第23話 正義の為の必要条件と魔神の為の勝利条件
異能とは何か。その問いは大戦以前においても飽きるほどに繰り返されてきた。
人ならざる力。空想の世界から現実へと飛び出してきた超常の力。肉体を強化し、自然現象を操り、人の心を惑わし、そして時には世界を形作る概念の領域にまでその手を伸ばす。
それは選ばれた者に神が与えた力と言う者がいた。
人類が進化の過程で得た機能だと言う者がいた。
或いは異能行使者は人間では無く、そもそもが別種と唱える者がいた。
世界中で様々な人間が突如として侵食してきた空想に対して折り合いをつけ、それを己の理解の内に取り込もうとしてきた。
そして同じくその空想を現実として、理解の範疇に収める為に極東の島国にて、一人の男がとある学説を提唱する。
────異能とは、法則である。
この世界にはない法則、この世界の法則とは外れた法則。それを己の肉体に持つ者こそが、異能行使者であると彼は説いた。
例えば、己の肉体を動物の物に変化させる異能保持者。
彼は脚部を馬の物へと変化させ、凄まじい速度で走り抜ける事が可能だった。本来ならばその足は骨格的に人間の身体を支える事は叶わないのにも関わらず、十全に。
氷塊を作り出し操る異能保持者。その異能により氷が発生した時、周囲の空気中の水分量は一切変動していなかった。完全なる無からその氷は現れていたのだ。
この世界にあり得ぬ法則。既存の理論では説明できない現象。これを彼は当時、世界各地で少数ではあるが確認されつつあった異界へと繋がる門に結びつけ唱えたのだ。
異能行使者とは先天的に己の内部に“門”の様な物を持ち、其処から引き出される異なる法則の中に生きているのだと。
その男が語った理論は空想科学にも満たない暴論、妄想として笑い飛ばされた。未だ世界にとって異能は対岸の火事でしかなく、“門”の存在も量子力学で説明がつく非常に稀な現象だと思われていたが故に、彼の理論が受け入れられるはずもなかった。
男の名は
当時世界中で散見されていた“毛髪色彩異常”により桃色の髪を持って産まれ、そして後に日本において空想領域研究及び神学研究の第一人者となる存在。
だがその時にはまだ超常は空想で、世界に未知は多くとも全てはいつの日か科学と叡智の下に白日に晒されると誰もが信じてやまなかった。
過去を知る僅かな人間はこの時代をこう呼ぶ。
『空想の全盛期』
空想が、非日常が、科学では説明のつかない出来事が未だ人間の頭蓋の中で揺蕩い、それらを現実にはないものとして扱えていた黄金期。
いずれ全てが未知と超常と空想に塗りつぶされるその日まで、人々は空想と現実が混ざり合う事を正しく“想像すら”していなかった────
◆
「ブリーフィングを!します!」
バァン!と景気の良い音と共に叩かれたホワイトボードが揺れ、同時にクルクルと巻かれた目に眩しい金色の長髪がバネの様に上下に振動する。
意気揚々と薄い胸を張り、もう片方の手に指示棒を持った少女は度の入っていないメガネを煌めかせ、それに応えるように眼前に座る少女2名は対照的な声を上げた。
「は、はい!やりましょうっ!」
「エリ姉、メガネ似合ってないよ。」
カチカチに身体をこわばらせ、片手にメモ帳とボールペンを携えた桃色の髪の少女。そしてその横で呆れた様な言葉を無造作に投げつける青髪の少女が机に頬杖をつく。
対照的な両者を前にホワイトボードの前に立つ少女の姿をした災害───魔神エリザベートはため息と共にやれやれと肩をすくめた。
「分かってないな、香織ちゃんは。君達人間がどうかは知らないけれど、魔神は伊達メガネを掛けるとIQが3倍になるんだよ……。」
「じゃ、じゃあなんでいっつも付けてないんですか?」
「0を何倍しても0だから普段と変わらないんでしょ。あと春音、エリ姉は適当なことしか言わないから本気にしてると疲れるよ。」
メモ帳を片手に問いかける春音の肩を軽く抑え、毒を吐きながら諭す香織。
まるで何処かの学舎での一コマ、平凡で平和で平穏な一瞬を切り取ったかの様なこの光景はしかし、その実日本最大級の反政府組織の中枢において繰り広げられている光景である。
「魔神のIQは人間の数字の尺度じゃ測れないんです!
……と、まぁ前置きは此処までにして。今回の作戦の概要を説明するよ。」
ピシリとホワイトボードに指示棒の先が当たり、それを皮切りに弛緩した空気は瞬時に引き締まる。二人の少女が心なしか背筋を伸ばし、自身へと注目するのを見て満足したかの様にエリザベートは軽く頷きながら言葉を勧めた。
「まずは春音ちゃんに改めて、私達レジスタンスの最終目標を確認するね。私達は大雑把に日本政府に対する反抗勢力として認知されているけれど、最終的な目的は二つ。一つは……。」
エリザベートがホワイトボードの上に描かれた真っ黒なクエスチョンマークを指す。
「日本政府のトップにいるであろうもう一柱の魔神の討伐、あるいは追放。」
そしてその横に描かれた地球儀のマークを指示棒で軽く叩き、エリザベートは真っ直ぐに春音の瞳を射抜く様に見つめた。
「そして、この地球の状態の“戦前回帰”。春音ちゃん───いえ、羽曳春音。貴女の父親が目指し、そして届かなかった目標。」
エリザベートの燃える様な真っ赤な瞳に気圧される様に春音はぎゅっとその手を握りしめ、されどその目を背ける事なく気丈に見つめ返す。その横顔を心配そうに眺める香織を他所に、エリザベートは真っ黒なクエスチョンマークを再び指す。
「この魔神は約100年ほど前にこの宇宙に襲来し、突如としてこの星を異なる法則で満たすべく空間に穴を構築した。それが所謂“門”で、その開放に伴って世界中で異能行使者が増加し続けて……そして、コイツは日本という国をプレイアブルキャラクターとして世界を舞台に戦争ゲームをやり始めたの。」
当時、日本は超常による社会的な混乱とそれを契機に引き起こされたアジアの地政学的な問題による諸々の武力衝突により、東京の首都機能を喪失。敵対国の本土上陸を許し、国としての体裁すら覚束なかった日本は突如として───正しく何の脈絡もなく、抵抗を開始した。
壊滅した首都を占拠した軍を世界で初めて組織として運用された異能行使者の集団が鎮圧し、即座に異常とすら言える速さであらゆる審議をスキップして臨時内閣が発足。
瞬く間に自衛隊を国防軍に改名し、突然湧いて出てきた無数の新技術が導入された武装と異能行使者を含む“軍隊”を持つようになった日本は即座にユーラシア大陸へと宣戦を布告した。
巻き込まれ、蹂躙されるだけの端役であったはずの極東の島国が瞬く間にグレートウォーのプレイヤーに躍り出ただけでなく、圧倒的な快進撃により後に【大戦】と呼ばれる超常による戦争は日本と同時期に軍備の超常化を成し遂げた神聖ライヒ=ユーロ同盟の二カ国による蹂躙と化した。
「そしてアイツは戦争の結果として超常の法則に侵食されたこの世界で“羽化”……まぁつまりはもっと完全な神性になろうとしてる。」
クエスチョンマークの下に描かれたデフォルメされたウィンクするエリザベートの絵を指しながら、彼女は自分の胸に手を当てる。
「私は多分、この世界に溢れた超常の法則を嗅ぎつけてアイツのちょっと後に降り立った魔神。」
「多分というのは……?」
「そこの所の記憶がないんだよね。私が魔神にしては弱っちいって事と、記憶の欠落から多分この世界に来た直後にもう一柱の魔神に負けたか、その前に負けて瀕死でこっちに生き延びてきたかって予想をつけてる訳。」
そしてエリザベートは語る。
己の目的は必ずしもレジスタンスの目的と合致しているわけではないと。
「そして私の目的はあの魔神をぶっ倒してこの世界で完全な神性になる事。」
「え、え?てっきり私はエリザさんも……!」
「違うよーん。私は世界回帰に特に興味ないの。まぁ魔神の本能みたいなもんだからね。この世界の生物が後世に自分の遺伝子を残したいって生きる様に、魔神はより完璧な存在になろうとする本能がある。
そして、魔神は超常の法則がない世界じゃ羽化できない。だから本当はそういう世界にたまたま来たとしても大した用も無いから別の世界に行くんだけど、アイツは逆にこの世界をテラフォーミングしちゃった。」
狼狽える様に立ち上がった春音の鼻先でエリザベートは指を振る。
「その上で私が、弱りきって貧弱で可哀想なエリザベートちゃんが強くてこわーい魔神に勝つにはどうすれば良いのか。わかる人!」
「えっと……き、鍛えるとか?」
「残念、魔神は生まれながらに完璧なので損なわれる事こそあっても鍛錬による向上は望めません!答えは単純だよ。」
エリザベートはその指先を春音、そしてその隣でやりとりを見つめていた香織へと向ける。
「協力プレイ。その為に私はこのレジスタンスの我等がリーダーと契約を結んだの。絶対に、ぜーーったいに破れない契約。少なくとも今の私じゃ破れない、そんな契約を。」
向けられた指に呼応するかのように彼女達の指に嵌められていた指輪が輝き、かつての魔神の亡骸が同胞の気配を感じ取ったかのように微かな熱を帯び始める。
「まぁ彼女の異能が魔神すら縛るものだったのか、私がそれだけ弱体化してたかは定かじゃないけれど、私はレジスタンスと協力する契約を結んだの。」
肩をすくめながらエリザベートは笑う。
「まぁその過程でセフィラ・ツリー……魔神の亡骸に適合した君達と一緒に独裁魔神を数の暴力で袋叩きにするってわけよ。」
三人に勝てるわけないだろ!と可愛らしい文字で吹き出しに書かれた下にデフォルメされた香織と春音がエリザベートの横に描かれ、それを見ながら春音が手を挙げる。
「は、はい!質問です!」
「どーぞ、春音ちゃん。」
「それが今回の任務とどう関係があるんでしょうか……?」
それに答えたのはエリザベートではなく、隣に座っていた香織だった。
「新しいセフィラ・ツリーの適合者を探しに行くんじゃない?魔神を倒す為の戦力を。違う?」
「……正解だよ。なんで仕事とるの?またリーダーからニート魔神って呼ばれちゃうんだけど」
肩を落とすエリザベートにしっしと手を振る香織に彼女は気を取り直したかのように春音へと向き直る。
「私はあの魔神を倒して、完全な神性になりたい。でもあの魔神は単身で世界を壊滅させられる力を持ってる。この世界を玩具箱かゲーム盤としか思ってない奴がこの調子で世界をやりたい放題してたらまぁ、うちのリーダーとライヒの盟主あたりは生き残るだろうけど、それ以外はまぁ死んじゃうだろうね。勿論、私含めて。それに生き残るってだけで勝てるわけじゃないし。」
言外に己よりも───敗北により零落したとは言えど、魔神である己を上回る存在を仄めかしつつも彼女は語る。
「でもこの世界にはセフィラ・ツリーがある。魔神の亡骸、力の欠片。皮肉にもこの世界に超常の法則が溢れたから魔神の亡骸も活性化して、自分が持つ法則と適合する人間に力を与えるようになったから、順当に馴染めば魔神に遜色ない力を得るはず。」
エリザベートはホワイトボードを回転させ、デカデカと“神宿駅!”と書かれた面を表にすると、それを手でバン!と叩く。
「そこで今回!この超大迷宮の神宿駅にてセフィラ・ツリーの気配を感知したっちゅーわけよ!仲間に引き込めれば百人力!最低でもあの魔神がやりたい放題してる今の日本の手に落ちなければよし!」
伊達メガネを煌めかせながらエリザベートはその幼くも達観した様な瞳で目の前の少女二人を見つめ、告げた。
「レジスタンスの資材確保とか、日本の首都の中枢にあるエリアの人間コミュニティとの友好関係の確立とか、まぁ他にも目的は色々あるけどそんな物は二の次!」
「魔神ぶっ殺し要員を連れてくる為に、二人には日本最後の人類生存非適地帯に行ってもらいます!」
作られた目的。正義の為の勝利条件。
全てがゲーム盤を彩る虚構のフレーバーだと知る事なく、正義は回る。抵抗の名を冠したテロリズム。いずれ全てが回帰し、“無かったことになる”事を言い訳とした多くの過ち。
いずれそのツケは必ず─────
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