番外編

【回想】悠麒麟児が人間になった日

 悠麒麟児という名も、彼の本名なのかどうかわからない。コードネーム・鬼神。暗殺に明け暮れていた彼は、人間でありながら、人間だと見なされたことは一度もなかった。幼い頃から殺しの才能はあった、とも言える。同時に人を想う心もなかった、とも言える……否、これに関しては、と言う方が正確である。人を信じる度に彼は心身共に傷ついた。騙し、騙され、殺し、殺され。そんな世界で人を想うことができようものか。ましてや周りの人間は皆、罪人。何一つ彼らに対し感情は芽生えなかった。

 霊力が高く、霊や神を見る力があった彼は、裏社会でも忌み嫌われていた。嫌われ者の彼を拾ったのは、同じ嫌われ者の神守家。神守一門としてのスカウトを受けた彼は、上からの指示でこれを承諾することに。「悠麒麟児」の名と「麒麟」の地位を得た。

 無論、己の人生と引き換えに、である。


 上司と神守家頭首の間で、麒麟と契約する話になった彼は、その説明を受けることなく儀式に呼ばれた。

 五神獣のいる山に連れていかれ、無理に頭を下げさせられ、麒麟の試練を強制的に受けさせられた。


 殴られ、蹴られ、折られ、斬られ、貫かれ、焼かれ、氷漬けられ、毒塗られ、云々。

 そんな中で迫られる選択。間違えれば一から拷問付きでやり直し。荒ぶる負の感情を抑えておかなければ正常な判断はできない。

 ようやくそれを終えたかと思えば、満身創痍だというのに戦闘開始となる。攻撃をまともに受ければ即死。あの痛みをもう一度味わうことになる。避けながら、敵に攻撃を当てる。一撃では倒れてくれないため、何度も死んでは回復されて敵に立ち向かう。

 そんな麒麟の試練を受けた彼は、いつしか、自分が人間であることも忘れてしまった。麒麟に認められ、半神になったその時から、悠麒は全てを失った。数少ない人間らしささえ、彼の元から消え去った。


 悠麒はその日から人間を恨み始めた。初めて人間に感情が芽生えた。それが、憎しみの感情であった。個人であればまだしも、同族全員を恨む者などそういない。しかし彼にとって人間とは自身と別の種族であり、また憎むべき相手であった。

 自分を苦しめた者たちなのだから、当然だ。

 彼は、一度だって受けた屈辱を忘れたことはなかった。汚れ仕事を押し付けられ、塵のように扱われ、挙げ句の果てには人外化。

 何度、神守一族を殺そうとしたことか。その度に訳のわからない力に阻まれてはまた奴隷と化す。うんざりだった。


 一体、どれだけの時を生きただろう。神々と戦ってきた。醜い人間同士の争いも見てきた。


 それでも変わらなかった悠麒を変えたのは、ある一人の男の子だった。


 最強だの、天才だの、大層な謳われ方をした神守家の頭首が一人・神守真司に二人目の息子ができた。その名を、優司と定めた。その子は特殊だったらしく、真司は付きっきりで息子の面倒を見ていた。彼ら従者が会うことも許されなかった。


(神守家頭首候補は光司。優司はいずれ一般人になるだろう。大事な息子……彼に思い入れができた頃に、神守一門全員の目の前で殺すか。さぞ、面白いだろう。最強の頭首サマが怒りに狂って泣き叫ぶ様は)


彼にとっての数年は長いものではない。優司が五つになるまで、彼はじっとその命を奪うことだけを考えて待っていた。

 そして彼が五歳の誕生日を迎えた時。悠麒は真司に『麒麟』の加護を受けた『従者』であると彼に紹介された。兄の光司は悠麒を警戒していたが、果たして彼は……。


「綺麗な人ですね」


どんな言葉をかけるのか、考えてはいた。が、この言葉は想定外だった。自分を見て、一目で『人間』の扱いをされたことは、記憶の中では初めてだった。


「綺麗か。何故、そう思う」


真司の問いに、優司は答える。


「容姿が整っている、というのもありますが、特に瞳が綺麗です。強い意志と深みを感じます。それから、その手が。努力家の手です。きっと、誰よりも努力をしてきた方なのでしょう」


適当ではない、と思ってしまった。優司の目を疑うことはできなかった。己の手に目を向けると、確かに傷が残っている。この瞳は、優司を殺してやろうという意志を宿し、長年の歴史を直接見てきた深みも表れているだろう。それを「綺麗」と言うのか、この子は。


「僕は人間じゃないよ」


最後の悪足掻きだった。絆されそうになる心を「僕がバケモノと知れば恐るだろう、馬鹿め」と必死に、子どものように守っていた。だが


「人間でしょう? こんなにも、揺れ動く心があるではありませんか。それに」


彼は小さな手で悠麒の頬を包むと、


「こんな綺麗な瞳と、頑張り屋さんの手をした者が、バケモノであるはずがありません」


微笑みを向けて、そう言い切った。


 __あぁ、この人こそ僕の主に相応しい。


 奴隷としての生が長かった彼は、優司を真の主と思い定めた。


 彼が僕の心を救った。彼だけが、本当の僕を見てくれた。


 そうして悠麒は優司に尽くすようになった。一人の人間として、一人の人間を守ろうと決意した。

 そこからだった。彼が更に強くなろうと力を求めたのは。彼の強さは、天性的なものもあるが、それが極められたのは優司との出会い以降である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る