第14話 答え合わせ2

 促された席に座った関口は、少し寂しげに見えた。

 彩芽は、そんな関口に目を瞬かせて、その理由を考える。さっき、話しかけにくかったとも言っていたから、恐らく関口はワインの話がしたかったのに、 自分がずっとスマホに集中してしまっていたからだと思い至る。

「ごめん、ごめん。昨日の続きのワインの話だよね?」

 背に隠していたスマホを、 テーブルの上にポンと置いて視界の外へ追いやる。そして、いつもポケットに忍ばせてあるワイン一覧表を机の上に出して、関口の前へと広げてみせた。

 

「ワインデビューしたいっていうお客様がいらっしゃった時、これ、見せるんだ。私ががんばって作ったワイン基礎知識表。結構、好評なのよ」

 彩芽が広げたのは、ワイン品種一覧表というものだった。

 ワインの知識のない関口でも耳にしたことがある品種のカベルネ・ソーヴィニヨンから始まり、呪文のようなテンプラニーリョという品種まで、ズラリと並んでいた。そして、各品種の横に産地、価格帯、どんなの味なのかが書かれている。それらは、すべて彩芽の手書きだ。関口はそれを手に取り、前のめりになりながら、食い入るように見つめていた。

 関口から何か感想が出てくるかと思っていた彩芽だったが、ひたすらの沈黙で、不安に押されて耐えきれず、何となく重たい空気をかきけしていた。

 

「やっぱり、字が汚くて、読みにくいよね。時代はもう、手書きじゃないし。やっぱり、パソコンで打ち直そうかな」

「そんなことないよ。すごく、いい」

 彩芽の言葉を打ち消すように、しみじみとした関口の声は真剣そのものだった。こんなに誉めてくれるとは思っていなかった彩芽は、少し気恥ずかしくなってきて、ワインの説明をしようと口を開きかける。だが、それを遮るように関口はじっと彩芽のリストをみながら、言った。

 

「高島さんは、どうしてワインの道に進もうと思ったの?」 

 関口の唐突な質問に彩芽の丸い瞳は、疑問符が浮かぶ。どう答えようか。考えあぐねていると、関口は相変わらず、彩芽の丁寧で妥協のない文字に、真剣な眼差しを向けていた。しばらくすると、関口はすっと、貴重品でも扱うように慎重に彩芽へと戻す。そして、関口は背中を背もたれにくっつけて、自らを嘲笑うかのように胸の内を明かし始めていた。

 

「僕が、ここに就職したのは、行き当たりばったりだった。ただ、それなりの企業に就職できればいい。そして、できることならば、食べることが好きだから、そういう関係に携われたらいい。そんな、ぼんやりとした動機だけで、ここにやってきたんだ。洋菓子に対する思い入れとか、全くなくて、ただ配属されたからここにいるだけ。働いていれば、多少は変わるかと思ったけど、今も本当は、大して変わっていないんだよ。ただ、仕方なく仕事だから、こなしているって感じで。高島さんのように、確たる意志や情熱があって働いているって訳では、全然ないんだ。僕は、本来高島さんと肩を並べて働けるような人間じゃないんだよ」

 関口の本当ならば、包み隠したいはずの仕事に対する吐露に、彩芽は「いやだなぁ。私、そんな出来た人間じゃないよ」と、寄り添うに困ったような笑みを溢す。

「でも、関口君、今回のコラボの話、すごく熱心にやってくれてるじゃない」

 掬い上げようとする彩芽の言葉に、コラボの話に積極的になったのは、彩芽がいたからだ、なんて、言えるはずもない。

「動機が不純なだけだ」

 わざと曖昧な答えをして、有耶無耶にしようとしたのに、彩芽は一生懸命理解してくれようと考え込んでしまう。そんな彩芽を前に、申し訳ないと思いながらも、関口は話を逸らした。 

 

「そもそも、高島さんは、この道に進みたいって思ったから、就職してきたんだろう? 高島さんと僕とでは、仕事の向き合い方が、根本的に違うんだ」

「何言ってるの。私も似たようなものだったよ。これといった得意分野も、取り柄なかったから、自分の働きたい場所も全然思い浮かばなかった」

「……就活してた頃から、ワインの道って決めてたんじゃなかったの?」

 彩芽の回答に、影が落ちていた関口の瞳が見開かれる。その反応に、彩芽はそんなに買い被られていたなんてと、関口以上に目を丸くしていた。

 

「全くだよ。ワインを仕事になんて、頭の片隅にもなかった。だから、いざ就職活動っていうとき、本当に何の意欲も沸いてこなかった。これだって思えるものもないし、強みもない。私は、完全に落ちこぼれ。頭を抱えるばかり。あの頃は、本当に自分が嫌いになりそうだった」

 彩芽は、肩を竦めて、苦悩の日々を遠い目で思い返す。自然と視界の外に追いやっていたスマホを、両手の中に戻し、握りしめていた。

 

「それに引き換え、隣の奴は、小さい頃からサッカーが得意で、みんなより秀でていて。そこにまっしぐら。自分はこの先、どこへ行けばいいのか……なんていう迷いとは無縁でさ。サッカーの夢が破れて、少しくらい悩むかと思いきや、あっさり就職決めて、ヘラヘラしちゃって。それ見て、めちゃくちゃムカついて、焦って、ずっと悶々としてた」

 彩芽が睨み付けるスマホの奥に、余裕の笑みを浮かべている陽斗がちらついた。それをふうっと大きなため息で吹き消しながら、顔をほころばせた。

 

「そんな落ち込んでる時にね、どういうわけか、急にそいつが、ワインもって来てくれたんだよね。その当時は、私全然ワインなんてわかんなかったし、そもそも好きでもなかったの。親たちは私が小さい頃から、散々飲んでて身近ではあったけれど、美味しさも全くわからなかった。だけど、それを飲んだら、初めてワインってすっごくおいしいんだなって思えたんだよね。どうやって選んだのかって聞いたら『売り場の人に聞いて、勧められるがまま買ってきた』って言っててさ。説明書きもあるっていうから読ませてもらって。初めてワインをつくるぶどうの種類ってたくさんあって、それぞれ味が違うっていうのを知ったの。そして、そこで初めて覚えた品種がブルゴーニュ。その瞬間、もしかして、ワイン相手なら、仕事がんばれるかも? って、うっすらと思ったんだよね。それが、この仕事に就こうと思ったきっかけ」

 ね? 全然大それた信念とかないでしょ? と、苦笑いする彩芽の瞳は、どこまでも穏やかで、大事なものに身を浸すように目を細める。

 

「就職していざ仕事をしてみたら、死ぬほど面白くて、生き甲斐感じて、今みたいに熱心になったたんだっていいたいけど、それもまた全然違ってさ。もう藤原バイヤーには見抜かれちゃった。私はただ、現実を直視するのが嫌で、逃げに仕事を使ってただけ。この表を書いている時なんて、正にそう」

 陽斗が、接待だといって、全然帰ってこなくて、もやもやしすぎて眠れなくて、これを必死に書いて気を紛らわせていただけに過ぎない。そんな理由言えるはずもなく、彩芽は本当に情けないと笑っていた。


「だから、私と同じ仲間がいてくれたって、ちょっと安心した」

 関口の嫉妬なんて付け入る隙は、一ミリもないほどに、彩芽はぎゅっと手の中のスマホを見つめていた。

「でもね、散々そうやって、仕事を逃げに使ってきたけど、今日で、やめようと思ってるんだ」

「折角仲間だって言ってくれたのに、早速抜けるの?」

「ごめん。でも、根本的な仲間にはかわりないからさ、許して。私もいい加減、純粋に向き合わないと」

 明るくそういう彩芽は、またじっと手元に視線を送っていた。そんな彩芽を目の当たりにして、関口は、改めて思い知らされる。 

  

 その相手は仕事なのか。それとも、いつも話に出てくる隣人で、彩芽の手の中にあるスマホの奥にいる人物なのか。関口は、聞いてしまいたいと思い、開きかけた口元をすぐに引き結んだ。そんなこといちいち問わなくても、彩芽が今無意識に浮かべている笑顔は眩しいほど、美しい。それが、すべての答えだ。

 もう自分の傷を広げるのは、やめよう。関口は、開いた傷口から血が流れないように、胸を押さえる。そして、これ以上惨めにならないように、清々しく笑って見せた。

「じゃあ、さっさと今日は仕事、終わらせないとね。僕も、手伝うよ」


 

 

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