第15話 答え合わせ3

 これから会う相手は、四六時中顔を会わせている相手だ。それなのに、どうしてこんなに緊張するのか。口の中はカラカラになっているし、武者震いまでしてくる。サッカーをしていた頃、大きな試合の前は、大きなプレッシャーを感じたものだが、かわいいものだったとさえ思える。


 そんな中で、昨晩考えたプランをもう一度復唱する。

 予め調べておいたイタリアンで食べ終わったあと、高校の時に行ったルートは避けながら歩いて、イルミネーションの街道でいい雰囲気になったところで、これまでの思いを伝える。これを動揺することなく、淡々と遂行すればいい。落ち着けば、大丈夫だと言い聞かせながら、スマホの画面を光らせる。

 時刻は、十九時半と表示されている。ついでに、彩芽から来た返信をもう一度見返してみる。

『二十時くらいに行けるように、がんばる』

 このニュアンスだと、恐らく遅れてくるはずだ。故に、まだ彩芽と顔を合わせるまでに三十分以上ある。

 ともかく、この緊張感を身体から追い出さなければ。一旦待ち合わせ場所の駅の改札から、離れることも考える。だが、ここから出たところで行く宛も特にない。どうするべきか。右往左往しているとき、背中にドン衝突していた。危うく歩い ていたカップルにぶつかりそうになる。誰だ。思い切りぶつかってきやがって。驚きよりも、怒りが勝って、振り返る。そこに黒のスカートに黒いジャケットの上にコートを羽織ったニヤニヤした彩芽が立っていた。


「お前、そういうのやめろよ。人とぶつかりそうになっただろ」

「さっきから、挙動不審すぎるんだもん」

「いつからいたんだよ」

「五分前くらいかな。もうちょっと観察してればよかったかな」

「悪趣味」

 陽斗が軽く睨むと、彩芽がニッコリと微笑む。先程の衝撃のせいか、この笑顔のお陰か、 緊張がずいぶんと緩和される。

「じゃあ、行くか。腹減った」


 駅を出て、クリスマス前で人の流れは大きな波となっている。その中に埋もれながら、頭一つ分下にある彩芽は、きょよきょろと周りを物珍しそうな顔をして眺めていた。

「この辺、ずいぶん変わったんだね。昔は観覧車とか、商業施設もなくなってて、びっくり」

「随分と時間も経ったわけだし、変わるさ」

 それだけの年月が経てば、変わらないものなんてないと思う。彩芽は、随分と綺麗になったなと、さらりと台詞が吐ければ、どんなにいいか。まぁ、そんなことできていたら、こんな回りくどいことなどしていないわけで。

 そんなことを考えていたら、目線が下にある彩芽と目があった。忘れかけていた緊張感が舞い戻ってくる。

 


「で、どういう風の吹き回し? 急にお台場なんて」

「この前の彩芽の誕生日、めちゃくちゃになったし。いい機会だから、八年前言えなかったことを、ちゃんと伝えるのもいいと思ってさ」

「言いたかったこと?」

 彩芽が呟くと、「あぁ、あれか」と当時のことを思いだしたのか、ずっと合わせていた視線が急に落ち込んでいた。

 その表情。やはり、あの時、彩芽は俺の真意に気づいていたのだろう。自分が彩芽へ思いを告げようとしていたことに勘づき、あの発言をして、牽制していたのだと確信する。ということは、当時ちゃんと彩芽へ告白していたとしても、確実にふられていたのだろう。

 うやむやになっていた真実が、明け透けになってしまい、あの時よりも深く落ち込みそうになったとき、彩芽は想定外すぎる発言をしていた。 

 

「あの時、陽斗に付き合っていた人がいたって……話でしょ?」

「は?」

 突飛なことを言い出す彩芽に、陽斗の足は止まってしまっていた。

 道のど真ん中で立ちすくむ陽斗に気付いた彩芽も、一歩前のところで、止まってしまう。二人が人の流れを遮る形となって、追い越していく人々が、不機嫌そうに振り返り睨んでいた。そんなことも気付けぬほど、陽斗の頭の中は疑問符でいっぱいになる。それを何とか、頭の外へ追い払う。

 

「そんな相手がいたはずないだろ」

 真実のままに否定すれば、彩芽の丸い瞳は釈然としないとばかりに瞬かせていた。どうしてそんな反応になるのか、まるでわからないし、何故付き合っていた人がいたなんて、思われていたのだろうか。思い当たる節がなさすぎるのに、彩芽は言い切っていた。

「嘘よ。私、みたんだから。八年前のここに来る一週間前。サッカークラブのグラウンドで、みんなの前で陽斗がマネージャーしてた女の子と……キス、してたの」

 彩芽は言いにくそうに、けれど意を決したようにまっすぐ見つめて言い放った。

 その瞳の奥から、封印していて悪夢が鮮明に再生され、盛大な勘違いをされていたことに気付く。そして、彩芽は長い睫を伏せてボソッと呟いた。

「あの時、ショックだったんだからね。その一週間後に、私の誕生日で……それどころじゃなかった」

 彩芽の僅かな嫉妬が見えたのは自惚れだろうか。同時に、八年前に彩芽が言った言葉の真意の輪郭がぼんやりと見え始める。

 その瞬間、八年もの間、分厚い雲に覆われ続けていた心に、やっと光が差し込んできたような気がした。身体がふわっと軽くなって、口元が自然と緩んでいく。そんな陽斗に、彩芽は不満そうな表情を向けてくる。もしかしたら、彩芽がいうキスというものを思い出して、にやついているとでも思われているかもしれない。

 これ以上、大きな勘違いをされたらたまらない。ずっと封印していた、最悪の出来事を解除するしかないようだ。陽斗は、夜の冷えきった空気を肺が痛くなるほど、大きく吸い込んだ。


「その時、彩芽いつからいたんだ?」

「……練習試合が終わった直後」

「じゃあ、やっぱり試合前のやり取り見てないんだな」 

 きょとんと瞬く丸い瞳。透き通った瞳に、あんな汚い悪夢を露呈させるのはやはり勇気がいる。だが、仕方ない。肺に貯めた酸素すべて吐き出した、


「その日は、サッカークラブ内の練習試合だったんだ。その時に、いつもの練習相手と試合しても、緊張感が足りない。じゃあ、罰ゲームを課そうって話なったんだよ。その内容は、負けたチームのキャプテンは、公衆の面前で死の接吻を受けなければならない」

「死の接吻?」

「そう。それで、見事俺のチームは負けて、キャプテンだった俺がその罰を受けなければならなくなったという訳」


 落ち込んでいた彩芽の瞳が上向く。だが、それは一瞬でまた不満そうな顔に戻って、考え込む。

「……本当に? 負けて、マネージャーからのキスじゃ、罰どころかご褒美みたいじゃない」

 むすっとしていう彩芽に、陽斗は額に手をやって項垂れた。これ以上、思い出したくもない。いちいち事細かな状況を説明してしまったら、口が腐ってしまいそうだ。でも、盛大な勘違いをしている彩芽にちゃんと理解して貰うためには、言わなければならない。

 

「……相手の顔、ちゃんと見てないんだろ?」

 彩芽は大きく頷く。

 理由を答えてやるべく、口を開きかけるが、全身鳥肌が立ちはじめる。それを、拳を握ってねじ伏せて、勢いをつけていった。

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