第10話 化け物

カチリ、という音が俺の左腕から響く。骨を直接触られているような感触を最後に左腕の感覚が消失する。

日本武装病院の地下。薄暗い部屋を無数の配線とパイプが這い回り、天井から伸びた機械の触腕の一つが俺の腹へと針を差し込み、もう一つは俺の肉体の『作り物』の部分を分離させんとその機構を駆動させていた。

 

『腹部裂傷の縫合を完了。同時に左腕、戦闘支援義手【金神】の分離を完了しました。体調に問題は有りますか?朱羽亜門調整官。』

「いや、何も無い。しかし、こうして見ると右手だけ残っていると言うのもアンバランスだな。」

『切除致しましょうか?大東亜工業から既に右腕の義手の作成の申し出が来ていますが。』

 

物騒な提案を無感情な声色に乗せて発するAIに無言で首を振る。

軍事特需によって大企業へと変貌した大東亜工業は俺の義体をオーダーメイドで製作してくれた企業ではあるが、その為に残った右腕を手放そうとは思わない。

大体、彼処は変態の巣窟なのだ。パイルバンカーの様な浪漫に極振りした兵装を義体に大量に組み込んで来ている以上、新しく制作するという右腕の義手も相当なものだろう。ロケットパンチでも仕込まれてるんじゃなかろうか。

 

「メンテの方を続けてくれ。遠路はるばる来てくれた友人を待たせている。」

『了解。右脚【歳殺】、左脚【歳破】、左腕【金神】のメンテナンスを開始します。』

 

前世の世界の歯医者にでも置いてあるような椅子の背もたれが倒れ、俺の身体を地面に平行に横たえる。視界の端では鈍く黒光りする俺の四肢達へと機械のアームが伸び、表面の装甲が外されている所であった。

 

其れを意識の外へと追いやり、俺の顕になった上半身へと電極を貼り付けられる感触の擽ったさを堪える事に意識を向ける。頭上からはドリルの様な物が機械の腕の先端に取り付けられ、俺の首へと向かおうと駆動音を響かせていた。

 

『消費したナノマシンの補填、及び人工筋繊維のメンテナンスも同時並行で行います。完全没入型有機義体への転送を開始してもよろしいですか?』

「ああ。……今度はどの機体だ?」

『少女型であったかと。同期開始、3、2、1───良い休暇を、朱羽亜門調整官』

 

その声を最後にパチン、と白黒テレビの電源を落としたかの様に俺の視界に広がる光景は消え去り、世界は黒へと満たされる。氷の様に冷たい様な、業火で焼き尽くされて居る様な感触が俺の首へと走り、ゆっくりと沈み込む様に全身から五感が消え去った。

 

全身の感覚が無いままに、黒色で埋め尽くされた空間を漂う経験というのはあまり愉快な物では無い。胎内回帰とは正反対の、生命としての根源的な恐怖を煽ってくるのだ。まぁ、死に慣れている俺からしたら『嫌だなー』程度の物でしか無いのだが。

 

『ご機嫌よう、朱羽亜門調整官。最後の使用は186時間28分32秒前です。ログインを開始しますか?』

【Yes】

『ログイン資格を確認……ようこそ、日本武装医師会へ』

 

真っ黒な世界に突如として浮かぶ、日本武装医師会のロゴマーク。白い十字架と燃え盛る弾丸の意匠だけが、この黒い世界で唯一の色彩だった。

モノクロが支配する世界に響くは先程まで会話していた声とは違う男性の声を思わせる合成音。身体も無く、意識だけが漠然と浮かぶ俺が肯定の意を示した瞬間、モノクロの世界へと七色の光が侵入した。


それは色彩の雪崩と化し俺の全身を包み込むと同時に、意識しかない俺という剥き出しの存在へと纏わり付き、ゆっくりと俺の身体を引き上げる。

優しく包まれお湯の中から抱き上げられたかの様な感触と、勢いよく上方へと引き寄せられる感覚。其れ等に身を委ね、上昇する俺の視界を純白の極光が覆い尽くした。


最初に感じたのは寒さだった。

再び取り戻した肉体の感覚は俺が閉鎖空間にいる事を示しており、ゆっくりと瞼を開けば眼前に広がる霜の降りたガラス窓。極寒の空気に満たされた乳白色の近未来的なポッドの中で、俺はまるでエジプトのファラオのミイラの様に手を交差させて横たわっていた。骨に染みる寒さから一刻も早く逃れる為に交差させた手を解き、コンコンとポッドに備え付けられた覗き窓を叩く。


『おはようございます、朱羽亜門調整官。意識の混濁はありませんか?』

「頗る快調だ。中佐は?」

『花夜室長と共にエントランスでお待ちです。お急ぎになられた方が宜しいかと。花夜室長は既に私に16回、調整官の安否について問い合わせています。』


炭酸飲料を開けた様な音と共に冷やされた空気が霧としてポッドから漏れ、白い清潔感のある床へと流れていく。

乳白色の棺桶は音もなく滑らかに開き、ポッドの淵を掴んで上体を起こせば、さらりと剥き出しの背中に流れる髪の感触。普段の俺の古傷まみれの指とは似ても似つかぬ白い指に、しっかりと存在を主張する左腕と両脚。


両手を握りしめて感触を確かめながら、ゆっくりとポッドから立ち上がる。

まるで数日間同じ体勢で寝ていた様な痛みを節々が訴えるのを無視しつつ、俺は同じ様なポッドが数十個並ぶ部屋の中で伸びをする。ポキポキという小気味の良い音が全身から響くのを聞きながら、その俺の物では無いしなやかな身体を慣らしていく。


右手、左手、背筋、腰と順番に解し、一糸纏わぬままに俺は歩を進める。

いや、別に俺が変態という訳では無いのだ。この身体に性を特定できる一切の器官は付属していない。それはこの身体の設計理念に関係ない物だからな。出口付近に架けられた法務省の制服を身に纏い、ヘアゴムで髪を一本に結んで背中へと流す。さて、身支度は終わりだ。久々の『友人』達との交流を楽しむとしよう。





「だ、か、ら!本当に朱羽調整官は無事なんだろうね!」

『朱羽調整官についての情報はセキュリティクリアランス・Alphaにて封鎖されております。ご理解頂けると幸いです。』


日本武装医師会。大戦中の日本で高まった、『凡ゆる組織は自らを護る力を保持すべし』という思想に従い武装した組織の一つであり色々と後ろ暗い噂の絶えぬ組織でもあったが、医療という本分を捨てた訳では無かった。

その証として、白く広いエントランスは多くの患者でごった返し、上空に浮かぶホログラムは診察の順番が回ってきた患者の番号を示していた。


だが、医師達の腰に揺れる拳銃の異質さがその全てを塗り潰す。

白い和紙に一滴だけ落とされた墨のように、白衣の腰に備え付けられたホルスターに収まる黒光りする銃。

だが其れを誰も気にする事なく当たり前の事として世界が回っていく様子は、此れこそが『正常』な事であると饒舌に語っているようでもあった。


そんな『正常』なエントランスに立ち並ぶ数十のカウンターにて、半透明のホログラムへと少女が怒気を上げていた。


今朝の任務にてレジスタンスの未確認兵器と目される物品を装備した二名の異能保持者と衝突、更にレジスタンスから派遣されたPoIPerson of Interest-002と登録された幹部級のメンバーからの攻撃を受けながらも対象を退けさせた『無能無敗』こと朱羽亜門調整官。

彼に救われたと言っても過言ではない少女、花夜柳はなよいやなぎはかなり……否、非常に責任を感じていた。


彼の持つ『レメゲドン』が二名の異能保持者との交戦中に使用されなかったのは、間違いなく付近で無様にその光景を眺めている事しか出来なかった己の所為だろう。友人を名乗っておきながら、肝心な時に足を引っ張ってしまった事に彼女は自己嫌悪に陥っていた。全身に傷を負い、その義体も著しく損傷していた彼は彼女が呼び寄せた救急ドローンによって付近の武装病院へと搬送されたが、その後の一切の容体が掴めない。焦りを抑えきれない彼女の肩を、白い手袋で覆われた手がポンと叩く。


「落ち着くのだ、花夜殿。我々が騒いだところで医療行為の進展が変わる筈も無し!」


その美しい黒髪を空調の風に靡かせ、見る者を安心させる豪快な笑みを浮かべる彼女の名は蕪木香流かぶらぎかなれ

国防軍の中佐の地位に就く人間であり、過去の大戦において敵勢力が兵器へと転用していた島ほどの大きさの巨大な猪の怪異を一刀の元に切り捨てた功績より『猪狩り』の二つ名を与えられた身体強化系異能の最高峰。

そして今は農林水産省主導の一大プロジェクトに携わる人間であり、現在は休暇にて日本に帰国していた。

その長身を軍服で包み込み、豊満な胸には幾つもの勲章が並ぶ彼女はエントランス内でも注目を集めていたが、彼女が自覚している様子はない。


「それに我が友人たる朱羽がこの程度では死ぬ事は無いと、同じ戦場を駆けた人間として保証しよう!」


花夜を落ち着かせる様に両手を肩に乗せ、優しく摩る彼女は上から顔を覗き込む様に笑う。

その姿はお互いの髪の色も相まって、まるで姉妹であるかの様に他者からの目には映った。戦時中の徴兵でなし崩しに国防軍へと入隊した彼女が、僅かな期間で中佐へと上り詰めたのは彼女の特筆すべき武力以外にも、この包容力が理由なのだろう。


その言葉に冷静さを取り戻した花夜は、付近に備え付けられた椅子へと腰をストンと降ろす。

彼が此処に搬送されてから既に数時間が経過していた。大抵の傷ならば直ぐに完治させてしまう医療水準を誇るこの国だが、いかんせん朱羽亜門というクローンはイレギュラー過ぎた。


そもそも、使い捨てとして想定されているクローンの肉体の治療法などある筈もなく。人間とそっくりにその身を設計されている彼等だが、その実身体を覆う皮膚を剥いで仕舞えばその下は人間とは大きくかけ離れた構造だ。

『生命』としてではなく戦闘を有利に進める為の機能を付与された臓器達に、彼の場合はサイバネティクス化された身体もある。通常の医療手段では彼の治療が為し得ないのは一目瞭然であった。


「うー……大丈夫かなぁ……」

「大丈夫である!朱羽であれば例え頭を吹き飛ばされたとしても、首から下が残っていれば生き残るであろう!所謂『たふがい』という奴だな?花夜殿に貸してもらった本に載っていたぞ!」

「そこまで行ったら多分『化け物』ってカテゴリに入るとボクは思うな……」


座り込み、その小動物然とした顔を暗く翳らせる美少女の隣に腕を組んで佇む美女。

何処となく残念な気配が漂う彼女へと苦笑を浮かべる花夜であったが、直ぐにその笑みは喜びと安堵のものへと変化する。その表情に気づいた香流が彼女の視線を追えば、医師に付き添われながら此方へと歩を進める一人の人物。


少し小柄で、中性的な顔立ちと長く伸びた黒色の髪を一纏めにしたその人物の顔に浮かぶ特有の雰囲気は、例え普段の彼との見た目が変わっていたとしても『友人』を自負する彼女達が見逃す筈も無かった。

一切の感情が欠如しているとすら思わせる無表情に、その濁った瞳。だが、その瞳の奥に確かな感情の炎が灯っている事を彼女達は知っている。ひらりと無表情で手を振る彼───朱羽亜門に、二人は笑顔で応えたのだった。





「化け物が……」


姉妹の様に連れ立ち、武装病院の玄関から外へと出て行く彼女達の背中を見ながらぼやく一人の医師。彼の手元には、上部に【凍結】の赤い判が押された一束の書類があった。

【イザナミ計画】。人間の身体に備わっていると考えられる『魂』を別の身体へと転送する計画。

とある『金髪の女性』が技術提供を行ったとされるこの計画は、予めクローン技術を用いて作成しておいた有機義体へと魂を転写させ、その肉体の限界が来れば別の身体へ──を繰り返す事で擬似的な不老不死を体現する計画だった。


異界から手に入れた幾つかのサンプル、そして齎された新しい知識によって計画は順調に進み、人の意識を構成する『魂魄』を未だに未理解ではあるが観測し、捕捉する事にも成功した。

転移させる技術も確立させ、後は臨床実験を完了させるだけ。人類初の偉業、不老不死を完遂するかと思われたその実験は───全被験者の発狂という形で幕を閉じた。


魂を捕捉されその身体から引き離されるという未知の感覚は、一切の例外無く人間という生き物の精神構造に『死』を擬似体験させる。出来上がったのは不老不死の技術では無く、廃人を創り出す技術だったという訳だ。


日本武装医師会の威信をかけて行われた計画の破綻に鬱屈とした雰囲気が漂う中、一つの興味深い検体が発見された。東京にて発生したレジスタンスによる大規模なテロにおいて、幹部級の異能保持者と交戦し唯一生き残った戦闘用クローン。その検体は生存しただけでは無く、なんと手傷を負わせて撤退させたという。


未知である。それはあり得るはずのない現象であり、完全に想定外の事態であった。

量産型が圧倒的な個を凌駕しうる可能性。それは、将来の日本の国防において凄まじい価値を持つ事となる。

しかし、国防軍に身柄を置いていたそのクローンは日本武装医師会の医師と国防軍の研究者に徹底的に調べ上げられ、開頭手術まで行ってもみたがその異常とも言える結果を生んだ要因は見当たらず。


もうバラしてみるかという話が出てきた頃、法務省からの圧力が国防軍と日本武装医師会へとかかり始めた。更にそれだけでは無く、『官邸』からも。なんでも新しく発足する法務省の対敵対的異能保持者の組織、異能調整局のエージェントとして雇用したいとの事だった。


正直言って、癪であった。頭ごなしに突きつけられた要求である上に、医師会の中で漂う鬱屈した空気。

どうせ引き渡すならば、と一部の暴走した医師により行われた実験。クローンと魂魄の関係が云々と適当な理由を付け、【イザナミ】計画にて使用された装置を用いたクローンへの実験が執り行われた。


皆が、そのクローンが自らの魂魄の摘出と再配置に耐えられないと思っていた。

だが、結果は彼等の度肝を抜いた。彼は、正常だった。何度転移を繰り返そうが、彼はその精神へと異常をきたさず、何処までも正常であった。クローン特有の物かと思われたが、同種のクローンによる実験ではそのクローンは『問題無く』発狂している。


その正常は、どう考えても異常だった。

魂魄という存在へとダイレクトに叩き込まれる『死』の錯覚。肉体に、精神に己の死を錯覚させられながらも正常でいられる存在を生物と呼んで良いのだろうか。


この実験を行った医師は更迭され、【イザナミ】計画は【ピグマリオン】計画と名を変えて法務省の管轄下へと置かれた。もう、武装医師会はこの件に介入する気にはとてもなれなかった。それは国防軍も同様であった。

法務省はこの技術を転用し、『何か』をやろうとしている様だがどうでも良い。


今や朱羽亜門と名付けられ、無能無敗の二つ名を冠する『アレ』にはもう関わりたくもない。

我々が、医者が追い求めるのは『生存』だ。死に魅入られ、死を経験しても何も感じる事も無い『化け物』の事など知ったことか。かつて【イザナミ】計画を主導する医師の一人であった彼は、手にした書類を忘れてしまおうというかの様に引き出しの奥へと押し込んだのだった。

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