第4話 傷跡の対価
『国民協力度を観測中……データベースにアクセス。軽犯罪22件、および重大な反逆行為1件。拘束対象です。速やかに非殺傷手段で無力化してください。』
俺の脳内で響き渡る中性的な声が目の前で尻餅をつく男への判決を告げる。
結果は有罪、一生の勤労刑って所だな。
「止めろ!止めてくれ!そう、金が無かったんだ!分かるだろ!?俺みたいな奴が生き残るには金が必要なんだ!」
寂れた倉庫の地面に無様に尻餅をついた男の無精髭だらけの顔は焦燥に満ちている。これから何が起きるのかをよく理解できているようだ。
ならもう少し頭を働かせるべきだったな。ろくにコネも持っちゃいない木端役人がレジスタンスに武器なんて横流ししたらどうなるのか。
まぁ、気持ちは分からなくもない。辛かったんだよな。毎日毎日同じような備品の点検ばかり。ちょっとした小遣い稼ぎのつもりだったんだろう。いい加減「国民用健康維持食品・タイプC」以外の物でも食ってみたかったんだろう。
俺が構える銃口が少し降りたのを見た男の顔が闇の中に一分の光を見たような、希望に満ちた表情へと塗り替わる。俺が見逃しでもすると思ったのだろうか?こいつ、やっぱり馬鹿なんだろう。俺のスーツの胸元に縫い付けられた『M.O.J』の金系が目に入らないらしい。
『Ministry of Justice』
この国の正義の代弁者は、国という『正義』が定めた道を外れた者を許しはしない。そして俺は俺のエリート街道の上の障害物を許しはしない。
俺は下げた銃口をそのまま男の足に照準を合わせ、発砲した。倉庫に反響する男の悲鳴と銃声。撃ち込んだ銃弾はそのまま足の神経を蝕み、適切な処置が施されなければ奴を一生松葉杖生活にさせるだろう。
え?非殺傷じゃ無いのかって?
この国での非殺傷は『命までは奪わない』の事なんだよなぁ……。俺が左腕の端末を操作し、護送用のドローンを呼び寄せていると地面に蹲る男が苦痛に喘ぎながら何かを呟いていることに気づいた。
「俺は……金を、金がぁぁぁ……要る、要るんだ……もう嫌だ…一生、一生こんな生活は嫌だ……」
痛みに震える男の手が奴が着ていた薄汚れたコートのポケットに入れられ、薄ピンク色のガラス瓶を取り出す。……なんか見覚えあるな。なんだっけアレ?えっと……思い出せないな。多分前世で見た事があるはずなんだが……
そんな事を考えながら男の腕へと発砲する。筋金入りの馬鹿だな、こいつ。目の前であからさまに『今からドーピングして強くなりますよ』って物をそのまま飲ませるわけ無いだろ。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!」
右腕を撃ち抜かれ、弾が当たった部分が徐々に黒ずんでいくのを絶望的な表情で見つめる男。手にしたガラス瓶は地面に落下し、その中身を床に飛び散らせた。結局何だったんだか分からずじまいだ。後で床に染みた液をサンプルとして解析してもらおうか。
再び左腕の端末の操作に戻った俺だったが、突然その背中をどろりとした『いつもの感覚』が襲う。
「俺はぁ……こんな所で終わっていい人間じゃあねぇぇぇ!!!」
振り向けば芋虫のようにのたうち、限界まで舌を伸ばした醜悪極まる形相をした男が地面に染み込む液体を舐め回す。その様は地獄で渇きに苦しむ餓鬼の有り様であり、必然的に『醜悪』以外の言葉が似合うはずもなかった。
うっわ!きっしょ!3秒ルールは液体には適用外だろ……。これから自分を襲うであろう事から逃避するかのように、俺の頭は呑気な思考を垂れ流す。
男のもはや動くはずのない脚が蠢く。身体が電流が走ったようにのたうち、口から泡を吹き出す。
コートははまるで背中の内側から何かが抜け出そうとしているかのように膨らみ、やがては弾ける。肉ののたうつ音と骨が軋む音共に伸ばされた四肢は灰色の体毛に覆われており、その筋肉の躍動に合わせてまるで稲穂の様に揺れ続ける。腕に撃ち込まれた弾は筋肉の膨張に合わせ排出され、その傷はビデオの早回しの如く塞がった。
身体に服の残骸を引っ掛け、ゆらりと立ち上がる男の顔に既に過去の名残は無い。鼻は前に突き出し、口内の歯は明らかに食事を咀嚼する以外の目的を求め牙へと変貌する。そしてその口からは粘ついた涎が垂れ、目からは理性の色が消えていた。
……ふむ。此処で現実逃避がてら、何故俺が此処にいるのかを説明しておこう。
まずこの男、国民ID:B38728CU72、本名吉中哲寺の職業は国防軍の下請け業者だ。国防軍が既に使わなくなった旧式の兵器や防具を、日本の占領下の国の親日政権へと運搬する仕事を担っていた。そのまま仕事を進めていれば老後には3等国民から2等国民になっていたのだろうが、奴はそこまで待てなかった。
目先の金銭に目が眩み、旧式のパワードスーツやら兵器やらをレジスタンスへと横流ししていたというわけだ。
既に国内では型落ちとは言え、国際的に見れば最先端の数歩先を行っている。それをレジスタンスが運用し、国家の円滑な統治に支障をきたすなど以ての外だ。
もっと言えば、俺を前回の任務でボコボコにしたフィジカル馬鹿が着用していた物もこの男が横流していたらしい。
で、普通ならばこの案件は公安が担当する。だが、この男が異能保持者であった事がそれに待ったをかけた。
異能名【月下狼】。月の出ている夜に狼の特性のうち一つをその身に宿すという、言ってしまえば雑魚異能だ。だが、異能は異能。法務省異能調整局の管轄下である。丁度暇だった俺は、楽して心証を良くできる機会と見て立候補したのだが……道理で天威局長が意味深な目をしていたわけだ。あの金髪腹黒合法ロリ、この事を知ってやがったな?
遅まきながら思い出したあのピンク色の液体の正体。アレは原作でプレイヤー、つまりは主人公が使う『MP回復アイテム』だ。確か天使の雫?とか言ったかな。
原作ではポンポン使われていた物だが、あれは異能を用いることで消費するゲージを回復させる物。言ってしまえば異能のキャパシティに対するドーピングだ。
主人公達は特殊な体質である故に、それをジュース感覚でゴクゴク飲んでいたのだろうが、一般人にとっては劇薬だ。
故に今、目の前で獣臭い息を振りまいているあの男は自らの異能が暴走し、月下で無い状態で全身を狼のものへと変貌させている。
だが、それが何だというのだろうか。俺も死に戻りというズルがあるとは言え、体感で言って仕舞えばかなり長い時間戦闘に身を置いているのだ。前世が平和なる日本のオタクだったからと言って、そろそろ死に戻りに頼らない戦いも出来るはずだ。俺は左腕の端末が開いていたホログラムを閉じ、首をコキリと鳴らしながら目の前の人狼に対し挑戦的に指を動かす。
さぁ、来いよ化け物。人間サマが退治してやる。そんな風にニヒルにカッコつけていた俺の顔面は、狼の天へと届けとばかりに響き渡る咆哮に引き攣ることとなる。俺の体に搭載されたあらゆる感知機器をすり抜ける速度で振るわれた狼の剛腕に吹き飛ばされた倉庫の棚が俺の腹部に激突し、腸をかき混ぜられる感覚と共に俺の意識は暗転した。
さぁ、来いよ化け物。人間サマが退治してやる。そんな風にニヒルにカッコつけていた俺の顔面は、狼の天へと届けとばかりに響き渡る咆哮に引き攣ることとなる。はい、無理でした。野生の獣に人間が勝てるわけ無いんだよなぁ……。俺は咆哮の終わりを待つことなく、勢いをつけて前転し、頭上を轟音と共に通り過ぎる風圧を背中で感じる事となる。
低い体勢をそのままに、俺は床に手を付きながら回転と共に相手の足元へと転がり込む。そして回転の勢いと共に繰り出された蹴りは見事に空振り、背後から振り下ろされる爪の一撃が俺の脳漿をぶち撒けたのだった。
さぁ、来いよ化け物。人間サマが退治してやる。そんな風にニヒルにカッコつけていた俺の顔面は、狼の天へと届けとばかりに響き渡る咆哮に引き攣ることとなる。
まぁそりゃそうか。動体視力も獣のソレ以上───恐らくは俺に搭載された数多のセンサーすら上回る程にに強化されているならば、蹴りを避けながら瞬時に背後に周る事も可能というわけだ。作戦変更!俺はサイバネティクス化された脚で勢いよく跳躍し、次いで俺の真下を通過して壁へと突き立てられた鉄の棚の上へと着地した。
そのまま軽やかな音共に鉄製の棚の上を駆け抜ける。それと同時に四肢を地面へと着けた人狼が咆哮と共に此方へと突貫を開始した。そう、それで良い。俺はそのまま勢いを殺さずに相手へと接近する。鼻をツンと刺す獣臭さに頭がクラクラするが、それを意思の力で捩じ伏せる。
人狼の後ろ足が撓み、そして矢の如く空中を直進して此方を喰らわんと迫り来る。剛速。野性そのもの。だが、人は常に野性を攻略する事で進化し続けてきた。
俺は此方へと迫り来る一条の矢と化した人狼の頭へと片手を添え、そのまま後方へといなす。そしてそのまま宙を舞い、俺と人狼の位置は完全に入れ替わった。着地と同時に振り向き、手にした銃を構える。相手はその全身から繰り出した運動エネルギーを未だに消費し尽くしてはいない。
つまりは、未だに空中という事だ。俺のサイバネティック技術で強化された動体視力が、針に糸を通すかのような正確さで相手を捉える。
『対象の分類を再識別。矯正対象市民から非協力的市民への移行を確認。略式裁判を二審に以降……判決、死刑。』
カチャリ、と変形した手元の銃へと破砕弾が装填される。そして素早く引かれた引き金に導かれた弾頭は爆発的な化学エネルギーに後押しされ、此方へと振り向かんとする人狼の頭蓋骨を削り取ったのだった。
◆
「あれ、中禅寺さん。その左腕の傷どうしたんですか?」
東京のとある地点に位置するポータル。その情報は秘匿され続け、ポータル自体にも無数のセキュリティが施されている。
これを正面から破る事ができるのはそれこそ、そのセキュリティを構築した『魔神』と同じ存在くらいのものだろう。
そしてそのポータルの奥。異界にしては小規模な数十km四方の空間に、一つの街が建築されていた。
此処こそが今や世界にその名を轟かせ全ての富が集まる独裁国家、日本に対するレジスタンス組織の中枢、『マヨヒガ』だった。
そしてそのマヨヒガの中心。幹部達が住まう邸宅の中でも一際目立つ和風建築の中で寛ぐ少女が、不思議そうに緑の髪を綺麗に結い上げた妙齢の女性へと問いかけた。
薄手の浴衣の左肩から覗く古傷。それは白磁のような肌にこびりついた汚れのようであったが、その不完全さが逆に彼女の美しさを引き立てていた。
問われた女性は懐かしそうにその傷を撫で、何かを思い出すように笑う。
「あら、見えてはりました?」
それを問うた少女は、今更ながら不躾な事を聞いたと思ったのだろう。その端正な顔を申し訳なさに染め、謝ろうとするのを女性が手で制す。
「ええのええの。それに見られたところで往生するもんやあらへんから。」
手を上品にパタパタとふり、はんなりとした雰囲気を纏う女性───即ちレジスタンスの幹部、中禅寺丹羽はもう片方の手で目の前の少女の頭をゆっくりと撫でる。
少女の顔がふにゃりとだらし無く歪むが、直ぐに元の調子を取り戻す。
「その、すごく失礼なんですけど……なんで治さないんですか?医療室にあるメディカルポッドで数分で治る怪我、ですよね?」
そう言いながら浴衣の襟から僅かにはみ出た傷を目で追う少女。
彼女も戦場に身を置く人間として、その傷が何らかの短い刃物で付けられた傷という事をその独特の形状から推察した。
だが、それはとてつも無い事である。
中禅寺丹羽。彼女は不死すらをも断つとされる無数の風刃を操るレジスタンスの中でも有数の異能保持者。その彼女が、異能では無く物理的な刃物で傷つけられるまで接近されたという事のあり得なさ、そしてそれが示唆する強大な敵の存在を少女は感じ取っていた。
「そやねぇ……此れがうちにとっての戒め、やからかなぁ……。
なぁ、うちもこのレジスタンスで幹部なんて言われて持て囃されとるけどな?この傷、誰がつけたと思う?」
はて、と少女は考え込む。目の前の女性に対抗できる戦力。憎っくき法務省異能調整局の武闘派たる第一課を率いる、【狂乱の不死鳥】。或いは国防軍の中でも剣豪として名高い【猪狩り】か、それとも大戦の英雄【人喰い鮫】か。もしくは日本武装医師会の【傀儡奏者】?でも、頭の中で挙げられる戦力達はどれもこのような傷を付けるような相手では無い。
いや、待て。法務省異能調整局にもう一人いた。余りにも異質すぎて意図的に除外していたが、奴が居た。無数の同胞達を『執行』してきた、この国の走狗。即ち【無能無敗】、朱羽亜門。
だが、奴の扱う武器は銃器が主流だと聞く。ならば奴も違うのか。むむむと考え込んだ少女の顔を愉快そうに眺めていた中禅寺は笑いながら切り出した。
「【無能無敗】っておるやろ?アイツ。そう、香織ちゃんが思ってる奴でおうとるで。アイツがクローンなのはまぁ、知れとる話やけどな?うちのこの傷は【無能無敗】が初めて戦場に出てきたときにつけられた傷や。」
【無能無敗】。奴の悍ましく、無数に積み上げられた戦績の一つ。それが目の前にいる女性を撤退させた事だという事は少女も知っていた。
だが、撤退させただけでは無く傷をつけた?それも、初めての戦場で?
「あの頃はうちもちょっと調子に乗っとってなぁ。幹部最強!なんて持て囃されて舞いあがっとったんや。
そんで、ちょっと国防軍にちょっかい掛けに行こうと思うて行ってみたら、まぁクローンしかおらんくてなぁ。えらくがっかりしとったんやけど、そのクローンの中におったんよ。【無能無敗】が。」
彼女の語るところによれば、まだ当時一山幾らのクローンだった【無能無敗】は彼女の放つ全ての風刃を、周りの同機種のクローンがバタバタと倒れる中まるで未来が見えている様に避け続けたのだという。
未来予知の能力かと思い、決して避けられない角度で風刃の檻を作ってもみたが腕を、脚とそのナイフを握る腕だけを残しながら、それ以外は全て些事とばかりにいとも容易く犠牲にして彼女の元へと少しずつ、だが確かに迫ってきたそうだ。
「あの黒髪黒目のクローンの顔でな?痛みもあるやろうに躊躇せずにこっちに少しずつ迫ってくる様がまるで死神みたいでなぁ。それでその目がもう濁っとるんよ。正直言って、あれが一番人生で怖い瞬間やったわ。」
そして目と鼻の先にまで迫り、彼女の首へとナイフを突き立てようとした【無能無敗】の残された左脚を辛うじて切断し、その狙いがズレた事でなんとか事なきを得たのだところころと笑う中禅寺を少女は引き攣った顔で眺めていた。
「あの時はもう怖くてなぁ?【無能無敗】が立てへんようなって地面にぶっ倒れた瞬間逃げたんよ。たかがクローンに自分が傷つけられたのが信じられんくてなぁ……」
そしてかつての己の慢心を戒める為にこの傷を残しているのだと語る中禅寺の目に、少女は何処か薄寒い物を覚えたのだった。
◆
「ふふふ……ちょっと怖がらせてもうたかな?」
少女がそそくさと帰った後、一人縁側に腰掛ける中禅寺。
先程語った内容に嘘は無い。この傷を残したのは戒めの為でもある。だが、それだけではなかった。
「あの目ぇ、怖い以上に……ほんまに綺麗やったわぁ……」
何処までも深く、幽く続く闇の中。死を塗りたくった様な濁りを放つその目の中に、確かに宿る生への祈り、渇望、そして希望。
クローンと己。量産型と唯一無二。その壁は、最も容易く撃ち破られた。あの後、かのクローンが無能力者との判定が出たと政府内の内通者から齎された知らせに彼女は歓喜した。
あのセンス、あの無慈悲さ、死の中に誰よりも深く潜りながらも、何処までも生を追い求めるその矛盾。
その全てが彼女にとって美しく映った。
「あんさんの傷、両脚と左腕の傷はまだ疼いたりするんやろか?その度にうちを思い出しとったりするんかなぁ?」
ふふふ、と妖艶な笑みが屋敷を満たす。あんなにも昏く、美しい物を手に入れたいと思うのは女の性か、それとも破綻した欲望か。
彼女は自らの左肩をそっと撫で、その傷が続く左腕を浴衣越しになぞる。
「いつかこの国をうちらが元に戻したら……あんさんの首に鎖かけて、この屋敷に飼ったるからなぁ……乙女の柔肌に刻んだ傷、キチンと責任を取ってもらわんとねぇ♪」
その形の良い唇をつらり、と舌が撫でる様は獲物を思う蛇の様に悪辣で、狡猾で、耽美で───危うい美しさだった。
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