第2話 酒のツマミ2


 休日の真っ昼間から、相変わらず互いの家を交互に入り浸っている母親たち。

 酒の量は多少減ったといえど、相変わらず飲んでるし、交流も続いていている。それは、陽斗と彩芽も同様だ。すでに二十四歳となった陽斗と、あと一週間で二十四歳を迎える彩芽は、西澤家か高島家に入り浸っている。

 

 二人が十年前と変わったところといえば、当時は十四歳の中学生だったのが、今は社会人となり、母親たちと同様に酒を飲むようになったことだ。

 お互い母親が酒好きということもあって、その遺伝子をしっかり受け継いでいる陽人と彩芽。休日は決まって、どちらかの家で酒の力を借りて、日々の仕事のストレスを発散している。子供の頃は大人しく、ゲームをしたり漫画を手にしていたが、今ではワインとおつまみ。昔は聞こえていたはずの母親たちの会話は、こちら側も酔っているせいで自分達の声でかき消されてしまい、今は、ほとんど内容が聞こえてこない。

 それが今の日常。



「今度、うちのデパートで販売しようとしているワイン。試飲用として、取引先からもらってきたんだ。ありがたく、飲みなさいよ」

 鼻歌を歌いながら彩芽は、ゆっくりとワインを注いで、赤に満たされたグラスを自信満々に差し出してくる。昔とさほど変わらない丸い小顔に、黒目がちの瞳がきらりと光っていた。肩くらいの短めの髪が、上機嫌にふわふわ揺れている。

 現在彩芽は、デパート勤務。食品のワイン担当。将来は、デパートにどんなワインを店頭に並べるか選定し、仕入れするバイヤーを目指している。今は、その修行の段階。まずは、ワインの味をしっかりと判別できるようにするため、経験を積むことが大事だといっているが、ただ酒を飲みたいからではないのだろうかと、いつも陽斗は思っている。

 そんなことを正直に言ってしまえば、ただ酒の恩恵がなくなってしまう。陽斗は、彩芽からグラスを受け取って、ワインを一口喉の奥へ流し込んだ。


「うん。確かに、おいしい」

「フランスボルドーのいいワインなのに、感想それだけ? 飲ませるんじゃなかった」

 彩芽は、尖った視線を向けてくる。それを、和らげるために、陽斗は彩芽にも飲んでみろよと勧めてやる。彩芽の気の逸らし方は、既に習得済みだ。思った通り、彩芽の不満気な表情は、ワインの赤に吸い込まれていく。そして、口の中に含めば、いきなり身を乗り出して、ぱぁっと明るくふにゃっとした笑顔に変化させていた。

「おいしい!」

 叫んだ途端、星のように輝き始める瞳が、予想外の至近距離となって、まともにぶつかってくる。陽斗の心臓が明後日の方向へ飛び跳ねたのは、きっと気のせいだと思うことにして、目をそらして、赤ワインを流し込んだ。

 人に文句を言っておきながら、全く同じ言葉が出てきてしまう。それに気づいた彩芽は、苦笑いして、言い直す。

「深みのある華やかな味がする」

「彩芽らしくない能書きなんて、やめろよ。人間、口の中に入るものは、うまいか、まずいか。まずは、それだけなんだから、それでいいだろ」

「まぁ、基本はね。でも、職業柄、色々繊細に味を感じ取って言葉で表現しなきゃいけないのよ。幼稚な陽斗とは、違うんです」

 彩芽は、ふふんと誇らしげに言ってのける。

 何を言うか。昔と全然変わらないくせに。胸中で毒づきながら、陽斗も再びワインを流し込んだ。

 

 ボトルを空け続け、三本目に取り掛かろうと、彩芽は横に置ていてあったボトルを更に陽斗へ突き出す。飲み始めた時は、彩芽の丸い顔の中心で誇らしげに輝いていた瞳だったが、今では酔いが回って鋭く陽斗を睨んでいる。

 絡み酒のパターンに入ったか。察知して、陽斗は、大きなため息をついていた。

 

「だからさぁ、デパート職はね、ストレスだらけなのよ。カスハラの宝庫。どこかの爽やか大手スポーツメーカー営業職とは、ストレスの格が違うわけ」

 彩芽は、視界の先にあるぼんやりと映っている陽斗に空になったグラスを突き出し、催促する。

「飲みすぎ。もうやめとけよ」

「まだ、序の口でしょ」

 大きなため息をついて、言われるがままに三本目のボトルを開けて、仕方なく彩芽のグラスへ注いでいく。

 

 飲んでもほとんど変わらない陽斗を前に、彩芽の胸には、不満が膨らんでいた。こっちは、ずっともやもやしているのに、どうして、いつもそんな涼しい顔をしていられるのだろうか。

 陽斗は、サッカー少年で、大学もスポーツ推薦で入学。そこから、プロも視野に入れいた時期もあったが、怪我をして断念。スポーツメーカーへ就職した。

 陽斗が怪我をし、プロを断念した時、彩芽も大いに心配した時期もあったが、今は、晴れて楽しそうに営業職についている。あの時の私の心配を返してほしいと思えるほどに。

 

「営業だって、ストレスだぜ? 商品売り込みに、取引先の接待、色々あるわけ」

 そういいつつも無駄に整った顔立ちは、涼しい顔のまま。とても、ストレスなど溜まっているようには見えない。むしろ、口元が緩んでいるようにさえ見える。

「営業の女の子と飲んでるだけだもんね」

 昔は、寝ぐせだらけの髪の毛だろうがまったく気にしていなかったくせに、今はツーブロックでオシャレになっているし。変に色気づいて、気に食わない。

 ぼんやりする頭からストレスが余計に立ち上っていく気がして、彩芽はスナック菓子をバリバリ食べながら、更にワインで流し込んだ。

 

 

 彩芽が限界を突破すると、決まってテレビ前のソファに倒れ込み、そのまま寝息を立ててしまう。

 今日も、まったく同じパターンだった。

 

 陽斗はため息をついて、西澤家と高島家を隔てているリビングの壁の方へと足を向けた。壁をトントントンと、三度叩く。いい加減、終わらせろという合図だ。 すると、ガタガタ音がしてトントンと了解の返事。十年前からの変わらぬ、親とのやり取りだ。

「ほら、もう引き上げるっていってるから、寝るな」

 ソファで猫のように丸くなって、彩芽の瞼がほぼ閉じられている。

 

 今は酒の力でこうなっているが、小さいころから一連の行動は変わっていない。

 ゲームを終えると、彩芽は決まって疲れたといってソファーの上に寝転んで、一瞬で夢の世界へ入ってしまっていた。場所は西澤家だろうが、自分の部屋だろうが関係ない。

 いい年齢になったというのに、成長しないものだなと、いつも思う。


「アヤちゃんあと一週間で、二十四歳! おめでとー」

 勢いよく放たれた玄関のドア。ただいまの代わりに、陽斗の母・西澤佐和が、叫んでいた。

 もちろん、夢の中の彩芽に届いているはずもない。酔っ払いめと、呆れながら陽斗は本格的に、彩芽をたたき起こすことにする。

「ほら、行くぞ」

 本来なら、玄関ドアを開ければ三秒で彩芽の家。いちいち送る必要などないのだが、幼少期からさんざん母親に「距離は関係ない。男は、必ず女の子を家の中に入るまで見届ける義務がある」と、散々叩き込まれて、沁みついてしまっているのだ。

 当たり前のように細い腕を掴んで、無理やり引き起こし立たせる。ほとんど目があいていない状態で、ふらふらする彩芽の腕を掴み、背中を押しながら、高島家の玄関の中へ。すると、今度は彩芽の母・高島歩美がいらっしゃいの代わりに叫んでいた。


「ハルくん、二十四歳おめでとうー!」

 俺の誕生日は九月。今は十二月で、それを言うなら彩芽の方だろうと、言い返しそうになったが、酔っ払い相手に真っ向勝負するのは、疲れるだけだ。全部聞き流して、そのまま退散してしまおう。

「おばさん。あと、よろしくー」

 そのまま踵を返し、玄関のドアを閉めると、その隙間からまた叫び声が聞こえてきた。

「二人とも、二十四歳おめでとう!」

 廊下に出ると、ぶるっと背筋が震えた。

 たった三秒といえど、真冬の空気は尋常じゃない寒さ。部屋着のままだから、この寒気も当然だろう。

 そう思いながら、速足で自宅へと戻った。

 


 

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