第9話 イレギュラー
魔神。神にも等しい権能を持ちながら、神と言うには余りにも悪辣で享楽的。
物質的な世界を超越し、彼方の概念的な世界よりその触腕を伸ばす彼等は久遠に近い時を生きる。
本に描かれた登場人物が読み手を傷つける事が不可能である様に、彼等は大抵の武器では傷をつける事も叶わず、そして多くの場合において【分け身】と呼ばれる自らの分身を通して活動する為に、仮にその世界にいる魔神を討伐したとしても次元の果てにて鎮座する魔神の本体には何ら痛痒を及ぼさない。
だが、彼等は不死ではない。確かに彼等に与えられた時間は宇宙を3度繰り返したとしても余りある物ではあるが、それは彼等に死が存在しないと言うことでは無い。
強大な力と無限に等しい寿命を持つ彼等にもしっかりと死神はその黒い外套の裾を翻し、彼の持つ死を届けに訪れる。
その死因は様々だ。退屈という致死の毒に蝕まれて自害を選ぶ者も居れば、とある世界にちょっかいを掛けたが故に、億千の刃に切り刻まれて死んだ者だっている。確かに彼等は強大だが、無数の世界の中で最強というわけでも無いのだ。
そして、今からこの物語で触れる魔神の死因は一風変わったものだった。
即ち、同士討ち。魔神と魔神の小競り合いこそ存在するものの、どちらかが死ぬまでの殺し合いは非常に珍しいケースだった。
しかし彼女が己の同胞と刃を交えようとした理由は今や、積み重ねられた久遠の時間によって埋没してしまった。今に残るのはその闘争の結果のみ。無数の宇宙を二柱の魔神が駆け抜けた末に迎えた決着は、彼女の敗北であった。
勝者となった魔神は彼女の肉体をバラバラに引き裂き、辺境の世界へと放逐したと伝えられる。
そして、その未曾有の魔神同士の闘争から幾星霜。分たれた『彼女』の一つが、新しい物語を紡がんとしていた。
◆
路地に響くその足音を聞く者は今や、物言わぬ存在へと変貌していた。
暗く澱んだその場所に似つかわしく無い銀の像が五つ。其れ等はまるで芸術の神が手ずから彫り上げたかの様な驚嘆すべき写実性を湛えており、路地に設置された寂れたバーの蛍光看板が投げかける僅かな光を反射しながら美しい煌めきを振り撒く。
その像は皆一様にこの国において三等市民へと配給される服へと身を包んでおり、その布の波や膨らみもまた驚異的な写実性を持っていた。
皺の一本まで彫り込まれた顔はまるで何か信じられない物を見たかの様に恐怖へと歪んでおり、仮にこれを手がけた芸術家がいるのであれば相当に精神が捻じ曲がって居ると言わざるを得ないだろう。
彼等は逃げる様な体勢を取り、今にも走り出さんとする様な躍動感を見る者へと与える。そしてその身を構築する美しき銀と像の人物達が身につけて居る質素な服とのアンバランスさや、恐怖を雄弁に主張する写実的に過ぎる顔も相まって一流の評論家をも唸らせる芸術性を内包していた。
だが、此処は決して美術館では無い。東京の廃棄された区画にて栄える幾つかの闇市場の一角。間違ってもこの様な芸術品が鎮座して良い場所では無かった。
「うーん……急に取り囲んできたから応戦しましたけども、あっさりと倒せましたわね……?
何だったのでしょう、あの殿方達は。」
しかし、彼女もまた此処に似つかわしく無い存在であろう。
緩く巻かれた紫水晶の輝きを放つその髪を背中の半ばまで伸ばし、白百合の美貌は硝子細工の様な儚さを彼女へと与えていた。
その少女らしい全身を時代錯誤なドレスへと包み、すらりと伸びた手が握るは白銀の弓。
まるで上流階級の家から抜け出してきたかの様なその出立ちに、何気ない所作から滲み出る上品さ。其れら全てが、この少女が間違いなくこの場に居て良い存在では無いと物語っていた。
彼女は徐に、美しい月の意匠が彫り込まれた弓を何でもないかの様に投げ捨てる。その余りにも無頓着な仕草ですら、計算され尽くした踊り子の舞いであるかの様に美しさを振り撒き、ごみごみとした路地裏がまるで厳かな神殿であるかの様な清廉さを放つ。
地面へと落下したその弓は魔法が解けたかの様に黒ずんだ一本の鉄パイプへと変貌し、カランという音を路地裏へと響かせた。
「それで……私は誰なのでしょう?」
ポツリと漏れた彼女の疑問へと答える者は誰も居ない。
だが、その光景を遠く離れた地より観測する二組の目が存在していた。
「ねぇ、マモちゃん。私、夢見てるのかな?」
「その言い方は止め給えよ、エリザ。だが私も同じ感想だ。」
磨かれた黒檀のテーブルの上に浮かぶは、切り取られた空間の一面とでも表現すべき存在。
物理法則を無視してテーブルから数十cm余り浮かび上がり、何処かの風景を映し出すソレを覗き込む二つの人影はその端正な顔立ちを驚愕に染めていた。
「あれ、魔神だよね?凄い分割されて滅茶苦茶に繋げられてるけど、見間違えようが無いよ?!」
金色の後ろ髪を二つに結い、所謂ツーサイドアップの髪型へと整えた少女は黒と赤のフリルに覆われた袖をブンブンと振り回しながら隣に座る少女へと語りかける。
「ふむ……【分け身】では無いね。だが、其れにしては余りにも貧弱だ。更に言えば、私は此方に来てからこの世界に侵入した魔神を確認していない。詰まりは、アレは我々が此方へと降臨する前に降り立った魔神ということになるね。」
藍色の詰襟を身につけもう片方の少女と同じ輝きを放つ金髪を背中に流しながら、考え込む様に指を顎へと触れさせる少女が虚空へともう片方の手を振るえば、大量の文字が空間へと溢れ出す。
大凡常人には読み解く事が不可能な量の文字を一瞥しただけで読み解いた少女は、未だ興奮冷めやらぬと言った様相を呈すエリザと呼ばれた少女へと顔を向ける。
「君の【分け身】はこの事態に気付いてるのかな?」
「んー、記憶とかも消してるし、探知能力とかを大分カットしてるから難しいね。この光景は見えてるだろうけど、魔神とは認識できないはず。流石に【分け身】の【分け身】は劣化するよぉ!」
「『縛りプレイ』の弊害だねぇ。だけど私の方が使える駒が少ないんだ。それくらいのハンデは良いだろう?」
エリザが指を鳴らせば、虚空から滲み出る様に現れるチェスボード。
その上には二つのキングと幾つかの駒だけが並び、閑散とした盤上となっていた。黒い駒はキング、クイーン、ビショップ、ルーク、そしてポーンが一つずつしか無いのに対して赤い駒はその2倍程の数を揃えており、戦力格差は歴然であった。
そしてその奇妙なチェスボードの上に、白色のキングが現れる。
其れは両軍の丁度中間地点に置かれ、駒の頭上へと白銀の文字で『New player』の字が鮮やかに描かれた。
「『アレ』を新しいプレイヤーにするの?どう考えても私達みたいに駒を指せるとは思えないけどなー。魔神としての視点とかはもう持ってないでしょ。私の【分け身】みたいな感じで。」
「例えそうだとしても、盤上へと上がる権利は与えてあげないといけないだろう?其れに、イレギュラーという物はどうしようもなく心躍るものさ。」
「今回のゲームにはもうポーンが居るでしょ?あれ以上のイレギュラーは見た事ないよ。」
エリザの呆れた様な声に、少女───アマイモンはその顔をぐるりと声の方へと向ける。
「あげないからね?」
「とらないです……。というか、マモちゃんがあれだけ入れ込んでるのに横取りなんて出来ないよ。」
その返答に満足気に頷けばアマイモンはチェスボードへとその手を伸ばし、黒いポーンを細い少女らしい指で愛おしそうに摘む。
その顔を幼さと妖艶さが入り混じった笑みに染めながら、彼女はチェスボードの上で鎮座する黒いクイーンをもう片方の手で撫でるとエリザへとポーンを挟んだ2本の指を向けた。
「娘を作ってみたときもそれなりの感慨を抱いたけど、彼の物とは比べ物にならない。
あぁ……信じられるかい?クローンなんだよ、彼は。量産品で、消耗品で、無力な筈のクローンなんだ!うんざりするくらいに既知のスペックで、蟻みたいな力しか持たない!その彼がどれだけの未知を私に齎した事か!」
「出た、マモちゃんの無能無敗オタク。うちのビショップみたいな事言ってるよ……」
「その話詳しく。」
二柱の魔神の夜は姦しく過ぎていく。舞台へと突然現れた闖入者を受け入れ、其々の思惑と享楽の為に彼女達は今日もゲームを続ける。このゲームの行方は、彼女達にすら分からない。
◆
「余剰次元ソナーに感あり!日本のクソッタレ農林水産省だ!」
煌々と大地を照らし出す太陽の元、その声に弾かれる様に銃座へと駆け寄る兵士達。
彼等の装備や纏う服には統一性が無く、近代的な銃を構える者が居れば、最早骨董品とでも言える一つ前の大戦の銃器を構える者すら居る始末だ。
それもその筈、彼等は一つの国家の兵士では無く、それどころかつい最近まで一般人だった者まで居る。
だが、如何に服装や装備が違えども掲げる目標は一つ。それはこの大陸を守り抜く事。
彼等が立て篭もる要塞を、水へとミルクを一滴落とした様に白い膜が包み込む。大戦中に日本が開発した
「今日も農家の連中がおいでなすったぞ!たっぷりおもてなししてやれ!」
その号令を呼び水に要塞の内部へと格納された無数の兵器がその砲身を、電子パルスの走る鋒を、理解し難い作用により周囲の空間を歪ませるミサイルの先端が空間の揺らぎへと向けられた。
日本が突如としてアフリカへと進軍を開始して1ヶ月。瞬く間に中間部までを占領した彼等は農林水産省を名乗り、人間が居ようが建物があろうが関係無いと言わんばかりに目の付く所を『畑』へと作り替え始めたのだった。
一瞬にしてビルの立ち並ぶ都市は破壊され異常な速さで風化し、無数の画一的な容貌のクローン達によって畑へと作り替えられる。そして収穫された野菜達は何処かへと運搬されるのだ。
逃げ遅れた人間……否、逃げ遅れた生命体はその身を節くれだった木へと変貌させる。それはまるでアポロンから逃れんとその身を月桂樹へと転じさせたニンフの様であったが、自発的なものか強制的なものかと言う点において大きく両者には隔たりがあった。
この要塞は国を追われた人々で構成された防衛拠点の一つ。今や、国というしがらみを捨てざるを得なくなった彼等は大陸という大きな枠組みで日本という巨大な勢力へと抵抗を試みていた。
要塞に走る緊張を破ったのは他でも無いその歪みより現れた一人の人物だった。その長身を黒い軍服で包み、長く伸びた黒髪を軍帽の下へと押し込んだその女性は、まるで庭を散歩する様な足取りで要塞へと歩み寄りながら大声で叫ぶ。
「初めましてだな!兵士諸君!私は農林水産省、日本国防軍の合同作戦において国防軍を代表して此処に来た
面食らった兵士達は顔を見合わせる。今まで彼等が此方へとコンタクトを取ってきた事は一度も無かったからだ。
降伏の使者を出そうが、あらゆる周波数で呼びかけようが、彼等は淡々とこの地を緑化し続けていた。今になって一体どういう風の吹き回しだというのだろうか。
「どうする?」
「どうするも何もあったもんかよ、どうせ罠だ。精神操作系の異能保持者を使者に見せかけて送り込み、占領する。ありがちな手段だ。」
「いや、この要塞は異能を通さない。日本のレジスタンスから購入した『Deab』を配備したばかりだろう?」
異能保持者の異能を相殺し、その能力をベールの内側へと通さない対異能保持者の最大防御兵器。何処からかこれを入手したレジスタンスから購入した金額で小国が一つ買えるほどの高価な装置は、最近の農林水産省の襲撃において遺憾無くその効果を発揮していた。
「此方はアフリカ大陸守備軍!そこで止まらなければ発砲する!」
メガホンを取り、要塞の内部から話しかけるはこの要塞の責任者。その声に隠しきれない憎悪を込め、尚も此方へと歩みを止めない軍服の女へと警告を発する。すると、彼女は驚いた様な顔をして立ち止まる。
「やぁ、申し訳ない!まさか返答してくれるとは思わなくてね!了解した、此処から動くまい!」
腕を組み、邪気のない笑顔を浮かべながら太陽がキツく照りつける中で仁王立ちする彼女を、狂人でも見たかのような素振りで見つめる兵士達。メガホンを持つ将校も、その顔を怪訝そうにしながら話しかける。
「何の用だ、日本人!今からとっととこの大陸から出て行くという話か!」
「む、済まないがその話では無いな!」
女は軍服の裾を熱風にはためかせながら、カラカラと腕を組んで笑う。そして次いで投げられた言葉は衝撃的な物だった。
「私は此処から君達に立ち退いてほしいという話をしに来たのだ!無論君達の生命は保証するし、その後の人生の面倒も我々が責任をもって見よう!飢えも苦しみも無い人生を確約する!」
兵士達は呆れた様な、憤怒が抑えきれない様な顔で手にした其々の得物を握りしめる。
舐めているのか、この女は。一人でのこのことやって来て、退けだと?此処が誰の土地だと思っているのだ。我々が、我々の先祖が勝ち取り、文化を育み、栄んとしてきたこの地から出て行け?
ふざけている。もしくは舐め腐っている。どちらにせよ、返答は一つだけだ。
「一昨日きやがれ!」
それと同時に要塞からハリネズミの様に突き出した銃口より、無数の閃光と鉛玉が彼女へと押し寄せる。
明らかに過剰戦力な其れらは、言外に兵士達の怒りを示していた。一瞬後に物言わぬ肉塊となる女を、その場にいる全員が幻視した。だが────
「残念だ!だが、君達がこの地を愛するのと同じように私も私の国を愛している!
私が武器を取り、この力を振るったその日から!」
チャキリ、といつの間にやら彼女の手に握られていたのは一振りの日本刀。鯉口を切る音と共に覗く刀身の煌めきがアフリカの日差しを反射し、持ち主の目元を美しく照らし出す。
「私にはこの国を理想郷にする義務がある!!!」
彼女の口元が笑い───刹那、白銀の暴風が吹き荒れた。
その日、一つの要塞と其れが守っていた区画が地図から消えた。派遣された人員は一名。また一つ、大陸が緑へと染まっていったのだった。
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