第22話 突入、粉砕、蹂躙
法務省異能調整局第2476号調整通知
旧新宿駅周辺に確立された監視システムによって捕捉された未登録の異能行使者の調整について。
観測された空想領域のパターン、及び神学部門の解析は当実体がレジスタンス勢力が保有する
内閣府、文部科学省神学部門、法務省の協議は当実体の確保は上記の理由、及び数件の機密指定情報により旧新宿駅への突入というリスクを負って尚、リターンがそれを上回ると結論付けた。
当任務には法務省異能調整局より戦略級異能行使者を派遣するものとする。
異能調整局第一課 氷峰裁歌調整官
以上1名に異能調整局局長、及び法務大臣の権限をもって旧新宿駅内部における人類生存非適地帯への立ち入り、及び現場の判断での執行を許可する。
同時に異能調整局第一課に配備された乙式量産型兵士、個体名『朱羽亜門』調整官を起動。
氷峰裁歌調整官への同行を命ず。
◆
夜の帳が下され、太陽が天蓋を去った後に訪れる筈の漆黒の夜空を聳え立つ無数のビル群が放つ光が穿ち、不夜城たる東京の光輝を振り撒いていた。今や人類の二大生存圏の一角に数えられる日本。その首都たる東京は視覚的な光に満ち溢れる如何なる時も眠りと静寂を感じさせぬ巨大な怪物であり、同時に繁栄と抑圧が織りなす灰色の栄光に満ち溢れていた。
都市の様相は栄華の極みにあると同時に、不自由と不平等の匂いが満ちている。限られた繁栄の果実は都市に住まう者達の下に平等に行き渡ることなく、されど人々は与えられた甘露な不自由を啜りながら日々を生きるのだ。
この世界で生きることを保証される喜びに、明日も変わらぬ灰色の日常が続く確信に身を任せる数千万の民を孕む東京は燦然と輝き、耳に優しいプロパガンダと眠らぬ文明の光を撒き散らす。
されど輝きから取り残された区画が一つ。灰色の物々しい壁に覆われたその領域はあらゆる物から見捨てられた場所であり、光に満ちたこの都市で唯一灯りを持たず、眠らぬ東京において沈黙と静寂を保つその様は純白の紙に一滴のインクを垂らしたかの様な異物としてそこにあった。
この領域こそは人類の生存を阻む“法則”に満ちた異界であり、この世界に迫り出したもう一つの世界の欠片。凡ゆる未知を解明せんとするこの国家においても尚、この領域に踏み込むリスクを鑑み隔離に留めた区域はかつて新宿駅と呼ばれ、多くの人々で賑わった往来の場であった。
世界は進み、かつての賑わいは過去となり、もはや誰の記憶にも残ってなどいないと言うのにこの駅だけが過去に取り残されている。
外壁を潜り抜け、薄汚れた看板の下を通れば即座に広がる異空間。粘液に塗れた電光掲示板に踊るのは異形の文字。天井に張り付いた光る虫が電球の代わりを務め、壁際に並ぶ売店を覗けばショーケースに並ぶ色とりどりの肉塊達。眼球がへばり付き、肉塊の内部から伸びる舌が飛ぶ虫を捕らえ、喰らうその光景はかつてあった日常の上っ面だけを醜悪に模したもの。
その地獄を這いずるのもやはり、この領域において闊歩した者のカリカチュア。
「ごごごご案内です、アんナイです。切符のお買い求めはこちァから願います。」
耳障りな音を捻じ曲がった頭部から振り撒き、のっぺりとしたゴムの如き質感の紺色のスーツに走る脈拍がそれが皮膚であることを物語る。
身の丈は2m。無理矢理に引き延ばされたかのように細長い肉体を左右に揺らし、鋭く尖った爪を携え彷徨うはこの地に刻みつけられた記憶より這い出た異界の存在。
この地に住まう者達から『逸れ駅員』と呼ばれる彼等はこの地に迷い込んだものを逃さぬ役割を持つ。地獄への入り口であり、天国への出口である外界との境界にひしめく彼等は立ち入る者達を中心部へと追い込み、新宿駅から逃れんとする者達を狩る番人にして看守。数十体のその理外の存在が壁を引っ掻く耳障りな音を響かせながら闊歩する様は幼子の悪夢から迷い出たかの様に突拍子のない光景であった。
この世界の法則の届かぬ地である新宿駅においては近代兵器は意味を為さず、凡ゆる人類の力を阻む領域において人は生態系の頂点では居られない。ここでは人こそが最弱の種であり、人類史の積み上げた凡ゆる成果が否定される場所。この地に生きる“怪異”にとって銃弾は必殺となり得ず、この地に敷かれる法則は人の理解を超えた先にある。
ああ、されど。
「“止まれ”。」
ぽつりと紡がれた一言と共に芽吹くは氷の花弁。瞬きの間に一切合切が凍りつき、悪夢より迷い出た者は銀化粧を施され物言わぬ墓標となって立ち尽くす。彼等が人の理解の外側にあるのならば彼女もまた、人の理では測れぬ存在。己が作り上げた白銀の骸が立ち並ぶ光景の中心で少女の口から漏れた真っ白な吐息が揺れ、空気の中に霧散した。
数十の怪異は少女が紡いだ言の葉一つでその命を絶たれ、銀世界の一部となって果てる末路を辿る中、その静謐な殺戮とは対照的な轟音と硝煙の香りが満ちる。
鋼と無数の理外の技術によって構築された体躯が躍動し、男の脚部に備え付けられたブースターが放つ空の速度を増幅させれば、頭部へと見舞われたその一撃が怪物の頭蓋を打ち砕くと共に緑色の脳漿で駅の壁にアバンギャルドな作品を生み出していた。
同族を殺された怒りか、はたまたその身に刻まれた本能故か。その死に呼応するかの様に天井から染み出すように輪郭が顕になり、現れるは巨躯の異形。蜘蛛を思わせる八つの足の先に人間の指を蠢かせる生理的嫌悪を誘う蟲とも言えぬ怪物が十数メートルにも及ぼうかという巨躯でこの駅に踏み入った愚者を床の染みに変えんとその身を重力に委ね────
『
そしてそれは、振り抜いた脚から放たれた流星により撃ち落とされる。
大東亜工業、及び文部科学省神学部門謹製。
先の大戦での北米大陸攻略作戦において多発した異界からの敵対的な生命体───【怪異】に異能頼りの戦闘を行わざるを得なかった反省から開発された対異界有機生命体個人携行“殲滅”兵器。
大抵の場合、此方の世界において作成された火器を圧倒的な回復力により封殺する怪異を即座に、確実に殲滅する事を目的に設計され、そして諸事情により御蔵入りした失敗兵器。
それは義足の足裏から弾丸として放たれたと同時に腹の底に響くような重低音と共に紫の光を撒き散らす。
これこそは異界への門を中和する技術の発展たる空間に穴を穿つ一撃。空間へと穿たれた微細な穴は周囲の物質を引きずり込み、即座に穴が修復される事で瞬間的な球状の破壊を齎すこの兵器はしかし、再生能力を上回る圧倒的な破壊を即座に齎す有用性の代わりに重大な欠点を抱えている。
それは異能を持たない人間への汚染。空間へと穴を開けるという事は瞬間的に極小の異界への門を生成する事と同義。流出した異界由来の法則が齎す汚染は己の内部に個別の法則を持つ異能行使者を除く凡ゆる生命に対して猛毒である。
異能行使者に頼らぬ兵器の開発というコンセプト上、無能力の兵士が携行する事を前提としながら異能行使者しか扱えぬという欠陥から草案のみで終わっていたその兵器は一人の法務省異能調整局の執行官の就任───備品配備により日の目を見る事となる。
その肉体の7割以上をサイバネ化した事により生命維持に必要な臓器を機械、あるいはナノマシンにより維持している彼がそもそも生命の領域を踏み外しつつある事で“生命を蝕む”という影響が最小限である事、第0空想領域接続デバイスたるレメゲトンのデバイサー適性による異界法則への耐性。そして彼を除く職員の全員が異能行使者である異能調整局、その中でも職務のほとんどを単身で行う“第一課”という職場の特異性。
以上の理由により、無能無敗専用の兵器として小規模な生産が為された
「……貴方、どんどん奴等のおもちゃ箱じみてきましたよね。」
少女が呆れたような顔で眉を顰めるのには理由がある。過去に失敗に終わった兵器、プロトタイプ、理論しか構築できていない諸々の新技術。その全てが手当たり次第に朱羽亜門というクローンに注ぎ込まれ、今や混沌の極みと化している。
それもこれも、全ては異能調整局を統括する局長が全ての改造案に二つ返事で承認を下しているからなのだが。
大東亜工業や神学部門、果ては法務省とは少しばかりギクシャクした関係にある武装医師会から提出される新技術の説明や改造についての説明書に碌に目を通す事なくいつもの人を食ったようなニヤニヤとした笑いを浮かべながら承認のサインをしていくその姿は朱羽亜門という“備品”を軽んじているからなのか、この男ならばなんだかんだ言って適応するだろうという信頼からか。
もはやこの男は使い捨てのクローンとするには余りにも技術や理論の特異点を突っ走るイレギュラーである事を理解しているのだろうか、と疑問に思うことすらあるが、上のやる事に異論を唱える意味もなし。
「強くなれるのであれば、改造に異論はありませんよ。流石に残る右腕を切り落としてのサイバネ化には同意しませんでしたが。」
それに本人が自分の身体を弄くり回される事に対して一切の痛痒を示していないのだから外野が何を言っても仕方がない。国家への忠誠故の忍耐か、己の身体を己の身体と思わぬ故の無頓着か。
少女はため息を一つ吐きながら、大戦前には企業戦士なる存在が居たという眉唾の都市伝説を思い出す。己が属する会社の為に尽くす彼等の中には自身に生体改造を施し、“仕事の鬼”と呼ばれる者やサイバネ化により“仕事の鉄人”と呼ばれる者も居たらしいが、案外この男のような存在であったのかも知れない。
この男のような存在がひしめく企業はきっと敵対企業に対して爆破攻撃なんかも躊躇しなかったのだろう、などという妄想を振り払いながら少女は新宿駅跡地───【神宿駅】の踏破領域を示す地図を腕のデバイスに映し出す。
複雑に入り組んだ外縁部がミルフィーユのように重なり、その下に真っ暗な領域が広がるその地図を少女の背後からそれを覗き込む彼へと見えるように空中へとホログラムで映し出しながら、少女は自分達が立つ外縁部を指差した。
「敵対生物は外縁部から少し進んだ領域……つまりは我々がいるこの場所に多く発生するそうです。」
「では、今のはこの駅への侵入者を防ぐ防衛機能というわけですか。」
「そういうわけでは無さそうです。防衛であれば、外縁部に最も多く出没するはず。と、なれば。」
無表情のまま、少年は唯一生身の右手でパチリと指を鳴らす。
「ある程度踏み込んだ者を内部へと追い立て、脱出しようとする者には門番として立ち塞がると?」
「その様ですね……何を意図しての生態なのかはともかく、これ以上深部へと踏み込むならば、敵対生物の発生も減るはずです。」
外から来るものを内部に追い込み、そして内部から外へと出てこうとする者も拒む。まるで怪物の腹の中のようではあるが、彼女達を呑み込んだのは得策とは言えなかったようだ。
「朱羽調整官、少し離れてください。」
「ああ、ナノマシンの匂いですか?申し訳ありません。なるべく無臭の物をお願いしているのですが。」
「違います!危ないから離れろと言っているんです!」
思春期の娘に嫌われた父親のような反応と共に無表情のまま申し訳なさそうな雰囲気を出すという器用な真似をする少年の義足をげしげしと蹴りつけ、数歩下がらせながら少女はその手を地面へと向ける。
「この駅は多層構造になっていますが、ちんたら下層への道を探すのも面倒です。なので。」
「なので?」
「2、3層ぶち抜きます。」
その瞬間、少女の手から極大の氷の槍が放たれる。否、槍という形容はこの場合正しくない。手に持つ武器である槍どころの話ではない故に。
少女の手から凄まじい速度で生成された氷の柱が床をぶち抜き、轟音と衝撃と共に床が崩れ落ち、大規模な崩壊を開始する。
「………なるほど。それでここからどうするので?」
「局長曰く、私たちが確保を命じられた未確認の異能行使者はこの駅の中層部に構築された人間コミュニティに合流した可能性が高いとのこと。」
重力に捉えられ、自由落下を開始する両者は言葉を交わす。
「どうやってその情報が得られたのかはわかりませんが、私たちにそれが知らされていない以上は知る必要もないでしょう。少なくとも外縁部に反応はありませんでしたので、ある程度は下層を目指して降りながら手当たり次第にぶち抜き、生命反応のスキャンと異界法則のスキャンを繰り返します。」
「それは大変スマートでクレバーですね。素晴らしい。」
どこか呆れた様な声と共に両者は重力の導くまま、神の宿る駅───神宿駅の中枢に作られた巨大な穴へとその身を委ねていく。
片や無能無敗。その肉体はもはや技術の特異点と化し、獣の如き本能と勘にて己の経歴に一つも黒星を設けずに戦場を渡り歩いてきた世界のイレギュラー。
片や氷結地獄。異能行使者を数多く輩出した氷峰家の現当主であり、単身での戦争を可能とする“戦略級異能行使者”の一人。あらゆる物を氷結させるその異能は物質のみならず、果てには概念すらもその静止の手中に収めると噂される最強の一角。
神宿る駅。異形蔓延り、人類が最弱種として生態系に組み込まれている魔境。されど、此処に集った者達はいずれも神殺しすら為し得る戦略級の人材。この突入が如何なる結果を齎すのか。魔神のチェス盤の上に置かれた黒のポーンとルークが白いキングのみが座す盤面へと切り込み、それを追う様に赤の駒が動く。
全てはまだ、神のみぞ知る──────
◆
「閣下、ご報告が。」
「こんな夜更けに少女の部屋を単身で訪問とは褒められた行いではないなぁ。特に総理ともあろうお人が。まぁ私に睡眠は必要ないとは言え、今年で数京才の初心な私ではとてもとても……。」
「そうですか。私は貴女のストーカー被害にあっている哀れな朱羽調整官の動向をお持ちしたのですがね。」
「早く座りたまえ。そこで気が利かないからお前はいつまでも総理なんだ。」
世界の中心。少なくとも、その二つのうちの一つ。
天高く聳え立ち、夜を知らぬ東京の街並みを一望する内閣府───大雑把に“官邸”とだけ呼ばれる日本の政治の中枢の最上階にて少女は男へと着席を促す様に机を手で叩き、招かれた男は表情を崩すことなく豪奢な部屋のソファーへと無造作に腰掛ける。
「この国では一応、総理が最も権威ある立場だと思っていたのですが。」
「私の傀儡の分際でよくぞ言ったものだね。まぁそういう図太い所が私も気に入った部分でもないわけではないのだが。」
研ぎ澄ましたナイフ、と形容するには少々覇気に欠ける。それを踏まえて例えるならば、錆びついて尚触れる者を傷つけるだけの鋭さ(それは錆によるものかもしれないが)を備えた古びたナイフとでもいうべき男は少女の言葉を半ば無視しながら机の上に幾つかの書類を乗せた。
「朱羽亜門調整官、並びに氷峰裁歌調整官が表層からの観測領域からロスト。中枢領域への突入を開始したものと思われます。どうやら神宿駅の層を異能か何かでぶち抜いたらしく。」
「ふむ、やるじゃないか。……なるほど、アレを使ったのか。まぁ扱えるのは君しかいないわけだからねぇ。あの変態マッドサイエンティスト共の発想には毎度驚かされる。」
その書類を受け取ったのは白いバスローブで小さな体を覆う金髪の少女。日本人らしからぬ赤い瞳と顔立ちに愉快げな笑みを浮かべながらパラリと書類をめくり、そしてその上機嫌な表情を拭い去るかの様に顰めっ面となる。
「二枚目からは関係の無い内容のようだが?なんだ、コレは。」
「一枚目が朱羽調整官関連の資料であれば二枚目も読んでくれると思ったのですが。外交文書ですよ。」
「私はゼリーに混ぜられた薬を食わされる赤子か?政治は全てお前に任せると言っただろう。」
「いえ、これは……。」
男が立ち上がり、少女が手に持つその文書の最後の行を指差す。
「神聖ライヒ=ユーロ同盟から貴女への物です。
そこには流麗な文字で神聖ライヒ=ユーロ同盟の盟主の署名と同盟のシンボルたる地球儀を貫く剣の紋章が、そして【真の日本の統治者へ】と宛名が刻印されており、それを目にした少女は訝しげに眉を顰める。
「……アフリカでの一連の行動について?ああ、農林水産省と防衛省が何かやっていたな。」
「貴女が命じたんですよ。ケーキを一般に流通させられるだけの食糧を供給できる様にしてこいと。」
「それでアフリカの半分が畑になったのか。まぁ、そんな事はどうでも良いが……なるほど、彼方も本気で私と語らいたいらしい。」
「ええ、先方はスイスでの会談を希望しています。」
少女の口の端が吊り上がる。半月の様に、舌舐めずりをする怪物の様に。
「クククッ、酔狂だな。異界での版図拡大に執心している間は見逃してやっても良かったが、こうなっては致し方あるまいよ。」
少女は鼻歌まじりにその外交文書を綺麗に折りたたみ、紙飛行機を完成させると共に男へと告げた。
「一週間後あたりで調整を進めておいてくれ。その頃には駅からの凱旋も終わっているだろう。」
「予言ですか?」
「勘だよ、女のな。」
魔神に性別がないことを知ってか知らずか、男は深々とため息を一つ吐いた後に椅子から立ち上がる。
「承知しました。では、その様に。」
少女は男を片手を振って見送りながら、外交文書で作られた世界一高価で機密の詰まった紙飛行機を飛ばす。空気を切り、軽やかに飛翔したその紙飛行機を目で追いかけ、少女は一人部屋で笑うのだった。
Tips 日本の省庁
大戦初期、日本が敵対勢力に分断された際に各省庁が独断で動き、独自の軍事行動を取った名残として今も全ての省庁が各々の軍事力を保有している。
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