第16話 答え合わせ4
「あれ、女装した道端だよ」
陽斗は、思いきって答えると、彩芽は目を見開くと同時に、え!? と叫んで、両手で口を押さえていた。
その反応に、どこまで説明すればいいのかと思い悩む。もうこれ以上、詳細は話したくないと心底思うが、一度封印を解いてしまった悪夢は、全部出しきるまで、収まってはくれないらしい。陽斗の口は、勝手に動き始める。
「黒髪のかつら被って、気色悪い化粧まで施された汚い顔。それが目前に迫ってきた時の絶望は、半端なかった……」
途端、心臓まで鳥肌が立って、体温が下がっていく。両手で腕を擦りながら、寒さを分散させようとするのに、無駄な努力と嘲笑うかのように、北風まで吹き付けてくる。そして、より鮮明に当時の当時の感触と匂いまで思い出されていた。
「……道端の野郎、その直前に、にんにく食べてやがってさ、試合終わりの汗臭さと混ざりあって、ヘドロのような匂いを放ってたんだぜ……。それが、近づいてきて、ガサガサの唇がベットリと押し付けられた時、本当に死ぬかと思った。一瞬お花畑が見えたのは、きっときのせいじゃない……」
唖然としている彩芽は、大いに引いているようだ。だが、それが真実だから、どうしようもない。しかも、それがファーストキスで……とは、流石にそこまでは、口が裂けても言いたくない。そこは意地でも押さえこんで、代わりに違う方向へと、持っていく為に付け足した。
「その地獄絵図を見て、みんな腹抱えて笑ってた。だから、嘘だと思うんなら、誰かしらに聞いてみろよ。自慢じゃないが、周知の事実だぜ」
陽斗の声はもう彩芽の耳に、ほとんど届いていないようだった。彩芽は完全に自分の世界に入り込んでいて、焦点が合っていない。やっぱり、引くよな。当然の反応だ。だから、言いたくなかったんだ。
目の前に穴があるのなら、今すぐ入って、頭まで埋めてほしいと思わずにはいられない。早くこの場から、逃げたい方向に、足が勝手に突っ走りそうになる。そんな俺の思考の矛先を変えるように、彩芽の呟きが、冷たい風に乗ってやってきた。
「じゃあ、私……ずっとあの道端の……鳥の巣頭のせいで、悩まされてきたの?」
こんな、くだらない真実に振り回されていたなんてと、今度は彩芽が頭を抱え始める番だった。
ずっと陽斗の相手は、マネージャーだとばかり……。でも、冷静に考えてみたら確かに、おかしな状況だった。陽斗が、あんなに人が集まっている面前でわざわざ、公開キスなんてするはずがない。それに、あの時観衆は「本当に、西澤君キスした!」と、女子が騒いでいた。普通ならば、悲鳴でも上がりそうなものだが、この時は、みんな大笑いしていた気がする。ふたを開けてみたら、こんなバカみたいな真実が飛び出してきて、自分が阿保みたいに思えてくる。さっさと聞いておけば、この数年間無駄にすることもなかったのに。
今度は彩芽が陽斗の代わりに、穴へ入りそうになっていく。それを見て、陽斗は少しだけ冷静さを取り戻す。
そして、やっと人の流れを阻んでいたことに気づいた陽斗は、彩芽の腕を引いて、流れの外へ出た。
人の流れから少しだけ、離れた静かな場所。道の端の街灯が届くか、ぎりぎりの場所まで、やってくる。彩芽も明後日の方向へ駆け出そうとしていた自分の世界から、引き戻されていた。
お互いの顔がぼんやりと見えるくらいの明るさの中で、二人は向き合う。
陽斗、ふうっと息を吐いて、気持ちを整える。
「……俺も、一応確認しておきたいんだけど。その一週間後の誕生日の時、彩芽『ずっと通常運転で行こうね』みたいなこと、言っただろ? そんなことを言い出したのは、俺に付き合っている人がいるって、彩芽が勘違いしたからってこと?」
先ほどの衝撃は覚めやらず、まだ焦点があやふやになってるいるが、彩芽はこくんと頷いて、暗い足元へ視線をやりながら、指先を弄ぶ。彩芽は少しバツの悪そうな顔をしながらも、小さな声で返ってきた。
「陽斗には付き合っている人がいるのに、隣人の義務感で、私をわざわざ連れ出してくれたのだとしたら、その相手に悪いなって思って」
彩芽から直接その言葉を聞けば、附に落ちすぎるほど、落ちていく。
「やっぱりか……。俺はその発言のせいで、ずっとフラれたと思い続けてきたのか……」
陽斗が不意に本音が漏らしてしまうと、いつも鈍いくせに、こんな時ばかりはしっかりと聞き逃さない彩芽は、顔をあげて、丸い瞳が落っこちそうなほど見開いていた。
「フラれたって……。私、陽斗から告白なんて、された覚えないし」
忙しなく黒目を動かして、本当に身に覚えがないと、いう。
やっぱりな、と思う。思い返してみれば、病的に鈍いのが本当の彩芽で、俺もちゃんと、わかっていはずだった。この彩芽は自分がやろうとしていることを、察知して先回りした……なんて。そんな芸当、天地がひっくり返っても出きるはずもなかったのに。あの時、彩芽が発した言葉を自分の都合のいいように、解釈していたにすぎなかった。そんな俺も、彩芽のことを棚にあげることできず、大概だなと思う。
そして、彩芽と会う前に立てていたプランは全く役立たなくなったことに気付いて、苦笑しながら、頭の外へと放り出した。彩芽相手にいくら計画を練ろうとも、その通りになるはずもない。それ以前に、進む順番は既にめちゃくちゃだ。
陽斗は、一度全身の酸素を吐き出し、新鮮な空気を思いきり吸い込んだ。
「あの日。俺、本当は彩芽に付き合ってくれって、告白しようとしてたんだよ」
「え?」
彩芽は、息をのむ。光が足りず色まではっきりと見えないはずなのに、それでもわかってしまうほど、彩芽の頬がほんのり赤くさせて、叫んでいた。
「そ、そんな雰囲気なかったじゃない!」
「高校生のガキが、隣に住んでる奴を、わざわざこんなカップルだらけの場所に誘ったんだぜ? 普通、何かしようとしているのかくらい、想像つくだろ」
「……そ、想像なんて、つくはずが……」
そこまでいいかけて、また彩芽の時間が遡ってしまったようだ。告白? と独り言を発し、彩芽の動作が完全停止する。
「えっと……それって……私の自惚れ? 陽斗、その時、私のこと好き……だったって、こと?」
いちいち確認してくる彩芽に、今度こそ脱力しそうになる。好きじゃない相手に告白して、どうするんだと、突っ込みの嵐が吹き荒れるそうになるが、そこは溜め息で受け流すことにする。そうでもしないと、どうしても彩芽の流れになって、これ以上進めなくなる。これ以上、回り道は御免だ。陽斗は、彩芽を真っ直ぐに見つめて、逃げ道をふさいだ。
「好きだったんじゃなくて、今も好きなんだよ」
陽斗は片手を彩芽の華奢な肩に手を置いて、もう片方の手を頬に添えた。彩芽にとっては、思いもよらぬ行動だったのだろう。ほんのりどころか、耳まで真っ赤になっていく。手のひらから伝わる熱が、火傷しそうなほど熱い。それでも、止める気はなかった。
大きく見開かれた瞳に吸い込まれるように、陽斗は唇を重ねた。
それは、八年間前の最悪の記憶とは比べ物にならない。想像以上に、甘くて切なくて、心が震える。
ずっとすれ違っていた思いが、やっと同じ場所に辿り着いて、通じ合う。それは、二人が初めてお互いの気持ちを知った瞬間だった。
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