第8話 堕ちたる羽

『損傷率82% 早急なメンテナンスを推奨します。』


俺の脳内にのみ響くその声は、俺の全身に走る痛みを数値に表して無感情に告げる。

右腕の表面は火傷で覆われ、金髪腹黒ロリこと天威あまい局長によって彫り込まれた刻印は黒ずみ、ジクジクとした鈍い痛みを放っていた。


右腕を除いたサイバネティクス化された四肢は関節部分から灰色の煙をあげ、軻遇突智カグツチを使用した左腕に至っては一部が融解しかけ、金属とゴムの焦げるイヤな臭いを振りまく始末だ。

更に、凄まじい重力に襲われた全身は痛み、無理な挙動を強いた筋肉が悲鳴を上げて俺の脳へと抗議の痛みの信号を送り込んでいた。


俺はゆっくりと座り込み、エリザベートと呼ばれた少女によって崩壊した街灯の成れの果てへと背中を預ける。

暫くは動けないだろう。義体の至る所が損壊し、戦闘行為はおろか日常の動作にすら事欠くであろうという事を数値で知らせるひび割れたバイザーを右手で引き剥がし、地面へと放り投げた。


『お疲れ様でした、朱羽亜門調整官。レジスタンス勢力が保持する新兵器のパターン解析を終了。

確認された二種の兵器を特別関心技術Technology of special interestに指定。以降はTSI-002、及びTSI-003として識別します。』


俺の総死亡回数は恐らく四桁。水銀を操る事によるトリッキーな戦術が特徴な香織ちゃんが容赦無く浴びせてきた、水銀一斉発射を全て迎撃する迄に積み上げられた俺の『死』だけでも182個。戦闘開始から全て数えたならば数日間に渡る時間を、俺は死を繰り返しながら進んできたというわけだ。


銃弾を銃弾で撃ち落とすという無理ゲーを体感ではあるが数時間ほどやらされ、挙げ句の果てには重力で揺らされた俺の脳は声高に休息の必要性を訴えている。だがそれを妨害するかの様に、先程放り投げたバイザーの液晶が明滅を開始する。

バイザーに取り付けられた俺には到底理解の及ばない複雑な機構の幾つかが作動し、瓦礫に寄りかかる俺の目の前に一人の少女の立体映像を映し出した。


『朱羽亜門調整官。天威喪音局長より通信……おや、少し遅かった様ですね。おはようございます、局長。』

『おはよう、アヒル君(JDACSの隠語。ダックから)。任務を終えた優秀な部下を労いに来たのさ。』


まるで其処にいるかの様な鮮明さで映し出された少女は、愉快そうな笑みをその可愛らしい顔に浮かべる。

流れる黄金を形取った様な髪は纏められる事なく背中へと流れ、早朝だからだろうか?普段はかっちりとした法務省の制服に包まれているその躰は桃色のシュミーズを身につけていた。


普通の人間が見たならば、成長の狭間にある危うい美しさに呑まれてしまうと思わせる程の美しさを湛えるその少女はまるで舞台の上に立つ役者の様な大仰さで、その慎ましい胸の前で手を組みながらその声を紡ぐ。


『いやぁ、亜門調整官。私の命じた極秘指令で此処まで傷ついてしまうとは大変心苦しいね。

私もレジスタンスが保有する新兵器があそこ迄の破壊力を持つとは思っていなかったんだ。其れを乗り越えて任務を無事に完遂した君を、調整局の長として誇りに思うよ。』


なーにが心苦しいだ。全てを知りながら俺を此処に寄越したのはこのロリだというのに。

今回局長より下された極秘指令は一つ。

『レジスタンスの新兵器を保管していると思われる施設有り。

強襲し、その戦闘データを回収せよ』


之だけ。その新兵器───主人公達が纏う『セフィラ・ツリー』と呼ばれるアイテムについての説明も一切無し。其処にいるレジスタンスの人数も、同時に展開している他の機関の実働部隊についての話も無し。


どう考えても失敗する前提で任務を押し付けて来たとしか思えない。と言うか、最後にエリザベートが来ていなければ主人公ちゃん達の合体必殺技がぶちかまされていた事を考慮すれば、殺す気だった可能性もある。

そう、エリザベート。彼女の説明がまだだった。彼女はレジスタンスの副リーダーであり、主人公達も持つ『セフィラ・ツリー』の適合者の一人である原作キャラだ。


この星に降り立った魔神の一柱であり、普段は【分け身】と呼ばれる自身の分身を動かすのみでレジスタンスの本拠地たるマヨヒガから出てこない人物。軽快な口調と『チョロい』発言が人気を呼び、普段は軽い彼女の好感度を最大まで上げた時に見られるその赤面イラストは多くのオタク共の心臓を見事に射抜いた。彼女についての二次創作イラストは照れ顔が大半を占めており、斯く言う俺も『Fallen God』をプレイした時はかなりドキッとしたシーンでもあった。


見た目はゴスロリに身を包んだ深窓の令嬢といった風貌だが操る異能力である『重力緊鎖』は凄まじく、最終章ではその正体を現した天威喪音局長と【分け身】では無い本体で交戦し、隕石やらブラックホールやらが東京の空を飛び交う異能力大決戦を繰り広げた。

その場面を描いた一枚絵は荘厳な雰囲気すら漂わせる一枚であり、その時の凛とした彼女の顔と過去の照れ顔のギャップで多くのプレイヤーの推しキャラの座を勝ち取った。


それに比べてこの性悪ロリは何だ。ドSなキャラが前世でも受けていたが、いざ己にその気質が向けられるとなると辟易としてしまう。だがそれももう少しの辛抱だ……。原作に突入した以上、俺を名前で縛っている焔課長の異能が消失するまでそう長くは無い。遂に俺の高飛び計画が始動する時が来たと思うと感慨深い物がある。精々それまでは従順な人間を演じていてやろうでは無いか。


「ありがとう、ございます。レジスタンス勢力二名の交戦ログは既に送信しておきました。

それと……局長に施して頂いた刻印の一部を使い切ってしまいました。申し訳ありません……。」


こういう時は己の動かないクローン表情筋が有難い。前世の俺だったら眉間の皺やら何やらで秘めた思いやら感情が露見してしまう所である。一切動くことの無い表情のまま、俺は業務的な連絡と謝罪を重ねる。先に謝っておくことで後から責められる可能性を少しでも減らす高等テクニックを喰らえ!……いや、高等でも無いな。小学生でも割と思いつく様なことだ。


だが俺の発言を聞いた局長は驚いた様に、その形の良い眉をピクリと上げた。

そして恐らくは自室にあるのだろう椅子の背もたれへともたれ掛かりながら、意外そうに笑う。

な、なんだ。まさかこのクローン表情筋を突破して俺の本意を察知したとでも言うのか……!


『恨み言の一つでも言われると思っていたのだがね。君は他の兄弟達とは違ってはっきりとした自意識やら感情を持っているのだろう?無茶な任務を押し付けた私に対して、何も思う事はないと?模範的な調整官だな、亜門調整官は。

君の送信してくれた戦闘ログによれば、何でもレジスタンスからの勧誘を受けたらしいじゃ無いか。こき使われる生活から逃れようとは思わなかったのかね?ん?』


面白い様な物を見るような目で俺を見る局長に、俺は心の中で冷や汗を一つ流す。

はっきりと真意を悟られているという訳では無さそうだが、これは不味い流れだ。この腹黒ロリの気分一つで俺は何処か遠くの異界で永久労働に勤しむ未来もあり得る。少し反抗しないと逆に疑われるとか、分かるわけ無いだろ!

おかしい。百合ゲーに転生した筈なのに俺だけ別ゲーをやらされているような気がする。


いや、待て。此処は此れでいこう。『ぼくくろーんだから難しいことわかんない』戦法だ。生まれて10年も経ってないんだからあながち間違ってもいない。適当な法律を盾に『此れにこう書いてあるから……』と純粋クローン少年を装うのだ!


この腹黒ロリが国を裏から牛耳っているとは言え、あくまで表の立場は一省庁の部署の長だ。法に従順な態度を見せるクローンを裁くのは体裁が悪かろう。俺は自分で言うのも何だが、割と悪い意味で有名なクローンだ。人知れず葬るという手段は取れない……と、信じたい。魔神のなんか凄い力でどうにかしてしまいそうなのが怖い。


「局長。私は法務省異能調整局の調整官です。」


俺はハイライトの死んだ目を精一杯純粋に見えるように努力しつつ、ホログラムとして空間に投射された局長の真紅の眼を見つめる。


「私が何者であるかを、私は知りません。何故他の同胞に芽生えなかった感情が、自意識が備わっているのかも分かりません。ですが、一つだけ。一つの肩書きに於いてのみ私は自身を定義できます。」


崩壊した暗金街の区画を朝日が赤く照らし出す中、静寂だけが此処を包み込む。局長は無言で俺の話へと耳を傾けていた。


「《新国家公務員法 第九十六条 1項。すべての職員は勤勉なる奉仕者として国家の利益のために勤務し、

且つ、職務の遂行に当たっては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。》


私はこの国に奉仕する公務員です。そうあれかしと定められ、そう有るべしと望まれました。此れが私にとっての存在意義レゾンデートルである以上、如何に私の身体へと負担を齎す職務であろうとそれが国家の利益となるならば。私は全力を挙げてそれに取り組むまでです。」


そう言い終えれば口をつぐみ、局長の返答を待つ。赫赫たる日の出の光がホログラムの光を打ち消し、その顔が如何様な表情に染まっているのかを知る術はない。

……なんか輪郭プルプル震えてね?踏んじゃったか?なんか地雷踏んじゃったか?


逆光になったシルエットが小さく震えているのを見た俺は背中を冷や汗が伝うのを感じる。もしもこのロリを本気でキレさせたのならば俺に明日は無い。

たっぷり10秒ほど静寂の時間が流れ、俺が現実逃避気味に辞世の句を考え始めた辺りで漸く虫が鳴く様な声がホログラムより響いた。


『……な、成る程。うん。国家の奉仕者ね。うん……ヘヘへ……。

良くやった、亜門調整官!異能調整局に帰還後適切なメンテナンスを受ける様に!腕の紋様なんて気にしなくて良いぞ!何回でも刻んでやるからな!』


言うが早いか通信は断ち切られ、空中に投影されていた少女の虚像は消え失せる。

一瞬だけ見えたその顔が赤く染まっている様に見えたが、朝日の影響だろう。余りにも唐突な終了に俺は一瞬呆気に取られるが、どうやら窮地は脱した様だ。やっぱり魔神と人間じゃ思考回路が隔絶しているらしい。何考えてるのかさっぱり分からん。


「あ、朱羽調整官!今そっちに行くから待っててくれよ!オラっ!退けこの三等市民共!検挙するぞ!」


緊張状態を脱した事による反動で薄れる意識の中、聴き慣れた声が耳朶を揺らす。その方向を見れば、ちんまりとした人影が集まり始めた野次馬をかき分けながら此方へと走ってくる所だった。

パンツスーツに包まれた脚を必死に動かしながら走り寄るこの世界で唯一と言っても過言では無い友人を見ながら、俺の意識は薄れゆく。全く、早くこんな世界から逃げるのが待ち遠しい。全ての苦難はそれまでの辛抱だ。


新たなる決意の中、俺の意識は気絶の暗闇へと呑まれるのだった。






「ふふふふふふふふー♪」


アメリカ合衆国のホワイトハウス、イギリスのダウニング一〇番街、ロシアのクレムリン。

かつては地球の政治の中心だった此れらの地だが、今やこの世界の中心は極東のとあるビルへとその位置を移しつつあった。


『官邸』とだけ呼ばれる、天を突かんとばかりに聳えるそのビルの最上階。

この国の中心を見渡す事が可能な、正にこの国の真の支配者たる彼女に相応しい部屋に備え付けられた、天蓋付きのベッドの上で鼻歌と共に悶える少女が一人。


その魔性の美貌をだらしのない笑みの形へと歪め、その小さな体躯で枕を抱きしめながらゴロゴロと転がるその姿はとてもこの国を影から支配し、楽園を謳う灰色の鳥籠へと作り替えた存在とは思えなかった。

魔神たる彼女の本性を知る者がこの場に居れば、恐らく驚きの余り目を剥いた事は間違いないであろうその光景。


ひとしきりゴロゴロと悶えた後、その美しい金髪を放射状にベッドへと投げ出したままにベッドの天蓋を眺めながら先程の余韻に浸る少女は、未だにその顔を至福の笑顔へと固定したままであった。


この国を支配し凡ゆる権力基盤に根を張る彼女にとって、先程の彼女が寵愛を注ぐ男からの発言は告白に等しい物であった。

あの美しき死の化身は、一体天使の力に何処まで拮抗できるのかと期待して送り出してみれば、結果は想像以上。

凄まじい戦闘センスとその身体への犠牲を顧みない戦法は健在であり、己と同じ領域の埒外の力に対し、全身をサイバネティクス化しているとは言え、彼女の想定を出ないスペックしか持ち得ない彼は終始相手を圧倒していた。


本当に、彼はどこまで己を疼かせれば気が済むのだろうか。

ベッドから起き上がり、すらりと伸びた薬指に嵌めた金剛石が煌めく指輪へと彼女はそっと触れ、静かに囁く。


「冠するセフィラは王冠Keter。『エヘイエー』、具現化。」


バサリ。彼女の形の良い肩甲骨から一瞬にして伸びるは純白の両翼。

かつて、この星で開いた異界の門より落ちたとされる魔神の遺骸。それは11の欠片へと分たれ、世界中に散逸したとされる遺物達。


それを全て揃えたならば、その者は神にも等しい権能を手に入れる事が出来ると言う。まぁ同じ魔神たる彼女にとってはそれはどうでも良い事だ。

己が偶々手に入れたセフィラに相対するセフィラをレジスタンス勢力が手に入れようが、この世界においての自身が滅ぼされようが、彼女にとっては悠久の生の中でのほんの瞬き程度の出来事に過ぎない。


だが、この世界で『彼』を見出してしまった今では話が変わってくる。

彼女が『彼』と永遠に過ごせる様に。悠久の世界へと招待する為に。はたまた、彼の一撃へと真なる意味で己の悠久の生を刈り取る力を与える為に。さてさて、随分とこの世界も楽しくなってきた。

純白の翼を美しく朝日に煌めかせ、初めて抱く感情に心を燃やす魔神はその顔を再び至福の笑みへと転じさせるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る