施されている。どう見ても和風だった。

「意外でしょ? でも、中身は……」

 彩芽が陽斗に蓋を開けてみてという。いわれるがままに陽斗が、蓋を開ける。途端、今日の気に入らない出来事も、帳消しにできてしまうほどの、鮮やかな香りが漂った。お菓子の上に敷かれているエアパッキンをそっと取る。

 現れたのは、一口サイズの桜の花びらだった。小箱いっぱいに敷き詰められている。繊細な作りに加えて、白、ピンク、オレンジなど、色鮮やかさに目が奪われる。

「日本の和菓子店が出しているショコラ。すごく、可愛いでしょ? 食べてみて」

 彩芽に促され陽斗が口へ運ぶ。

「うん、おいしい。チョコなのにすごく、さっぱりしてる。中に何か入ってる?」

「うん。オレンジピールにチョコがコーティングされているお菓子で、オランジェットっていうらしんだよね。フランス発祥なんだけど、それを、日本版にアレンジしたのがこれ。お母さんたちの意見を反映させてみたの。チョコなんだけど、甘すぎない。中の柑橘系の爽快感と苦みが絶妙なバランスになっている。しかも、写真映えもして、お洒落で食べやすい」

 彩芽は説明しながら、紙袋からワインを取り出す。

「そして、その桜ショコラには、このワイン」

 ワインボトルを取り出す。甲州ワインというラベルが貼られていた。

「へぇ。日本産のワイン?」

「最近は海外の方が日本にもたくさん来てくれるし、せっかくだから全部日本でいこうってなったの。山梨のメルロワイン。最近は、日本のワインもすごくおいしいの。これからもっと注目されて、成長し続けていくはずよ」

 私たちみたいに。彩芽はそう付け加えて、ワインを開けて静かにグラスに注いでいく。二人揃って口にした。

 とても繊細でやさしい味がじわっと広がった。先ほど食べたチョコのほろ苦い甘さが、化学反応を起こすように合わさり、すっと全身に馴染んで、溶け込んでいく。

  

「すごいもんだなぁ。ここで、菓子店開いていた時とは、全然違う。ワインの主張したり、お菓子の癖が強かったりしてたけど。これは、本当によく合う。成長したなって感じだ」

 陽斗がそういうと、彩芽はグラスに入った赤を愛しそうに見つめた。


「私だけじゃできなかった。協力してくれたみんなと、陽斗がいてくれたから、うまくいったの」

 厳しい冬を越して、蕾になって、花が咲いて、今に繋がった。その時は、くだらないと思っていても、一つでも欠けては、きっと今のようにはならなかったのだろう。

「私の二十四歳の誕生日。お母さんたちがとんでもないことをしてきて、史上最悪の日だって、絶望してたけど。今は……感謝してる」

 彩芽は、穏やかに微笑み、陽斗は頷いた。


 いつかは、一緒に。ずっとそう願い、思い続けてはいた。けれど、それがいつかというのは二人にもよくわからなくて。何とか近づこうと、掴もうとした手は、いつもするりと手元から逃げていった。それでもと、逃した直後に追いかければよかったのかもしれない。だけど、その時の自分たちには勇気なんてなくて、楽な方ばかりに流されていた。もしそのまま、ずっと流され続けていたら。

 お互いが同じ見つめる方向は同じだったとしても、それは平行線のままで。視線を合わせることもできなかったかもしれない。

 いちいち、昔のことを掘り返すことも。本当の真実も、何も気付かないまま。有耶無耶になって、結局最後まで何もなく終ってしまっていたかもしれない。

 だとしたら、常識外れの規格外の母親達ではあるが、感謝はすべきなのかもしれない。

 そして。今日、この日を迎えられたことも。

 

「彩芽。俺から、渡したいものがあるんだ」

「渡したいもの?」

 彩芽に思い当たるものなど何もなく、困惑しながら手にしていたグラスを置く。いつの間にか陽斗の足元には、いつも持ち歩いている鞄が置いてあって、その中の物を探し当て、手の中に納めていた。そして、彩芽を真剣な眼差しで見つめた。

 

「もう婚姻届けは出されてしまっているから、迷ったけど。俺のけじめとして、受け取ってほしい」

 陽斗から差し出されたものを彩芽は両手で受け取り、そっと中を開ける。そこには、あの時のような錆びてしまったシルバーネックレスではなく、一粒のダイヤモンドの指輪。驚いて彩芽は、顔をあげて陽斗をみる。柔らかな視線とぶつかって、真っ直ぐにいった。


「結婚してください」

 その一言で、丸い瞳に透き通った分厚い膜が張り出しいていく。頬を伝い雫が落とし、どんな花よりも美しく彩芽は笑った。

「喜んで」

 笑っているのか泣いているのか、わからないほどくしゃくしゃにする。その左手を手にとって、陽斗が指輪をはめた。サイズもぴったりで、白く細い指によく似合っていた。

 彩芽は感情の赴くままに、陽斗に抱きついていた。突然のことで、体制が崩れて、彩芽を抱き止めながら陽斗もソファに倒れこむ。彩芽の重みと、小刻みに震え続ける華奢な背中。背中を優しく擦りながら、笑っていた。

 

「そんなに抱きつかれると、この前の夜みたいに、勘違いするぞ」

「……勘違いじゃないよ……」

 彩芽の涙声で返ってきた返答。頭上に流れ星が降ってきたのかと思えるほどの衝撃だった。頭が真っ白になって、思わず「え?」と言ってしまう。そのせいで、彩芽が泣いせいか今までで、一番顔を真っ赤にさせながら「やっぱり、今のなし」と叫んだが、時すでに遅し。

  起き上がろうとする細い腕を陽斗が引き込んで、離すことはなかった。

 そして、その後どうなったかは……二人だけの秘密だ。

 

 

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