第5話 書を捨てよ、戦場へ出よう

多くの得体の知れない出店で賑わう路地裏を、天高く聳えるビルから漏れ出る光が照らし出していた。

フードを目深に被る男達が声を潜めて会話を交わす酒場に、足が6本の動物を串で刺して焼いただけの物を売り捌く屋台。

淫靡な笑みを浮かべる薄着の女達が小さな駆動音と共に手招き、しゃがみ込む老人が複雑な機械を弄くり回し奇天烈な音を奏でる。


此処は東京。永劫の楽園都市を謳う地の暗部。怪しげな密会に、突然変異した動物を貪る貧者達御用達の店、違法改造アンドロイドが営む風俗店に、横流しされた官製の品々。

此処で手に入らぬ物など何も無く、法では無く金が支配すると噂されるこの路地は人呼んで『暗金街』。

拡大する都市の中心部から忘れ去られたかの様に、かつての大戦の跡すら所々に残るこの地に異質な色が入り込んでいた。


黒。黒、黒、黒。


黒光するタクティカルスーツに踊るは『MEXT』の文字。即ち、文部科学省。

手に手に青光りするライフルとライオットシールドを携え、一つの建物を取り囲む様に配備された車両から働き蟻の様な勤勉さと均一さで次々とその建物の入り口を取り囲んでいく。

ヘルメットのバイザーの下で無感動に己の標的を見据える彼等の顔は、一様に無個性な表情を浮かべていた。

同じ顔に、同じ装備に、同じ動き。均一たる彼等は一つの目的に従い粛々と動く。


『こちら科学技術・学術政策局警備課。展開を完了しました。』


スモークガラスから漏れ出る夜景の光を濡羽色の髪に反射させ、気怠げな表情を浮かべる少女は己の左腕を覆うデバイスへと指を走らせる。猟犬達は準備を整えた。後は───飼い主が一声掛けてやれば良い。


「好きにしてくれ〜。終わったら通信で報告するよーに。」


ザッという空電音を残し、再び車内を静寂が満たす。全く、年頃の乙女を深夜に呼び出してやらせる事がゴミ溜めを漁る事とは。大戦前は存在していたとされる『福利厚生』なる物に思いを馳せてみるも、あまりビジョンが思い浮かばない。

給料が出るだけで儲け物だというのに、定時で帰るだのノー残業だの言い出した日には戸籍を抹消されて適当な異界の鉱山にでも放り込まれてしまう。


昔は『ロードーキジュン砲』なる兵器を労働者達が携えており、雇用された企業に不満を持つ者達はそれを企業へと向け、レジスタンス運動へと身を投じた等と言う噂も流れるくらいだ。大戦前はよほどこの国は混沌としていたのだろう。

取り留めのない事を考えていると、欠伸が一つ口から溢れ出る。


クローン達を現場の任務に導入するのは大いに結構な事だが、薬物や暗示で自意識を縛り過ぎなのが玉に瑕だ。

こうして決定を下す人員が最低でも一人現場に行かなければ、彼等は只の同じ顔をした烏合の衆だ。

話し相手にしようにも、『はい』か『分かりません』くらいしか言いやしない。

あの『彼』の様な突然変異型のクローンが増えてくれないだろうか。彼女は四肢をほぼ全てサイバネティクス化した己の友人の顔を思い浮かべる。


『彼』は、朱羽亜門という名を与えられたクローンはどうして生まれてきたのだろう。

他の全てのクローンが濁ったガラスの様な目で地面を眺めている中、彼だけはその目を暗く昏く直向きな生への渇望に染め上げ、天賦のセンスによって無敗を貫く。量産の過程で生まれた『イレギュラー』。日本武装医師会の名医や研究者達が無数の検査と試算を繰り返せども匙を投げた生まれながらの戦闘マシーン。


他の個体とは異なり確固たる自意識が存在し、柔軟な思考が可能。己の肉体の欠損も厭わぬ程の忠誠心を持つ国家の第一の下僕。これ程までに国家に都合の良い存在が偶然で生まれたとするならば、それはもう凄まじい天運が味方したとしか考えられない。だがまぁ、そんな事は彼女にとってはどうでも良いのだ。


実は───これは彼女しか知らないと自負しているが───彼は本を読むのである。

今や完全没入型の仮想現実やら、小型の立体映像デバイスが安価で出回る中、活字を読む人間は少ない。

更に先の大戦で多くの書籍が回収、焚書された為に本そのものが貴重だ。


彼女は旧家の出身であり、文部科学省とのコネもあった事から蔵書は焚書を免れ、幼き頃から活字に触れてきたのだが先述の事情もあってこの趣味を誰とも共有できない。

家のコネで文部科学省に就職してからも悶々とした毎日を過ごしていたある日、法務省への出向を命じられたのだ。

文部科学省の所有する幾つかの異能研究機関と法務省異能調整局との橋渡しをせよという何とも面倒くさい仕事。


更に言ってしまえば、異能調整局には武闘派が多い。第一課長の狂乱の不死鳥を始めとして、氷結地獄、単独旅団、そして悪名高き無能無敗などの二つ名持ちがゴロゴロと転がっているのだ。

非力な文学少女を自認する彼女にとって、気の進まないどころか全力で拒否したい案件だったのは言うまでもない。

しかし彼女は───戦々恐々と向かった聳え立つ黒い巨塔で運命と出会う。


一通りの顔合わせを終え、強者居並ぶ会議室から這う這うの体で抜け出し、昼食を取りにカフェテリアへと向かった彼女の目に一人の青年が留まる。

誰もいない窓際の席に一人座り、腕から響く僅かな駆動音と共にページを捲る音を響かせながら口へとサンドイッチを運ぶ後ろ姿。

その時の彼女の歓喜の程は筆舌に尽くし難い。生まれてこの方、本を読む同志になぞ会った事が無い。いつかは同志と巡り合い、オススメの本を紹介してみたい等と淡い期待を抱いていた彼女は、食事をしに来た事などすっかり忘れてその背中へと駆け寄った……駆け寄ってしまったのだ。


「キミキミキミキミ!もしかしてその手に持ってるのは本とかいう物だったりするのかい?!

ちょっとボクと一緒にお話しヒィッ!」


彼女の一世一代のファーストコンタクトへの返答は、カチリとサイバネティクス化された左腕の中から覗く黒光する銃身だった。

だがそれ以上に彼女が怯えたのは……その顔だった。黒髪に黒目。特徴のない事が特徴的なその顔には無表情だけが浮かべられ、暗く濁った目からは何処か見られたく無いものを見られた事に対する苛立ちが感じられる。


クローン。いや、違う。違う違う!一般のクローンはこんな目をしない!“アイツ”だ。殺戮兵器、法務省のジョーカー、番外の最強。即ち、無能無敗。

あー死んだ。さようならボク。グッバイこの世。無能無敗のプライベートな時間を邪魔して生きて帰れるとは思わない。次の瞬間には頭に風穴を開けられて赤い大輪の花を咲かせる己を幻視し、この世への潔い別れを告げた彼女だったが、意外にも投げかけられたのは銃弾では無く言葉であった。


「あ……これは申し訳ありません。癖になってまして……。そうですよ。少々値は張りましたが先日購入した本です。珍しいですか?」


先程の雰囲気は霧散し、打って変わって申し訳なさそうな雰囲気をその無表情から振りまきながら、左腕を元へと変形させる無能無敗をぽかんと彼女が見つめてしまったのは決して責められる事ではあるまい。

どうやら、此処で死ぬ定めでは無いらしい。居ない事がほぼ証明されてしまった神は実は存在したのかもしれない。

頭の中で神に感謝を捧げつつ、彼女は勇気を振り絞って言葉を紡ぐ。


「そ、そうだ……いやそうです。はい。ボクも本を読むのが趣味なんデス。」


汗をダラダラと流しながら、チラリと彼の持つ読み込まれた跡のある本の表紙を見ればそこに踊る『逃げの極意 〜海外逃亡編〜』の文字。

はてなと頭に浮かぶ疑問符。最強にして最恐とされる無能無敗がとても読む様な本には見えないが。すると彼は視線に気づいたのか、本を閉じながら語る。


「おや、そうでしたか。私も職業柄、逃げる非協力的市民を捕縛する事が多々ありますからね。先読みの為にその手法を学んでおこうかと。大戦前の書籍ですが、中々タメになりますよ」


成る程、そういう理由だったか。国家に敵対的な異能行使者を何処までも追いかけて捕縛、あるいは殲滅する異能調整局。

そのエースともなれば、此処まで勤勉なのも納得だろう。

あそこまで本が草臥れる程読むとは、本も冥利に尽きるだろう。だが、実利一辺倒なのは彼女にとって少し面白くなかった。本は確かに知識の園であり、実利の為に読む事もある。だが、彼女にとって本は楽しんで読むものなのだ。決して実利の為だけに読むのではなく、活字が織りなす冒険を、恋愛を、悲劇を、物語を心で楽しむ。初めて出会った読書仲間に、彼女は勇気を振り絞って言葉を放った。だって、だって。彼女はこの出会いを初めて本を読んだ時から待って居たのだから。


「あ、あのさ!本がお好きなら読んで欲しい本があるんだ!」


今でも思い出す、少し驚いた様な無能無敗の顔。無表情以外も出来るんだな、なんて感じたのがつい昨日の様だ。

思えば、あれが彼と自分の縁の始まりだったのだろう。生まれて初めての読書仲間。お互いに本を貸し合い、感想を話し合う仲。夢にまで見たその縁をまさか無能無敗と結ぶ事になろうとは。

嗚呼、早くこの任務を終わらせて帰りたい物だ。明日彼に貸す本を見繕わなければ。ロビンソン・クルーソーなんてどうだろう。

ニヨニヨと表情を崩し、早くも任務を成功させた後を考えている彼女はまだ知らない。この任務をきっかけに、自分の人生が……いや、この国が大きく動く事になる事など。





やぁ、俺だ。


今日もディストピアで元気に庶民を踏み台にして暮らす一般エリートクローンとは俺のことよ。

いやまぁ、右手以外機械になってるのが元気っていうのかは議論が分かれる所だろうが。


いや違う!そんな話をしに来たわけじゃ無い。今日は朗報があるのだ。俺はまた一歩バカンス計画へと近づいた。


なんと!とある『本』を購入出来たのだ。ふらりと休日に寄った雑貨屋の奥にポツンと置いてあったハードカバーの本。

こちらの世界は技術進歩&過去の焚書政策の所為で書籍が少なく、前世はかなり読書家であった俺にとってはかなり苦しい状況だった事もあり、暗い店内の中でキラキラと光り輝いて居るように見えた。


然も、題名が『逃げの極意 〜海外逃亡編〜』である。コレはもう日頃頑張る俺への神からのボーナスなのでは無かろうか。

この世界に転生してから苦節数年……!……そうだった。クローンは生まれてから既に成人の姿を取っているから忘れがちだが、俺がこのディストピアにぶち込まれてから10年経って居ないのだ。僕は小学生です!働かせないでください!

クローンに人権とか無いからね、仕方ないね。普通の人間にもあるか怪しいのにクローンなんて話にならんだろ。


話がずれた。そう、何はともあれ今生で一、二を争う幸運なのである。値札を見て店主にレメゲドンを向けたくなったが、此処はグッと堪えて数ヶ月分の給料に相当する金を無言で出す。

誰にも渡さねぇからな……!何時ぞやのレジスタンスの姉御が襲撃してきたとしても、この本を守る為ならまた数ヶ月の死に戻りを繰り返す事もやぶさかでは無い。


それからはもう、只管にその本を読み耽った。流石に数十年は過去の本なだけあって、偽装戸籍の作り方等は参考にならないが、逃亡先での生活方法や追っ手の司法組織を撹乱する方法などは中々為になりそうだった。

それに何より、その本を読む事で将来のバカンスに思いを馳せてとても幸せな気分になれるのだ。最早この本は俺にとってのバイブル。こんなもん読んでるところを課長や、あの腹黒金髪合法ロリにでも見つかったら何されるか分かったもんじゃないので、監視の目がない自室か何故か監視カメラが存在して居ないカフェテリアでしか読まない事にした。


近づくなオーラを放ちながら窓際の席にでも座っていれば、態々読んでいる物の題名を確かめにくる奴なんて居ない。

本を購入して数ヶ月が経ち、傷ついた俺の財布事情も回復傾向、昼食時にカフェテリアで本を読みながらバカンスについて妄想を膨らませる事が日課になっていたある日。

俺が南国ビーチでトロピカルジュースを飲みながらカウチに寝そべる妄想を、合成肉とどう考えても小麦からは作られて居ない緑色のパンで作られたサンドイッチを食しながらして居た時。


背後から、接近する気配を感じたのだ。課長と局長の気配だけを警戒しすぎて、それ以外の気配、しかも初見の気配に対して反応できなかった。周囲に誰も居ないことを確認して本を読み始めたのだが、油断しすぎて居た様だ。ま、まずい。流石にこの距離まで近づかれたならば本の内容を見られてもおかしくない!


仕方ない。作戦『食事中に話しかけられたら発砲するくらいイライラしてた』で行こう。なんか割と頭のおかしい奴扱いを局内でも受けているし、今更発砲くらいなんだって話だよな!この局内の人間ならゼロ距離射撃とか余裕で避けてくるし、当たる心配もないでしょ。背に腹はかえられぬ!


左腕が何かに切り替わる感触。腕の感覚が内部に引っ込み、骨が軋む様な感触と共に黒光りする銃口が腕を割って現れる。瞬間、背後へと振り向きその銃口を─────


「キミキミキミキミ!もしかしてその手に持ってるのは本とかいう物だったりするのかい?!

ちょっとボクと一緒にお話しヒィッ!」


………あれ、こんな奴いたっけ?

振り向けばぷるぷると涙目で震える、小動物じみた雰囲気を纏う白衣の少女。局内にこんな人間居ない……よな?首元を見れば、ゆらりと揺れる『入場許可』の札。


つまりあれか?俺は初対面の人間に銃口突き付けちゃったと。しかもどう見ても泣かせてると。まずい。黒髪黒目の男が涙目の美少女に銃を突き付けてます。字面だけで犯罪の香りが凄い!


「あ……これは申し訳ありません。癖になってまして……。そうですよ。少々値は張りましたが先日購入した本です。珍しいですか?」


苦し紛れの言い訳が口をつく。いや、相手に銃口突き付ける癖って何だよ。もっと良いのあっただろ!


何もなかったかの様に左腕を通常の状態へと戻し、未だに涙目の少女にお願いだから叫んだりとかしてくれるなよと願いを込めながら軽く頭を下げる。此処で叫ばれたらエリート街道から鉱山労働者派遣街道へと移行してしまう!


「そ、そうだ……いやそうです。はい。ボクも本を読むのが趣味なんデス。」


駄目だ。ライオンを前にしたオカピみたいになってる。いや見たことないけど。

現実逃避気味に考えていると涙目の美少女の目線が揺れ、俺の本の表紙へと移行する。


まずい……!見られた。逃亡とか堂々と書かれてるの見られてしまった。いやまだだ!まだ挽回できる!オリチャー発動!


「おや、そうでしたか。私も職業柄、逃げる非協力的市民を捕縛する事が多々ありますからね。先読みの為にその手法を学んでおこうかと。大戦前の書籍ですが、中々タメになりますよ」


流石にキツいか……?最悪、記憶処理頭部への拳による殴打も考慮せねばならないかもしれない。

だが、少女は何処か納得した様な雰囲気を放ったかと思えば悩む様に考え込み始める。

えぇ……。どう見ても逃亡を試みてたのは俺だろ……。節穴なのかもしれない。詐欺とかに騙されてそう。


いや、これは駆け引きなのかもしれない。この考え込んでるのは『これをネタに幾らまでコイツから巻き上げられるか』の可能性もある。幸い、カフェテリアには俺とこの少女以外誰もいない。この少女さえ丸め込めば俺の計画は安泰だ。

仕方あるまい、俺の財布が火を吹く日がまた来た様だ……

一先ずは相手の出方を伺う事にする。これでもアホみたいな量の修羅場を潜っているのだ。来いよ、小動物少女(仮名)。

年季の差を教えてやる────俺の方が年下だろうけど────


「あ、あのさ!本がお好きなら読んで欲しい本があるんだ!」


俺は自分の無表情が困惑に崩れるのを感じた。


今思えば此れが彼女、即ち花夜柳との長い長い付き合いの始まりだったのだろう。彼女とは中々に良い友人関係を築けていると思う。なんたって、柳は軽率に暴力に訴えてこないからな!付き合うべきは文民よ。


いやまぁ、俺は文民どころか国民ですらない備品なのだけれども。

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