第24話 縦穴の先

落下。それは人間の細胞の中の二重螺旋構造に刻まれた根源的な恐怖を呼び起こす体験であり、感覚。


落ちれば死ぬ。その恐怖はしかし、理性にて本能を駆逐した人間にとってはエンターテイメントを彩る材料に過ぎない。


ジェットコースター、フリーフォール、バンジージャンプ。恐怖をスリルに言い換え、技術によって確立された安全の中でそのひりつく様な感覚だけを味わう娯楽は枚挙にいとまが無い。


だがそれは逆に、人はその恐怖を失っていないという事。命綱を、安全バーを、娯楽という建前と安全という前提を引き剥がしたその時、落下とは死を想起させる恐怖の座へと立ち戻る────


などと、まぁ長々と語ったのだが。


正直俺にとってこの落下は全くと言って良い程に恐怖の対象になっていない。


というわけで氷の弾丸でぶち抜かれた巨大な縦穴を絶賛降下中の俺である。底の見えない暗闇に耳元で轟々と鳴り響く風。ちゃんと恐怖の要素は揃っているのだが、正直言ってこんなもんを今更お出しされたところでという感じだ。


恐怖というのは死にたくないから脳により発される危険信号。であるならば死にまくっている俺にとって恐怖なんてものは『死んでみりゃそんなに気にならねぇよ』みたいなノリで何処かに投げておける代物なのだ。


あと男の大事なものがないので落下に伴う玉ヒュンなる現象も発生しない。クローンに生殖能力なんて必要あるわけないからな!


まぁ見た目が人間ってだけで大体のクローンは別の生き物だからね。こんなんだから自分の体って認識が希薄になるんだよな……。


などととりとめのない思考にふけっていれば小脇から響く声。


「まだですか!まだなんですか!まだ反応ありませんか!ひっ!」


周囲の生命反応の感知を示すデバイスを装着した腕だけを此方に向け、肝心の本人はがっしりと俺の腕にしがみつきながら目を閉じている少女を見ながら吐いたため息はすぐに噴き上がる風に撒かれて消えていく。


風に靡く白銀の髪に、雪の妖精のような華奢な身体。普段の凛とした表情からは想像もできない程に目をギュッとつむり、よく見れば少し涙すら浮かべているのが此度の同行者にして脳筋索敵戦法を実行した張本人にしてメンヘラ同僚である。


こいつだ。こいつが今回の任務の最大の懸念だ。

事ある毎に俺に突っかかり、白昼堂々に俺を何度かぶち殺したこのメンヘラ女を俺は心底警戒している……!


最近は妙ににこやかだが、俺には分かる。こいつは力を溜めているに違いない。滾るような意味不明のメンヘラパワーが腹の底で解き放たれる瞬間を待っているに決まっている。


考えてもみろ、手合わせとかいう何処の武道家だと突っ込みたくなるような理由で割と頻繁に俺の命を狙ってきてたんだぞ。今が平穏無事であったからと言ってそれが続く保証なんて何処にもないのだ。


『生体反応がまだ見つからないのは朱羽同志!貴方の革命精神が足りていないからです!お覚悟!』なんて言ってこの瞬間からでも脇腹を刺してくるんじゃないかと本気で考える程に俺はこの女を警戒している。


……こいつ此処で落としてやろうかな。でもそしたら絶対碌なことにならないのは火を見るより明らかである。もう目が眩むほどに危険信号が明滅している。


こいつはレジスタンスのトップの妹、弩級の厄ネタである。更にその姉がシスコンで愛ゆえに妹に冷たく当たっていたとかいうありがちな厄ネタに厄ネタを重ねた厄介ミルフィーユと化しているせいでこいつを殺すと間違いなく修羅と化した作中最強候補に地の果てまで追いかけられる末路が待っている事だろう。


まぁ俺の腕の中でマナーモードの携帯かと思う程に震えているこの様を見ているとちょっと小動物みたいと思えなくもないのだが、実際はこれが擬態で猛毒と即死級の獰猛さを兼ね備える危険生物である事を俺は身をもって知っているので絆される事は一切ない。


「ひぅっ……!」


ないったらない。


足の付かない虚空で頼れる物が欲しいのか、こちらにより一層しがみついてくる厄ネタミルフィーユから無理やり視線を逸らしつつ、下方に視線を移せば何やら微かな灯りが視界に映る。


「反重力姿勢制御、開始。」

『了解、自動姿勢制御を開始します。』


恐らくは氷の弾丸で一層を丸々ぶち抜いたショートカットを通り抜けて下の階層に辿り着いたのだろう。肉体に備え付けられた反重力機構を用いた落下の減衰と姿勢の制御を行うと同時、上方へと伸ばした左手からアンカーを射出する。


岸壁にアンカーが突き刺さる音が鳴り響くと同時、展開された反重力により完全に落下の速度を殺された俺達の身体が空中にぶら下がれば、俺の小脇に抱えられながら時折沸騰したやかんのような音を出すだけの生き物と化していた氷峰の顔が希望に満ち溢れた表情と共に此方を見上げる。


「やっと着い────」

「まだ着いてません。」


その言葉を聞く事なく、俺はアンカーを抜き去った代わりに岸壁に義手の指先を突き立てながら舞い散る火花の中で下の空間までの残りの距離を滑り落ちた。


一旦出口の少し上で止まったのは一応のクリアリングの為……という事にしておく。肉眼と眼球に仕込まれた各種計器で生命反応も危険物もない事は確認済みではあるが、ちょっとした仕返しみたいなもんである。


「─────!?!?!?」


声にならない悲鳴を引き摺りながら数秒で下に開けた空間へと地面に落下していた氷塊が砕ける音と共に難なく着地し、濛々と舞う砂塵の中で周囲を見渡せば其処には前世でも見たことのある光景が広がっていた。


落下した音が反響する何処までも続くトンネル。

等間隔に備え付けられた蛍光灯。そして地面に敷かれた黒光りするレール。


地下鉄の線路内。通勤、通学で車窓から────そして前世でプレイしていたゲームでも飽きる程によく見ていた景色。


新宿駅跡地、もとい神宿駅。ゲーム中では主人公やその他のプレイ可能なキャラクターのレベル上げの為のダンジョンとして知られる施設であり、地上に向かうほどに攻略難易度の上がる仕様となっている。


俺もこの神宿駅での周回でレベリングを行ったのでよく覚えているのだが、この地下鉄の路線内をモチーフにした外観は恐らく中層のもの。つまりこの女は上層を丸ごと氷の弾丸でぶち抜いたということである。


………中層から最上階へのショートカットってそういう事だったのか。チュートリアルの直後にレベリング施設である神宿駅を開放するために進行するストーリーがあるのだが、最初期から設けられていた最上階の超高難易度エリアへのショートカットは明らかな初心者殺しの罠として知られていたことを思い出す。


「い、生きてる……!川の向こうで父さんが手振ってたけど……!」


その元凶たる地面で四つん這いとなってグロッキー状態になっている氷峰を視界の端に捉えながら、俺は更に記憶を漁りにかかる。神宿駅開放のイベント、どんなものだったか。


セフィラ・ツリーなるアイテムの適合者のスカウトの為に神宿駅へと主人公達が赴き、そして……そしてなんかこう色々あって新キャラをゲットするのだが、そこに至るまでの経緯がなかなか思い出せない。


えっと、名前は確か……。


むらさき陽花ひばな……。」

「………?何を……。」


その瞬間、少女の腕から耳障りな合成音声が鳴り響く。


『生体反応、複数感知。距離200。データベース参照……人類のものと一致します。』


それはこの人類未到、人が最弱種のこの地においてあり得ない反応。人が生きていて、しかも集団で存在している。それはつまり。


「……朱羽調整官、現時刻をもって全武装使用許可。光学迷彩起動後、接近します。目的の人物がいれば確保。居なければ……目撃者がいないかどうか脳にプラグでも刺しましょう。」


ふらふらと覚束ない足取りで立ち上がり、風で乱れた髪を後ろに束ね直しながらも凛とした口調で紡がれた少女の言葉に従い、俺は自身の全身を薄く覆う様にナノマシンによる簡易的な光学迷彩を施す。


軍用の探知機であれば生体反応でバレバレだが、肉眼ならば充分に隠匿可能である。こんな辺境で暮らしてる連中に対しては充分過ぎる程だろう……とこいつは考えているのだろうが、俺の記憶が確かであればこの先にいるのは────。






この神宿駅において人類はあまりにも無力である。最下層の片隅にささやかなコミュニティを作り、そこで日々を生き延びるのに必死で他の事を考える余裕もない。


逸れ者、あぶれ者。この迷宮を彷徨い、怪物に追い立てられ、この世の底に追い込まれた世界の落伍者達。彼等にとって日々が常に生き残りを賭けた戦いであり、飲み水すらも手に入れるのに命懸けだった。


だが、彼等は変わった。もはや彼等は逃げ惑い、おこぼれを狙って這い回る弱者ではない。綺羅星のごとく現れた少女、下層から中層を繋ぐ関門に立ち塞がっていた『エキ・イン』を打ち倒した救世主。


彼女の溢れんばかりの生を歩まんとする力、愚かしいとすら思えるほどの天真爛漫さ。その全てが落ちて腐るだけだった人々に希望を与え、そして彼等はまたもや勝ち取った。


四肢の自由を奪われ、地面で身動きが取れずのたうち回るこの異形は彼等の知恵袋たる老人曰く『いくらでも飲み物を吐き出す生物』。これを最下層まで持ち帰ることが叶うならば、この神宿駅に生きる数少ない人類達は新たな光を手に入れることができる。


男達が肩を組み合い、汗と垢に汚れたその顔に満面の喜色を浮かべる中、この偉業の立役者はそのアメジストのような曇りなき瞳で何処かを見つめていた。


「……どうした、お嬢。なんか見つけたか。」

「いえ、何か見つけたと言うよりも……。」


その様子に気づいた老人が少女を見上げながら尋ねるも、その答えは要領を得ない。少女は目を細め、広大な駅の構内の奥へと視点をしぼり───。


「見られていますわ。多分、人に。」


その野生は容易く技術による誤魔化しを上回る。


「何方かしら!申し訳ありませんが、この獲物は我等が糧!お譲りできる物ではありません!」


突如として虚空に放たれた大音声。

ビリビリと周囲を震わせるその声は大きいだけではなく、言うなれば覇気のようなものすら感じられる。


突然の事に驚きながらも即座に警戒の姿勢に入る男達が周囲を見渡せど、何か異変があるわけでもない。だが、何かある。自分達が信じて付いてきたこの少女が何かあると思ったのならば、そこには必ず何かが────。



「……驚きました。戦闘を見るに感知系の異能では無いようですが、一体どうやって?」

「………。」



その声に応えるように十数メートル先の景色が揺らぎ、そこに二人の人間が現れる。


口を開いたのは片方の小柄な少女。抜き身のナイフの様な、吹き荒ぶ吹雪の様な鋭利で冷たい印象を抱かせるのはその白銀の髪とこちらを睨みつけるその瞳からだろうか。


触れれば崩れてしまいそうな程に儚い容姿でありながら、同時に触れれば切り裂かれる事を予想させる雰囲気を併せ持つ。


だがそれだけにその側に無言で立つ男がさらに異質に映る。その男は平凡で、無機質で、無感情で、それであるというのに目が離せない。死の気配が最もこびりついた腐肉の山の様な雰囲気と黒髪黒目の平凡な容姿が余りにもかけ離れていて、それがさらに異質さを引き立てる。


生き残る事だけが最上の目標であり、身なり等は二の次であるこの地下において黒のスーツに両者とも身を包み、そして突如としてその場に現れた。


明らかに歪であり、異質であり、カラスを思わせる不吉な何かを感じ取ったかのように男達は半歩後退り、しかし彼女等に対峙する少女は一歩も引く事なく告げる。


「勘ですわ。それで、何用でしょう。此処は客人をもてなすには些か物騒ですので何かおっしゃりたいことがあるのであれば手短にお願いしたいのですが。」


気品すら漂うその佇まいに黒衣の少女は意外そうに───そして何処か嘲笑うかのような表情を浮かべて己の手首に備え付けられた何かを操作する。


「では、手短に。」


その瞬間、空中に浮かぶは半透明な天秤と交差した剣のエンブレム。それは世界各地で恐れられ、日本という国が懐に忍ばせた暗器として知られる超常を管轄する武装部門。


「此方は法務省異能調整局です。異能管理法第一条、異能申告義務違反、及び立入禁止区域への侵入に関する重要参考人としてご同行願います。」

「ほ、ほうむ……?いえ、私に貴女へと付いていけと?」


聞き覚えのない言葉の羅列。それに首を傾げる少女だが、その背後でざわめきが生じる。


「何で役人が此処に……!」

「お、お嬢は渡さねぇぞ!」


それは日本という社会から排斥され、此処に流れ着いた者達の声。逃げこんだ絶死の、されど何処よりも自由なこの世界に踏み込んできた支配と秩序への反感の声。


それに和かに微笑みながら、黒衣の少女は告げる。


「ご安心ください、皆様。」


「本国のデータベースと照会しましたが、貴方達は日本国民として登録されていないか、既に死亡済みとして国籍を剥奪されています。よって人権がありませんので、私達は略式裁判無しで死刑が……いえ、害獣駆除が可能です。」


ピキピキと床に霜が降り、白い霧が立ち込める。


「私達の目的は彼女だけですから、どうぞ御抵抗を。ゴミ掃除も国家公務員の勤めです。なるべく綺麗に美しく散らせてあげますね。」


正義と秩序と法の名の下に、殺戮が始まろうとしていた。

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