第7話 王国より栄光へと至らん

「はぁぁぁぁっ!」


夜の闇を可憐な少女が振るう七色の煌めきが切り裂く。

その年頃の少女らしいすらりとした細い腕に握られるは、成人男性でも持ち上げるのは不可能とすら思わせる巨大な剣。

水晶を鍛え、研ぎ澄ましたかの様に見えるその大剣は七色の光を振り撒きながら己の主人たる少女の前へと立ち塞がる一人の男へと迫り、その美しき輝きを鋭利に煌めかせる一撃は絶死の物と思われた。


だが、それは相手が凡百の敵であった場合である。

七色に光る致死の熱線を先触れとして振りまきながら放たれるその大剣の一撃に対し、男は動じる様子も無く勢いよく右足を地面へと叩きつける。サイバネティクス化によって強化された身体とパワードスーツの相乗効果は下水道の床を大きくひび割れさせるという結果をもってその男へと応えた。その衝撃によって無数に跳ね上がる瓦礫達。

男は淀みのない手付きで両手を高速で振るい、その両腕に弾かれた瓦礫達は凄まじいスピードで即席の弾丸と化して空間を駆ける。


ガガガガ────ッ!


不規則な軌道で男を焼き尽くさんと放たれた閃光は、まるで放たれた瓦礫へと吸い付けられる様にその軌道上に存在する瓦礫達に接触し、在らぬ方向へとその破壊力を振りかざす。

不可視の防壁に囲まれているかの様な錯覚すら抱かせる挙動でその進路をずらした男に対し、ゴクリと少女は唾を飲み込むも、振うその大剣を止める事は無い。


振り撒かれた熱線も、全てはこの一撃の前座に過ぎない。彼女の父の遺産たる『コレ』に秘められたる力はこのまま男のパワードスーツを切り裂き、絶命させて余りある物だ。

大剣より流れ込む知識と力に身を委ね、振るわれるは美しくも凄まじき一撃。それに対し男は瓦礫を弾いた体勢のまま、その一撃の進路上に己の右手を挟み込む。


刹那、撒き散らされる極光。

己の主人の敵対者を喰らい尽くし、塵へと変えんと吠え立てるその大剣は右腕を覆うパワードスーツを瞬時に消失させる。だが、その一撃は男を傷つけるには至らない。次の瞬間、這う様に男の右腕を一瞬で覆い尽くすは紫の燐光を放つ紋様。

その一撃と、拮抗する紋様より発生した紫電は大気を焼き、周囲にオゾンの匂いを撒き散らす。


魔神が手ずから編み込んだその紋様は、少女の渾身の一撃と拮抗し明滅する。

翼を広げ上空より切りかかった少女の一撃は防がれたものの、男を中心に先程作られた陥没痕を上書きするかの様に作られたクレーターがその一撃の熾烈さを物語っていた。

だが、防がれてしまっては如何に鋭き一撃といえど意味はない。拮抗する七色の閃光と紫電に男の無感情な黒いフェイスシールドが照らされる中、吹き上がる風にピンクの髪を揺らしながら焦燥にその可愛らしい顔を染める少女。


春音はるね!今よ!」


しかし、元より彼女は一人では無い。その声に導かれる様に勢いよく飛び退く少女。世界を塗りつぶしていた極光は瞬時に消え去り、拮抗するべき相手を失った男はその体幹を僅かに崩す。


有るか無いかの僅かな隙。それを目掛け放たれた白銀の液体が空間を縫い、戦場において致命的な隙を露呈させた男へと迫る。蛇の様に隙を窺い、アルテミスの放つ銀矢の如き清廉なる残像を引きずりながら迫るその一撃は、鏡面の様な表面を男の鮮血で彩らんと唸りを上げて男の死角から放たれた。美しき二人の天使により編み上げられた、敵を死へと誘う譜面。完全なる死角より放たれた一撃は、天使を地へと堕とさんとする不遜なる罪人を裁く─────筈だった。


軻遇突智カグツチ、起動』


白銀の断罪は、男の左腕より放たれた赫赫たる炎を纏った一撃により失墜する。


男は完全に死角から放たれた一撃に対し、その左腕の関節の可動域を大きく無視した一撃にて返答した。

駆動音と共に放たれたその一撃は、火薬の燃焼するエネルギーを遺憾無く拳の威力へと変換し放たれた銀矢を打ち砕く。

大戦中に大東亜工業が設計、開発した義体用の兵器。だが装着者の肉体への著しい負担を強いるソレは使われる事なく、歴史の闇へと葬り去られる筈だった。しかしそれは今。設計され、そうあれかしと望まれた機能を男の元で十全に振るい、その爆炎を月光の下に晒していた。


衝撃、轟音。液体としての本分を思い出したかの様に辺りへと飛び散る水銀の中、煙と共に立ち込める火薬の強烈な匂いは、周囲を覆うオゾンの匂いと混ざり合い形容し難い異臭を放つ。

ガシュッ!と何かが排出される音と共に男の左腕から高熱の蒸気と共に空の薬莢が地面へと落下する。

金属が跳ねる音を奏でながら地面を転がる音が、完全に破壊された下水道の通路へと響き渡ると同時に、迎撃の余波だろうか。男の顔を覆うフェイスシールドにピシリとヒビが入る。


この間、水晶の一撃が放たれてから数十秒。だがその短い時間の間の攻防は彼我の力の差を饒舌に物語っていた。


「嘘……でしょ」


完全に不意を突いた一撃。

意識外から、死角から放たれたその一撃は男の腹部を貫通し、彼女の師父を殺した男への復讐と日本政府への反攻の鏑矢として、レジスタンスの戦の始まりを高らかに告げる筈だった。

無能無敗という二つ名が彼女の背に重くのしかかる。未来予知すら疑わせる戦闘センスに、的確な状況判断。

絶死が待ち受ける戦場の中で冷静に、冷徹に立ち回るその姿は彼女に鈍く光る鋼鉄の拳銃を想起させていた。


頭にこびりつく妄想を振り払うかの様に再度放たれる白銀の液体。

それは彼女の焦燥を代弁するかの様に、やけくそ気味な無数に分裂した散弾として男へと降り注ぐ。

それを赤色の光を全身に走らせた男は上空へと跳躍する事で回避する。月光を背負いながら天を舞う男へ、その喉笛を食いちぎらんと軌道を修正した銀の雨が獲物を追う猟犬が如く迫る。


『機能変更。レメゲドン、面制圧へと移行します。』


それを迎撃するは瞬時に腰から抜き放たれた銃。

鋭角的なフォルムの表面を赤色のラインで覆い、駆動音と共にその姿をまるでパズルを組み替えるが如き挙動で細長く変貌させる。

次の瞬間、銃口より振り撒かれる発火炎マズルフラッシュ。雷管の爆裂は発射薬を瞬時に気化させ、銃口から放たれるは無骨なる鉛玉。無造作に振りまかれるその暴虐は、空中という不安定な場でありながら迫り来る白銀の時雨を的確に迎撃する。


放たれた白銀の散弾はその男を傷つける事叶わず。硝煙を銃口より立ち上らせ、スタリと戦闘の余波で崩壊し、中よりへし折れた街灯の残骸へと着地する。

月光を背負い、露出した右手に握るは殺戮の機構。地に立つ天使達を見下ろす魔人は手にした銃の先をカチャリと少女達へと向けた。


パキリ。突如訪れた静寂を払う様に響く音と共にフェイスシールドに走るヒビは大きな亀裂へと移行し、その身を砕け散らせる。割れ目から覗くは黒い目。暗く濁り、死を煮詰めた様なその目は冷徹に彼女達を見つめていた。


「182回……」


ボソリ、と男の口より紡がれる声。

唐突に放たれたその言葉だったが、蒼き槍を携える少女はその意味を瞬時に理解する。


182回。それは恐らく、先程の戦闘で男が彼女達を殺せた回数。数十秒の攻防……いや、戦闘と言えるのだろうか。

そんな疑問を抱かせる程に、彼女達と無能無敗の間に広がる溝は広い。手から力が抜ける。勢いよく燃え盛る炎ほど、消える時は儚き物だ。師父の仇を討たんと燃え盛っていた彼女の心は、圧倒的なまでの力量差にその炎を潰えさせようとしていた。


だが、もう一人の少女は折れていなかった。

もう一人の少女の心で揺れる炎へと吹子で酸素を送り込む様に。ブンッ!という轟音と共に振り払われた大剣は七色の極光と共に燦然と輝き、その無数のカットが織りなす水晶の輝きを夜の闇へと振り撒く。


「私達はまだ、折れてないよ。」


蜂蜜色の目。つい先程まで普通の学生だった筈の彼女の目は、美しく燃え上がっていた。

心に秘めるは自由への願い。胸に抱くは今は亡き父への想い。高潔なりしその少女は、世界から祝福された少女は、月光を背負う黒い男を凛と睨みつける。


「私は、この閉ざされた世界が全てだと思ってた。

貴方達の言う事は全部正しくて、貴方達は正義の為にレジスタンスの人達と毎日戦ってるヒーローだと思ってた。」


広げられるは、レモン色の翼。仄かに東から立ち上り始めた黎明の光を反射させ、狭き檻より羽ばたかんと広げられた翼を背負う少女は、その可愛らしい顔を決意に染める。


「そして、そんな貴方達の為に研究をしてるお父さんを誇らしく思ってた。……ううん、お父さんの事は今でも誇らしい。

だから、だからこそ!お父さんを騙して、命まで奪った貴方達を、この国を覆い尽くす灰色の硬い壁を許さない!

レジスタンスの人達は、悪に狂った狂人達じゃなかった!明日を夢見て、今日を走るすごい人達だった!」


太陽が顔を出す。朝焼けの光は此れより散りゆく少女達への手向けか、それともこの国の変革の黎明の光か。

だが、少なくとも。少女の放った言葉はもう一人の炉心へと火を灯した事は間違いない様だ。


散らばった水銀達へと生命が吹き込まれ、主人の走狗たらんと彼女の周りへと馳せ参じる。

朝焼けの光をその白銀の鏡面に反射させ、手に持つ瑠璃より深き蒼を湛える槍はその鋒を微かな波紋に揺らす。

七色の光が、白銀の煌めきが、二人の戦乙女を美しく彩る。それは一枚の宗教画の様に美しく、幻想的な光景であった。


「「私達は、セフィロトの天使。」」


「冠するセフィラは王国Malkuth

「冠するセフィラは栄光Hod


「「この狭い空を、見上げるだけなのはもう終わり!」」


立ち上る圧力。二人の背負う翼が光を放ち、共鳴しているかの様に振動し始める。

HodよりMalkuthへと至るパス。其れは即ち、『審判』を暗示する大アルカナ。

其れに対し無言のまま手に持つ銃を向ける黒き男、即ち無能無敗が持つ銃はその銃身を紅の光帯で覆い尽くし始めた。

相対せんとする二つの『必殺』。場を満たす緊張はガラリ、と瓦礫が崩れる音と共に打ち破られた。



「「黙示録、解放。天より注ぐ極光よ、今こそ黄昏へと────」」


『レメゲドン、開帳。偽典・七十二柱の悪魔を開始。No.68、フェニクス。対象を────』


だが、その起こりうる筈の衝突は唐突に響き渡るその気の抜けた声によってかき消される事となった。


「はーい、そこまで!」


瞬間、男が立つ街灯の残骸が崩れ落ちた。

クシャリという擬音が伴いそうな程にあっさりと、まるで不可視の巨人がその手を振り下ろしたかの様にひしゃげた街灯。

その成れの果ての上で銃を構えた姿勢のままに硬直する男は、ギロリと目だけを動かしその下手人を見やる。


忽然と姿を現したのはその身を所謂ゴシックロリータと呼ばれる服で身を包んだ少女。朝日をその長く伸ばした金髪に美しく反射させ、恰も光輪を戴くかの様な神聖さを纏いながらもニコニコと屈託のない笑みを浮かべる少女は、上から男を押さえつける様な手つきを崩さぬままに少女達へと話しかける。


「エンジェル・ガールちゃん達、ちょっと焦りすぎだよ?

香織ちゃんは兎も角、春音ちゃんはこれが初めての【転樹】でしょ?流石に今それをするのは時期尚早かなって思うゾ♪」


この戦場に似つかわしくない軽快な口調で話す少女。其れを見た二人の少女達はその顔を歓喜に染める。


「エリザさん!」

「エリ姉!」


エリザと呼ばれたその少女は、見る者を安心させる様な余裕ある笑顔で二人へと応える。二人の少女達はガチャリと手を覆う甲冑を鳴らし、手に持つ各々の武器を握りしめた。レジスタンスでも一、二を争う強さを誇る彼女。【重力緊鎖】のエリザベートと呼ばれるその少女が来れば無理のある攻撃を為さずに、此処であの男を撃破する事も充分可能だろう。

だが、その喜びを崩すかの様な不吉な音が響く。

ギチ、ギチギチと。何かが無理矢理押さえつけられた物を力づくで引き出そうとしているかの様な、そんな音。


「……嘘でしょ?」


全身を軋ませ、その身を襲う数百倍の重力に少しずつ、しかし確かに逆らうその男を化け物を見るかの様な目で見つめる少女。先程まで見せていた軽快さは鳴りを潜め、その顔に僅かに焦燥が浮かび始める。


「香織ちゃん?春音ちゃん?これ以上の戦闘は禁止。マヨヒガに撤退するよ。流石に【分け身】じゃあ無理だね、この子は。」


とある事情により、十全にはその力を振るえない彼女。その状態の力量では目の前の男を殺しきる事は不可能だと瞬時に判断し、二人の少女達へと呼びかける。

その間にも足元に増大した自重によってクレーターを作りながら、ゆっくりと此方へと銃口の先を移動させる男。

その目は獲物を狙うハンターの様に暗い意思の光が宿っており、其れを見た二人の戦乙女達の背筋にも冷たい物を走らせる。


「凄いねぇ、えーっと、無能無敗くん?だっけ。レジスタンスに転職する気とか無い?」


苦笑いしながら、少女は押さえつける動作を続ける右手はそのままに、空いた左手を二人の少女達へと差し出す。

冗談まじりに投げかけられたその言葉への返答は、睨みつける黒き双眼。この国の定めた正義の元に、何処までも忠実に、愚直に敵を屠らんとする其の姿はエリザベートに僅かな憐憫の情を抱かせた。


「……可哀想なお人形。」


二人の手を左手で握りしめ、地面を黒いタイツで包まれた足で少女が軽く蹴った瞬間、3人の少女達は忽然とこの世界から消え失せる。

残されるは、全身の義体箇所から灰色の煙を噴き上げる男が一人。朝日に其の全身を照らし、ゆっくりと立ち上がった男は声にもならぬ声を一つ、ポツリと零した。


「したいです……」


最先端の集音装置も、彼に執着する魔神が張り巡らせた魔術にすら探知されぬ程の微かな息吹として吐き出された其れは、誰の耳にも入る事なく楽園の朝の空気へと溶けて消えていったのだった。

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