第16話 銀色の姉妹

「密入国者共の死体は空間凍結コクーンに入れて外務省の鑑識にまで回しなさい!遺留物は全部回収!拘束したレジスタンス幹部の異能封鎖バンドは三重に付けといて!戦略級の異能行使者よ、護送中に拘束が外れたら首都ごと更地になると思いなさい!」


閑散とした世界から過去へと忘れ去られたかの様な廃墟群。栄華の限りを尽くす東京の影に埋没した数多の負の遺産の一つであり、3等市民にすら満たない日陰者達の溜まり場であったその地は今、恐らく大戦後で最大の賑わいに包まれていた。


空中を所狭しと飛び回る球状のドローンに、戦前より変わらぬ旭日章を制服に刻んだ画一的な顔立ちの警察官達が走り回る。青と赤のパトライトを備えたパトカーに、国防軍から引っ張り出してきたらしい装甲指揮車や一体何を相手にする心算なのだろうか、爆裂式の旧式の戦車まで瓦礫の転がる荒れた道へと乗り付けている始末。


その中でも一際目立つのは一人の少女。ボロボロの制服から傷一つない肌を覗かせながら赤いツインテールを風に靡かせ、声を張り上げる彼女の視線の先には巨大な冷蔵庫の様な灰色の箱へと両脇を二人の黒服の男達に抱え上げられながら運び込まれる拘束服に身を包んだ意識の無い女の姿があった。


周囲を取り囲む黒光りする防護服に身を包んだ数十人の兵士は常に銃口を突きつけ、それに加えて展開した戦車の砲塔の先も常にその女を追っており、その武装の過剰さがこの人物へと向けられた危険度評価の高さを表していた。


「チッ……全く姉としての面目丸潰れじゃ無いの……!」


舌打ちしながらも凛とした声で第三課ref異能調整局において異能犯罪の鑑識を担当する部署/refへと下知を下す少女の制服が擦り切れ、露出した肩にぱさりと灰色のコートが背後から被せられる。

少女が振り向けば剥き出しの剃刀の様な鋭い雰囲気を纏った背広姿の男が掛けていたサングラスを外し、少女へとその爬虫類じみた目を向ける所であった。


「餓鬼が一丁前に肩出してんじゃねぇよ。聞いたぜ、何でもレジスタンスの幹部に良い様にあしらわれたらしいじゃねぇか。何だって広域殲滅型のお前さんがこんな現場に出張っちまったんだ?」

「国家に忠誠を誓ったこの場にいる公務員にロリコンなんて居ないのでお気になさらず。それで?公安が何の用よ、木更津きさらづ。異能を用いた犯罪はうち異能調整局の管轄下の筈よ。それに何で来たかですって?弟から呼ばれたら何処にだろうと行くに決まってんでしょ。」


まるで父親と娘の様な身長差の二人であったが、まるで同年代の同僚と話す様な気負わぬ口調で進む会話。木更津と呼ばれた男は少女の言葉に驚いた様に目を見張り、肩を竦めた。


こっち公安からも人は出してんだ。公安の俺が顔を出しちゃならんという道理も無いだろう。

しかしお前に弟が居たとは知らなかったな。イマジナリーブラザーなんて流行らんぞ。」

「失礼ね、実在してるわよ。更に言えばあの風女を捕縛したのもソイツ。」

「そりゃあ、姉弟揃って優秀な事で。しかし……これでまた一つ、この国も安定に近づいたな。」


草臥れたスーツの胸ポケットから取り出したシガレットケースから一本を抜き取り咥えれば、ライターの金属音と共に周囲に燻りだす紫煙。顔を顰める少女の視線を受け流し、男は空を見上げながら感慨深げにもう一息煙をその口から吐き出した。


「まだ煙草なんてやってんの?毒吸って何が楽しいんだか。」

「餓鬼にゃまだ分かんねぇよ。……なぁ、氷峰の嬢ちゃんは元気か。」

「難しい質問ね。今は元気そのものよ。」


ガシャン!という音と共に異能調整局のエンブレムが刻まれた灰色の扉が閉まり内部に女を収容した瞬間、その場に安堵の空気が漂う。中に女を収めた灰色の直方体が黒い護送車に運び込まれていくのを腕組みをしながら見つめる少女が何処か含みのある言い方をすれば、男は何処か遠くを見る様な目で言葉を続ける。


「そういう言い方するって事は昔は元気じゃなかったって事か?」

「一言で言うなら頑張り過ぎてたって所かしらね。トレーニングと任務の過密スケジュールが毎日。医務室での疲労回復のナノマシン接種が常習化してたわ。」

「上司なら止めてやれよ。アレは疲労を脳に無理やり忘れさせるだけの奴だろうが。」


苦虫を噛み潰す様な顔で嫌な予感が的中したとばかりに天を仰ぐ木更津の口から立ち上る煙が、空を覆う様な曇天へと立ち昇っていく。

脳の一部を麻痺させるナノマシンの常習化は深刻な障害を生む事に繋がる危険行為だ。どうなっていると咎める様にギョロリと目線を送る男に少女はどうにもならぬと言いたげに肩を竦めた。


「局長が放置しておけって言ったのよ。『彼』を超える為にやってるんだから、後に遺恨残らぬ様にやりたい事をやらせろって。」

「あの女の指示か……。全く、あの見た目で経産婦らしいってんだからな。奴さん、俺が見習いの時からあの見た目だってんだから驚くね。おじさんとしては若さの秘訣を伺いたい所だ。」

「……え?」


鳩が豆鉄砲を食ったような度肝を抜かれた顔で木更津の顔を見やる少女に、意外そうな顔で男は告げた。


「俺が知ってるのに直属の部下のお前が知らんのか。娘が居るらしいぞ、天威局長にはな。まぁ、あくまで噂なんだが。子育てとかどうしてるんだろうな。」


別に天威喪音───アマイモンが腹を痛めて産んだ娘という訳じゃないんだが、というか魔神に生殖という概念が有るのだろうか、という様な思考が彼女の脳裏を過るが、此処で下手に口を出せば深刻な誤解が生まれる事を察知した彼女は強引に話題を逸らす。


「そんな下世話な話は置いといて!氷峰調整官の話だけど。」

「ああ、そうだったな……過去形で話すって事は『無能無敗』との勝負はあの箱入り娘の納得のいく形で終わったって事で良いのか?」

「異能行使有りの模擬戦で完膚なきまでにやられてたわ。まぁアイツ相手ならそのくらいしないと本気出してもらえないでしょうね。今は吹っ切れて良い方向に進んでるわよ。」


互いに想起するのはあの無表情の調整官。量産型クローンから生まれた特異個体であり、法務省最大のジョーカーたる彼に勝つ事に氷峰調整官が執着している事は一部の人間の間では有名な事だった。

特に彼女の出身である『氷峰家』の事情を知っている彼にとっては彼女の強さへの貪欲な執着は危うさを感じさせる物であり、懸念事項であった。彼は肩の荷が降りたという様な溜息を一つ吐き、すっかり短くなった煙草の吸い殻を胸ポケットから取り出したバクテリア分解式携帯ダストボックスへと捩じ込みながら自嘲気味に笑った。


「まぁ、早めに『最強』を知っておくのは良い事だ。最強に張り合っても良い事ねぇからな。」

「あら。経験談かしら?元異能調整官の木更津クン?」

「まぁな。俺も昔みたいなちっこい小娘が自分より強い事を認められない餓鬼じゃ無いって事さ。嬉しいかね、元上司サマ?」


肩に掛けられた灰色のコートを風に揺らしながら少女はかつての部下たる男へとクスクスと愉快気に笑えば、男もそれに応える様にその笑みを自嘲を多分に含んだ物から柔らかい物へと変化させた。


「それなりにね。氷峰調整官の事は任せなさい。部下の面倒は割と見るタイプの上司よ、私は。」

「ハッ、そうだな。その通り。お前は良い上司だった。俺も部下を持ったから分かるよ。」


男と少女の間に柔らかな空気が流れたのも束の間、その空気へと水を差す様に上空を舞うドローンの一つが高度を下げ少女の前へと微かな駆動音と共に舞い降りた。

プロペラも無しに中に浮かぶ灰色の継ぎ目の無いつるりとした機体の中央から覗く無機質なモノアイが少女へと向けられ、溌剌としているが何処か人間味を感じさせない合成音声がスピーカーから発せられた。

『こんにちは、赫羽焔課長。そして木更津国猛きさらづくにたけ理事官。ご歓談中に失礼致します。

現在、赫羽焔課長は総理官邸からお呼び出しを受けております。至急お向かい下さい。』


『官邸』。かつての超大国アメリカが次元の彼方へと消え失せ、その他の主要な国も先の大戦の影響を受け正常な状態では無い今、世界の権力の中枢とも言える伏魔殿からの呼び出し。

それは大抵の場合、人生を一変させる様な素晴らしい話が告げられるか、その人生に終止符を打つ話が告げられるかのどちらかだ。だが、少女は何でも無い様にドローンへと告げる。


「分かったわ。すぐに向かうと総理にお伝えして。」


役目を終えたドローンが上空へと戻るのを見送りながら肩に掛けたコートを脱ぎ、呆然と立ち尽くす男へと放れば少女はその全身を燃え上がらせる。その熱と光に正気を取り戻したかの様に男が今にも飛び立たんとする少女へと焦った様に言葉を放つ。


「オイオイ、何をしでかしたんだ? クソっ、嘘だろお前!何したら『官邸』から呼び出しなんぞ食らうんだ?!」


焦る男とは対照的に、落ち着き払った様子の少女がその男の素振りを愉快気な瞳で見ている事に気づいた男は深く溜息を吐き、首を振る。少女が嬉し気に男を指差し、年相応の笑みを浮かべながらその背中から燃え盛る紅蓮の両翼を凄まじい熱量と共に解き放った。


「心配ありがとう。でも私、呼び出されるのは初めてじゃ無いの。安心してもらって良いわ。またいつか、食事にでも行きましょう。積もる話も有るだろうしね。」


次の瞬間、炎の放つ紅の光を残像として男の目に置き去りにした少女は空へと飛び立ち、都心へと羽ばたきながら加速していく。

あっという間に豆粒程の点になった少女の熱が仄かに残るコートを羽織り、男は呆れた様にポケットに手を突っ込みながら歩き出した。


「……まぁ、アイツが上司ならそう話が拗れることも無いか。」


だが彼の心は晴れない。曇天の灰色へと溶け込む様に空中を駆け回るドローン達の浮かぶ空を見上げ、この空の下の何処か───否、もしかしたら別の世界かもしれない。未だに公安はレジスタンスの本拠地を発見できていないのだから。


「お前は今何処で何してんだ?唯一の妹を放っておいて……なぁ、憐歌れんかよ……。」


かつての己の友であり、今や彼が奉仕するこの国の不倶戴天の敵へと成り下がった彼女を目に眩しい風に靡く銀髪と共に思いだす。男の想いも、魔神の思惑も全てを呑み込んで東京という巨大な怪物は今日もその腹に無数の命と悲劇を抱えて胎動するのだった。



「嘘……だろ……」


静まり返った場において誰かが漏らした声。この部屋に集う誰もが思った事を代弁したその呟きは、壁一面に広がるモニターへと映し出された光景を信じられぬ物を見た様な面持ちで見つめるその場にいる人間全員が放つ静寂の中に呑み込まれていった。


とある少女の異能によりその機能を国土交通省の中枢コンピュータより簒奪されたドローンが中継する映像を食い入る様に見る彼等の目線の先には、上空数十mに浮かぶ瓦礫によって作り出された球体を構成する都市の残骸達が一つ、また一つと滑落するのに混じり落下する水色の人影があった。


まるで天より堕ちるイカロスの溶けた翼の様に着物の袖を落下の空気抵抗にはためかせ、脱力した様子で落下していくその人影の名は中禅寺丹羽。レジスタンスにおいて実力、立場共にNo.3の座へと君臨する彼女自らが臨んだ『回収』任務の成功はレジスタンスの怨敵たる法務省異能調整局最強と呼ばれる『狂乱の不死鳥』の排除に成功した事により確実になったかの様に思えた。


だが、その彼等にとっては確定したも同然の未来を覆したのは一人の少女であった。

己の血を媒介にガス状の麻痺毒を発生させるだけの異能保持者と見做され障害としてすら認識されていなかった少女は、其れを人間の行いと形容する事すら憚られる数分間の激闘の末に中禅寺を打ち倒したのだった。


こと戦闘において空想の上にしか存在しない最適解を全ての局面において選び取り、緻密に練られた奇跡とすら思える策謀の数々。ナイフと拳銃のみを手にし、己の身体の損壊を厭わぬその壊れた機械を連想させる悍ましい戦闘スタイルは否が応でもレジスタンスに所属する情報解析官達に一人の男の存在を想起させる事となる。


「まさか『無能無敗』の後継個体か?!」

「あり得ない!あの少女がクローンでは無い事は既に証明済みのはずだ!あの『無能無敗』の量産など考えたくも無い!」

「ならばアレは何だと言うんだ?!あのクソみたいな戦い方をする様な奴が二人もいると────」

「落ち着け!アホの様に狼狽えるな、お前達!」


静寂から一転、最早パニックの域に陥りつつある喧騒を凛とした声が貫くと同時、後ろに一纏めにした美しい銀髪を揺らしながら黒色の軍服に身を包んだ女性が開け放ったドアを勢い良く閉じ、部屋の床を軍靴で踏み締める音を高らかに奏でながら、その白雪の様な繊細な顔から発せられるか弱げな印象を抜き身の日本刀の様な鋭い雰囲気で塗り潰し手を振るう。


「ミーナ!ドローンを爆破後に通信封鎖を解除しろ!奴が敗れた以上、法務省のAIによる直接の逆探知の恐れがある!空間断絶帯への負荷を一時的に増幅して侵入者に備えろ!総員、甲種臨戦配備にて別命あるまで待機!」


生まれながらにして人の上に立つ事を定められていたかの様な彼女のカリスマは恐慌状態にあったその場を瞬く間に鎮め、烏合の衆であった彼等を元の有能なスペシャリストへと戻す事に成功していた。

ミーナと呼ばれた黒髪の少女の手が高速で動きキーボードを叩く無数の音が響くと同時、勤行に臨む僧侶達の様に整然と並ぶ液晶画面へと命じられた処置を実行している旨を告げる通知が表示される。


液晶の光を赤縁の眼鏡に反射させながらミーナが彼女の方へと顔を向け、指を猛然とキーボードの上で踊らせながら抑揚のない声で疑問の声を彼女へと発した。


「質問。中禅寺丹羽の救援部隊の手配の指示が未だ発令されていません。此れに何か意図がありますか?」

「必要無い。奴とは『自衛隊』からの付き合いだからな、よく分かる。奴の生存本能からすれば法務省に身柄を拘束される事など屁でも無いだろうさ。それに、だ。」


全幅の信頼を置くが故の余裕を声に滲ませながらその白手袋を嵌めた手で真っ黒な軍帽を整え、アメジストの様な美しい紫色の瞳を強い信念に煌めかせる。己の進む道が見えている者特有の光を瞳へと宿すレジスタンスのリーダーこと、元国防軍准将氷峰憐歌ひょうみねれんかは己の小指へと嵌められた黒色の指輪を撫でながら笑う。


「今頃、銀の色に飛びついてきたバッタが我々へと恩を売ろうとしている頃だろうさ。」


世界最大の国家にして、魔神の操る糸に絡められた傀儡である日本に正面を切って敵対する最大の組織、レジスタンスの長たる彼女の顔には見る者を心酔させる、勝利の確信に満ちた笑顔が踊っていた。

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