第25話 善vs正義vs野生
肌を刺すような冷気と殺気を撒き散らしながら、氷峰はその顔に天使の様な慈愛の笑みを───背筋と心が凍りそうな温度のない笑みを浮かべ、慇懃無礼に告げた。
「私達の目的は彼女だけですから、どうぞ御抵抗を。ゴミ掃除も国家公務員の勤めです。なるべく綺麗に美しく散らせてあげますね。」
その言葉に呼応する様に床は凍りつき、それを受けて俺達と背後に群れる神宿駅の生存者を庇うようにアメジストの擬人化の様な少女、
「それは、聞けない相談ですわね。」
何やってんだこいつ……(困惑)
いやまぁ、日本国領内、及びアジア平和友好条約機構加盟国の領域内で日本国籍を所得していない人間は即刻の排除対象である事を考えれば対応としては間違っていないのだけれど。
だがこれまでのやり取りで今回のターゲット、つまりは陽花が非常に深い関係を他の生存者と築いている事は一目瞭然。その上で彼等を殺すような発言は浅はか……いやこれは俺が異端なのかもしれない。
何はともあれ、突然現れた不審人物2名という肩書きはこの女のせいで今この瞬間、この駅の外から派遣されてきた政府の役人(殺意あり)という開戦理由として申し分ない存在にまで格下げされてしまった。
「おや、抵抗してくれるんですか?」
「この方々は私の家族です。貴女が彼等を置いてでも付いてこいと仰るならば……そして、彼等を傷つけるつもりがあるのならば、私は私の誇りを賭けて抵抗いたします。」
不敵な笑みを浮かべながら周囲に氷塊を浮かべ、指先を相手に向けるのは柔軟性の欠片も無い脳内モース硬度15の立派なディストピア育ちの公務員。
一触即発の空気が流れ、息を吸うことすら憚られる……というか実際に息を下手に吸うと肺が凍る冷気と共に緊張が場に奔る。
その最中、俺は─────
ほーん………大変そうだねアンタら。
俺は此処で良い感じに無口キャラやってるから勝手に話進めてくれ。あと横に立ってる俺も寒いから強キャラムーブで床凍らせるのやめてね。
ブゥンという微かな音と共に義足に搭載された暖房機能を展開しつつ、俺は腕を組みながら傍観の構えを決め込む。
これが転生者特有の余裕という奴だ。俺は知っている、此処で特に何も行動を起こさなくても大丈夫だと!巨大な駅のホーム、そして目の前の少女……間違いない、この場には主人公達が居る。
レベリングエリアである神宿駅の解放イベント、『神の宿る駅』のオープニングは神宿駅にセフィラ・ツリーの反応を察知してやってきた主人公達と紫陽花たち人間コミュニティ、そしてラスボスたる腹黒ロリこと魔神から派遣された尖兵たる氷峰裁歌との三すくみから始まる。
高圧的に同行を命じる氷峰、それに抵抗する陽花一行。
それを待っていたように生存者達を狙って攻撃を開始する氷峰。しかしすんでの所で主人公が滑り込み、最悪の事態は免れる─────
オイオイ、正しく今の状況ではないか!
これまでは転生による知識のアドバンテージなぞ皆無に等しかったが、一度ストーリーに入って仕舞えばこっちのものである。
さて、俺は此処で主人公の颯爽の登場を待つかな。
ちょっと離れといた方が良いかもしれない。全力疾走の人に轢かれて死ぬなんてのは余り経験したくないので。
「では、貴女は冷凍保存で持ち帰ります。後ろの方々は駆除でよろしいですね?」
氷の弾丸が虚空で回転し、それに対して少女が構えた白銀の弓の弦がギリギリと異音を発生させる。そろそろ来ても良いんじゃない?
「……貴女にどんな事情があるかは存じませんが、そう簡単にいくとは思わない事です。」
………まだ?あと後ろの人達はわちゃわちゃしてないで逃げ……あ、足が凍って動けないのか。
いや不味いぞ。此処で色々本筋から外れるのは不味い!いやもう割と外れてる感じはあるけど!
「
「侵食法則、せつぞ─────」
ここでインド人を左ィィィィィッ!
両者がその身に込められた異能を解放せんとしたその瞬間、俺は暖房機能でホカホカになった足を稼働させ、即座に氷峰の前に滑り込む。つまりは今まさに発射されんとする両者の弾丸と矢の射線の前に。
「なっ!」
「なにを────」
二人の少女が驚愕に目を見開き、突然の闖入者に硬直する中、俺はたった今、狂犬である事が発覚した己の同僚へと向き直る。あとインド人は右に戻しておこう。急に呼んでごめんね、デリー条約機構にお帰り。
「……どういうつもりですか、朱羽調整官。」
そんな現実逃避気味な俺に対して指先を下ろすことなく、俺の脳天へと狙いを定め直した氷峰を見下ろしながら告げる。
「……穏便に済ませる手筈では。不必要な戦闘は無意味でしょう。」
「貴方らしくない発言ですね。この上なく穏便なやり方です。ターゲットを殺さず、社会のクズを駆除できる冴えたやり方ですよ。」
いざとなれば社会そのものを見捨ててトンズラこく予定の俺には耳の痛い話である。
「いえ、氷峰調整官。此処は日本ではありませんので、彼等が日本国籍を未所持であったとしても排除対象にはなりません。」
「そ、それは……。」
そしてトンズラ先の候補の一つが此処であった故に俺は知っている。此処はいわばこの世界に押し出された異界。新宿駅を殻として被ってこそいるが、実際のところは此処はこの世界のものではない。故に!必然、日本でもない!
まぁ日本じゃないってだけで平穏とは程遠い場所なんだけどね。しかも主人公勢のテリトリーだし。
「それに確保目標との関係は良好であるに越したことはありません。まずは穏便に─────」
俺が何とか言葉をひり出そうとしていたその刹那。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!」
虹色の極光と共に、虚空から大剣を伴い少女が現れる。
目に眩しいピンク色の髪に、覇気に満ちたその声。天使と見紛う純白の翼を背負い、その手には七色の光を放つクリスタルの大剣が────!
来るのが遅いし卑怯!お前主人公のくせに漁夫の利狙ってんじゃねぇぞ!
咄嗟に死なれると不味い厄ネタミルフィーユを背後に庇い、左手を犠牲にその一撃を受け止めんとしたその瞬間、白銀の光がその大剣を虚空にて弾く。
「きゃっ!」
空中で体勢を崩し、背中の翼を羽ばたかせながらも着地するこの物語の主人公たる春音へと弓を引くのは先程まで此方に敵意を向けていた少女であった。
「本日はお客様が多くいらっしゃる事!どちらにどの様な事情があるのかは知りません。そして知ろうとも思いません……と、先程まで思っておりましたが、此方の殿方からは少なくとも此方への誠意と配慮を感じとりました。」
凛とした空気を纏い、気品すら漂わせる面持ちで彼女は告げる。
「ですので、先ずはこの方から話を聞きます。それまでは私の誇りに賭けて、この方を傷つける事は許しません!」
おお、誰だ。そんな敬意と配慮に満ちた殿方ってのは。
そんな奴がいるならそいつに全部任せて俺は帰るぞ。
その瞬間、俺は背後に突如として現れた殺気に総毛立つ感触だけを残して全ての意識を手放す事となった。
「この方を傷つける事は許しません!」
襲ったのは慣れ親しんだ死の感覚。意識が回帰したその瞬間、俺の左腕は関節の可動域を無視して背後へと拳を打ち込んでいた。
「くっ……!」
鳴り響く金属音と共に感じる確かな手応え。地面に何かが打ち付けられる音と共に少し離れた場所で虚空が歪み、其処には鏡のように煌めく銀の大剣の鋒をこちらへと向けていた青髪の少女が苦悶に顔を歪めて立っていた。
「何で……!」
生体反応すら遮断する何かしらの隠形を施していたらしいが、予め来る方向さえ分かっていれば大したことはない。でも気配遮断からの首狙いの不意打ちって主人公側の戦法じゃないからね。
「朱羽調整官、これは……。」
「レジスタンスです。先日私が交戦した二人組かと。」
「レジス、タンス……?」
即座に俺の背中をカバーするように回り込んだ氷峰のひんやりとした気配を感じながら、俺は腰のホルスターから己の得物を引き抜く。
「春音、何も考えずに突っ込んじゃ駄目。やっぱりコイツ、私たちに気付いてた……!」
「わかってる、でも……!」
向こうは向こうで合流して此方に剣先を向けているが、成る程。さっき止めに入ってこなかったのは俺を警戒してたのか。だけど制止を振り切って春音の方が遅れて突っ込んできたと。
「……お嬢。」
「今回の獲物を持って先に帰っておいてちょうだいな、爺。少しお話が長くなるかもしれないから。」
カツ、カツと床を靴が叩く音と共に今回の渦中の人物が現れる。紫の髪をなびかせ、片手は備えた白銀の弓の弦に油断なく添えながら、俺達を背にするように主人公達の前へと立ち塞がった。
それを目にして息を呑む彼女等。……なるほど、氷峰による民間人への危害を防ごうとした役割が俺に移った事で好感度が今の所こちらが高いのか。
「それで、貴女達は……。」
「不味い……!早くこっちに来て!其奴等……其奴に近づいちゃ駄目!」
陽花の言葉を遮るように、香織が悲痛な顔で手を伸ばす。あー、そっか。そういえばこいつの師匠を殺してたのは俺だった。だからあんなに殺意高い攻撃してたのか。納得納得。
「貴女達の認識はどうあれ、それは彼の話を聞いてから決める事です。」
「……なるほど、悪い警官と優しい警官ってワケね。」
「どういう事?」
「自作自演よ。片方が高圧的な態度をとって、もう片方が優しくする。そうすると取り調べを受けてる側は優しい方に心を開いていく……そういう奴。よりにもよってあいつが優しい警官役だなんて、皮肉にも程がある。」
主人公sがこそこそ話しているがお前らが来るのが遅いからこうなってんだからな!俺ももうこれからどうしたら良いのか分からん!
というかこのままだと主人公陣営に加入する戦力が一つ減って詰みかねない。頼むぞ、あの腹黒ロリ魔神を時空の彼方に追放できるのはお前らしかいないんだから!
今思えば、俺が無言のまま脳をこねくり回して思考を巡らせていたその最中、俺の横で妙におとなしかったディストピア産の狂犬の事をもっと見ておくべきだったのだろう。
「……やる。」
俺の背後から歩みでた彼女は顔を伏せ、小さな声で何かを呟く。その身体からは白い霧が立ち上り、幽鬼の様な雰囲気を纏いながら一歩を踏み出した。
「……してやる。」
「氷峰調整官、なにを。」
俺の呼びかけに応えることなく、彼女が一歩を踏み出す度に床が凍てついていく。……これは、まさか。
「お前達を、殺してやる。」
少女がその顔を上げた瞬間、俺の目に飛び込んできたのは一切の色と感情を表す全てが奪われた氷の如き表情であった。
己の最愛を奪った存在への怒り、そして形容し難いドロドロとした感情。その全てが肉体から溶け出し、それに伴うように凄まじい速度で床を冷気が舐め回す。
氷が瞬く間に床を覆い尽くしたその瞬間、少女の形をした災害は激情と共にその力を解き放った。
即ち、大地の崩壊。足場となりうる床の全てが凍てつき、脆く崩壊し、巨大な穴となって崩れ落ちていく。それは必然、この場に立つ全てを飲み込んで崩落する事となり─────
善も、正義も、野生も、全てが虚空へと落下していく。
どこに続くとも知れぬ闇の中を、舞い落ちる無数の氷塊と共に。
そして巨大な穴は全てを飲み込み、そして神宿る駅は再び悠久の静寂へと身を委ねるのであった。
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