第26話 それぞれの答え2
「次のステップって……どういうこと?」
すごいことを始める母たちのことだ。とんでもない隠し玉を実は、持っているのかもしれないと、陽斗と彩芽は、身構えながら質問していた。
「私たち、引っ越すことにしました」
二人は声を重ねて、あっさりと答えていた。何だ、ただの引っ越しか。そう思ってほっとしたが、後からじわじわとボディブローのようにダメージがやって来たかと思ったら、衝撃まで加わって大きくなっていった。
「え? 引っ越すって……ここから?」
「当然」
「二人とも?」
「そうよ」
「この家は?」
「売り払う」
歩美と佐和が、淡々と交互に答えていく。質問すればするほど、彩芽の思考が徐々に止まってしまって、最後には言葉を失っていた。彩芽の質問権を、陽斗が引き取っていた。
「っていうことは、おふくろたち、二人一緒に住むってこと?」
「それは、ノー。全然違う場所に」
冷静に受け止めていた陽斗も、多少なりとも衝撃を受けた。
歩美と佐和の絆は、子供同士よりも深く太く繋がっているはずだ。時に、くだらない話をして笑い合って、子供には言えないような愚痴を言い合っていたはずだ。それを何年も続けてきた仲。
それを、どうしてわざわざ終わりにする必要があるのだろうか。
「なんで? どうして急に?」
彩芽が混乱した頭のまま尋ねると、歩美はワインを一口飲んだ。グラスを隔てた向こう側に、彩芽が見えない景色が見えているかのように、遠い目をしていた。
「おじいちゃん亡くなって、おばあちゃん一人暮らしだって知ってるでしょ? だから、田舎に戻ろうと思うの。そろそろ、一人だと心配な時期だし。おばあちゃんからは、来るなって言われてるけどね。一人のほうが気楽だってさ。心配させたくない、迷惑かけたくないと思う気持ちはわかる。こんな年齢でも、一応娘だし。でも、やっぱりおばあちゃんは、私の母。心配なのよ。それに、田舎は昔住んでいた場所でもあるから、パラパラと友達も地元に残っていたりするの。だから、新たな飲み相手だって、できるかもしれないしね」
「田舎って……鹿児島じゃん……」
彩芽は、心を落ち着けようとワインを口にしようとしていたが、途中で止まってしまう。黒目は左右に揺れていて動揺を隠しきれないようだった。
「おふくろは?」
今度は、陽斗が佐和へ問う。広がっているお菓子へ手を伸ばし、バリバリ食べながら、面倒くさそうにいった。
「ずっと燻っていた陽斗という大荷物が片付いたことだし、ずっと好き勝手やり続けてる旦那と、もう一度住んでみようかと思ってね。今、愛媛にいるから、海外よりいいでしょ。あっちは、国内とあって、更に羽伸ばし放題みたいだし。急に私が来たら、無理ってなるかもしれないけど。まぁ、それはお互い様だしね。妥協しながら、受け入れながら、もう一回試しておこうかと思うわけ」
「試す?」
「老後も一緒に過ごせる相手がどうか確かめないとって、ことよ。今は、あっちも仕事していて、私と向いている方向がまるで違う。だけど、仕事抜きで純粋に二人で生活した時、やっていけるかどうか、確認することは大事なことでしょう? 所詮夫婦といえど、他人だし。よく見極めないと。よぼよぼになって、急に一緒に暮らし始めてみたら、私この人と生活するの無理だったわって気付いても、年取りすぎていたら何もできないじゃない。私は、選ぶ人を間違えたって思いながら、死んでいくの嫌なの」
「じゃあ、もし無理って思ったら、どうするつもりだよ?」
「そんなの決まってるじゃない。熟年離婚よ」
質問し続けていた陽斗よりも彩芽の方が衝撃を受けたのか。彩芽が、むせ返って、涙目になっていた。
「本気で言ってるの?」
「もちろんよ。誤解のないように言っておくけど、お互いを理解し、歩み寄ろうと努力した上でよ? 軽々しく離婚するつもりはない」
佐和は、涼しい顔して言ってのける。歩美は、至極まっとうな判断だといって、言葉を添えた。
「人生ってね。色々選択肢があるのよ? 結婚が不幸になるのなら、いくら時間が経っていたとしても、離婚した方がいいに決まってる。自分を犠牲にしてまで、結婚を継続するなんて考え方は、古い。もちろん、その代償として、孤独がつき纏ったり、周りを巻き込むこともあるかもしれない。でも、我慢のストレス貯めて、自分の一度きりの人生終えていくくらいなら、自分の趣味に突っ走って、その中で仲間作ったり、楽しんだりしていればいいと思うのよ。今や、ネットもあるしね。繋がりたい放題でしょ」
そこまで、喋って慌てて付け加える。
「もちろん、生涯パートナーで居続けられるのならそれに越したことはない。その方が幸せに決まってるしね。だから、あんたたちは、やめてよね」
加えた念を押しに、聞いていた佐和も激しく首を縦に振ってワインを手にする。そして、にこやかにいっていた。
「お父さんとはどうなるかはこれから次第だけど、私と歩美さんの友情は、生きている限り続くということは間違いない。あんたたちがくっついてくれて、より強固な絆となったわけだし。お父さんとダメだったら、さっさと捨てて、私は歩美さんの田舎近くに住むつもりよ」
そこまで話し終えると二人は「かんぱーい」とグラスを合わせて、グイっと飲んで、満足そうに笑っていた。
「前にも言ったと思うけど、どんな人でもずっとこのままって訳には、やっぱりいかないものなのよ。彩芽とハル君がそうだったように、お母さんたちにも変化は訪れる。実際に、二人は出ていったわけだし。これは、大きな節目。お母さんたちの旅立ちでもあるわけ」
「出会いがあれば、別れる時も来る。変わりたくなくても、変わらなきゃいけない時が来る。年をとればとるほど、その変化はどんどん押し寄せてきて、どちらかというと、悪い方向へ流されがち。若い頃は、時々ポコッと現れた落とし穴だったのが、今や、大きな大穴ってことはよくある話よ。それでも、お母さんは、楽しんだもん勝ちだと思うのよ。人生山あり谷ありっていうけど、落ちた谷底でも、おいしく飲んで食べて暮らすっていうのも、割と楽しかったりするかもしれないわよね」
そういって、歩美と佐和はまた飲んで、騒いでいたが、こちら側はそれなりの衝撃だった。
直接投げ込まれた爆弾が爆発するようなものではなかったかもしれない。だが、仕掛けられたトラップに引っかかって、致命傷ではないけれど針が無数に飛んできて、刺さってしまったくらいの痛みはあった。その棘が、今もチクチク痛んでいる。
「お母さんたち、前向きなのはいいけどさ。あの家、無くなっちゃうのは、嫌だな……」
彩芽が立ち上がったパソコンの画面をぼんやりと見つめ、ポツリと呟く。
「何だかんだ、俺たちずっとあそこにいたわけだし。それはそれで、感慨深いものはあるけど、仕方ないだろ」
「どうして、そんなに簡単に割り切れるのよ」
「おふくろたちも、たまにはいいこと言っていただろ。変化は必ず訪れるものだって、さ」
彩芽は、顎を引いて黙り込んでしまう。
落ち込み気味の彩芽を横目に、陽斗の頭はふと思う。一度親たちの肩を持ってみたが、それは正しい認識なのか。陽斗は、急にうーんと唸り始めていた。
「でも……本当にそれだけの理由なのか。怪しく思えてきた」
「あんなにちゃんと話してくれたじゃない。それ以外の理由なんてないでしょ。いくら何でも、疑心暗鬼になりすぎ」
彩芽は怒りを滲ませるが、考えても見ろと陽斗が制する。
「そりゃあ、そうなるのも仕方ないだろ。俺たち好き勝手なこと散々されたんだぜ? それを、さっと流せる彩芽が単純すぎるんだよ」
彩芽がうっと、みぞおちにパンチを食らったような顔をしながらも、ぼそぼそと呟いた。
「じゃあ、まだ何か企んでるっていいたいの?」
「うーん。わかんないけどさ。でも、引っかかったことがあったんだよ。一か月後に引っ越し業者来てもらうように手配もしているっておふくろ達が言ってたとき、彩芽が『片付け、手伝いにいく』って申し出ただろ? その時、頑なに拒否してた。それが、なんか……」
「……確かに、そこは私もちょっと引っかかったなぁ」
引っ越し業者も、決まってて、二人同時の引っ越しだから結構な割引があったと、はしゃいでいた。その時、引っ越しはちょうど一ヶ月後だと聞いて、彩芽が手伝いに行くといったら、急に真顔になって「引っ越しの手伝いなんて、頼めない。絶対にあんたたちは、来ないでね」と言っていた。理由を尋ねれば「二人は仕事があるでしょ。私たちは、暇だから」と言っていた。
しかし、二人は片付けが苦手。こちらから申し出しなくても、強制的に手伝えと言ってきそうなところなのに。
「だろ? 何かまずいものでも、隠してるんじゃないか?」
「まずいものって、何? まさか、何かの犯罪の証拠があるとでも、いいたいわけ?」
「そこまでは、いわないけど……でも、考えてみれば、俺たちにしてきたことだって、ほぼ犯罪だろ」
「そこは、水に流したようなものだからいいでしょ……自分たちの親なのに、変な疑いかけないでよね」
彩芽は、軽蔑するような顔をよこして、害した気を紛らわせるように、パソコンに向けていた。
「じゃあ、私は一仕事するから。陽斗は、テレビでもなんでも、お好きにどうぞ」
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