第21話 抵抗者よ

新たなる概念を用いた発展が鋭い痛みを伴う前進によってにしか為されぬのであれば、彼等は世界を黎明以前の温かい暗闇へと退行させる事に一切の躊躇を覚えないだろう。その新たなる概念が悪意の元に齎されたのならば、尚更。




七色の極光が床を抉り、抉られたコンクリートの欠片が周囲へと散弾の様なスピードで舞い散る。その鋼鉄をも焼き切らんとするその圧倒的な熱量が向かう先は一人の少女だった。


ブルマと体操服という、前時代も前時代の装いに身を包む少女。それは一見年端も行かぬ少女へと超常の暴力が振るわれる凄惨な現場かの様に見えるが……。無論、それは大いに間違っている。彼女はこの場において被害者でも何でもなく、『挑まれる側』──即ち強者であるのだから。


崩れ落ちる大瀑布の様に荒れ狂うその破壊の権化を前にして、愉快げな表情を浮かべてその少女は涼しげに言葉を紡ぐ。


「セフィラ・ツリーは強大な魔神の亡骸が変質した物なの。だからその適合者は転樹を繰り返せば繰り返す程に、肉体にその全能の欠片が馴染む程に、使用者の本質も全能へと近づいていくって訳。」


瞬間、その熱を伴う光へと無造作に伸ばされる手の平。まるで飛んできたビーチボールを受け止める様な気軽さで差し伸べられたその手は余りにも細く、とてもこの光の大瀑布をどうにかできる様には見えない。


須臾の先を待つことも無く、一瞬にしてその少女が消し炭となって果てるのは自明の理である様に思われた。だが、彼女の事を少しでも知る者はその様な予想をあり得ない、と切って捨てるだろう。その理由は直ぐに光景となって現れる。


光はまるで先程までの輝きが白昼夢であったかの様に、少女──魔神、エリザベートの手に触れた瞬間に

箸よりも重い物は持った事がありませんと言わんばかりの華奢なその手には傷一つなく、微かに白煙が立ち上るばかり。


(マルクトの出力任せかぁ……。まぁ、適応してから数日じゃこんなもんか。)


妥協の念を抱く心中とは裏腹に微かな失望の色がエリザベートの顔に浮かぶが、その表情はすぐに別の感情で上書きされる事となる。


「これは──へぇ、やるねぇ!光の屈折だなんて味な真似するじゃん!」


粉塵の残滓中から猛然と迫るは、鏡像の様に──否、鏡像そのものであるのだろう。全く同じ容姿、武装の少女達が四方よりエリザベートへと手にした大剣を振りかぶり、猛然と駆ける。


桃色の彼女達の髪の残像がエリザベートへと吸い込まれる様に迸り、手にした自身の身長を越す程の水晶で形作られた大剣が軽々とその細腕によって空気を切り裂く轟音を奏でる。その刀身に輝くは先程の一撃は前座であったとばかりの虹の奔流。もはや直視も叶わぬ程の極光の刃は一切の手心無く、エリザベートの首へと四方から迫りつつあった。


どの少女が本体であったとしても、その光に込められた熱量は全て真。四人の必殺のうち、一人にしか実体は在らねども、光が齎す破壊の力だけは全ての少女の像が有していた。だがしかし。必殺の刃の檻の中でエリザベートは己に窮地を齎す光の刃達へと一瞥もくれる事なく、その整った顔に愉快げな笑みを浮かべながら己の直上を見やる。


「そして本命は透明化してからの一撃、か。良いじゃん良いじゃん!一端の戦略を練ってくれるじゃん!」


その大剣の鋒を下へと向けその小さな年相応の身体をしならせながら一直線にエリザベート目掛けて突貫していた少女は、狙いを看破された焦りに顔を歪める。何故見えた?己の知らぬ技術か、はたまた『魔神』としての特性なのか。だが最早ここまで来て戦略を変える選択肢もある筈が無し。


大勢は既に決しようとしていた。エリザベートの四方を必殺の光で囲み、上空からの重力に任せた突貫。逃げる事は叶わず、触れてかき消すにしろ一つの攻撃に対処している間に、少女の用意した残りの手札によってその体躯は焼き尽くされる事だろう。言わば王手、チェックメイト。

少女が己の番狂わせの勝利を確信したその瞬間───


「でもさ。戦略って所詮は───弱者が積み上げる布石なワケよ。」


その必殺の全てが霧散した。あらゆる物を切り裂くであろうその煌めく水晶の鋒は、白魚の如き指が放つ万力の如き力によって刀身を摘まれ、エリザベートの目の数センチ上で停止した。冗談の様な光景。だが、少女が如何に動かそうと試みてもピクリとも動かぬ己の得物が純然たる現実である事を無言で示していた。


次の瞬間、エリザベートを囲んでいた光が展開された重力場によって四散する。吹き荒れる暴風に乱れる金髪を黄金を背負うかの様にたなびかせながら、エリザベートは獰猛に笑った。


「ダメダメダメ……!全能を断片でも手に入れたからにはそんなんじゃダメ。その力は──セフィラ・ツリーはそんな物じゃない。何の捻りもなく強く在らないと!技量じゃない、出力でもない。存在としての『強さ』。其処に至らなくちゃッ!」


大剣を持ったまま突っ込む様な体勢のまま、エリザベートの二本の指によって頭上に固定された少女の戦慄する視線を飲み込むかの如く、ワインレッドの瞳の中の瞳孔が興奮の余りぱっくりと割れ、口からは鋭い牙が覗く。魔神は興奮と官能に潤む瞳に人ならざる紋様を浮かべながらもう片方の手を伸ばし、恐怖に引き攣った可愛らしい顔へと─────


「はいアウトー!!!」


触れる事なく、横薙ぎに振るわれた重力場によって壁へとめり込むのだった。

突如として己を支えていたエリザベートが吹き飛び、重力の導くままに地面へと頭から落ちそうになっていた少女を不可視の力場が包み込み、優しく部屋の地面へと下ろす。


此処はレジスタンスが本拠地、マヨヒガ。エリザベートの魔神としての特性により展開された擬似的な異界であり、広大な広さを誇る一つの国。


その中央に位置する『スパルタクスの塔』と呼ばれる巨大な白色の尖塔の地下へと設けられた訓練用の部屋の壁へと顔面からめり込み、ぶらりと下半身を揺らすがままにするエリザベートの臀部を入り口から走り寄ったが思い切り蹴飛ばした。


「訓練なのに何で本気出してんのかなぁ!このポンコツ分け身はさぁ!春音ちゃん怖がってるじゃんか!」

「あはは……別に怖がってない……って言ったら嘘ですね。めちゃくちゃ怖かったです。食べられちゃうかと思いました。」

「いや、待ってほしい!私の話を聞いて欲しい!これには深い訳がある!」


地面に気の抜けたようにへたり込む少女が苦笑いを浮かべながら手にした大剣を重厚感を感じさせる音と共に地面へと置けば、ジタバタともがきながら勢いよく壁から頭を引き抜いた『分け身』のエリザベートが己の本体たる闖入者から露骨に眼を逸らしながら、弁明を開始した。


「聞いてやろうじゃん。その深い訳とやらをさ!」


春音の前に門番のように立ち塞がったエリザベートが腕を組み、呆れ切った表情で地面へと正座するもう一人の己を見下ろしながら告げる。だが腐っても自分。次に言うことが大体予想がついているが故に余計にげんなりした表情を既に浮かべていた。


「ほら、さ。春音ちゃんが予想よりも強くてさ……えっと……その……?」

「心にズキュンと来ちゃったと。」

「もうズキュンと来ちゃった。」


溜息と共に脳天へと拳骨一発。彼女──真なるエリザベートとて己と同じ見てくれの存在を殴るのも嫌な気分だが、思わず手が出てしまった。魔神の一撃を受けた魔神が涙目で地面をのたうち回る中、既にその大剣を消失させた春音が苦笑いと安堵が入り混じったような表情でエリザベートへと声をかける。


「別に気にしてませんよ、エリザさん。エリザさんも私の事を思ってやってくれたんですから。えっと、今言ったエリザさんは模擬戦に付き合ってくれた方のエリザさんで……。」

「こいつの事はもうエリ公で良いよエリ公で。」

「もっと自分を大事にして欲しい!自分の事をそんな風に呼ぶなんて良くない!」

「……ふふっ。」


レースを散りばめた格式高いゴシックロリータを纏う少女と体操服姿の少女が睨み合い、ぶつかる視線には火花が散る。全く同じ顔、声の少女達がいがみ合うその光景に思わず声を上げて笑ってしまった春音の声に思い出したかの様に、未だ憤懣やるかたなし、といった表情で此方を睨みつける己の同じ顔に赤と黒のレースの袖で一撃を見舞いながら顔を向ける。


「あ、そうだ。良いニュースと悪いニュースがあるんだけどさ。どっちが良い?」

「え……じゃあ、そうですね。悪いニュースからで。」


唐突に問われたその問いに対し、少し考え込んでから答える春音。レジスタンスのNo.2であるエリザベートがそこまで急いで居ないのならば、悪いニュースと言ってもたかが知れたものだろう、と思った矢先。その報せは突きつけられる。


「あのね、中禅寺ちゃん法務省に捕まっちゃった。」

「はえ?」


何でもない様に告げられたその内容に目が点になる春音。中禅寺丹羽。レジスタンス発足から在籍する最古参のメンバーの一人であり、先の大戦より異能を用いた戦闘に携わっている生粋の異能行使者。レジスタンスのNo.3の地位を持つ彼女が捕縛された。その晴天の霹靂とも言える報せに彼女は、だがしかし。


「……中禅寺さんならまぁ、何とかなるでしょうね。」

「だよね。その反応になるよね。」


驚きの色を浮かべながらも、微かな苦笑いと信頼の入り混じった笑みで応えるのだった。


この場にいる全員が、中禅寺丹羽という女の生き方を知っている。緩いようで抜け目なく、特に『生き残る』という点において彼女は何者よりも秀でているのだ。レジスタンス発足からのらりくらりと凡ゆる危機から逃れ、或いはいなしてきた彼女ならば何とかなる……そんな確信を出会って日の短い春音が抱く程に、中禅寺丹羽という女は強烈な人間であった。


「まぁ、腐ってもレジスタンスのNo.3だからね。直ぐには殺されないだろうし、中禅寺ちゃん自身も口を直ぐに割る様な柔な人間じゃ無い。此方も色々と手は打つけど……自分一人の力で帰ってくる事態もあり得るからねぇ。」


春音が『嫌やわぁ、もう。監獄がもう狭いわ臭いわで……。』やらなんやらと言いながら平然と帰ってくる彼女を脳内で想像していれば、エリザベートがぴん、と形の良い人差し指を立てて注意を促す。


「さて、良いニュース……こちらは君の今後を左右する事だ。」


その瞬間、エリザベートの言動に見え隠れしていたおちゃらけた空気が霧散する。ただのエリザベートではなく、マヨヒガを政府から数十年間隠し続け、レジスタンスのNo.2として戦い続けた人外、魔神エリザベートとして紡ぐ言葉。それは質量すら幻視する程の威圧を伴い放たれた。


「初仕事だ、春音ちゃん。君には──この世界にもう一人の魔神を回収してもらう。」


神の宿る駅に、反逆者が集わんとしていた。

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