第11話 無垢の価値
異能が、とかそういう話をしているのではなくもっと内側の話。
つまりは、意志の話。どんなにキツく、辛い状況に追い込まれたとしても、その男勝りな顔に浮かべる笑みを消すことはない。怒っていても、悲しくても、悔しくても、その頬は笑みを描く。
軍の一部を任される人間として彼女は本能的に察しているのだろう。
兵士というのは指揮官の顔を見る。故に指揮官というものは常に余裕を見せなくてはならない。たとえ心の中が荒れ狂い、唇を下に歪めてしまいそうな時も彼女は笑う。それはたとえ率いる部隊が血の通った人間から、クローンになったとしても変わらない。
あの日、空に門が開いた時も。
目の前で戦友が異能の的にされ、一瞬で消えてしまった時も。
遠い異国の地で数千の敵に刀一つで立ち向かった時も。
だから、彼を見た時は己と正反対なのだと思った。
朱羽亜門。法務省に新設された異能調整局のエース。クローンでありながら未来視じみた戦闘センスを誇り、単独でレジスタンスの幹部を撤退させたことで注目を浴びる。何処までも冷徹に非協力的な異能行使者を『執行』し、凡ゆる命令を完遂する。
その活動範囲は日本の勢力圏に留まらず、ヨーロッパやかつてオーストラリアと呼ばれたニュー・グレートブリテンでの任務も報告されている。
日本という一つの共同体が持つ外敵を斬り伏せる大剣が国防軍だとするならば、異能調整局は笑顔で差し出された手に仕込まれた毒針。その中でも一等の毒を持つ『無能無敗』を彼女が未だ『猪狩り』と呼ばれる前に遠目に見たことがあった。
無表情。他のクローンと同じその表情の中で黒い瞳だけが鈍い光を放ち、確かに意志が有ると主張する。
彼女には分からなかった。彼女が聞いた話では、朱羽亜門という名を与えられたクローンは他のクローンと異なり自意識を持っている筈だ。
美しい物を美しいと感じ、悲しい物には悲しいと嘆き、邪な物には義憤する。何の因果かは分からないが、彼にはその権利が与えられているのだ。全く理解できぬとばかりに、彼女は直ぐにそのことを忘れた。それに元より、彼女は朱羽亜門という人間について好印象を持っていなかった。
冷徹で、冷血で。自意識を得たとは言えど、その腹の底はきっと凍りついているのだろうと。
鉄血の兵士であり、死に魅入られた一兵卒。それが『無能無敗』という男なのだと思っていた。
だが、今はそれが違うと彼女は知っている。目の前で無心に毒々しい紫色のケーキを頬張る中性的な顔立ちの少女を見ながら、あの時のことを思い出す。
『立ってください、蕪木少佐。』
あの荒れ狂う大海の上で、足場にするには余りにも不安定なゴムボートに立って彼は言った。
天を貫かんと走る雷の光にその顔を照らし、海の中へと沈まんとする彼女へと手を差し伸ばしていたあの光景を、彼女は一生忘れないだろう。誰がどう考えても絶体絶命で、生き残るという考えすら及ばないあの地獄で。彼は余りにも真っ直ぐなあの黒い目で彼女へと言ったのだ。
『貴女はまだ膝を突いてはならない。あの【猪】を切るのです。貴女には其れが出来る。』
幼児が架空のヒーローが実在すると信じる様に、あまりにも純粋に此方を見る瞳を見た時、彼女は理解した。
笑わないんじゃない。嘆かないんじゃない。怒らないんじゃない。
『やり方』が分からないだけなのだ。クローンとしてこの世に生まれ落ち、共に生まれた兄弟達に自意識は無く。敵を殺すことこそを存在の至上理由と定められ、生まれてからの数年間を駆け抜けてきた。
朱羽亜門と名を与えられたこの幼いクローンは、この生き方以外を知らないのだろう。何に対して笑えば良いのか、どうやって怒れば良いのか、涙を何時流せば良いのか。誰も彼に教えてあげなかった。
生まれながらにして戦士として成熟しているクローン達。一切の思考を縛られ、戦闘の為だけに己を捧げることに何の疑念も挟まぬ人造の兵士たちと過ごし、一人だけ己としての意識を持つ生活が如何に苦痛な物であったか。人間の子ならば親からの庇護を受けるべき期間を戦闘に費やし、銃を握りしめて駆けた幼少期が彼に何を齎したのか。
『……良いだろう!朱羽亜門!その言葉、信じたぞ!』
守らねばなるまい。誰も彼を守らず、戦へと赴く冷徹な兵器としてしか認識しないのであれば。
この広い日本という国の中で、己という存在だけは彼を庇護すべき存在として認識しよう。
その平坦でありながら一切の疑念も挟まぬ声に背中を押され刀を抜いたあの日から、彼女はそう在らんとし続けている。
「待ってください、花夜室長。私は今、冷静さを欠こうとしています。その苺は私のケーキに付いていた物です。」
「えぇ?でも調整官が残していたんじゃないか。食べないならボクが食べても良いだろぉ?」
「断じて違います。それは私が最後に食べるべく取って置いたものです。あっ、待ってください。あっあっ!」
ショートヘアをピンで止めた小動物の様な印象を抱かせる少女が、白磁の皿の端に寄せられていた瑞々しい苺へとフォークの切先を突き立てんとする略奪行為を咎める無機質な声を聞きながら、追憶から浮上した彼女は静かな笑みを浮かべる。
もう一人の少女の小さな口へと運ばれる苺を乗せたフォークを目で追いながら、何処か情けない雰囲気を纏う無表情の少女が、巷では『無能無敗』と恐れられる調整官だと誰が信じようか?
彼を今、少女という形へと変貌させている有機義体という物が何なのか彼女の知るところではない。だが日本武装医師会の反応を見る限り、朱羽亜門という存在の異質さが無ければ運用できない技術なのだろう。
しかし彼女はそれを追求しようとは思わない。
彼と、彼女と、共通の友人たる花夜が居るこの場では。彼を無能無敗としてではなく、1人の庇護すべき存在として扱おう。そんな思いを抱きながら普段は刀を握る手にフォークを握り、苦笑と共に彼女は己の皿から少女へと苺を移してやろうとするのだった。
◆
俺は激怒した。必ず、かの邪智暴虐な文学少女を成敗せねばならぬと決意した。
燦々と照らす正午の光に煌めくは、机上に乗せられた白磁の皿の上に輝く極彩色のケーキ。このディストピアにおいて、それが凄まじい価値を示すことは想像に難くない。
だが、そのケーキには一つだけ欠けている物が存在していた。ケーキの
嗚呼、慧眼を持たなくとも分かるだろう。そう、このケーキには先程まであった『アレ』を失ったことによる致命的な欠陥を抱えてしまっている──────
苺が、無い
「花夜室長。申し開きが有れば実に聞きたいですね。」
「いや、違うんだ。その、ちょっとした出来心……みたいな?」
口にフォークを突っ込んだまま目を泳がせる少女の肩を掴み、真顔で圧をかける。いや、まぁ常に真顔だから圧も何もないんだが。普段はサイバネティクス化による身体強化の恩恵を受けている肉体も、今は見た目の少女の年齢相応の筋力しかない。この有機義体の『本来の目的』からしたら其れが良いんだろうが、非力なのは非常にこの場において不都合である。
「花夜室長。苺が消えてしまいました。」
「消えちゃった……ねぇ」
「出るとこ出ますよ。拳が。」
シュッ!シュッ!とシャドーボクシングで威嚇をしてみるも、この身体では虫一つ殺せまい。
気まずそうな顔で明後日の方向を見やる花夜をジト目で追尾する俺を見かねたのか、前方に座っていた蕪木中佐が苦笑いしながら俺の皿へと自身の苺を移す。
「私の苺を供給しよう!その不毛極まりない闘争を止めるのだ、朱羽。」
……
しかし、彼女とも長い付き合いだ。蕪木中佐。国防軍が誇る高潔なる指揮官であり、原作キャラの一人でもある。
純粋な身体強化の異能保持者でありながら、その圧倒的な出力と剣才にて幾つもの戦果を上げ続けてきた生粋の軍人であり、国防軍の中での人気も高い。……まぁ、その胸部装甲に惹かれている者も多いだろうが。
原作では珍しい一切の攻略が不可能な人物であり、主人公といくらコミュしようが一定以上の好感度を稼ぐことができない。人間的には主人公を気に入っているが、国家の奉仕者として認めるわけにはいかないという彼女のシンプルなスタンスが出ているシステムと言えよう。
そして何より、彼女の異名たる【猪狩り】。
国防軍の主力が異界へと出動しているのを見越して送り込まれた異界産の巨大な猪を洗脳することによって兵器運用した、海外テロリスト達の謀略を休暇中だった彼女が一刀の元に切り捨てたことにより与えられた二つ名。
他人事の様に語っては居るが、実は俺もその場に居たりするのだ。正直なところ、下手な島よりデカい猪にビビり散らかして中佐を無茶苦茶急かした覚えがある。
「しかし良かったのかい、蕪木中佐。調整官はともかくボクまでご馳走になったりして。実家にならあるが、個人としてのボクはあまりお金は持ってないぞ」
俺の回想を遮る声の方向を見れば花夜がフォークを皿の上へと乗せ、完食の構えを見せていた。
言われてみればその通りである。ケーキを見た喜びで有耶無耶になっていたが、良くもまぁこの世界でケーキが手に入ったものだ。だが、それに対する返答は俺に衝撃を与えるに十分なものだった。
「うむ!私が作ったぞ!」
「ほ?」
「…?」
自信満々に腕を組み、誇らしげな笑みを浮かべる中佐に俺達は顔を見合わせる。
いやいや、作ったって言ったって材料とかはどうしたのだろうか。
「材料とかはどうしたんだい?小麦の代用品を使っている様には見受けられなかったが。」
花夜が投げかけた質問に、中佐はにこやかに答える。
「うむ!農林水産省のプロジェクトの産物の一部を受け取ったのだ!多くは異界に展開中の兵士へと運搬されてしまう様だが、ゆくゆくは此方の分も出回る様になるだろう!」
……なんか、俺の知らない設定が出てきた件について。
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