第15話 死の巡礼、再び(後編)

積み上げて、積み上げて。久遠の死を積み上げて。


膨大な死で取り繕った『無敗』はゆっくりと強者を締め殺す。




降り注ぐ朱色の羽根。

舞い踊る涼やかな朝顔を彩る着物の袖。ふわりふわりと舞い散るは蛍を思わせる光達───


此れだけを聞けば上の文章は美しい情景を描写して居る様にも聞こえるだろう。だが、正にその光景が上空に広がる身としてはとてもじゃ無いがそんな感想は湧いて来ない。降り注ぐ朱色の羽根は触れれば火傷なんてレベルじゃ済まない炎に包まれて居るし、着物の袖は鉄筋すら容易く切り裂く真空の斬撃を纏い、蛍の様に見える火は発火した血が滴り落ちて出来た産物だ。


何が言いたいかって?

まぁ簡単な話、この戦闘は余波ですら俺にとって致命傷だ。通常のクローンとしての肉体ならばこの程度は耐えてくれるのだが、この貧弱ボディではちょっとした弾みの攻撃が逸れて来ただけで余裕で死に至る。


そんな事を考えながら身を隠していた瓦礫から飛び出し、別の瓦礫へと走り出した瞬間に瓦礫へとぶつかる風の斬撃。先程まで俺が隠れていた部分をいとも容易く削り取り、その部分の瓦礫のまるで磨かれた鏡面の様な滑らかな断面がその攻撃の脅威を物語っていた。


まったく、作戦会議すら碌にさせてくれないのは勘弁してほしい。余波を回避する為に死に戻った回数は既に二桁に達して居る。まだこっちはあのはんなり姉御を如何にして撤退させるかの目処すら付いていないと言うのに、これだけ死なせてくるとはたまったものでは無い。


「あらあら、あの子もか弱そうなくせして中々やるやないの。……なぁ、あの子貰ってもええ?なんか懐かしゅう雰囲気がするわぁ。」

「やるわけ無いでしょうが!……アイツがこの攻撃の余波如きで死ぬなんて舐めてもらっちゃ困るわね!」


おい、何か理解者みたいな面してるが本日の死亡原因の半分はお前の攻撃の余波でもあるからな。そのはんなり姉御と同じくらいお前は俺の事殺してるよ。

上空で炎と風を振り撒きながら激戦を繰り広げる両者の会話が漏れ聞こえるが、とてもじゃ無いが反論してる余裕なんて無い。正面から飛んで来た炎を横へと跳躍する事で何とか避けるも、その熱が左手の生傷を焦がし俺の脳へと苦痛を訴える。


痛みには強い方だが、不快感を覚えないかと言われればそう言うわけでは無い。慣れはしても痛いものは痛いのだ。

炎で軽く水膨れを起こしている左手の傷口に付着した生乾きの血がパラパラと地面へと落ち、更に俺の脳へと不快な痛みの信号を送り続ける。そろそろ止血と応急処置ぐらいしとくべきか……。俺は密入国の傭兵(故)が持ちこんでいた医療用のナノマシン噴霧器を取り出す。


真っ白なスプレー缶に十字架と燃え盛る銃弾の意匠があしらわれたシンプルな見た目のソレのキャップを外し、瓦礫の影に隠れながらワンピースの左袖を破き、露出した傷口と火傷へとスプレーを噴射する。無色透明な液体が傷口へと噴霧されれば、何かが覆う様な感覚と共にジクジクとした痛みが収まり、流れていた血もその煙と共に薄く広がったナノマシンによって覆われ、俺の腕は一応の応急処置が施された形となった。


しかし、火傷周りのナノマシンの定着がよろしく無い。このナノマシンは高温に弱いらしく、業火に直接曝された部分の傷口のナノマシンが凝固せず液体のままで滴り落ち、水膨れの端から漏れ出る白い煙が風に吹かれ───ん?


そうか、そうじゃないか。密閉されて居ない屋外だから度外視していたが、俺の手持ちのカードはもう一つある。

俺の体液由来の毒ガス。吸い込んだ物に麻痺を与え、適切な処置なしでは身動きを取らせない事を相手に強いるガス。しかし屋外ではちょっとした風にすら直ぐに撹拌され充分な効果を発揮しない事から作戦に組み込むつもりも無かったが……。


待て、何か……思いつきそうだ。いける、かもしれない。いや、思いついたと言っても妄想に近い物だ。

成功する確率を数字で出そうとしたら小数点以下の0が凄まじい数連なるのは見えている。だが、俺にはこのズル死に戻りがある。不可能と可能の狭間を俺の死体で埋め立てる成功しなければ終われないボーナスステージ。


死に続けなきゃ生きれないなんて皮肉が効きすぎている。この世界に俺を放り込んだ奴が居るなら、今頃大爆笑して俺を見ているだろう。でも、やるしかない。ゆっくりと立ち上がり、上空を舞う己の標的を見据える。


嗚呼、クソ。いっぱい死ぬんだろうな、コレ。





上空を茜色に染め上げる戦闘は一進一退の様相を呈していた。

紅のツインテールの眩しい少女の放つ炎が太陽と見紛う程にその体積を増し、和装の麗人へと襲い掛かれば女の振るう手が纏う風の刃に両断され、女がお返しとばかりに指先から鉄をも穿つ風の弾丸を雨霰と降らせば、少女の背中より伸びる炎の両翼に薙ぎ払われる。


その戦闘の熱狂に身を委ねる2人の口元には隠しきれぬ戦闘の高揚が齎す壮絶な笑みが浮かべられていた。炎が大地を焦がし、舞い散る風刃が熱したナイフでバターを切る様な気軽さで周囲のビルを切り倒す戦場を舞う2人の戦乙女。だが、その強者同士であるが故に成立する均衡は一瞬にして破られた。


「……あーあ、止めや止め!何度切り刻んだかてこない元気でいはんねやったら意味無いわぁ。」


人形を繰る様な緻密な操作で、無数の斬撃と自身の纏う壁を制御していたその指がピタリと動きを止める。

お手上げとでも言いたげに上品に肩を竦める中禅寺に対し、ネコ科の肉食獣を思わせる獰猛な笑みを返す焔の全身を鎧の様に覆いながら中禅寺の態度とは対照的に未だメラメラと燃え続けている業火は、少女に宿る殺意を代弁している様でもあった。


「そう?なら大人しく私に燃やされなさいよ。そうすれば私の仕事も早く終わってアンタは面倒ごとから解放される。魅力的な提案じゃない?」

「あんさんが死んでも解決すると思うんやけどねぇ……。でも切っても切っても死なへん所を見る限り、不死鳥の名は伊達じゃ無さそうやなぁ。」


ポツリと呟きながらゆっくりと両手を前へと構える彼女はまるで何かを押し出す様に両手の平を相手に見せ、にこりと穏やかに笑う。


「せやから、うちが“荷物”を受け取るまでどっかに行っといてくれへん?」

「まさか、アンタッ───!」


焔が何かに気づいた様にその背の炎翼を羽ばたかせ、遥か上空へと跳躍せんと身を屈めるが時既に遅し。

瞬間、先程までその場にいた不死鳥の姿がかき消える。まるで元より其処には誰も居なかったかの様な錯覚すら抱かせる程に唐突に消え失せた彼女の代わりとでも言うようにその場に響き渡る轟音。


まるで千発の戦艦の主砲が轟いた様な轟音が彼女に起きた出来事を言外に説明していた。

不死鳥は殺せぬが故に不死鳥。ならば、殺さずに放逐する。中禅寺が出した最適解に基づき繰り出された局所的な暴風は、焔の肉体を千々に切り刻みながらその身を何処かへと吹き飛ばす事に成功していた。


「あの焼き鳥娘が帰ってくるまでに2分って所やなぁ……で、あんさんが代わりに相手してくれはるん?」


清々したとばかりに軽く腕を振りながら投げかける目線の先には、上部が切り取られ内側を無惨に露出させた廃ビルのフロアにて戦闘の余波に巻き込まれ、舞い散る炎と風の斬撃によってその命を落とした傭兵達の死体から流れ出る血をカーペットの様に踏み締める少女。


この世界でも有数の強者2人が激突した地点の真下に居ながら、その身には当初より付いていた左腕の裂傷以外の傷は見受けられない。

死体の中で唯一無事に立つ彼女の顔は無表情に染まり、彼女が投げかける視線を迎え撃つ様に上空へと向けたその目は昏く濁っており、光景そのものから死という物が匂い立つようにすら感じられる。


「嗚呼……あんたはん、本当にお兄ちゃんとか居らへんの?本当にそっくりやわぁ、その目ぇ……。」


その頬を恋する乙女の様に赤く染め、潤んだ瞳で眼下を見やる彼女に対して少女は無感情に右手をだらりと脱力させ、左手でナイフを構える。まるで何度も、何百回も、何千回も繰り返したかの様に手慣れた素振りでナイフを持つその構えに中禅寺はぴくりと形の良い眉を動かした。


何かの流派だろうか?血の滲むような反復動作でしか身に付かない様な所作がその構えの端々に見受けられる。

だが、彼女の知る流派にあの様な構えは無い。どちらかと言うとあの構えからは素人感が拭えない様な印象を彼女に投げかけていた。

あまりにもチグハグなその構えを取る少女。興味を唆られる相手ではあるが、例え少女が何者であれ彼女のやるべき事は一つ。


「悪ぅ思わんといてなぁ。」


刹那、彼女の指先より銃弾の様に放たれる斬撃。鉄を容易く両断する事が可能な目視する事叶わぬ風の刃は、肉を眼前にした猟犬の様な獰猛さで空を駆け、その少女の血肉を地面へとぶち撒けんと彼女へと殺到する。不可視故に回避も叶わぬ確殺の斬撃。数瞬の後に少女はその命を散らしている事は確定した様に思えた。だが───


カッ───!


酷く硬質な音と共にナイフが虚空を穿つ。

国防軍制式採用の黒光りするナイフのブレードは空中で火花を散らしながら不可視の斬撃を弾き、微かに響く刀身の振動する音が確かにその時起きた『不可能』が事実である事を知らしめていた。


そう、有り得る筈がないのだ。神速で繰り出される不可視の斬撃。これまでに数多の強者を屠り、その喉笛に喰らい付いてきた彼女の『必殺』。なるほど、彼女の放つ風刃が防がれる事は有り得るだろう。防壁を築き、或いは広範囲への攻撃での相殺によって風刃が意味を成さなくなる事は多々ある事だ。

だが少女は不可視の其れを見切り、剰えその凄まじい速度に対応して弾いてみせた。『まるで其処に攻撃が来ると知っていた様に』。


その未来予知じみた行動、そしてその深く澱んだ眼。其れらは彼女にどうしようもなく高揚と疼きを想起させていた。

かつて己の身体に傷を刻み込んだ愛しき無能力の戦士。大量生産から生まれ落ちたイレギュラー。彼女が両脚と左腕を奪い、互いに互いの身体へと痕跡を刻み合ったあの数分の邂逅────


「あはぁ……♪」


瞬間、彼女の周囲の空気が歪み、圧縮された其れらは鋭利な鋒をもって少女へと殺到する。

鋭く回転しながら迫り来る無数の斬撃達。それらは間違いなく絶死の攻撃であり、数瞬後には全身から鮮血を吹き出して地面へと倒れ伏す少女の姿が其処にある筈であった。しかし、実際に結果でもって示された現実は凡そ信じられぬ光景であった。


するり、と少女がナイフを不規則な軌道で振るえば、黒光りする一閃が放つ甲高い金属音が辺りへと響き渡る。

斬撃の通る道。主人の手から放たれ、敵の喉笛へと喰らいつかんと駆ける不可視の猟犬達が描く未来の軌跡。

何者も見る事叶わぬ須臾の先に訪れる未来。その未来の斬撃が通る軌跡へと刃を配置する様に緻密にそして素早く振るわれたその一撃は、複数放たれた筈の斬撃を一閃にて全て防ぐという有り得ざる不可能を成し遂げていた。


同時に少女の腕から響くブチブチという致命的な何かが断裂する音。

脳が自らの肉体を保全する為に定める『肉体が損壊しない為の運動の最高値』を意図的に突破し、非力な少女の身でありながら圧倒的上位者の連撃を防いだ代償は直ぐに視覚的にも現れていた。


ナイフを振るった左手に徐々に浮かび上がるどす黒い内出血の斑紋。無理な挙動によって断裂した筋繊維達が訴える屈強な男でさえ涙を禁じ得ないであろう激痛を伴うその代償に、少女は一切の痛痒をその顔に浮かべる事なく慣れた手付きでナイフを右手へと持ち替える。その有様はさながら鋼鉄。凡ゆる損害を度外視し、己の目的のみを遂げる生きる機械装置。詰まるところは───人でなし。


「えらく可愛らしい見た目になっとるやないの、『無能無敗』君。前の身体も男前で唆られよったけど、その見た目も好きやわぁうち!どないしたの?またあの『魔神』に弄られたん?」


空中で無数の旋風を周囲に侍らせ、着物の袖元で口元を押さえながら上品にクスクスと笑う彼女。だが、エメラルドを思わせる緑の眼はその中で燃える執着の炎を隠そうともせず、目の前の少女へと粘着く様な視線を投げかける。

そんな1000年を恋焦がれた乙女の様な雰囲気を纏う中禅寺に対し、無能無敗と呼ばれたその少女は言葉を返す事無くナイフを口に咥え、腰に捩じ込んでいた青い幾何学的な光を放つ拳銃を抜き放ち発砲する事で返答とした。


銀色の銃口より放たれた白銀の光は、マガジンに封入された異界由来のエネルギーにて働く異なる物理法則の元に、忠実に目標を焼き焦がすべく虚空を一直線に駆け抜ける。

幾度も動作を筋肉に焼き付くまでに繰り返した者特有の澱みの無い、流れる様な抜き打ちより繰り出される光の槍が正確無比な魔弾と化してその美しい白い柔肌へと傷をつけんと迫り───風のかいなに薙ぎ払われる様にして打ち上げられた付近の瓦礫によって無為に残滅する。


周囲に常に纏わせた万物を切り刻む神威の風による自動防御。其れに守りを任せる事無く振るわれた不可視の巨人の腕。

その意味する所を既に熟知しているとばかりにその行為に一切の感想を抱く事無く再度引き金を引き絞る少女に、中禅寺は獰猛な笑みをその端正な浮かべながら両手を交差する様に振るい、吠え立てる様に叫んだ。


「舐められたもんやねぇ!此れで倒せると本気で思ってはるんやったら……期待外れやわぁ!」


彼女の怒りを示す様にして放たれた爆風。暴虐の嵐は瓦礫を舞いあげ、放たれた光を湖畔に投げ入れられた小石の様に容易く飲み込みながら無表情にその場に直立する少女へと迫る。

流れ落ちる大瀑布の様に迫る巻き上げられた瓦礫達。この広範囲の攻撃の前には避ける事も叶わず、年相応の筋肉しか付いていない少女の脚では逃走も叶わない。ならば残された選択肢は『死』のみか?否、否である。


あるでは無いか、突破口が。目の前に


一切の躊躇いを見せず、拳銃の青い光を残像として引きずりながら少女は全力で走り出した───絶死の虎口たる前方へと。前方より迫り来る一際巨大な瓦礫の上部へと右手を突き、後方へと受け流す勢いで上方へと勢い良く跳躍する少女へと更に無数に押し寄せる大小様々な礫達。小柄な体を駆使しながら避け、避けられぬ物は手にした拳銃より放たれる正確無比な狙いの光弾により破壊し、その中でも大きな礫を選び取り軽業師の様にいなしながら、上方に待ち構える中禅寺を目掛けて、怒涛の如く押し寄せる瓦礫の瀑布を怖るべき速度で登攀する少女。


巻き上げられた瓦礫による圧殺効果を期待して放たれたこの風に斬撃が込められていない事を加味したとしても、この光景は異常であった。全身に細やかな傷を負い、傷口より立ち昇る白色の霞を風の任せるままに後方へと走らせながら一切の痛痒をその顔に現さぬままに天へと至る瀑布を駆け上るのは小柄な少女。その神がかった挙動の一つでも歯車が噛み合わなければ、押し寄せる瓦礫に全身を擦り潰されて死ぬと言うのは余りにも明白。だが、少女は止まらない。


その狂気すら感じさせる進撃を前に、空にて待つ彼女は思わずといった様に全身を震わせ、己の身を抱きしめていた。

恐怖からの震えでも武者震いの類でも無いその震えで全身を覆い尽くされた彼女は、大好物を前にした幼児の様に眼を輝かせながら赤くなった頬のまま笑う。


「嗚呼……あかんよぉ、そないに刺激的なもん見せつけられたら……濡れてしまうやろ?」


その瞬間、瀑布の頂点へと至った少女がその血塗れの全身をバネの様にしならせながら跳躍する。

明らかに弱者である筈の彼女が己の力量を遥かに超える筋力を引き出した代償は凄まじかった。皮膚の下で血管や筋が破断した事を示す青い斑模様で覆われていない四肢など存在せず、恐らくその服の下の華奢な肉体も同様であろう。


最早、この戦場を切り抜けたとしても健常な生活など送れぬ程の損傷。だが、少女の顔に後悔の念も恐れの念も見受けられはしない。それは中禅寺にとって、己の一生を賭けたとしてもお前を殺し尽くすというメッセージに他ならなかった。

かつて殺し損ねた最愛にして無力なる捕食者よ。姿形が変われどその眼を、この犠牲を厭わぬ前進を誰が見間違おうか。

嗚呼、本当に───


「壊してまうんが残念やわぁ……。前の身体やったら殺せたかも知らへんのになぁ?」


刹那、跳躍した少女の胸へと赤い線が刻まれる。不可視の斬撃。音も無く相手に刻まれた鮮血伴う傷によってのみその存在を認識可能な一撃の前に、少女の先程までの未来予知じみた回避行動も虚空では意味をなさず真一文字に胸から吹き出す鮮血。反射的に盾にしようとしたのか胸の前へと添えられた白い缶は容易く両断され、中の無色の液体が彼女の傷へと降り掛かりながら彼女の鮮血と混じり、周囲の空中に浮かぶ瓦礫へと降り掛かり鉄の香りを帯びた絵画を制作する。

苦し紛れだろうか。少女は手にした拳銃を上空に立つ中禅寺へと投擲するも、それは何ら痛痒を及ばさないだろう。


重力の軛に捉えられ、地面へと落下する少女へと愛しげに手を伸ばす中禅寺。その顔は情欲に満ちており、まるで恋人へと一夜を共にした後に手を差し伸べ愛を確かめる女の様な雰囲気すら漂わせていた。

少女が彼女の初撃をナイフで弾く奇跡を見せてから僅か数十秒。奇跡に奇跡を重ねて作られたこの一幕ももう終わり。奇跡は品切れ、羽をもがれた天使は哀れに堕ちるのみ。さぁ、これにて閉幕────


「勝っ……た……!」


羽をもがれた天使は堕ちるだけ。だがそれは何ら彼女の敗北を意味しない。

無表情で染め上げられたその顔。痛みにも恐怖にも動かず、胸へと一撃を喰らったとしてもピクリとも動かなかったその表情筋が動く。口角を上げ、頬を吊り上げたその顔を第三者が見ればこんな感想を抱くだろう。即ち、『勝利を確信した笑顔』だと。


その言葉に呆けた様な表情を浮かべる中禅寺。次の瞬間、彼女の視界へと割り込むは先程下方より投擲された黒く煙を上げる拳銃。


待て、煙?微かな違和感に気づき、注視すればグリップの部分に深々と突き立てられたナイフの刀身。マガジンが収められている銃の持ち手を軽々と貫通し、黒く煙を上げながら徐々に白熱していく刀身と込められたマガジン。


他の国が通常のこの世界で作られた技術体系に基づく光学銃を運用する中、荒れ狂う異界由来のエネルギーを日本の超科学により頑強に作られたマガジンへと封入し、強力なエネルギーを歩兵でも発射出来る様にと設計された光学拳銃。

その頑強な外殻へと突き立てられるは、同じく日本の技術の髄を凝らして作成されたモース硬度においてはダイヤモンドすら上回る数値を誇る材質を加工して作成された刀身。


風では防げぬ熱線を発生させるエネルギーを封入したマガジン。それに突き立てられたナイフは何を意味するか。

其れを小規模で良くても体験したいのならば、よく振ったコーラの缶にカッターナイフを刺してみると良いだろう。

即ち───爆発だ。無数の奇跡を積み上げて作られた絶死の一刺し。彼女を死に至らしめる致命的な策略。


だが、少女は一つミスをした。風では防げぬ光線を伴う爆破。成る程、風を操る彼女の異能だけでは防げまい。

しかし───戦場たるこの虚空にはたった今、瓦礫が溢れているのだ。盾にするには事欠かぬだけの量が地面から巻き上げられ、空中にある。主目的たる少女の殺害こそ叶わなかったものの、彼女の身を守る盾にするには十分だ。


「一手、うちが上や。」


くい、と招き寄せる様に手を素早く動かせば彼女の操る風に巻かれ、一瞬で彼女の周囲を一分の隙間も無く埋め尽くす瓦礫達。彼女の目の前を最後の瓦礫が覆い尽くしたその刹那、炸裂する異界のエネルギー。

外の光すら入らぬ程に組み上げられた幾重もの防壁をもってしても外界にて吹き荒れる爆破の熱を止める事はできず、瞬間的に温度の上昇する岩のシェルター内で汗一つ流す事なく無言で佇む中禅寺。


それは何処か恋人を亡くした傷心の女の様であり、或いは長年の夢を叶えた無邪気な子供の様でもあった。

この高さだ。生きてはいまい。仮に受け身を取ったとしても、胸に放ったあの傷からの大量出血で少女が死ぬ事は見えている。嗚呼、本当に素晴らしい存在だった。よくぞ此処まで己を追い詰めた物だ。


漂う仄かな甘い香りが鼻を撫でる中、中禅寺は遂に死へと誘う事に成功した愛しい存在を想起しながら……待て、甘い香り?

瞬間、力を失い膝を突く彼女。白い霧が密閉された岩の防御壁の中に充満し、同時に彼女の肺を満たしていく。瓦礫の封鎖を一部解除し、風で霧を追いやろうとするが時すでに遅し。甘い香りの毒は彼女の動きを既に麻痺へと陥れていたのだった。


咄嗟に手を瓦礫の表面へとつけば、ぬるりとした感触。彼女の意識の喪失に伴い崩れ始めた岩の防御壁の隙間より差し込む光で照らされたのは───夥しい血液。

『何か』にコーティングされ、瓦礫へと塗布された血液が織りなす絵画が描かれた瓦礫が防御壁の内側へと紛れ込んでいたのだ。其れ等は外殻のすぐ近くで吹き荒れた異界の膨大なエネルギーの熱に影響され、本来の性質を取り戻したのだ。少女の血で濡れた瓦礫が、その面をこちら側に向けて防壁の最も内側へと組み込まれる可能性は何パーセントだ?偶然なはずが無い。此処まで来れば分かる。全て、全て『彼』の手の内だったのだ。自身が負う傷も、彼女の行動も。


否、例えそれを全て予測できたとしても実行出来るか?死との綱渡りを繰り返し、何より己の予測した未来を此処まで愚直に想像できるだろうか?不可能だ。そんな事が出来る人間が居たのならば、最早『ソレ』を人と呼ぶべきではあるまい。

魔人、人外、悪魔の類。精神的な異形。


積み上げられたのは奇跡では無い。全ては必然だったのだ。持たざる者が一つずつ煉瓦を積み上げて作り上げられた策略という名の巨大な要塞は、最後まで相手にその存在を悟らせぬまま命を刈り取る。故に負けを知らず、その血塗られた道には勝利のみが輝く。


嗚呼、まさしく───無能『無敗』。

中禅寺丹羽は未だ胸より消えぬ高揚の炎を抱いたまま、その意識を閉ざすのだった。

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