第13話 悪夢との再会
男は精鋭であった。
祖国の軍隊での厳しい訓練を突破し、ヨーロッパ諸国が第三次世界大戦に際して行った国連徴兵では最優秀の兵士としてその力を見込まれ最前線でその力を振るい、イギリスが一夜にして大海の底へと消えた『悪夢の滑落』事件からの数少ない生き残り。
数多の修羅場を踏破した。己の部隊の数倍の兵力に囲まれ、最早これまでと言う状況だって何度となく切り抜けてきた。
敵の屍を踏み越え、仲間の死を積み上げ、祖国が他の国の腹の中へと収められた今も尚、かつての祖国を取り戻す為に行動を続けてきた。そう、そうなのだ。この日本でのレジスタンスとの協力こそ、彼の祖国の復興への最重要な布石だった筈なのだ。
だと言うのに、何故───
「これは驚きました。日本製の光学式拳銃に……ドローンの顔認識のジャミング装置。おっと、日本武装医師会の医療用ナノマシン噴霧器まで。税関は通さなかったんですか?」
何処までも丁寧な口調で、倒れ込む男達の荷物を血塗れの腕を気にするそぶりを欠片も見せる事なく漁るは、
その目は相変わらず深い闇に沈み込んでいたが、本性を現した彼女の目は見る者を引き摺り込む異様な引力を放っていた。
こんな目を只の少女がするだろうか?ここに至って漸く彼は状況を理解する。嵌められた───!
「裏切った……か!
まるで己のものでは無い様に痺れる喉を必死に震わせ、詰問の言葉を焦燥に歪む唇で紡ぐ。戦場を住処としてきた歴戦の男の眼光が少女を睨め付け、その無表情の顔へと怒りの視線が突き刺さる。
嗚呼、彼女に罪が無い事は分かっている。クローン特有の言語ロック、内臓の変形や骨格の調整が見られない以上、彼女は本当に何の変哲も無い少女なのだろう。
つまり、少年兵。
薬漬けにされているか、親か何かの弱みを握られているか、はたまた洗脳か。その年頃の少女にあるまじき虚無の表情へと至る迄に如何程の苦悩があったのか。しかし、彼女の返答は彼の予想を大きく上回る物だった。
「
何でも無い様に手を軽く振り、その桜色の唇から銀鈴が鳴る様な音色で語るは余りにも理解出来ない台詞。
この言種では、まるで
この華奢な手足の、容易く手折れてしまえそうな少女が自らの意思で我々を此処に追い込み、一網打尽の憂き目に遭わせた?
目の前の少女の口元がゆっくりと弧を描く。その色白の顔に浮かべられた半月の様な笑みを見て、彼は漸く気づいた。
“化け物”だ。この目の前にいるのは、少女なんかでは無い。嗚呼、その濁りきった瞳よ。人の腹から生まれた人間がこんな眼をすると言うのか?! クソッ、日本は魔窟。傭兵の世界では散々聞くこの台詞を自らの身で経験する事になるとは。
少女の皮を被った化け物が、己の腕の傷口に付着したどす黒い血をゆっくりとその白魚を思わせる手で拭いとる。
コツコツと打ちっぱなしのコンクリート床に響く靴の音と共に彼女が男へと近づき、その口元へとまるで死化粧の紅の様に己の血を塗りつければ己の気管へとダイレクトに流れ込む甘い香りの白霧。
彼もまた、この日本という国の洗礼を前にして散った何百もの強者と同じ様に意識を手放したのだった。
◆
あっぶねぇぇぇぇぇ!
俺は目の前で身動き一つしないものの、凄まじい形相のまま沈黙した男の腹を恐る恐る突く。
毒ガスの中で無茶苦茶意識あったぞ、今の奴。まさか創作物特有の物理法則、『気合い』をこんな形で目にする事になろうとは。
「しかし、これは……」
奴等の荷物から取り出した道具達をずらりと床に並べてみれば、良くもまぁ此処まで集めたと言わざるを得ない。
武器、機械、何らかの薬品。日本に密入国するのにそりゃ転移の異能を使わざるを得ない訳だ。
しかし、
今回の作戦も、
提示された金額が彼の求める基準に少しでも達していなければ、彼はいとも容易く顧客の敵対組織へと情報を売り飛ばす。
それは日本政府が依頼した場合も例外では無いが、この世界で最も金を持つ陣営の一つである日本政府の提示する額が安い筈もなく。今のところは裏切りの憂き目にあった事は無いが、それも今後の展開次第と言えよう。
彼等が所持していた武器の大半は今や軍事大国となっている日本製の物だが、こいつ等の背後に居る存在をカモフラージュする為の撹乱工作に過ぎない。今でも兵器を横流しして金を手にし、少しでも市民階級を上げようとする国防軍の下っ端供は後を絶たないし、後の公安と外務省の捜査でもこの事件に関しては何人かの国防軍の職員が『消える』だけで終わるだろう。もしかしたら要らん義憤に駆られた賢すぎる外務省の奴等も何人か消えるかもな……。
海外の情勢は政府の検閲を受けた物しか一般市民には知らされておらず、大抵の市民は日本が世界を支配する一強国だと思い込んでいる上に、こう言ったレジスタンスに関する情報も殆ど与えられない。一般市民が見たり聞けたりするのはフィクション多めの報道番組くらいだ。コイツらに対する情報は俺達みたいな国家公務員にしか行き渡らないし、情報を得られた所で本当の黒幕には行き着けない筈だ。
現在の日本のスタンスとしては、世界を挙げて異界からの侵略勢力と正義の名の下に交戦する!と言った物だ。
確かに異界側から開けられた門も有るが、日本側から異界へと開けてる門も多々あるからプロパガンダ以外の何物でも無いけどな。このプロパガンダは一般市民だけじゃ無く、俺達公務員にまで流布されている。第三次世界大戦を終えて尚、日本は戦争状態だ。その戦争が生存戦争だろうが、資源獲得戦争だろうが流される血に変わりは無い。
だからこいつ等も外務省は『異界の勢力に買収された傭兵共』という事で流すんだろうが────『原作』の知識を持つ俺はこいつ等の背後に居る存在を知っている。背後にいる奴等は『外』じゃ無くて『内』の連中だ。この情報は今のところは国家の上層部の連中しか知らない。異界とドンパチやってるのに内と外で二正面の戦端を開く愚は犯せないって事だろう。
第三次世界大戦。世界を真っ二つに割った、異能と異界からの技術が飛び交った人類史最悪の戦争。鉄火と厄災が撒き散らされ、幾つもの国が暗黒へと消え去った大戦争だが、別に日本はたった一国だけで世界を敵に回した訳では無い。
いやまぁ、あの合法ロリ局長が日本の裏で糸を引いてる訳だから別に一国だけでも勝利しただろうが。
焼け野原でその薄い胸を張りながら高らかに笑う金髪の幼女の姿を幻視しつつ、俺は目の前に並べられた武器達を手慰みに弄り回しながら思案を続ける。
勝利を手にした日本を含む幾つかの国が次にする事は何か?そりゃまぁ、歴史は繰り返すという事だ。第二次世界大戦後のソ連とアメリカが核を互いの首都へと突きつけあったあの冷たい戦争の様に、今度は偽りの平和の下での小競り合いが始まる。だが、同じ戦勝国とは言え明らかに他の勢力よりも日本は強大だ。表立ってちょっかいを掛ければ、外務省の海外交流課と国防軍がその国の首都へと押し寄せる事は目に見えている。
しかし、この国は獅子身中の虫を抱えている。それもとびっきりの。
『レジスタンス』。国防軍の上級将官数名、そして一柱の魔神によって立ち上げられたこの組織は超監視社会のこの日本にありながら、未だに精力的に反抗を続けている。そして彼等を強力に支援する陣営、それこそが───
「ライヒ=ユーロ神聖同盟……」
特に異能への研究に注力していたドイツを中心として結成されたEUの後継組織。所有する多くの異界への門からの技術を軍事面へと転用しヨーロッパを支配しており、アジア全域と北アメリカ大陸の一部を支配する日本と並ぶ人類の一大生存区域。日本が既に魔神による傀儡国家と化している事を考えれば、純粋に人類だけで統治されている組織としては最大のものとなるだろう。
原作において金銭面や兵力面においてレジスタンスを後押しし続けた組織であり、表向きには日本最大の友好国。裏では向こうの諜報部隊と日本の上層部子飼いの部隊が血で血を洗う諜報戦を繰り広げていた様だが、それこそ俺達法務省異能調整局みたいな特務機関にすらライヒ=ユーロ同盟の真のスタンスは知らされていない。まぁ、局長の気紛れという線もあるが。
そして間違いなく、今俺の前で横たわる彼等もライヒ=ユーロ神聖同盟の兵士達が隠れ蓑として使う幾つかの
記憶の糸を辿ろうとしたその時。俺の背筋をゾクリと冷たい感触が撫ぜる。
慣れた感触。先触れ。『死』への予兆。
瞬間、地面へとその身を投げ出した俺の視界の上を空気の揺らぎが通り過ぎる。それはどこまでも鋭利に、そして無音のままにこの廃ビルの階をど真ん中から切り裂いていた。
……クソ、二度と見たくなかったんだが。俺が体感で数ヶ月間もの歳月の間、常に見続けてきたその攻撃。極限まで圧縮した空気を刃物の様に繰り出す鎌鼬。俺の左腕と両脚を奪った攻撃───!
「あーら、こないに可愛いらしい女の子がおるなんてびっくりしたわぁ。」
立ち込める白霧は一瞬で霧散し切断されたビルの上半分が轟音と共に滑落する中、朝顔紋様の着物の袖を風に吹き流しながら、空を踏み締めて立つ和装の美女。記憶に刻み付けられたその美貌はあの時と寸分違わず、はんなりとした言葉に似つかわしくない不可視の暴力達も一切衰えていない。彼女こそ風を操るレジスタンスの幹部であり、俺の初陣の相手。何でこいつが此処に居る……!中禅寺丹羽!
いや、それよりも何故ここまで接近できた?!
「JDACS!」
『朱羽亜門調整官、たった今外務省のエージェント達からの信号が途絶えました。恐らくは今までの信号は何らかの方法による欺瞞信号かと。そして……嗚呼、これは。通信がシャットダウンされています。今の私はオフライン状態であり、本サーバーとの通信ができません。』
耳元へと手を当て、脳内に響く声が告げる内容に戦慄する。おいおい……これじゃどっちが嵌められたのか分かんねぇな……!クローンとしての身体なら兎も角、こっちの身体での交戦は不可能だ。数ヶ月間どころか、年単位でやろうが決着する未来が見えない。それこそ、永遠の死の連鎖へと俺が放り込まれかねない事態だ。
「こないな事言うんは心苦しいんやけど……さっき言うとった言葉───あんさん知ったらあかん事、何や知ってはるね?」
地獄耳にも程があんだろ……!風を操る能力の応用でこっちの声を拾ってたのか!
クソ、さっき俺が何とは無しに呟いたネタバレワードはアイツらにとっちゃ、トップシークレット。日陰者のレジスタンスにとっての生命線であり、頼みの綱。レジスタンス以外に漏れてるのは大問題だろうさ……!
「助けを呼ぼうかて無駄やわぁ。そっちゃ方面の異能を持ってる子がわての方にはおるさかいなぁ。さて、お姉さんとお話ししよかぁ。色々、聞きたいんよ。」
不味い不味い不味い!本当に不味い!交戦は不可避、だが交戦を切り抜けるのも不可能に等しい。
こっちの有機義体は本当に年相応の少女の身体なんだ。筋力もそれに合わせてあるし、サイバネティクス化なんてもっての外だ。だが……だけど。やらなきゃいけない。俺は、此処で終われない。クソ、本当にやだこの仕事!絶対にいつか辞めてやる。
地面に落ちていた、密入国した傭兵達の荷物の中にあった青い幾何学的なラインが走る拳銃を構え、相手の緑の瞳を見据える。やってやろうじゃないか。たとえ何日、何週間、何ヶ月、何年かかろうとも俺は──死の果てに未来を掴み取る。
ジャキッという音と共に銃口の照準を定めれば、その緑の瞳が驚きに瞠目する。
「あらぁ……随分と懐かしい目ぇしはる子……あんさん、お兄ちゃんとかおりはる?」
その瞬間、彼女が空中から跳躍する。その手は不可視の空気の歪みに包まれており、次の瞬きには俺の身体を風の斬撃が貫いていることは想像に難くない。アイツにとってすれば、俺の生死はどうでも良いんだろう。レジスタンスには原作で見たっきりでこっちの世界では未だに確認できていないが、死者の霊魂と対話できる異能行使者がいる。文字通り魂だけの身軽な身体で霊魂用の拷問を受ける日々が待っているんだろうが……『死』は此方にとっては手札の一つだ。
その斬撃の軌道を少しでも『次』へと活かす為に目を凝らす俺の眼はしかし、凄まじい朱色の閃光に阻まれその直視が叶わぬ事となる。轟音、灼熱。紅蓮の炎が吹き荒れ、放たれた不可視の斬撃を相殺すれば、それと同時に俺の眼前へと降り立つ小さな人影。燃え盛る様に紅いツインテールが風に靡き、聞き覚えのある声が俺の耳朶を揺らす。
「私のあんまり可愛く無い部下を虐めてんじゃないわよ、おばさん。」
「なーんて酷いこと言いはるん……つい手が滑って殺したくなるわぁ。」
俺の前に立つ小さな背中からは眩しい灼熱の両翼が燃え盛りながら羽ばたき、不死鳥は此処にいるとばかりに己の存在を高らかに告げていた。法務省最強の異能行使者たるその少女、
「不死鳥が死ぬかってんのよ!若さの有り難み、噛み締めるが良いわ。」
か、課長ぉぉぉぉぉぉ!!!!非合法ロリとか言っててすまん!!!!
俺の心は一瞬にして上司たる目の前の少女への賛美で溢れかえったのであった。
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