第6話 天使×魔人
ピチャリと汚水が跳ね、水滴が水面を揺らす音が遠く反響する。
ぬるりと指先に触れる未だ温かい液体を振り払い、俺は深呼吸と共に肺に鉄錆と腐敗の香りのする空気を送り込んだ。
鋭角的なフォルムの近未来的な銃を腰のホルスターに戻しながらインカムへと触れれば、僅かな空電音と共に聞き慣れた声が電波に乗って俺の耳朶を揺らす。
『素晴らしい手際です。朱羽調整官。付近の思考反応をスキャニング……反応無し。目標レジスタンス小隊の沈黙を確認。』
機械的な女性の声で告げられる終了宣言。俺はまだ反動の余韻の残る右手を軽く振り、ゴム靴でうつ伏せに伏せた物言わぬ屍と化した男の身体をひっくり返す。
俺の虹彩に仕込まれた暗視システムが緑色の世界を網膜に投影し、その荒い視界の中で脳天に風穴を空けた男の顔を観察する。彫りが濃いヨーロッパ系の顔立ち。防弾ベストの袖から覗く筋肉質な腕が、この男が戦場にこそ身を置く人間であると饒舌に主張して居た。
「日本人じゃ無いな……ヨーロッパ圏は日本の統治下で無い筈だが。
『検索中……一件該当。』
俺の視界を一瞬で覗き見たAIは瞬時に此処から数キロ程離れたサーバーへと接続し、無感情な声で答えを告げる。
『ヴィクトール・コルニエフ。フランス領旧ロシア自治区を拠点とする民間軍事会社【チェルニー・ミーチ】の傭兵です。血液型はB。ムルマンスクにて西暦2078年に誕生。グアルテナ幼年学校を卒業後、第5次国連徴兵にて国連軍に入隊。ローマ攻防戦において第一次突入部隊として───』
「いや、もう良い。その情報は課長に送信を。」
このまま喋らせておけばそのコルニエフとかいう男の黒子の数、好きな歌手、性癖、交際関係まで一日中喋り続けるであろうその声を途中で遮り、その全てを
恐らくはレジスタンス側が雇った人間だろう。日本の支配下にあるアジア圏の人間ではなく、ヨーロッパ圏の人間までもが彼等に協力し始めているという事は、レジスタンスの“例の計画”が成功を収めたという事だ。
つまりは、日本政府を打倒しうる物がレジスタンスにはあると一部の人間は確信しつつある。
まぁ、国家に忠実な彼女ならきっと全部読んでくれるだろう……多分。その燃える様な紅のツインテールをブンブンと振り回しながら怒声を上げる彼女を一瞬幻視するが、肉体労働専門である俺に此れを読ませるよりも遥かに効率的だろう。
コ○ラのマーチだかチェルニー・ミーチだか知らないが、そこら辺の関係を洗うのは彼女に押し付……任せよう。
それに俺の方が歳下なのだ。年上の威厳を見せて貰おうでは無いか。
『総ファイル数89ページを送信しました。他にご要望はお有りでしょうか?』
「……謝罪の言葉も送信しておいてくれ」
少々早まったかもしれない。鮮血が混じる汚水に倒れ伏す十数人の死体を避けながら、無限に続くかの様な下水道の暗闇の中へと俺は足を進める。
刹那、俺の鼻を刺す腐臭。俺は目当ての物を発見したとの確信と共に、目の前に広がる醜悪な空間をゆっくりと見渡した。
ズラリと4メートル程の高さの天井からぶら下がる肉塊。時折蠢き、ゴポゴポとくぐもった音を発しながら揺れる肉塊達が並ぶ景色は、地獄に生肉加工店があるならばこんな物だという感想すら抱かせる。
粗い緑色の視界はアーチを描く天井から垂れ下がりながら動き出す肉塊達を映し出すが、テリトリーに入ってきた物が己達の期待していた物とは違う事に気づいたのだろう。直ぐに下水道は肉塊達が放つゴポゴポと言う音だけが支配し始めた。
『生体熱遮断モードへと移行しました。フェイスシールドの着用を推奨します。』
鼻や耳が存在せず、原始的な視覚器官しか持ち合わせていない其れ等は熱源を探知する事によって、周囲を識別する。
漏れ出る熱を遮断して仕舞えば、奴等にとって俺は存在しない物と同然だ。
大戦中に敵対勢力の異能によって汚染された下水道を浄化する為に放たれた『ソレ』の名は
まぁ、動きがカタツムリの様に緩慢なので恐らく今でも汚染を主食としているだろうが。
『
つまり、そんな彼等が群れる地点として選ぶ地点は色濃く異能の残滓があるという事だ。
此処は所謂闇市の広がる『暗金街』の地下を巡る下水道。敵異能による攻撃の爆心地となり放棄された区画にて栄える、貧者と違法に生きる者達の楽園であり無法地帯。
未登録の異能行使者も存在しているだろうが、『暗金街』で燻っている様な奴等が所持する異能の強度等たかが知れている。
本来ならば5、6体程のグループを作って下水道内を徘徊する彼等が此処まで群れている事への予想される答えは二つ。
一つ。此処ではカタツムリの速度以下の速度で動き、尚且つ
二つ。この付近で常習的に強力な異能行使者が滞在しており、それによって発生する異能の残滓を目当てに
一つ目ならとっとと絶滅してしまえ、そんな欠陥生物は。と言うか、そんな生物がいるならとっくの昔に
二つ目ならば、そんな強度の異能行使者が所属する団体は国家機関ともう一つに限られている。
まぁ、この付近の下水道をレジスタンスの連中がパトロールしていた時点で答えは出ている様な物だ。奴等が動物保護団体に方向転換したのでなければ、間違い無くこの下水道の真上の建物はレジスタンスの拠点だ。それもかなり重要な。
『先程、科学技術・学術政策局警備課の先行部隊が指揮官を除いて壊滅。文部科学省より現場の指揮権の法務省への移譲が宣言されました。』
俺の思考を中断するかの様にインカム越しに告げる声に、俺は無言で笑う。
なんだかんだと御託を並べたが、実際の所。俺はこの上に何があるかを知っていた。全ての始まり。運命が始まる場所。この国の黄昏の起点。主人公が彼女の運命と出会う地。
『朱羽亜門調整官からの申請を確認……承諾。義手、義足、及び第0世代空想領域接続デバイス【レメゲドン】の全拡張機能の使用を許諾。』
腰のホルスターに収まった確かな重みを感じさせる近未来的な銃の引き金へと手を添えながら、ゆっくりと引き抜く。
照準を合わせる先は下水道側面に等間隔で設置されたドア──ではなく、肉塊犇く天井。
俺は知っている。これから天使が来る事を。いずれこの国からの弾圧を跳ね除け、自由という素晴らしき2文字の下に他者を鼓舞し、美しき
『Weapons free(兵装使用自由)。ご武運を、朱羽亜門調整官。』
その行動は高潔なのだろう。その思いは称賛すべきなのだろう。
だが、それは俺がこのクソッタレの世界からの逃亡への旅路で足を止める理由にはならない。
インカムから響く声が止み、辺りを肉塊が蠢く音だけが支配する。
瞬間、暗闇と肉塊だけが支配していたこの地を白銀の閃光が染め上げた。
放たれたのはレメゲドンの高出力レーザー。白銀の光が天高く登り、一瞬にして夜の『暗金街』を昼へと染め上げる。
天井を破り、崩れ落ちる瓦礫と肉塊の中。闇を照らし出す光の中、卵の様に丸く閉じられた四枚の羽がその凄まじい熱量と光を物ともせず、可憐にして頑強な白亜の壁として己の主人を保護していた。
刹那、開かれる四枚の羽。
手を繋ぎながら舞い降りる二人の少女は天より祝福されていると言わんばかりにその背中から伸びる橙色とレモン色の美しき羽を羽ばたかせ、ふわりと舞い踊る羽毛がまるで宗教画であるかの様なこの光景の美しさを際立たせる。
青いポニーテールとピンク色のショートボブの二人の少女は其々意匠の違う鎧を纏い、手にはまるで海をその煌めきのままに固め金属として鍛えあげたかの様な瑠璃よりも深き蒼を湛える槍と、特大の水晶から武神が掘り出したかの様な少女達が放つ光を七色に屈折させる剣をそれぞれ携えている。少女達は、その翼をゆっくりと動かしながら地下に広がる空間へと降り立つ。
彼女達が、彼女達こそが。この物語に祝福された存在。
そこに羽毛と砂塵の舞い散る空気を振り払い、パワードスーツの赤黒く光るラインを全身に走らせる無粋な存在が一人。
フェイスガードに覆われた奥の顔を無表情と僅かな高揚に彩り、俺は舞い降りた『主人公』達へと規則通りに言葉を告げた。
『法務省異能調整局だ。異能濫用禁止法第一条、器物損壊、国家反逆罪及び緊急事態宣言に基づく国民管理への抵抗の疑いで執行する。無駄な抵抗はよせ。』
◆
とっとと盗まれた重要指定文化財を保管していると思われるレジスタンス拠点を制圧し、準監視対象の身柄を国防軍に引き渡してから甲金フーズの発表した『かれーらいす』なる物のデータセットに舌鼓を打つ予定だったのだ。
この施設に居るのは準監視対象の民間人と、複数人の武装したレジスタンスメンバー。
数十人の科学技術・学術政策局警備課の重武装クローンで攻め立てたならば一瞬でケリが付く筈だった任務は、建物内に踏み込んだクローン兵達が銀色の液体金属で構成された巨大な一撃で玄関ごと薙ぎ払われた事で破綻を迎えた。
「限定具象化!《エロヒム・ツァバオト》ッ!」
凛とした声と共に揺れる青いポニーテールを靡かせ、まるで舞うかの様に周囲へと手を向ける少女。
その手の動きに追従するかの様に縦横無尽に動くは、彼女の周りに寄り添う様に浮遊する複数の液体金属の塊より放たれる白銀の煌めき。鞭の先端の様に振るわれるその鋭い一撃は、国防軍標準採用のライオットシールドをまるで障子のように切り裂き、辺りでは吹き飛ばされるクローン兵達が護送車に衝突した事による金属音が鳴り響いていた。
「行くよ、
白銀の殺戮武闘の中、凛とした表情で彼女は振り向き手を差し伸べる。
差し伸べられた先には尻餅をつく少女。ピンク色の髪を夜風に揺らし、快活そうなその顔には困惑と歓喜の色が覗く。
「……うん!!!」
いや、うんじゃないが。
ボクはプルプルと震えながら、数十メートル離れた見晴らしの良い指揮車の中からこっそりとかなり広くなった玄関に居る二人の少女を眺めていた。
え?なんで指揮車の見晴らしが良いかって?
……ついでに風通しも良いよ?だって、この車上半分が無いもん。さっき切り落とされました。おほしさまきれい(現実逃避)
リクライニングを限界まで倒してうたた寝してなかったら今頃ハーフアンドハーフなスプラッタ美少女が完成している所だった!
というか!というか!国防軍の『異能保持者は居ない』発言を信じて来たっていうのに、アレはなんだよ!
どう見たって第一級の異能保持者だろ!この車の弁償はお前らにさせるからな……!
これはどう見たって法務省異能調整局の案件だ。ボクは左腕を覆うデバイスを必死にタップし、周囲で地面に激突したクローン兵が出す鈍い音に涙目になりながら上司を呼び出す。
『はーい。こちら志乃咲課長ー。任務終わった?』
「それどころじゃ無いですよ!異能保持者居ます!それもどう見ても第一級の!ボクに預けられた部隊が千切っては投げられ千切っては投げられてます!法務省に投げてくださいこの案件!量産型のクローンじゃ相手になりませんってば!」
ホログラムで映し出されたその女性は、その報せに少し考え込んだ様子を見せる。
恐らくは面子とかそう言う事を考えているのだろうが、面子が潰れる云々の前に早くしてくれないとボクの命が潰える!
「お願いします!もうこの指揮車とかオープンカーになってます!上半分が切り落とされて無くなってます!
次に散るのはボクの命なんですぅぅ!!!助けてください課長ぉぉぉ!!!」
涙を垂れ流しながら訴えるボクを尻目に、カタカタと何かを打ち込んでいる課長。
それと同時に、ブンッ!という音と共に車の後部が銀色の残像と共に切り落とされた。狙ってる!狙ってるよどう見たって!
「死ぬ死ぬ死んじゃう!死にたく無い!後部座席が消えた!次はボクだぁぁぁ!!!」
『あー……法務省はもう人材を派遣しているみたいだったから、現場の指揮権を渡しておいたわ。』
「ほえ?」
瞬間、ボクの背後より天高く一筋の閃光が立ち上がった。
放たれた白銀の極光は、凄まじい陰影を生み出し周辺一帯を昼間の様相へと塗り替える。
眩しさに顔を腕で覆い、振り返るボクの左腕から声は続く。
『良かったわね、花夜ちゃん。派遣戦力は一名。朱羽亜門調整官。無能無敗は伊達じゃ無いってところを見せてもらいましょ?』
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