第12話 秘めたる毒は

難民というのは付近の国の政情が不安定になればなる程に増える物である。合法的な手続きを経て別の国へと移り住む者も居るが、中には不法に国境を越える難民達も一定数存在する。それはこの滅びかけの世界も例外では無い。


日本。大戦の影響で大きく縮められた人類の生存領域の中で最大の版図を誇る覇権国家。

独裁的な政治、監視社会、法務省による異能行使者への偏執的とも言える管理主義等を無視するのならば、一応の生存が保証されている楽園ユートピア。其処に安住の地を求めるべく、今日も多くの難民が合法非合法を問わず国境を越えてくる。


そしてまた、突然打ち捨てられた区画の隅に現れた数十人の見窄らしい人影達もその内の一つである。

皆一様に使い古され色褪せた服を纏い、思い思いの鞄やキャリーケースを握る彼等の中から代表と思しき男がこの集団には似つかわしく無い服装をした男へと手を差し伸べ、笑いかけた。


「ありがとう、Mr.グラスホッパー。貴方のお陰で我々はこの国へと足を踏み入れる事が出来た。」

「金はもう受け取ってんだ。其れに見合った仕事をするのは当たり前って事さ。」


某国が起動させた気象兵器により世界の八割が暗雲に覆われた生活を余儀なくされている中、燦々と東京を照らす日光をサングラスに反射させ、未だに寒さが混じる春の風にアロハシャツを靡かせる男がニヤリと笑いながらその手を握り、握手を返す。

無精髭に覆われてはいるもの精悍な顔立ちをした男は、アロハシャツの男の言葉へと思わずといったように笑みを溢した。


「よく言うよ。此方が用意できた金額では数人は置いていかなければならなかったのに君は我々の要求を聞いてくれ、此処まで送り届けてくれたじゃ無いか。感謝する。運び屋トランスポーターを君に頼んで正解だった。」


照れ臭げに鼻の下を擦る男は運び屋トランスポーター。その中でも最上の部類に入る、希少な時空系の異能行使者でも特に希少な『空間跳躍』の異能を持つ非合法の商売を営む男だ。世界の何処にでも依頼者を連れてジャンプする彼はグラスホッパーと呼ばれ、金が払われればクライアントが誰であろうと世界中で商売を行う典型的な稼ぎ屋である。


そんな彼にも情があって良かったと胸を撫で下ろす男を、恥ずかしげに見ていたグラスホッパー。だが突然何かを思い出したかのように、その毛に覆われた野太い腕で近くの路地へと誰かを呼び寄せる様に手招きしながら男へと話しかける。


「嗚呼、そうだ。その分と言っちゃなんだが、一つ頼まれちゃくれねぇか……って、その物騒なもんを仕舞えよ。裏切りゃしねぇよ。」


瞬時に襤褸を纏った男達が機敏に動き、腰のホルスターから青い光が葉脈の様に走る銃を引き抜く。中には両手を燃え上がらせ火球を放たんと構える者や、異常に発達した筋肉を膨張させる者もおり、彼等が異能行使者である事を示していた。

その素振りはとても只の難民とは思えず、彼等が何かしらの訓練を受けた戦場を褥とする人種である事を物語る。それを見た彼は諌める様な顔つきで銃を降ろさせ、男へと頭を下げる。


「すまない、彼等も気が立っていてな……。先日、此方へと派遣された同郷の傭兵が殺されたんだ。日本レジスタンスとの協力の第一人者として頑張ってくれていたんだが……」

「お前らが旗振り屋(レジスタンスを揶揄するスラング)と連もうが、火薬野郎(国防軍を指すスラング)と連もうが知ったこっちゃねぇが、俺に何かするのは止めてくれよな。ほら、コイツも怖がっちまってる。」


男が路地へと手を突っ込み、引きずり出したのは1人の少女だった。

擦り切れた白と黒のワンピースは砂に塗れ、アジア人らしい黒い髪は太陽の光に照らされ独特な光を放つ。

伏し目がちに地面を見つめる瞳はオニキスの様な美しさを纏い、まるで見る者によく出来た人形であるかの様な印象を投げかけており、更に拭い去られたかの様に一切の感情の機微を見せぬその顔が前述の印象に拍車をかける結果となっていた。


「その子は?俺達にどうしろと?」

「俺のお得意先の子供だ。何でもちと昂った兵士共がやらかした拍子に壊れちまったらしくてな。身内にそんな奴が居られると弱みになりかねんという訳で俺に押し付けてきたって訳だ。」


男は肩をすくめながら何でも無い事の様に語る。実際、この世界でこの類の悲劇はありふれている。目の前の少女には災難な話であるだろうが、今やこの世界で物を言うのは弱肉強食の摂理だけだ。


「お前達が何処に行くか知らねぇけどよ。どうせ旗振り屋の方に行くんだろ?公僕ですって顔じゃねぇしな。ガキの1人くらい連れて行っちゃくれねぇか?」


彼等は顔を見合わせる。別に連れて行くのはやぶさかでは無いが、先ずは彼女が本当に信用できるかどうかを知らねばなるまい。

彼等のうち1人が軽く頷き、左腕につけられた腕時計型のデバイスを少女へと向ける。

マネキンの様にじっと佇む少女を機械の眼が見定め、暴き、中に秘めた物が無いかと精査し尽くす間の数十秒間も、当事者たる彼女は微動だにしない姿を見て、彼等のうちの数人が痛ましげに顔を歪めた。


「白ですね、ボス。骨格、筋肉のつき方、内臓、全部この年頃のお嬢ちゃんの物と一致する。武器無し、自爆スイッチも無し。金属の類も無し。いやしかし、中身も綺麗なもんだな。傷も病気の跡もありゃしねぇ。よっぽど大事に育てられたんでしょうや。」

人造兵士クローンの線は?」

「そんなもん、ちょっと話すだけで分かりますよ。」


オールグリーンと結果を示すデバイスをボスと呼ばれた男へと見せながら、少女の前に屈み込む男は笑顔で話しかける。


「お嬢ちゃん、名前は?」

「ア……アン。」

「アンちゃんか、良い名前だ。おじさんはコリンって言うんだけどな。ちょっと今から言う言葉を繰り返してほしい。」


首を傾げる少女へと密かに並び立つ男達から銃が向けられる。精巧に作られたクローンだった場合、肉体のリミッターを解除してからの徒手空拳で此方へと襲いかかってくる可能性がある事を、彼等は従軍経験からその恐怖と共に心の底から理解していた。


「『ニホンはクソ以下の国です』。はい、アンちゃん」


その場を静寂が支配する。所謂、絵踏みと呼ばれる識別方法だ。クローンの自意識は無数の暗示と薬剤、その他の物で雁字搦めに縛られ、一切の例外無くこの国への批判の文句を放つ事が出来ない。強制して無理に言わせようとすれば、自我の崩壊を招くこととなる程にクローンにとっての鉄の掟。少しでも言葉に詰まろう物なら射殺せんばかりの殺気が静かに辺りへと立ち上っていた。


「ニホンは……クソ以下の国です!」


妙にハキハキと答える少女の前に、辺りの空気が一瞬で弛緩する。アロハシャツの男も寿命が縮んだとばかりに額にかいた冷や汗を手で拭う。男達も緊張が解けたからか顔には笑みが浮かび、此れから彼等と行動を共にする事となるであろう少女の頭を撫でるなど、先程までの殺気が嘘だったかの様な振る舞いを見せていた。


「あー、まぁ疑いも晴れたところで俺はお暇させてもらうぜ。不法難民用のセーフポイントが向こうの廃ビルの2階にある。この人数でも何とかなるだろうよ。そのガキを頼んだ!」

「何から何まで済まない。チェルニー・ミーチの名にかけてこの恩は忘れまい。」


背を向け風にアロハシャツの裾をバサバサとはためかせる男へと深々と頭を下げ、彼等は少女を新しく加えて歩き出す。

男達が姦しく少女へと話しかける声が遠ざかるのを聞きながら、グラスホッパーはその顔を笑みへと歪める。

彼は一度だって値引きやら、おまけなんてしてやった事はない。何時だって金はきっちり仕事の分取り立てるのが彼のポリシーであり、足りなければ毟り取るのもまた彼のポリシーであった。


「悪りぃな、お前ら。バッタは餌がねぇと凶暴になるもんなんだわ。小遣い稼ぎ、させてもらうぜ。」


小声で呟かれたバッタの鳴き声は、東京の空へと溶けて消えて行くのだった。




「此処がグラスホッパーの言ってたセーフポイントって奴か。窓がねぇぞ?埃っぽくて敵わん。」


そんな事はつゆ知らず、新しく加わった人形の様な少女を米俵の様に担ぎながらドアを開け放つ男達。

国防軍からの横流しによって手に入れたデバイスはその効果を如何無く発揮しており、その無造作にすら見える行為は既に内部に伏兵やトラップの類が無い事を確認した事による安堵によって裏打ちされていた。


手にしたキャリーケースや鞄を開き、中から通信機器やパソコンを取り出し始める彼等を1人の男に担がれたまま無感情に眺める少女は、ジタバタと手足を動かし己を下ろす様にと無言で主張する。思いの外感情の豊かさを感じさせる行為に苦笑いする男がゆっくりと下ろしてやれば、とことこと何処かへと歩き出そうとするのを見て男達からジョークが飛ぶ。


「トイレかぁ、嬢ちゃん!」

「悪りぃが男所帯なんでなぁ!気が回らなくてすまん!」


だが、次いで彼女の取った行動は実に突拍子のない行動であった。ゆっくりとした歩みの先は入り口のドア。カチリ、と鍵を閉めれば少女は不思議そうに此方を見つめる男達を見やり───突然、親指の爪で勢いよく左腕を引っ掻いた。

虫刺されを掻くような気軽さで、少女の爪が皮膚を破り肉をかき分け、血が滴る。


まさか、過去のトラウマのフラッシュバックか。突然の自傷行為に驚き立ちあがろうとする彼等を、更なる驚愕が襲った。

身体から力が抜ける。手足がまるで己のものではない様に弛緩し立っている者はその場に崩れ落ち、座っていた者はその体勢から動く事ができない。不幸にもバッタへと与える餌の量が足りなかった彼等を、何処からか出でた白い霧が包み込んでいくのだった。



「結局、さっきは中佐に詳細は聞けなかったな……」


小声でぼやきながら目の前を覆う霞を反射的に手で払おうとするが、一向に視界が良くなる様子は無い。ジクジクと痛む左腕を見れば、白い肌に付けられた一筋の傷から立ち上る霞。元凶たる俺が手で払う動作をしよう物なら、更に視界が悪くなるのは自明の理と言えよう。


勿論、余り良い気分はしない。煙や霧ならいざ知らず、今この場に漂うこの霞は『猛毒』だ。それは現在、俺の足元で倒れ伏す人々が健気にもその身で証明している。そんな物が自分の身体から放出されているというのは、河豚が自分の毒で死なないのと同じ様に俺に対しては無害だったとしても、何というか……嫌な物である。


しかし白い霞の影響で輪郭しか捉えられないが、僅かに指先や足が動くのが確認できるのを見て俺は耳へと手を当てる。

この身体に交戦用の機能はほぼ無いと言っても過言じゃ無い。別働隊が来る前にコイツらが復帰してしまえば、俺は為す術なく打ち倒されてしまうだろう。死に慣れてると言っても、痛いのが好きなドMになったつもりは毛頭無いのだ。


「見えてるか?」

『はい。調整官の視界は問題無く私へと同期されています。』


軽く耳に手を添えれば、俺の脳内へと響く聴き慣れた声。この場に持ち込む事が可能だった数少ない有機デバイスで接続するは、この廃ビルより数十キロ離れた法務省の地下に設置されたサーバー。0と1で形作られた無数の演算と試行の上に成立する擬似人格を備えたAIが俺の疑念へとその無機質な声によって淀みなく返答する。


『調整官の有機義体の人工血液を揮発させて展開させている為に、ガスの枯渇の心配は御座いません。微細な動きこそ可能では有りますが、医療機関で適切な処置を受ける迄は彼等は無力化されたままでしょう。』


おお、その答えが聞きたかった。

一切動くことの無い表情とは裏腹に俺の心中は安堵で埋め尽くされる。本当ならこんな任務なんてしたく無いのが本音だ。だが、外務省とのコネは作っておいて損は無いだろう。今や世界の大半の異界への『門』を管理している彼等からしか知れない事は確かに有る。


『外務省移民管理局のエージェントは5分後に到着します。暇つぶしにしりとりでも如何ですか、調整官。』

「じゃあJDACSからどうぞ?しりとりの『り』からだ。」

leniency programリーニエンシー‐プログラム。』

「……どういう意味?」

『はい。課徴金減免制度の意であり、入札談合やカルテルなど独占禁止法に違反する───』


ダメだ。無駄に人間臭いから失念していたが、JDACSは本来ならば法務省のエージェントの戦闘補佐、異能犯罪の監視、その他の法務省の保有する資産の管理の為にプログラムされたAIであり、任務の合間に俺が話しかけまくったせいで今でこそこんな風にまるで人間の様な会話が出来るが、機械は機械。膨大な情報へとアクセス可能なAIに対してしりとりなんぞ、ライオンに爪楊枝で挑むような物だろう。


「しりとりは止めよう。AIに勝てるとは思わない。」


先程まで蕪木中佐達と話していた時に纏っていた法務省の制服では無く、今の俺はシンプルなワンピースを着用していた。よくこんなスースーした物を世の女性は履けるな。慣れないワンピースの裾を払いながら地面に転がっている男の背中へと腰掛ける。おお、中々良い座り心地じゃないか。


「お、れ……に……何を、したッ……!」


俺の下で微かな呻き声を上げる男。その顔は焦燥と憎悪に塗りつぶされており、どう考えても友好的な付き合いは出来なさそうだ。

まぁそれも仕方ないだろう。彼等が全幅の信頼を寄せていたデバイスが当てにならなかったのだから。


だが、それもその筈なのだ。この身体はモデルとなった娘と同一の物である。過去に実際に存在していた少女の情報を収集し、それを元に骨格、筋肉のつき方、内臓の配置まで再現して少し血液と皮膚に細工をしてやれば、探知に引っかかる事のないクローン技術を応用した有機義体の完成という訳だ。そしてそのデバイスの製作者は有機義体なんて物がある事すら知らなかったに違いない。


何故か有機義体が俺にしか使用出来ず、普通のクローンを使うと会話の時点でボロが出るとなれば、俺へと白羽の矢が立つのは当然とも言えるが、全くこき使ってくれる。俺はこのブラックな国への悪態を心の中で『このニホンはクソ以下の国!』等と吐きつつ、外務省のエージェントが到着する迄の数分間の間の話し相手を、AIから目の前の男へと変更する事を決めたのだった。


「ようこそ、日本へ。旅券もビザも不要ですよ。」

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