第29話 それぞれの答え5

 ――選定会当日


 昨夜居酒屋で飲んでいたときに話していた光景がそのままに広がっていた。

 細長い会議室の最前列に代表取締役と 敦巻食品部門長がいる。二人とも目を反らすことなく、各バイヤーのプレゼンに聞き入り、時折配られた試食を交える。各バイヤーのプレゼンが終わると、その合間に、ひそひそ話し込んでは難しい顔をしていた。

 時折、敦巻が「もういい」と、最後まで話を聞くことなくぶった切ることもあった。

 この企画は、社内の売上に大きく貢献できる大イベントと位置付けれている。世の中は、厳しいものだから、緩い雰囲気を出すわけにはいかないのだろう。

 彩芽たちには、席は用意されていないため、パーテーション裏でスタンバイしている。彩芽の横に立っている関口がそわそわしながら耳打ちしていた。

「もうちょっと、和やかな空気にしてくれてもいいのに。二日酔いも吹き飛んじゃったよ」

「……本当だよね。胃に穴が空きそう」

 彩芽も同意したところで、役員たちに用意された席の最後方に座っていた藤原から、合図があった。彩芽と関口は、皿に乗せたお菓子と少量入ったワイングラスをお盆にのせて、席へ配っていく。すべて終えたところで、声がかかった。

 

「それでは、次。ワイン担当藤原バイヤー、お願いします」

 藤原は堂々と立ち上がり、前へ出た。


 すべてのプレゼンが終わる。

 そして、すべての食品コラボ商品の投票が行われ、結果がその場で開示され、拍手が送られた。


 

 選定会が無事終わり、彩芽は荷物を片手に急いで会社を出る。

 陽斗との待ち合わせ場所は、会社から歩いて五分程の大型書店前。全速力で走っていく。ごった返す人々の合間を縫っていく。書店が視界に入ったところで、駅方面から陽斗がやってきたのを見つけた。彩芽は、更に加速。大勢の人々の中でも浮いてしまうほど、全力で走っている人間は彩芽くらいだ。さすがに陽斗が彩芽に気付いて、足を止めていた。そして、もうだいぶ近い距離なのに、スピードを緩めない彩芽に幾分戸惑った表情を見せていたが、彩芽は構わず陽斗に飛び込んだ。陽斗は抱き止めながらも、人混みの中の大胆な行動に少し顔が赤くなっている。

 

「……少しは、場所を考えろ」

 彩芽の頭上から苦言が降ってくるが、陽斗を見上げる彩芽は満面の笑みだった。

「嬉しさが爆発したから、仕方ない」

「ということは?」

「お陰さまで、選定会で、一位獲得しました! カタログのトップページにも掲載決定!」

「おめでとう! よかったな!」

 踊り出しそうな盛り上がりを見せる二人に、送られてくる視線が痛すぎて、陽斗が咳払いする。それに倣って彩芽も気持ちを何とか落ち着かせようとしたが、押さえきれない。彩芽は拳を、まだほんのりと残っていた夕焼け空へと突き上げた。


「今日は、パーっと行こう! とことん飲むぞー」

「嬉しいのはわかるけど、ほどほどにしてくれよ」

「やる気になってるのに、水を差すようなこと言わないでよ」

「誰が連れて帰ると思ってるんだ」

「陽斗以外、いないでしょ。それとも、誰かに頼めとでも……」

 威勢よかった彩芽の口と共に動作も急に、止まった。そして、幽霊でも見たかのように、陽斗の後ろを見つめて、目を丸々とさせて固まっている。


 疑問符を浮かべて、陽斗が振り返る。そこに一人の男が立っていた。見開いた男の瞳が、陽斗とまともに合うと「こいつが……」と、呟いた。その口の端と目尻が鋭く尖っている。

 彩芽は、陽斗とのやりとりを見られたことで、頬を朱に染めて、小さくなりながら声をかけていた。

「関口君……お疲れ様……」 

 彩芽の気まずそうに、目を伏せていた。

 陽斗は、こいつがよく話に出てきていた関口とかいう、彩芽の同僚かと、忘れていた宣戦布告が思い出され、怒りが沸々と込み上げてくる。

 そもそも、初対面でこいつ呼ばわりされる筋合いはない。道路にたまっている泥水に誰かが、足を突っ込んで、自分に泥飛沫がかかってきたような気分だ。

 陽斗は、こめかみに青筋を立てながら、思う。その言動も、目付きも、ともかく気にくわない。中身もろくなやつじゃないのだろう。こんな奴と、レベルが違う。挑発されて、同じ土俵に立ってやるものか。陽斗は、すべての感情を包み込んだ会社でも定評の営業スマイルをみせ、堂々といった。


「いつも、妻がお世話になっています」

 彩芽が息を飲んで、目を見開き、赤く頬を染めていく。その中に、何を言い出すのかと、非難が含まれていることなど関係ない。陽斗はニッコリと笑って見せる。 

 会社でも取引先でも、定評がある。女子には特に効果抜群だ。だが、性根から腐っているやこいつには、逆効果だったようだ。口角はどんどん下がって、鬼のように目が尖っていく。挙げ句の果てに。

「いえ、こちらこそ大変お世話になっています。ここのところ長い時間彩芽さんと一緒にいて、充実した時間を過ごせました。すみません。貴重な二人のお時間をいただいてしまって」


「いえいえ。仕事ですし、仕方ないですよ。僕は、彩芽と四六時中一緒にいますので、お気になさらず」

 二人とも笑顔だが、目が怖い。

 そして、関口は付け加えた。

「それにしても彩芽さんの旦那さんって、想像してたよりも、ずいぶん子供っぽい方なんですね。少し驚きました」

 

 二人の間に飛び散る火花。

 火の粉を浴びまいと、彩芽はうんざりしながら一歩ずつ引いていく。いくら鈍感だと言われても、さすがに、気付く。陽斗と関口のやり取りの水面下どころか、表面に思い切り出ている嫉妬心。彩芽から酸欠になりそうなほど、深い溜め息をつくと、関口が彩芽へ向き直っていた。 


「今回、二人でがんばった商品が採用されたんだ。この先も二人で、一緒に仕事を頑張ろう。掲載用の商品撮影も立ち会わなきゃいけないし、今度二人でランチ打ち合わせでもしよう。じゃあ、また明後日。ゆっくり休んでね」

 二人という単語を強調する関口。彩芽へはしっかりと目元も弧の字を描かせる。だが、陽斗に向けた途端、能面のように無表情になり、置き土産とばかりにキッと睨み付け、踵を返した。そして、関口は不満を撒き散らしながら、人混みの中へ消えていった。

 

 完全に関口の背中が見えなくなった頃、彩芽はそっと横で黙りとしている陽斗をみやる。への字の口元。怒りの瞳。どこからどうみても、不機嫌だ。

 

「もしかして……やきもち?」

 仏頂面する陽斗に、彩芽はそっと尋ねる。

 返答はなく、相変わらずむすっとしている。面倒くさいというのが、一番の感想だが、ちょっと面白いというのも本音だった。彩芽がくすくす笑っていう。

「大学終わりくらいの時。私が、先輩から告白っぽいのされたって陽斗に相談したときは、全然興味無しって顔で、冷めた感じだったのに」

 こんなに腸煮えくり返っている時に、その話をぶり返すかと思う。

 告白されたんだよねと、彩芽から報告されたのは、家のテレビでお笑いを見ながら飲んでいたとき。ナッツを食べてる最中、前触れなく突然そんなこと言ってきた。

 興味無しという風に見えたのは、あまりに唐突で聞こえてきた内容を、脳が把握するのに時間がかかったからにすぎない。ちゃんと理解する前に、彩芽が「断ったけど」と言ったから、取り乱すことなく「ふーん」という一言で完結できただけの話だ。

 あのまま放置されたら、気が気じゃなくなっていただろう。

 

「あの時は私のことなんて、どうでもいいって感じだったけど、今は陽斗が嫉妬してくれて、ちょっと嬉しいかも」

 彩芽は、ニコニコいってくるから、陽斗はいった。

「そういう発言するから悪いんだぞ」

 何が? と言おうとした彩芽の唇を塞ぐ。この状況を理解して暴れだす前に、陽斗はそっと離す。途端、彩芽の頭から大量の水蒸気が吹き出して放心していた。何拍か置いて、やっと正気に戻る。

  

「ちょ、ちょ、ちょっと! 何考えてんの! ここ……道のど真ん中! すぐ近く職場! あり得ない!」

 涙目になりながら、落ち着かない様子で右往左往し始める彩芽。

「抱きついてきたのは、彩芽が先。これで、おあいこ」

 陽斗はニヤッと笑いながら、思う。 

 どうせなら、あいつの前でするべきだったか。


 

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