第28話 それぞれの答え4

 ――選定会前日。

 最終打ち合わせ会議と称して、和食居酒屋で行っていた。

 メンバーは、藤原、関口、彩芽のお決まりの三人。テーブルには枝豆、卵焼き、サラダなどのおつまみが、並べられている。

 

「これで、怒涛の残業地獄も、今日まで。二人とも本当にお疲れ様」

 三人手に持った生ビールジョッキをカキンと合わせて、一気飲みしていく。関口は、そんなに強くないと言っていたが、藤原と彩芽につられるように、空にしていた。

「大きな仕事を終えた後の酒は、格別においしいね」

「関口君はともかく。藤巻さんは、明日プレゼンするんですから、酔いつぶれないでくださいね。頑張ってください」

 彩芽がそういうと、藤原は薄い頭を撫でて、目じりを下げる。お代わりに日本酒一升を頼んでいた。

 選定会は、投票形式。一番票が集まっものが、中元歳暮カタログのトップページを飾ることができる。プレゼンは、バイヤーの仕事。彩芽たちアシスタントは、実際の品物を試食してもらったりするための用意など、裏方仕事へ回り、状況を見守る。 

「あんまり、プレッシャーかけないでくれよ。場数踏めばプレゼンなんて楽勝になるなんて、昔は思っていたけれど……この年になってもやっぱり、緊張しちゃんだよ。だから、前日は飲まないと」

 藤原が頼んだ大吟醸の一升瓶が、ドンとテーブルに置かれる。そのあと、店員さんが日本酒用のグラスを三人分持ってきてくれた。

 彩芽は、本番前日こそ飲んではまずいのではと思うのだが、藤原の言い訳も少しは理解できた。

「高島さんも、日本酒飲むでしょ?」

「もちろん、いただきます」

 お互い注ぎ合うのは面倒だから、各自で注ぐことになっている。藤原、彩芽、関口の順にグラスへ注ぎ、再び乾杯とグラスを合わせた。

 

 

「飲みたい気持ちも、わかる気がします。あの雰囲気ですもんね」

 彩芽がポツリと言って思い出す。

 去年、雰囲気だけでも見てみろと言われ、関口も含めた同期同士で中元歳暮用ギフト選定会を見学しに行ったことがある。その時の雰囲気は、強烈でよく覚えている。あまりお目にかかることのない代表取締役を始め、関東県内にある支店の店長と食品部長、販売促進部長……この会社の主要メンバーは一通り集まっていた。その強者たちが放つ眼光はやはり普通の社員とは一味違って鋭い。そこから電気でも流れているのではないかと思えるほど、空気がピリピリしていて、見学しているだけで感電しそうだった。

「むしろ、あの場に立てるだけでも、凄いなって思います」

 関口も続いてそういう。その顔はすでに真っ赤になっている。彩芽も、関口に次いで大きく頷くと、藤原は苦笑していた。

「いずれ、君たちの番が回ってくるんだからね。会社っていうところは、どんどん若い子たちが入ってくる。君たちはどんどん先輩になって、教える立場になって、責任も増えていく」

 藤原の言う通りだ。少しずつ、背負う責任は重みを増していって、自分だけというわけにはいかなくなる。肝に銘じなければならない。関口と彩芽は、重い言葉を受け止める。

「僕も、色々あったなぁ。会社辞めようと思ったことも、何度もある」

「え……藤原さんがですか?」

 関口が酒で赤くなった瞼を見開くと、苦々しい顔をして藤原は頷いていた。

「うん。働いていると、本当に色々あるじゃないか」

 まだまだ、働き始めて日も浅いが彩芽にも、思い当たる節はたくさんあった。


 クレームばかりのお客様対応、ちょっと面倒くさい取引先、社内では違う部同士で意見がぶつかり合い、軋轢を生むこともしばしばだ。特に、販売促進部と、他バイヤーが火花を散らしているのをよく見かける。自分もそういった立場になっていくのかと思ったら、怯んでしまいそうになることもある。

「辞めるのを思いとどまった理由は、何だったんですか?」

 彩芽がグラスへ口をつけるながら尋ねると、藤原も一口飲んで、枝豆をつまむ。一拍置いて、咀嚼し飲み込んで、口を開いた。

「気力と仕事のやりがい。あとは、なんだかんだ言って、お客様の励ましの言葉は結構大きいかな。実際クレームも多いけど、喜びの声を聴くと、やっぱりうれしい。頑張っていれば必ず見ていてくれる人がいるんだなと思える。……そう思っていたら、また突き落とされて、また報われる。そんな繰り返しをずっとやってきた」

 なるほどなと、納得する。お客様も色々な人がいて、一概にすべてクレーマーというわけではない。強烈なクレーマーのせいで、埋もれてしまいがちだが、働くスタッフを褒めてくれるステキなお客様もいる。

 

「まさに仕事というのは、飴と鞭。その比率が均等に保たれていたから、僕はこれまで何とか続けられてきているって感じかな」

「どうにか、飴の方が多くなりませんかね」

 関口が卵焼きを頬張りながら、ボソッと呟くと、藤原はあははと笑っていた。

「うーん。それは、なかなかねぇ。あとは、仕事から飴を見つけ出すんじゃなくて、他のところから見つけ出すっていう手もあるよね。もちろん僕は、妻だ」

 明け透けにそういう藤原は、グラスを空けてまた、注いでいた。

 関口を見て、藤原は一瞬、しまったという顔をしていた。だが、それを吹き飛ばすように関口は、口の中の甘い卵焼きを日本酒で流し込んで、明るくいった。


「そんな、気を遣わないでくださいよ。もう僕は、行くべき道を決めて、吹っ切れているんで、大丈夫です!」

 関口はお代わりした日本酒グラスを一気飲みし、やせ我慢に見えない明るい笑顔をこぼす。藤原は、その行動は引き摺っているのではと、危惧していたが、アルコールの作用もあって深く考えることはやめたようだ。その言葉を真に受ける。

「そうか。それならよかった。じゃあ、高島さんの結婚話は、解禁ね」

 藤原は、血行が良くなった溌剌とした満面の笑みを浮かべて、彩芽を真っすぐ見た。

 

「この前、関口君がショック受けてたから言い損ねたけど、高島さんはちょっと突っ走り気味で、少し心配になることがあったんだ。だけど、もうそんな心配しなくていいね。君にいいパートナーができて本当によかった。僕を見習って、甘い家庭を目指してね」

「そういう発言がセクハラだって、言いませんでしたっけ?」

 彩芽は頬を真っ赤にさせて、居たたまれなさそうに目を逸らして、グラスへ口をつける。関口はさらに、日本酒をたっぷりと注いでいた。その横で、藤原は心外という顔をしている。

「え。そんなに悪いこと言ったかな?」

 藤原は、子犬のような目をして、関口へ助けを求める。

「高島さんは、ピュアなんです。あまり虐めないであげてください」

 お代わりしたグラスへ再び手を付けて、投げやりにそういう関口。さらに、サラダをむしゃむしゃと食べ始める。

 藤原は、弱ったなぁといって薄い頭を撫でた。

 

「じゃあ、明日は、お詫びに最終選考用の余ったお菓子とワイン。特別に持って帰っていいよ」

「え? いいんですか?」

「うん。足りなくなったら困るから、少しだけ多く取引先頼んでおいたんだ。特別だよ」

 彩芽の顔がパーッと明るくなる。

 ずっと残業続きだった上に、陽斗と休みが重なることもなかった。そもそも、陽斗の会社は暦通りの休みだが、彩芽は違う。

 繁忙期は土日出社もざらにある。年末年始は、まさにその時期。会社から帰ってきたら、疲れ果てて泥のように眠るだけのような日々が続いていた。一緒にいられたのは、作ってくれたご飯をさっと食べているときと、隣で眠る時くらい。自分が休みの日は平日で、陽斗は仕事。彩芽は、家で仕事をし続けていた。そのため、ここ最近は、一緒に飲むことも他愛のない話もあまりできていなかったなと思う。

 けれど、やっと明日で解放される。しかも、その翌日は日曜日で休みが取れた。久々に陽斗と休みが重なる。明日の夜は、陽斗を誘ってパーッと飲みに行って、家でバイヤーお裾分けの品を二人で楽しむのも悪くない。

 そんなことを考えていると、藤原ニヤニヤ顔とかち合った。

 

「今、旦那さんの顔思い浮かべてたでしょ? 普段と全然違う顔してるよ」

 言い当てあられて、彩芽の顔から火が出そうになる。

「高島さんって、わかりやすいよね。普段もそうだけど、こういう話すると猶更」

 弱点を見つけたといわんばかりに、面白可笑しく笑い転げる藤原。

「なかなか旦那さんも、大変そうだね。でも、そこがまたいいのか。妻と付き合ってた頃を、思い出しちゃうよ。青春してるみたいで、こっちまでワクワクするなぁ」

 藤原は、酒が進むといって、日本酒を煽った。

「……さっきから、セクハラが過ぎますよ」

 彩芽は、今度こそ鋭く睨む。だが、いつものような鋭利さは鳴りを潜めてしまっているのか、酒のせいなのか、藤原にあまり効いていなさそうだった。ごめん、ごめんと謝罪しながら、満面の笑みだ。全然懲りていない。彩芽は、はぁっとため息をつく。


「この辺りに、肩が凝らないようないい感じの居酒屋ってないですか? 私、新宿って、いまだによくわからないんですよね」

「それなら、焼き鳥屋は、どう? 会社の裏通りを少し行ったところにあるんだ。二年ほど前にできたんだけど、肉厚な鶏肉が大人気ですごく旨いんだよ。渋谷と新宿の二店舗だけしかないんだよ」

 この前、他愛のない話をしていた時に、陽斗が先輩に連れられて行った店が、すごくおいしかったんだと言っていた店名と同じだった。今度一緒に行こうと話をしていたし、ちょうどいい機会だ。

「じゃあ、早速明日そこに行ってみます」

「旦那さんと行くの?」

「……まぁ、ちょっと誘ってみようかなと思って」

「へぇ。デートに焼き鳥屋か。さすが、高島さんだね」

 上機嫌にそう言って、「あ」と、藤原が手を叩いた。話がガラリと変わる。

 

「すっかり忘れてたんだけど、高島さんの名前って、何になるの?」

「名前……? あぁ、苗字ですか。西澤です」

「ちゃんと、人事に伝えた? 旧姓のまま続けるでもいいんだけど、他の手続きもあるから、報告はしないとまずいと思うよ。保険証もあることだし」

「そういえば、そうだ。勝手に婚姻届け出されたから、事務手続きまでは、何も考えていなかった。会社だけじゃなくて、他にもやることってありますよね?」

「女性は、銀行の口座名も変えなきゃいけないだろうし、引っ越しするなら住民票の申請もしなきゃいけない。あと、身分証明書とか? 結婚すると、そういうやらなきゃいけないことって結構多いよ。よく調べてごらん」

「時々しか出ない役立つ情報、ありがとうございます」

 さんざん弄ばれた彩芽から、鋭い嫌味が出る。藤原は、全く気にせず「どういたしまして」と上機嫌に笑っていた。

 その後は、陽斗のことを根掘り葉掘り聞かれ続け、仕方なく彩芽が答える。それを繰り返していると関口は、話の合間に「僕は、全然、平気です!」と突然叫び、ひたすら日本酒を煽っていた。

 結果、酔いつぶれた関口を前に、彩芽は藤原へ冷たい視線を送っていた。


「こんなにしたの、藤原さんのせいですからね」

「え……僕、何もしてないよ」


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